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010 少しだけ素直に

 私は学園の裏側にある丘に向かって歩いていた。

 夏の訪れを待ちわびるように木々や草花が風に踊っている。淡い緑に、濃い緑。少しずつ異なる色合いが重なって、緑のハーモニーで彩られていた。夕焼けの赤色が別の色を加え、幻想的な光景を作り出している。

 時間もずいぶん遅くなってしまった。学園から聞こえる楽しげな声は、もう静まっている。風が奏でる自然のメロディが響いていた。


 ほんのりと滲んだ汗をハンカチで拭いながら、私は歩き続ける。すでに十五分は歩いただろうか。急勾配ではないが、歩きにくいことに変わりはなかった。

 後少し頑張って歩けば目的地にたどり着く。荒くなった呼吸に疲れを感じながら、私は足を踏み出していた。


 「……見つけた」


 数分後、丘の頂上に達した。開けた視界の先から見下ろせば学園を一望できる。そんな場所でセレナとクラウディア様の影が一つに重なっていた。

 やっぱり、そうなるわね。想わず感嘆の声が漏れる。私自身も経験したことだから驚きは少ないが、それでも変に感心してしまう。


 向かい合って座るセレナとクラウディア様。ただ、クラウディア様は縋るようにセレナの胸元で抱きしめられていた。

 普段の二人の姿からは想像もできないが、今この場では、セレナが姉でクラウディア様が妹だった。


 大きく深呼吸をし、私は乱れた呼吸を整えていく。私の登場に気づいたセレナが口をパクパクと動かして『早く来てよ』と伝えてくる。

 私は小さく手を振って応え、その場で一つ二つと深呼吸をした。


 ……私が言いたいことなんて、もうセレナが言い切ってるくせに。


 冗談めかした愚痴を心の中でこぼす。セレナがいれば私はいらないのでは、そう想ってしまうのだ。

 現に、クラウディア様はセレナに甘えている――心を許していた。


 強引なところがあるのに、意外とセレナは気遣い屋さんだ。本当に、相手のことをよく見ている。私よりもよっぽど上手にクラウディア様を慰めるだろう。

 そうでなければ、クラウディア様も簡単に泣いたりはしないはず。弱った姿を見せても構わない、その信頼をセレナが掴んだからこそ、クラウディア様は身を預けているのだから。


 ――アラン殿下がこの状況を見たら、セレナに嫉妬するのではないか。


 くだらない考えをする私自身に対して笑いがこみ上げてくる。

 軽く両頬を指でつついてマッサージしてから、私はゆっくりとクラウディア様のもとへと歩き出していた。


 「クラウディア様」


 私の足音が近づくだけでクラウディア様は震えていたが、名前を呼んだ瞬間、肩が大きく跳ね上がった。セレナに抱きつく両手にも力が入っている。


 「私は、噂で聞く悪いクラウディア様なんて知りません。私が知っているのは、『私』を見てくれる、そう言ってくれたクラウディア様だけです」


 誰かを慰めるのは苦手だ。何を話せばいいのかが、すぐにわからなくなる。

 だから、私は想ったことを口にするだけ。別に、私はクラウディア様を嫌っていないし、幻滅もしていない。負の一面を見て安心したくらいだ。

 聖人みたいな性格だったら……私は近づきたくない。きっと、近づかなかった。


 「約束を破るの? ……『私』を見ると言ったのは、嘘だったんですか!」


 ニヤニヤと笑うセレナに苛立つが、この場では無視だ。

 涙を目に溜め込んだクラウディア様が私を見上げている。不謹慎だが、可愛らしいと想った。


 「『私』を見捨てないで! 私もクラウディア様を見捨てないから!」


 思いっきり声を張り上げて喉が少し痛い。五月にこの場でセレナと言い争ったとき以来だろうか。感情をぶつけるのは、なかなかに慣れないものだ。

 セレナの口が『よく頑張ったね』と動いている。気恥ずかしさのあまり、私は顔を背けていた。


 言いたいことは言った。後は、クラウディア様次第だ。

 私とセレナは黙り込み、クラウディア様が口を開くのを待ち続ける。心地よい風が何度も私の頬を撫でていった。


 「ありがとう」


 ポツリと小さくつぶやかれた声。続いて、すすり泣きが聞こえてくる。

 クラウディア様は、私のことも味方と想ってくれただろうか? それは、私にはわからない。クラウディア様は再びセレナの胸元に頭を埋めているから、表情から気持ちを読み取ることはできなかった。

