000 最期の日
0話で入れるか、エリーゼが逆行に気づく33話の後に入れるか悩んでいます。この話は順番を変更するかもしれません。ご意見あれば、ぜひお知らせください。
心まで凍てつくほどの寒々しい風が頬を撫で上げる。想わず身体がブルリと大きく震えた。
「すみません、エリーゼさん」
「……私は、死刑囚です。そんな、泣きそうな声は、止めてください」
私の首を優しく掴み、断頭台に押し当てた友人が耳元でささやく。それに、私はしわがれた声で答えていた。
嵌められた手枷と足枷は短い鎖で繋がれ、もう立つことすらできない。
私は今日、この場所で死ぬのだ。後悔していないと言えば嘘になる。それでも、何人かの友人を逃がせたことは喜ぶべきなのだろう。
王太子妃専属メイド、それが私の誇りであり、唯一の居場所だった。
しかし、王太子妃様をお守りできず、毒杯を仰がせてしまった。その時点で、私の命は終わったようなものだった。
王太子妃様を洗脳したと冤罪を被せられた日は、今も克明に覚えている。王太子妃様を貶めた罪人たちを告発するための証拠品の数々が、どうしてか私が悪事を企んだ証拠とされてしまったのだ。少しでも調査されていれば、簡単に真実は明らかにされていたはずなのに……。
王太子妃様は私の恩人だ。公爵家を勘当され、寄る辺を失った私を拾ってくださった大切な方だ。そんな恩人に仇なす真似は絶対にしない。
事実、王太子妃様の名声が汚され、裏切り者が続出した今でさえ、私が王太子妃様へ向ける忠誠心は決して変わらなかったのだから。
裁判もまともに開かれず、牢獄で屈辱的な日々を過ごした。その地獄に堪えたのも、王太子妃様の臣下たちを守るためだった。
黒幕が誰かは知らない。しかし、その狙いには乗ってやろうと想ったのだ。
王太子妃様を貶めた全責任は私にある。だから、私だけを裁けばいい。王太子妃様が愛したものたちには危害を加えないで欲しい。……それが、私のたった一つの願い。だから、女神様、どうか私の願いを叶えてください。
私の命はもう詰んでしまっている。今更、惨めに足掻くつもりは少しもなかった。ただ、どうにもならない悔しさだけは心の中で渦巻いている。
処刑のときを待ちわびて声を張り上げる群衆たちが気持ち悪くて仕方がない。両眼を抉られ、その醜悪な姿を見ないで済むことを喜ぶべきなのだろうか。真っ暗な世界の中で、私は一人ぼっちだった。
心の中で深くため息を吐き出していると、ふいに想い出してしまった。醜悪なのは、私も同じであることを。私の首を切り落として欲しい、そんな酷い役割を友人に押しつけてしまったのだ。
優しさが取り柄の四つ年上の騎士様は、今や『英雄』と呼ばれている。王太子妃を狂わせた『売国奴』を捕らえ、その首を切り落とす大役を担っていた。
もう逃げられないと悟ったときに、私は手当たり次第に洗脳して暴れまわったのだ。私が犯人だとより印象づけるために……そして、騎士様を生かすために捕まった。
同じ王太子妃様の所属だった騎士様も粛清対象だったはず。だから、私を捕縛する功績を挙げれば、民意に守られて処刑されないと想ったのだ。優しい騎士様は、私の意図をあっさりと汲み取ってくれていた。
きっと今も無表情を繕い、心の中で泣いているのだろう。その顔を見ることができないのが悲しい。
私は大丈夫、そう微笑んであげることもできそうにはなかった。
――『殺せ』『殺せ』『殺せ』。
群衆からの叫び声が大きくなっていく。そろそろ、私の終わりの時間が来たのだろう。首を落としやすいように顔を俯かせていった。
優しい騎士様のことだから、一太刀で私の首を切り落としてくれるはずだ。
牢獄の中で散々痛くて苦しい想いをしてきた。抉られて失った目が今もズキズキと痛いのだ。痛いのは好きでないから、これ以上は苦しみたくない。一息で死ねるのならば、それはとてもありがたいことだった。
ああ、でも悔しいな。私だって、幸せになりたかったのに――。
■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■
「殺ス、殺、ス……、殺……」
「すみません……エリーゼさん……」
心に纏わりついていた重苦しい不快感が薄れていく。私の耳元で聞こえる声が、誰のものであるかをようやく認識できた。
ああ、また泣いているんだ。『英雄』さんは、随分と泣き虫なんだね。心の中で小さく笑ってしまう。
身体全身から力が抜けていく。胸の中心を剣で貫かれ、息苦しくて仕方がない。握力を失い、手に持っていた戦斧は落としてしまっているのだ。戦うことはもうできないだろう。
自分が死ぬのだとハッキリと自覚できてしまうほどに、『創造主様たち』に作っていただいた身体は台無しになっていた。
力を失った両膝が床に着き、ズルズルと刺し込まれた剣が身体から抜け落ちていく。止めどなく青い血が噴き出していた。
同じ人に二回も殺され、二回も看取られる。そんな人間は私くらいではないだろうか。死ぬ間際だからか、薄繭に覆いつくされていた思考が妙にクリアだった。一回目の死から、今までの日々が走馬灯のように駆け巡っていく。
アンデットに堕ちた私はどれだけの罪を重ねたのだろうか。
殺せば殺すほど、私を憎むものが増えていく。それが、本当に嬉しかった。
『公爵令嬢』でも『売国奴』でもない、『エリーゼ・スティアート』を見てくれる。記号ではなく、私自身を見てくれる。
王太子妃様を含めた数人だけでも私を見てくれるならば、それで十分だと想っていたはず……だった。
殺せば殺すほど私を見る人が増えていく。憎悪の眼差しを『エリーゼ・スティアート』に向けてくれる。望んだ眼差しでなくても、私自身を見てくれた――。
その事実を知ったときに、アンデット化した後にも残っていた、わずかの理性さえも壊れてしまった。望みが叶うと知ったら、もう衝動を抑えることはできなくなっていた。
だから、頑張って殺した。……振り返れば、まるっきり狂人の思考だった。
今頃になって後悔しても、もう遅すぎる。
処刑の直前に未練を残した――王国を憎んだ、私の心の弱さに漬け込まれた。
アンデットとして悪災を振り撒いた原因は、私自身にもあった。人間から魔物に変えた『創造主様たち』だけが悪いとは、とても言えなかった。……『創造主様たち』は、確かに私を愛してくれていたから。それを、アンデットの私は喜んでいたから。
「すみません、すみません、すみません――」
謝罪を繰り返しながら『英雄』は私を強く抱きしめる。どうしてか冷えていく身体に反し、心はポカポカと温かかった。一度目の凍えるような寒さは感じない。二度目の死は不思議と怖くなかった。
「……エリーゼさん、戻った世界では、どうか僕を、許さないでください」
『英雄』の声が何だか遠くから聞こえてきた。『創造主様たち』に作られた身体は灰へと変わり、パラパラと風に巻き上げられる。そして、首だけが転がり落ちていく。
最期に見えた『英雄』の顔は涙でクシャクシャに歪み、見ていられないほど悲しげで辛そうだった。
――ごめんなさい。でも、ありがとう。
私は心から願う。どうか『英雄』が幸せに生きられますように、と。
暗く深い沼へズブリズブリと私の意識は沈んでいく。多くの罪を重ねた私が、女神の下した審判の結果を知ることはないのだろう。だから、心が感じるままに、意識が続く限り願い続けていた。