01話
よろしくお願いします。
この世界は歪んでいる。
薄らぼんやりとした思考の中で、男の中でその言葉がリフレインする。白昼夢というべきか、目の前に立つその人物の顔には影が落ち、その姿もぼんやりとし男女の別すら分からない。
ただ、目の前の人物が憤っているのだけは分かった。それと共に、慟哭にも似た呪いの言葉のように繰り返す。
この世界は歪んでいる、と。
「旦那、起きてくだせぇ。着きやしたぜ、旦那」
クラウスは自分のことを呼ぶ、行商人の声に目を覚ました。閉じていた瞼を開けば、馬車の幌の外から、馬車の持ち主である行商人が顔を覗かせていた。人懐っこそうな笑みを浮かべながら、行商人は起きたクラウスに革の水筒を差し出してくる。
「ああ、すいません。微睡んでいたようです」
「いいってことですよ。昨晩は魔物の襲撃があったんですから。今回は旦那ばっかりに頼っちまってましたし、もう街の近くなんで少しくらい寝てても誰も咎めやしませんって」
うたた寝していたせいか、落ちかけていた眼鏡を中指で押し上げ、水筒を受け取る。短く一口、二口、水を口に含んで水筒を行商人に返す。行商人は自らも水を飲み、水筒の中の水を飲み干してしまう。
クラウスは傍らに置いてある愛剣を掴み、馬車の中から出る。視界に広がる太陽の日差しに反射的に眉を顰めながら、腰に剣を佩かせる。かちりと手から腰に剣の重みが移る感覚に、クラウスは自身の意識から眠気を完全に追い出す。
一、二度、身体を解すように肩を回す。馬車の中であったが、整備された街道を通ってきたからか、クラウス自身のどこでも休息を取れる戦士としての性か、クラウスは直ぐにでも剣を抜き去り、戦うことができるように体を整えていた。
「ふぅ、何から何まで世話になりました。お水、ありがとうございます」
「いえいえ、当然のことでさぁ。旦那が居なければ、魔物の餌だったんですから」
「縁があって私も幸運でした。二月は歩きだったはずの道が馬車で行けたんですし」
クラウスは馬車の外に広がる、石畳の街に自分が目的地にたどり着いたのだと感動とも期待とも言える思いを抱いた。眼鏡を中指で持ち上げる、これから自分が活動する街を恥ずかしくない程度に目だけで見渡す。
多くの人々が行きかう様子、露天商が大通りに並び、武器を持った冒険者らしき者も行きかう様子にクラウスはこの街が他の街々からしても高い水準に発展していると確信をする。
「ははは、それじゃあ、あっしは仕事に向かうとしやす。店に来てくれたらサービスしやすぜ」
「ええ。その時はお願いします」
行商人が手を軽く振りながら、馬車の首を大通りの方へと向ける。
残念ながら、世話になることはないだろうな。とクラウスは心の中だけで苦笑いしながら、行商人、それも女性向けの美容品などを取り扱う馬車を見送っていった。やがて馬車が人ごみの中に紛れていくのを見ながら、自分の足元でブーツを一度踏みしめるようにする。
ギリシア最大規模のポリス、アテナ。ここからクラウスは自分の冒険を始めるのだと確かめるように。
この世界では、レベルと呼ばれるものが力を持つ基準の一つとして存在していた。何故そんなものが存在しているかと言われれば、神様がそう創ったからと誰もが答えるだろう。人類が生まれるより遥か前から存在している生物、竜種や原始生物にもレベルが存在しているのだから。それに疑問を持つ者は非常に少なかった。
あくまで、レベルは指標であり、絶対という訳ではない。だが、ある程度の基準としてその者が持つ力を測るという点では単純明快ではあった。
「クラウスさんですね。ギルド証が確認されました。ようこそ、アテナへ」
「ありがとうございます」
そして、レベルというシステムは神が創ったが、それとともにこの世界には魔物と呼ばれる存在が蔓延っていた。それらは単純に言えば人類にとっての敵対種とも呼べる存在であり、自然の中で生存競争を行う天敵となった存在とも言える。
