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009 王太子の献身

 私の顔を見つめるアラン殿下に、友好的な雰囲気は感じられない。敵対の意思がないことは伝わっているだろうが、それでも信じられないのだろう。

 噂と違ってクラウディア様へ心を砕いているならば、傷つけた私を簡単には許せないのかもしれない。


 二人だけになった医務室には、重苦しい沈黙が漂っていた。


 「魔法を使っていたな?」

 「はい、使いました」

 「……お前は、どういうつもりで魔法を使ったんだ?」

 「どう、とは?」

 「お前は……クラウディアに何をした? 風魔法で何かを斬った、それはわかったが、その何かがわからん。クラウディアを傷つけるには場所が離れすぎている」


 嘘もごまかしも許さない、そう口に出さなくともアラン殿下の射殺さんばかりに細められた瞳が如実に語っていた。

 ……そもそも、王太子殿下相手に嘘をつくほどの豪胆さを私は持ち合わせていないのだけど。


 「ハンナ様の魔法には、お気づきになりませんでしたか?」


 その瞬間、アラン殿下からの視線に圧が高まる。

 気づいていれば対策の一つは取っていたはずだ。もし気づいていなかったのならば、私の言葉を簡単には受け入れられないかもしれない。

 瞳に魔力を注ぎ込み、私はアラン殿下を真っすぐに見つめ返した。


 「若干の敵意に、最大の警戒。でも、期待はしてくださるのですね?」

 「何を言っている?」


 アラン殿下が胡乱げな眼差しを送る。警戒の色がさらに色濃く表れていた。


 「殿下のお気持ちです。私に期待しているのでしょう? 隠せていませんよ」

 「……お前、心が読めるのか?」


 数秒間考えた後、アラン殿下が重々しくつぶやく。私は首を左右に振って答える。正解ではないが、間違いでもない。

 私にできるのは――誰かに向けた感情を色として認識できることだ。


 「何となくわかる程度です。読心ほどの万能さはありません」

 「……精霊憑きか?」


 アラン殿下がどこか確信めいた表情で訊ねる。私は何も答えず、ニッコリと微笑んで見せた。


 「エリーゼ嬢、この場での会話は決して口外しないと約束しよう」

 「感謝いたします、殿下」


 私は再び深く頭を下げる。顔を上げたとき、アラン様の警戒心は多少なりとも緩んでいた。紳士らしく笑顔で迎えてくれた。

 椅子に座って話そう、そうアラン殿下に促されるままに向かい合うように椅子へ腰掛けた。




 クラウディア様の豹変が始まったのは、今年の六月のことだった。

 身分の低い男爵家や子爵家、平民の令息令嬢に対して当たり散らすようになっていた。アラン殿下の調査でも豹変の原因を見つけられなかったらしく、解決の糸口を掴めずにいたそうだ。


 何らかの魔法あるいは薬が使われたのではないか?

 そう疑いクラウディア様自身への調査も念入りに行われたが、何の影響も見られなかった。健康そのもので、魔法の影響を受けていないことが確認されたのだ。

 それならば、何故? アラン殿下の調査に参加した者たちは考え続け、一つの結論を出した。


 ――クラウディア様の意思で虐げている、と。


 クラウディア様をよく知る高位貴族たちは、何かの間違いだと信じている。でも、学園に多く在籍するのはクラウディア様を知らない男爵家や子爵家、そして平民たちだ。

 豹変した行動だけを見て、クラウディア様を判断するならば、噂通りの悪人となってしまう。その一番の被害者がハンナ様らしい。


 ハンナ・アプリコット男爵令嬢。四月に入学した高等学部の一年生であり、基礎学部には通っていない。子供に恵まれなかったアプリコット男爵が、弟夫婦の事故死を受けて養子として迎え入れたそうだ。

 魔力は極めて高く、クラウディア様と同じく三属性持ち。二人の違いはクラウディア様が水魔法を使い、ハンナ様が土魔法を使うことだ。風と火に関しては、クラウディア様と遜色ないほど優秀だと言う。学園に通わず、独学で魔法を身につけた天才肌だった。


 つまり、魔法使いとしてのクラウディア様の地位を脅かす存在、それがハンナ様らしい。加えて、男性の心を惹きつける愛らしい容姿をしているのだから、クラウディア様も平静ではいられなかったのだろう。


 不思議とハンナ様はアラン殿下の行く先々に現れるらしい。一回や二回ならば偶然と切って捨てることもできるが、それ以上となれば話は別だ。

 実は恋仲のアラン殿下とハンナ様が互いに示し合わせている、邪推する者が現れ出した。


 王太子殿下と元平民の男爵令嬢、二人の身分違いの恋。

 大衆向けの恋愛小説に出てくる展開が現実で繰り広げられているならば、恋の成就を期待するなと言う方が難しい。当然、注目はされるだろう。ただ、現実は恋物語ほど純粋ではないだろうが……。