 ただ、セレナがこっそりとサムズアップしてるから、問題はないのだろう。


 クラウディア様が少しでも元気になるならば私も嬉しいが、この後を想うと憂鬱になる。女子寮に帰った後、きっとセレナは延々と自慢話をするに違いない。

 今回の功労者だから強くは言わないが……今日はゆっくり眠れるだろうか。

 ボンヤリとくだらないことを考えながら、夕焼けで染まった学園を見つめていた。




 泣くだけ泣いてスッキリしたのか、クラウディア様の表情は晴れわたっていた。

 満面の笑みで私とセレナに感謝を伝える姿には、不安も怯えも見られない。三人で交わす会話も和やかで、いつになく自然な関係に想えた。

 距離間の合った私とクラウディア様が、それぞれ一歩ずつ近づいたのだから、当然と言えば当然かもしれないが……嬉しい変化だ。


 クラウディア様を中心に、その両脇を私とセレナが固める。セレナの強い主張に押されて、横並びに歩く私たちの手は繋がっていた。

 子供染みた行動だが、エリーゼ・スティアートとしては初めての手つなぎだった。クラウディア様から伸ばされた手を拒否しようとは全く想わなかった。


 そうして、三人一緒に基礎学部の女子寮へと向かっていた。

 夕焼けで出来た三人分の影が長く長く伸びていく。基礎学部の方が門限の時刻が早いからか、通りを歩いている学生はいない。好奇の視線に晒されることはなかった。


 セレナが話題を振り、クラウディア様が答え、私は聞き役にまわる。それが、三人で話すときのスタンスだったが今回は違った。

 クラウディア様は私のことを聞きたがっていたのだ。

 その内容は何てこともないものばかりだ。好きな食べ物、好きな科目、学生生活の感想……。話を聞いていて楽しい話題とは想えない。それでも、クラウディア様は質問を重ねていく。


 私を知ろうとしてくれていることが、何だか気恥ずかしくて嬉しい。

 クラウディア様のことを知りたくなって聞き返す。すると、嬉しそうな笑みを返してくれるから、私も笑顔で見つめ返してしまう。


 楽しい時間は早く過ぎる、それは本当のことらしい。あっという間に女子寮までたどり着いていた。

 どこで私たちのことを知ったのか、女子寮の門近くでアラン殿下が待っていた。クラウディア様から漏れた「アラン様」の一言には愛情が溢れていた。


 私とセレナを女子寮へ送り届けると、クラウディア様はアラン殿下にエスコートされ歩いて行く。寄り添い合う二人の姿は、お似合いの二人としか想えなかった。


 遠ざかっていくアラン殿下とクラウディア様の背中を見つめていると、唐突に手を引かれてたたらを踏んだ。

 慌てて顔を向けた先には、ニンマリ笑顔のセレナが立っている。想わず私は目をしばたかせた。


 セレナは戸惑う私の手を引っ張ってずんずんと歩き出す。

 行き先は、きっとセレナの部屋で間違いない。これから、セレナによるセレナのための自慢大会が始まるのだろう。

 楽しげなセレナの横顔を見て、私は深いため息を吐き出していた。しかし、今日はクラウディア様の話を聞きたい気分だった。




 翌日、学園には一つの噂が広がっていた。

 誘拐された公爵令嬢を次期王太子妃が救い出した――そんな英雄譚ではない。

 悪評塗れのクラウディアが名声を得るために行った狂言誘拐。

 事実と異なる噂がまことしやかに流れていた。

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