レベルというシステムは、その人物の魂の力とであるとするのが通説であった。人として成長しうる経験、他の生物を圧倒する力、深い見識など、それらを総合的に判断したものであると。だが、それだけならば他社を圧倒する知識量を持つ全ての学者が大きな力を持つことになるため、レベルの中でも他の生物を打倒し生存する力が内訳の大半を占めると考えられていた。
人類を含む人々はそれをマナと呼び、魂の力であると解釈した。そして、マナとは他の生物を自分を高めるために殺傷、つまり生存競争に勝ち、自身の糧とした場合に高めることができるとされた。
「白銀の冒険者なんて、この街では一人も居ないですからね。期待してますよ? クラウスさん」
「はは……まあ、無難に頑張らせていただきますね」
世界に生きる全ての生き物はマナを持つ。人間も、竜種も、魔物も、例外なく。
ただ、魔物だけはその多くがマナを求める傾向がある。知性を持ちえない魔物はそのまま魔物と呼ばれ、人や竜種と同じだけの知性を持った魔物は魔族と呼ばれるようになる。
そして、魔物がマナの糧としうる存在は、人類であり、それゆえに、人類と魔物は種として敵対関係にあると考えられている。竜種は生まれながらに人類、魔物両方にとって圧倒的上位な存在であるため、生存競争足りえないからだ。
そして、当然の流れとして人類には魔物に対抗するためにギルドと呼ばれる組織が誕生した。文明が生まれ、人々が身を寄せ合い、そして長い時が流れた時、広大な世界をまたにかける互いに協力して魔物の駆除をする組織が誕生したのだ。
「あ、そうだ。常設依頼はありますか?」
「え? ええ、ありますけど……クラウスさんがするようなお仕事ではないと思いますよ……?」
「性分なんですかね。常設依頼なら他の依頼と一緒に受けられるからって、とりあえず受けとこうって」
「そうなんですか……? まあ、構いませんよ、誰もやらない依頼ですから」
ギルドに所属する人は冒険者と呼ばれ、人類の守護者として人々の尊敬を集めている。魔物との戦いの中で自分のマナを高める者が多い以上、大きな力を備える者が多いからだ。命を落とす者も少なくはないが、それでもその英雄のような使命に憧れる者は多い。
冒険者はそのレベルと実績に応じて、下から鉄級、銅級、銀級、白銀級、金級、白金級と六段階に分類される。あくまで目安でしかないが、白銀級とまでなる冒険者はその多くが国や権力者が優遇し、魔物、その上位種であり、人類にとっての脅威になる魔族への抑止力として囲むことに金銭を厭わない位である。
「鉄級になる人が少ないんですか?」
「ええ、そうなんですよ。奴隷が居ますから、雑事は奴隷に任せるって感じです」
「なるほど」
つまり、冒険者としての駆け出し、鉄級が請け負う仕事がこのアテナでは奴隷によって賄われているということだ。魔物の中でも最弱な種類を討伐する、害獣や害虫の駆除、そういった鉄級が請け負い、マナの下地となる仕事がこの街には存在していないのだ。
クラウスはこの街で冒険者が育たないのではという懸念を抱いたが、このアテナの街に来るまでに行商人から聞いた話では、ここの統治者たちは賢明であるという印象を抱いていた。政治に関わる多角的な視点を、このアテナは民主制でいい意味で持っているとも。
「まあ、とりあえず仕事は明日からにします。馬車から降りて直接ここに来たんで、そろそろ宿を取ろうかなって」
「あら、そうでしたか。宿は決めてられるのですか? よかったら、私のおすすめの宿屋でも紹介しますけど」
「ああ、ありがとうございます。でも、馬車に乗せてくれた行商人から、よさそうな宿を聞いたので、そこに行ってみるつもりなんですよ」
まだ日が落ちるまでには時間があるが、早いうちに宿を抑えておきたかったクラウスは、ギルドを後にし、行商人に聞いた宿の場所を探すことにする。
街を歩く中で、クラウスは改めてアテナの街が優れている点を見つけていく。
