011 事情聴取と、小さな違和感
「エリーゼさんは、倉庫に閉じ込められていたところをクラウディアさんに助けられた。それで、間違いないですね?」
「……はい」
応接室で向かい合って座る教師の言葉に、私はため息まじりに答えていた。教師はメガネを指で押し上げ、神経質らしく位置を整えている。
同じ質問を何度も繰り返さないで欲しいし、同じ説明を何度もさせないで欲しい。いい加減に私もうんざりしていた。
初めは高等学部の学生会長であるアラン殿下、次に私のクラス担任、基礎学部の学生会長と続き、目の前の男性教師で四人目だ。
今から質問される内容も予想がついている。本当に、退屈な時間だった。
「エリーゼさん、事実確認が重要であることは理解できますね? 嘘は許されません。真剣に答えていただかないと」
「……申し訳ありません」
ただでさえ疲れているのに面倒な説教を聞く気にはならない。私は言われるがままに頭を下げていた。
もはや事情聴取ではなく誤導尋問に近い。アラン殿下以外の全員が、クラウディア様が悪であることを大前提としているのだ。クラウディア様を無実とする私の証言は信じられないだろう。
私が音を上げて嘘の供述をするのを待っているのかもしれない。もしそうであるならば、今日一日は応接室で過ごすことになるのは間違いない。
そもそも、発言を翻せば、私はアラン殿下に嘘をついたことで罪に問われる。
何時間何日と続いたとしても、嘘の供述などできるわけがなかった。
「もう一度確認しますが――」
まだ繰り返すの? 私は心の中で深いため息を吐き出す。
真剣な表情を取り繕うが、男性教師の言葉をほとんど真面目に聞いてはいない。
最初から聞くつもりは全くなかった。
「また会ったね」
聞き覚えのある女性の声に、私は下ろしていたまぶたをゆっくりと上げる。視線の先には、正面の椅子に座った笑顔のハンナ様がいた。
午後に入ってから二人目、本日の七人目はハンナ・アルコット男爵令嬢らしい。
「疲れているよね。もう少し休んでいてもいいんだよ?」
ハンナ様は心配そうな顔つきで同情的な言葉を口にする。クラウディア様の豹変に関係していなければ、言葉をそのまま鵜呑みにしていたかもしれない。
笑顔で感謝を口にするが、私の警戒心は最大まで高まっていた。
学生会長でも教師でもない、ただの学生が召集されること自体がおかしいのだ。私にもクラウディア様と同じ魔法を使うつもりなのだろうか。
もし使うのならば……私に抗う術はない。
私が魔法を使う素振りを少しでも見せれば、その場で取り押さえられるかもしれない。
――クラウディア様の命令でハンナ様の暗殺を図った。
それぐらいの曲解はするに違いない。ハンナ様の魔法から身を守るため、そう言ったところで信じてもらえるとは想えなかった。
敵国に送られた人質のような、絶望的な気分だった。私は理不尽に堪えるしかないのだろう。
私は開いたまぶたを再び閉じる。ハンナ様の魔法の発動条件はわからないが、視線を合わせる気にはならなかった。
薄いまぶたでは盾にもならないだろうが、何も無いよりはましに想えた。
「……お言葉に甘えさせてください」
「うん、時間はたっぷりあるから、気にしなくてもいいんだよ」
時間はある、か。私を解放するつもりはないのかもしれない。底の見えない沼に足を踏み入れるような頼りなさを覚えてしまう。
……私は、絶望しているのだろうか。お父様やお母様に愛されていないと気づいた遠い昔を、幼いエリーゼ・スティアートの面影を、まぶたの裏側に見つけた気がした。
「――不安にならないで」
底へ底へと沈む私を引き上げるような、力強い声が響いていた。
「私はエリーゼさんの味方だから。私は『エリーゼさん』を見ているから」
今、何を言った……? ハンナ様の言葉一つで私の意識は浮上していく。見上げた先のハンナ様は優しげに微笑んでいた。
どうしてだろうか。ハンナ様の笑顔がクラウディア様の笑顔と、一瞬だけ重なって見えたのだ。
想わず私はゴシゴシと目を擦る。見つめた先にいるのは、ハンナ様で間違いない。クラウディア様であるはずがなかった。
「私には、普通に接してくれて構わないんだよ」
ハンナ様は砕けた口調で言う。これは、本気で言っているのだろうか。
「ハンナ様の申し出はとても嬉しいのですが、先輩への礼節がありますから」
私は否定も肯定もしない。クラウディア様側にいる私がハンナ様に近づくわけにはいかなかった。
すると、ハンナ様は不満げに両頬を膨らませる。子供染みた行動だった。
怒らせてしまったのか、ハンナ様は何も言わない。
私も平静ではないのだろう。何を話せばいいのかがわからず、黙り込んでしまっていた。
「別にいいよ、今は」
数十秒後、ハンナ様は拗ねた口調で小さくつぶやいた。
「……昨日とは違いますね」
ハンナ様が「昨日?」と首をかしげて、私を見つめる。何かに想い当たったのか、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「昨日はアラン様もいたし、クラウディア様もいたんだよ。私だって普通に話したりはできないよ。こう見えても、今の私は貴族だから、ね?」
「……そうですね」
王太子殿下とその婚約者と比べれば格落ちするかもしれないが、私も公爵令嬢なのだけど……。
「それに、エリーゼさんが嘘つきでないと知っているからかな」
「嘘つき?」
「そう……昨日は、ごめんなさい。酷い態度だった、反省しています」
真剣な顔つきになったハンナ様が立ち上がり、深く頭を下げる。
突然の行動に、私はすぐに反応できなかった。
「いえ、もう気にしていませんから……」
数十秒、もしかしたら数分後かもしれない。私は絞り出すような声でつぶやく。その間、ハンナ様は頭を下げた姿勢を保ち続けていた。
この人は、クラウディア様に魔法をかけたのではなかったのか。昨日と同一人物だとは想えなかった。
想わずハンナ様の顔をまじまじと見つめてしまう。
私の動揺に気づいているのか、次第にハンナ様の表情は優しげな笑みに変わっていった。
「エリーゼさんも、昨日とは違うね」
今度は私が首をかしげる番だった。考えてみるが、想い当たるふしはない。
観念するように表情を歪め、私はハンナ様を見つめていた。
「今日のエリーゼさんは、何というのかな……うん、すごく自然だね」
「どういうことですか?」
「疲れているからかな、気持ちと言葉が一致している気がするんだ。昨日のエリーゼさんは、何だか無理してた気がするよ」
ハンナ様は言うだけ言うと、真正面の席に座り直す。胡乱げな眼差しを送る私に向かって、ニッコリと微笑んだ。
「私は、今日のエリーゼさんの方が好きだよ」
「……好き? 私のことが?」
「ええ、私はエリーゼさんが好きよ。……エリーゼさんはどうかな?」
どうして、この人は私に好きだなんて言葉を使うの? 私を騙すつもり?