 アラン殿下の心を奪うことができれば、クラウディア様に取って代わりハンナ様が王太子妃になる可能性があるのだ。男爵令嬢のままでは王太子妃にはなれないから、恐らく伯爵家以上の貴族が後ろ盾についているのだろう。

 ハンナ様を養子とする密約でも交わしておけば、王太子妃を輩出した一族となるのだ。その恩恵は大きいはず。


 クラウディア様が不安に感じても不思議ではない。原因不明の攻撃衝動に苦しめられているならば尚更だろう。

 虐めを肯定はできないが、クラウディア様の気持ちもわかる気がする。

 不安の原因はハンナ様の存在だ。だから、ハンナ様を排除して、クラウディア様は不安を解消しようとしたに違いない。理性を失わされているならば、その誘惑に抗うことはきっと難しいはずだ。


 アラン殿下とクラウディア様がどんなに想い合っていたとしても、周囲から認められなければ意味がない。悪評に塗れたクラウディア様を次期王太子妃から降ろすべき、そんな声が王宮でも出始めているらしい。

 だから、アラン殿下がどんなに庇っても、クラウディア様の豹変が治らないようでは主張としては弱い。豹変する恐れがある、そう言われれば反論できなくなってしまう。


 病気を治療できないから、病気の進行を遅らせる。クラウディア様が基礎学部の講師として派遣されたのは時間稼ぎの意味合いが大きいのだろう。トラブル相手のハンナ様から引き離す狙いもあるはずだ。


 高等学部からの噂など、基礎学部では大して重要視されない。そんなこともあったんだ、その程度の認識でしかない。

 アラン様の狙い通り、講師として来ていたクラウディア様に対して特に問題視するところはなかった。……敢えて言えば、初日に遅刻してきたことくらいだろうか。


 そこに来て、クラウディア様が指導する生徒――私の誘拐事件が起きた。

 アラン様が不安に駆られたことも、クラウディア様が巻き込んだと罪の意識を持つことも、どちらにも納得ができた。




 「長々と話して悪かったな」


 一通りの情報交換が完了した後、アラン殿下は椅子に座ったまま軽く背伸びをする。私は気持ちを切り替えるように小さく息を吐き出していた。

 ハンナ様へどう対処するのか、それはアラン殿下に任せて構わないのだろう。


 「いえ、私は当然のことをしただけですから」

 「そうか、そうだな」


 アラン殿下は優しげな眼差しを送る。どうやら私はクラウディア様の敵ではないと信じてくれたようだ。


 「クラウディアは……その、どうだ? 良い講師か?」


 少し言いにくそうにアラン殿下が訊ねる。恥ずかしそうに軽く頬を掻いていた。その姿に緊張感が緩んだのか、自然と私の口から言葉が衝いて出た。


 「はい、良い講師だと想います。今日、私を叱ってくれたんです。私を見捨てたりしない、『私』を見てくれるって。……私、とっても嬉しかった」

 「……本当に、良い笑顔だな。安心したよ、クラウディアは上手くやれているみたいだな」


 アラン殿下は満足そうに笑う。クラウディア様を心から愛しているのだろう。初対面の私にも気持ちは十分に伝わっていた。


 「エリーゼ嬢、クラウディアのことを頼む」

 「いえ、私はお願いされるような立場では……私こそ、クラウディア様にはお世話になります」


 これまでの反抗的な態度を想い返すと、何だか気恥ずかしい。セレナとは二週間遅れだが、私とクラウディア様の関係は、きっとこれから始まるのだ。

 椅子から立ち上がったアラン殿下は「そうか」と小さくつぶやく。視線は医務室の外へと向けられていた。


 「俺はクラウディアを探しに行くが、エリーゼ嬢はどうする?」

 「いえ、殿下は噂の収束に向かってください。クラウディア様の居場所はわかっていますので」

 「どうして居場所がわかる?」アラン様が不思議そうに首をかしげる。

 「私の友人が、クラウディア様の後を追いましたから」


 セレナの強引さを想い出し、私は口元を綻ばせる。私とセレナが友人となった秘密の場所、恐らくそこで間違いはないのだろう。


 ――きっと、セレナは私が来るのを待っている。


 「……わかった、任せよう」


 たっぷりと十秒は経った後、黙り込んでいたアラン殿下が口を開く。椅子から立ち上がり、私は深く頭を下げた。

 私とセレナを信じてくれたのだ。期待には応えなければならない。


 「必ずクラウディア様を連れ戻します」

 「ああ、誘拐事件に関するエリーゼ嬢の証言は報告しておく。日を改めて話を聞くこともあるだろうが、その時はよろしく頼む」


 そう言ってアラン殿下は足早に医務室を出て行った。優しげな表情は凛々しい表情へと変わり、その歩みは堂々としていた。

 アラン殿下はクラウディア様を見ている……いや、愛している。

 私には愛する相手がいないから、二人が紡いできた想いは想像もできない。それでも、幸せになって欲しい。そう想えた。

 不思議と嫉妬する気持ちは沸き上がらなかった。

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