石造りの街路、整備された上下水道、人々の憩いの場として作られた公園。ここまで綺麗で清潔な街をクラウスは初めて見た。宿に着くまでではあったが、クラウスはこのアテナの街が何故発展したのかも僅かながらに理解できた。
それは奴隷である。奴隷と言う労働力をアテナの街が一手に管理し、公共事業や専門職の職業訓練を行っているのだ。例えば、公園や上下水道の清掃管理、クラウスはチラとみかける程度であったが、必要とれる技術や知識、それを奴隷と思われる集団へと指導している様子が見られた。
なるほどと、クラウスはアテナの奴隷と言う言葉が、一種の国有財産という、それも高い価値を持つものであるということを理解した。
クラウスは奴隷という存在を始めて見た訳ではないが、ここまで有効に、重宝しているのは初めて見た。クラウスは街の賑わいを歩く中で、アテナの奴隷制にある他の狙いなどにも頭を巡らせる。職を持てぬ流れ者、借金や災害などで生活を送れなくなった者たちへの救済装置としても機能しており、街の治安にも関わっているのだろう。
しかし、人を雇うということは金がかかる。アテナの街は豊かであるという証拠である、奴隷を養い、働かせることができるということは。
「っと、ここか」
思案に耽りながらも、人にぶつかったりはしなかったのは冒険者だからか。クラウスの足が一つの宿屋の前で止まった。
外観は街の他の建物と同じ石造りであり、高級感を感じさせる意匠が扉の取っ手に施されていた。かけられた看板の装飾にも小洒落た彫刻の梟が彫られており、そのせいでクラウスが思ってた以上に高価な宿ではないのだろうか。軽く不安を覚えたが、クラウスも人類の守護者と呼ばれる冒険者、それも白銀級なのだ。路銀は十分以上に持っていると、クラウスは宿の扉を開ける。
「いらっしゃいませ! 宿屋、梟の宿り木へようこそ!」
扉を開けたクラウスを、宿の受け付け嬢が溌溂とした笑顔で迎えてくれた。その笑顔に、クラウスも釣られて笑みを浮かべてあいさつを返す。
「どうも、宿に泊まりたいんですが」
「はい、ありがとうございます。何泊されていきますか? 一泊200セナルになりますが」
「そうですね……それじゃあ、とりあえず、一月分お願いします。あ、アベル金貨でも大丈夫ですか?」
「もちろん大丈夫ですよ。少しだけ割高になってしまいますけど」
少し思ったよりも値が張ったが、充分予算範囲内であって良かったとクラウスは懐のがま口の財布から金貨を取り出す。アテナから少し離れ場所の金銭がクラウスの主な所持金であったため、財布を開いた時に使えるか不安だったが、高級店な宿だからか大丈夫だった。
明日、ギルドで両替しないとなとクラウスは予定にリストアップしながら、宿の利用規則や食事に関しての説明を受ける。
「それじゃあ、今晩は夕食は持ってきてもらってもいいですか?」
「はい、かしこまりました。それでは、おくつろぎ下さい」
ご飯食べて、久しぶりのお風呂に入って、今日はもう休もう。クラウスは眼鏡を中指で持ち上げ、宿の部屋へと向かうのだった。
宿は高級店と言うに値する設備であり、満足のいくサービスであった。行商人が勧めるだけあるな、とクラウスは部屋の中を見渡しながら独りごちる。剣を下ろし、外套も脱ぎ、部屋に備え付けられているハンガーにかける。一気に身体が軽くなるような感覚を覚えながら、剣を佩かせていた方の反対側に吊るしていた小さな革袋を広げる。
そして、明らかに袋の口より大きなガラスの瓶を取り出す。中に入っているのは蜂蜜色の液体であり、クラウスはそれをひっくり返し、床の上にぶちまける。すると、ゾゾゾと何かが這い出るようような音と共に、小さな、蟹のような虫たちが数匹、液体の中から姿を現す。彼らは横歩きでクラウスの元へ擦り寄り、ギザギザのハサミのような部分を鳴らす。
「洗濯物とかお願いするよ。ご飯はその後でね」