衝動的に瞳へ魔力を集めていく。使うべきではない、そんな理性は遠く彼方へ放り投げられていた。
――貴方の嘘を暴いてやる!
私はハンナ様を睨みつける。ハンナ様が「どうかしたの?」と怪訝そうにつぶやいているが、構いやしなかった。
数秒間、視線を合わせていたが……私に向く感情は何も変わらない。それが、私を混乱させた。
どうして、貴方がその色を私に向けているの?
アラン様とクラウディア様がお互いに向けあっていた色。それは、私に向けて欲しいと願った色だ。
だけど、ハンナ様が私に向けるなんて……。
信じられずに何度もまぶたを開いては閉じるを繰り返す。しかし、結果は何度繰り返しても変わらなかった。
「満足できた?」
ハンナ様がクスクスと揶揄うような笑いを漏らす。
私は慌てて頭を左右に振り、思考を切り替える。瞳に集めた魔力を霧散させていた。
「何のことですか?」
私は素知らぬふりで訊ね返す。心臓はバクバクと騒々しかった。
突然に黙り込んで正面から睨みつけ、意味ありげに何度もまぶたを上下に動かす。冷静に考えてみれば、何か魔法を使っているようにしか見えない。私は行動を間違えてしまっていた。
苦い後悔が心の中で渦巻いていくが、もうどうしようもない。
ハンナ様の訴え一つで私は危うい立場に転落していく。ハンナ様へ危害を加える意図は全くなかったが、それを正直に話したところで信じてもらえるとは想えない。嫌な想像が沸々と沸き上がっていた。
「私に見惚れるなんて……可愛いね」
ハンナ様は口元を綻ばせ、嬉しそうに微笑んでいた。
気づいていないのか、気づいていて何も言わないのか……ハンナ様が私の失態を見逃す理由はさっぱりわからない。だけど、会話の流れに身を任せるしか私の選択肢はなかった。
「……可愛いのは、ハンナ様の方です」
「素直になることは良いことだよ。エリーゼさんこそ、本当に可愛いね」
「可愛いなんて……私には似合いませんよ」
「――可愛いよ、エリーゼは」
短く言い切ったハンナ様の声は鋭い。私の言葉を切り裂く勢いがあった。
驚きのあまり二の句が継げず、私は顔を背ける。一瞬見えたハンナ様の顔は、真剣そのものだった。
「嬉しいときは嬉しい、悲しいときは悲しい。気持ちは口にしないと、誰にもわからないんだよ」
言い聞かせるようなゆっくりとした口調でハンナ様は語る。
「私は嬉しかったよ。可愛いって、エリーゼに褒められて。……エリーゼは嬉しくなかった?」
私は嬉しかったのだろうか?
ハンナ様の言葉を頭の中で何度も想い返し再生を繰り返す。しかし、心に響くものはなかった。
嬉しかった――その回答が望まれていることはわかっていたが、私には言えなかった。それは、ハンナ様があまりにも真剣な表情だったからかもしれない。
嘘をつくことが憚られたのだ。……結局、私は逃げ出してしまっていた。
口を噤んだまま、私は黙り込む。頭が下へ下へと俯いていった。
沈黙は数十秒間だろうか、俯く私の顔が無理やりに上向かされる。ハンナ様の両手が私の両頬に触れていた。
「私は『エリーゼ』を見ているわ」
身を乗り出したハンナ様が私の視界を奪う。真っすぐな瞳に私の姿がハッキリと映っていた。
「私は『貴方』を見ているから」
「……私を、見てくれるの?」
「ええ、約束する。この先どんなことがあったとしても、私はエリーゼを見捨てたりはしない。私が貴方を助けてみせる」
本気で言っているのかどうかはわからない。それでも、私の心はドキドキと早鐘を打っていた。
吸い込まれるようにハンナ様の瞳から目を逸らすことができなかった。