続けて、クラウスは袋の中から旅の中で汚れた衣服などを取り出し、虫たちの上に落としていく。小皿に紫色の液体を零し、部屋の隅に置いておく。虫たちは衣服をハサミで器用に持ち上げ、部屋に備え付けられている浴室へと運んでいく。最後に一匹がハサミで小皿を挟み込み、えっちらおっちらしながら浴室へと姿を消した。
その時、クラウスの部屋がノックされるとともに、微かに麦の香りが漂ってくる。クラウスが部屋の扉を開けると、そこには先ほどの受付嬢がトレイに食事を持って立っていた。
「お待たせしました。クラウス様。お食事をお持ちしました」
「ありがとうございます。食べ終わった後、食器とかはどこに持っていけば?」
「各階の階段横にトレイの置き場がありますので、そこにお願いします」
愛想よく彼女は答えた。クラウスはありがとうと言い、部屋の扉を閉じる。温かなスープの香りと、柔らかそうなパンに、旅の間は携帯食とその場で狩った獣や採取した植物しか食べられなかったクラウスは喉を鳴らした。
「いただきます」
食事を済ませ、宿の個室に備え付けられているお風呂で旅の汚れを落とした後、クラウスは愛剣の手入れをしていた。砥ぎ石代わりの魔香を沁み込ませた羊毛で作られた布で剣を拭っていく。力を込めながらも、丁寧に刃先に向けて布を走らせる。
ほのかに熱を帯びた剣を、今度は魔物の皮で作った布で撫でるように拭き上げる。
真剣な表情で作業をするクラウスの様子を、蟹のような虫たちがクラウスが用意した大蛇の毒腺をハサミで口に運びながら見守っていた。
「これでよし」
眼鏡を中指で押し上げながら、剣を鞘へと仕舞う。クラウスは金属鎧の冒険者は、鎧の手入れも大変そうだよなぁ。と思いながら、自身の身体をベッドへと放り込む。微かに沈み込み、反発してくる心地に、旅の途中にしている野宿や馬車の中のうたた寝とは比べ物にならない心地よさを感じる。
「明日からは、ギルドに行って、生活用品を買って……」
クラウスはそっと瞼を閉じる。疲れからか、それとも寝心地がよかったからか。
今度は夢を見なかった。
この世界には、魔術と言う理論が存在していた。
いつ誰が編み出したものであるか、それは原始生物の次に古い種族である竜種であっても分からない、世界に隠された秘密の一つとして多くの学者が研究をしているものであった。
ただ、それはマナを利用するものであり、熱を起こしたり、水を生み出したりという魔術を修める者からすれば簡単なものから、時を渡る、次元を超えるなどのおとぎ話の世界の術も存在していた。
何より、魔術を起こすのは人だけでなく、鉱石、植物なども自然現象としてマナを利用して、怪奇現象を起こしていることが判明していた。
「ん……」
クラウスは自身の顔の上で泡を吐く虫によって起こされていた。
クラウスが目を覚ますとともに、ベッドの上から飛び降り、自身が収められていた瓶の中へと入り込み、蜂蜜色の液体へと変わっていく。
魔術というのは、マナを利用した現象を理論化し、体系化したものに過ぎないという。クラウスからすれば、マナで何かすごいことをしている、としか分からなかったし、一度彼に魔術を教えようとした人物が居たが、お互いにクラウスが魔術を大成するには時間がかかり過ぎると断念したのだった。
「よっと」
何より、クラウスは剣士としての方が優れていた。だが、短い時間ながら、魔術を学ぶことが出来たクラウスはその魔術師に感謝をしていた。その教えがあったおかげで、旅の道中が非常に改善されたからだ。特に身に着いた汚れを払う魔術は徒歩での旅が常だったクラウスからして、既に手放せないものとまで言えた。
ベッドから身を起こし、クラウスは蜂蜜色になった虫たちの瓶に蓋を閉め。毒蛇の毒腺を入れておいた小皿に汚れを払う魔術を行使する。部屋の一角には虫たちが洗い、干してくれた洗濯物が並んでいた。未だ乾いていないそれらとは別の服、まだある程度予備を備えている旅着へと着替える。
腰に剣を佩き、最後に外套を羽織る。
「あ、食堂の時間過ぎちゃってる……」
仕方ないか、とクラウスはギルドでお金を両替えしてそのまま食事にしようと考えた。
「いらっしゃいませ、クラウスさん」
ギルドへ向かえば、昨日と同じ受付嬢がクラウスを迎えてくれた。
「おはようございます」
「昨日は宿はどうでしたか?」
「あ! 凄いいい宿でしたよ、店員の対応も部屋も」
「へー、やっぱり白銀級となると、ランクの良い宿になるんですかね」
「あはは……ギルドのお陰ですよ」
悪戯っぽい受付嬢の笑みを同じく笑みで受け流し、クラウスはがま口の財布を取り出す。昨日宿で支払ったものと同じ金貨を取り出す。
「そうだ。昨日は忘れてたんですけど、両替えをお願いしてもいいですか? とりあえず一万セナル分くらいは手元に置いておきたくて」
「あ、両替えですね。わ、これ、アベル金貨ですか?」
「はい、前はエジプトの方で仕事をしてたので、大丈夫です?」
「え、あ、はい。もちろん大丈夫ですけど、すごいですね、エジプトからって」
アテナの存在する地方ギリシアと、クラウスが以前滞在していたエジプトでは、すごく遠いとまでは言えないまでも、決して近いとは言えない距離である。
受付嬢からすれば、旅をしているギルド会員は珍しくはないが、それでもこのギリシア圏内の者が多い。そのせいかクラウスに向ける視線に物珍しいものを見る様な視線が加わる。
「そうですねー。エジプトはいい場所でしたよ。独特な風習というか、物乞いが仕事として存在してるんですよ」
「物乞いって、あの物乞いですか?」
「ええ。スラムの人たちが独自に相互補助組織を作ってて、物乞いをする縄張りを決めていたりするんです。エジプトは多くのものと人が集まりますから、その中には観光客とかも居ますからね」
「へー、何か想像もつかないですね。なんか少しイメージ変わりましたよ」
「ギリシアとは法から何まで違いますからね」
クラウスがエジプトで一番困ったことは、許可なく王族の顔を見た場合、死罪となる法であった。そんな法があるならお忍びで街に繰り出さないで欲しいとは、クラウスの感想であった。
「さて、それじゃあ、依頼は何かあります? いい宿に泊まった分稼がないといけませんから」
「そうですね。でしたら、採取依頼と調査依頼がありますね。どちらも銀級なのでクラウスさんには物足りないかもしれませんが」
ふむ、とクラウスは提示された依頼書に目を通す。
一つは魔物の生息域に存在する薬草の採取。依頼主は街の薬剤師であり、はやり病に効く薬草を前もって数揃えておきたいというものであった。
もう一つは街の行政府からの依頼。神託により大型の魔物の発生が予言され、その討伐の前段階である調査と言う内容であった。
「調査依頼に関して、他の冒険者はどうなんですか?」
「そうですね。乗り気なパーティが数組居ますけど、別件の依頼も片付けないといけないのでそちらを優先されてますね」
「んー、なら、彼らには悪いですけど、調査依頼を受けさせてもらいます。神託ってのも引っ掛かりますし」
この世界において、神とは身近に存在しているものである。ギリシアや北欧では直接姿を見せることもあれば、人間に加護を与えることも存在する。ただ、総じて神は女神であり、気まぐれな神が多い。中には魔物に力を与え、試練と称して人々の災いをもたらす神も居る。
クラウス自身、神という存在が自身の旅の目的に関わっている可能性を捨てきれないため、できうる限り神の情報を集めようとしたりすることもある。
「それじゃ、依頼の説明を受けに行きましょうかね……っと、すいません、行政府ってどのあたりにありますかね」
「ふふ、お任せください。お教えしますよ」
そこはどこでもないどこか、ただ空虚な白が広がるのみの世界。そこには、数十人の男女がきょとんとした顔を見合わせていた。
彼らは全員が同じ学校、現代日本におけるそれなりな進学校である高等学校で学生をしている者たちであった。
『あー、テステス。聞こえてるっすか?』
そんな彼らに、どこからかスピーカー越しのような女の声が聞こえてきた。しかし、周囲にはそのたぐいの機械は無く、何よりこの異常な空間に大多数の学生は理解が追い付いていなかった。
『んじゃまず、説明から始めるっすよ。この世界は死後の世界と思ってもらっていいっす。ああ、偶発的に死んだとか、事故で死んだとかじゃなくて、まとめて死んでもらった後に来てもらったっす』
「……は?」
あっけらかんと、何でもないように自分たちは死んだという言葉をその声は告げた。
『あなた達は死んだということは理解できたっすか? まあ、納得はしないでいいっすよ。その辺はさほど重要じゃないっすから』
「ちょっと待ってくれ……」
声を遮るように小さく、しかしはっきりと呟いたのは、学級でも中心人物であった男子生徒であった。
『なんすかー、質問タイムは最後に設けるつもりだったんすけど』
「僕たちは死んだというが、その証拠は……? それに、死後の世界と言ったが、正直信じられない」
『あー、今言ったっすけど。納得する必要は無いっすし、信じなくてもいいっすよ? この説明会も蛇足っすし。面倒なんで、説明を理解できない人に説明するならともかく、納得しようとしない人はどうでもいいっすから』
声はそう言って、にべもなくその男子生徒の言葉を切って捨てた。すると、そんな不十分な対応から、学生たちから不満の声が上がる。
「ちゃんと説明しろ! 意味分かんねぇサイコが!」
「そうだ。俺たちはこの状況を説明してもらう権利がある。というか、家に帰せよ! 誘拐だぞ!」
一人が声を上げれば、あとは火が広がるようだった。この意味不明な状況への不安も合わさり、小さな声はやがて合唱となっていく。
スピーカーの声はその声を咎めない、嫌な静寂を以て答えていた。そんな中、一人だけ黙って傍観していた生徒が居た。切りそろえられたショートボブは丁寧に手入れがされており、騒ぐ学生たちをどこか冷めた目で見ている女生徒だった。
笑っている。彼女は直感的にさきほどまでの声の主が笑っていると感じた。
『いやー、ここまでテンプレ通りっすと、笑っちゃうっすね。よしよし、いいっすよ。私は寛大っすから。小うるさい声も許してあげるっす』
どこまでも上から目線、自分が絶対的な上位者であることを疑ってない言動で会った。例えるなら、きゃんきゃんと喚くペットを可愛がるような、気まぐれに蜘蛛を逃がすような、そんな態度。
女生徒の肌には鳥肌が立った。もとより現実離れした現状、この声が嘘をついてないとしたら。何より、嘘をつく必要など微塵もないとしたら。
何人か同じ結論に至ったのか、顔を青ざめさせて女生徒と同じように黙り込む。
『それじゃあ、話を戻すっすよー。あなたたちは死んだ。これは悲しくも現実で真実っす。そして、ここは死後に私があなたたちを招くために特別に作った死後の世界。ここまではいいっすね?』
不思議と、今度は僅かにざわつくだけであった。
『そして、死んだあなたたちには、特別に第二の人生のチャンスを上げちゃうっす。今回限りの大盤振る舞い、太っ腹すぎる神対応っす。知ってる人もいるんじゃないっすか? 今流行りの異世界転生っす。喜んでいいっすよ?』
そう言って、声は気安く笑う。
『時間をだらだら無駄に浪費するのもあれっすから。さっそく送るっすよー。あ、チートとかは自分の心が持っているとか、そんなのでよろしくっす』
生徒の一人の姿が掻き消えた。瞬きの暇もなく、気づけばそこに空白が生まれたように居なくなっていた。そして、それは二人、三人と数を増やしていく。
最後に残されたのは、女生徒であった。
『くすくす、頑張ってくださいっすよー』
ちらりと、赤い髪の女の姿を幻視したような気がした。その姿を脳裏に刻みながら、女生徒はその姿を消した。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。