とある島の元柔道部員の異世界転移①
俺の名前は、熊川誠一。
その日も、朝からクーラーのついた自室で、試験勉強を行っていた。
秋に控えた警察官採用試験に向けて、持ち前の集中力で勉強していた。来年の就職に向けて、通信講座のテキストで、ジックリと筆記試験対策だ。
「……ふーーっ。一息いれるか……」
時計を見ると、15時すぎになっており、昼食を取ってから2時間以上勉強していた事に気づいた。飲み物が空になっていたし、小腹がすいたので休憩をとることにした。軽く冷蔵庫を物色して、アイスを見つけるとそれを腹におさめる。
人心地ついたので、気合を入れて再び試験勉強を始める。その日はそのまま19時すぎの夕食の時間まで勉強をしたが、それゆえに、外で起こった天変地異に全く気付かなかった。
魔法陣の光の発生後、夕焼けの空が、一瞬で夜の闇に包まれる。見上げれば、空には3つの月が輝く。外の様子は目まぐるしく変わっていったそうなのだが、俺自身は全く気付かなかった。おそらく、両親も勉強の妨げになると思って、特に話題に出さなかったのだろう。
それに、普段から朝方の生活習慣であったため、夜中の午前一時頃の島内放送にも気づかなかった。そういった事情で、異世界転生一日目は、何も変化の無い、いつも通りの一日だった。
俺は、小学生になる前から約13年間、柔道一筋に生きてきた。高校の柔道部では主将をつとめ、県大会では小学生の頃から表彰台の常連。最後のインターハイの個人90キロ級では準優勝。団体でもそこそこの成績を収めていた。それでも、全国にいけばあくまでそれなりの成績しか残せず、柔道の成績で大学の推薦が来るほどではなかった。
柔道には真摯に取り組んでいたと思う。
部活では自他ともに厳しいと自覚していたし、恐れられてもいただろうけど、部活が終われば後輩にも慕われてもいたし、自分自身、面倒見は良い方だと思う。
高校3年のインターハイを終えたため、すでに部活を引退していたが、身体が鈍らないようにちょくちょく部活に参加させてもらっていた。体を鍛えるだけなら一人でもできるが、柔道となると相手なしだとできない練習もあるため、顧問の林先生に頼んで部活に参加していた。
部活は、2年中心の新体制なので、先輩である自分が残ってることに、やり難さを感じているとは思う。一応、2年の指示には従うようにしているのだが、素直に指示を聞くからといっても、それとやり難さとは別物だろうと思っている。悪いとは思っているんだが、練習相手の事を考えると都合が良いため、厄介になっている。
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転移した翌朝。
いつもと同じ5時半頃に目が覚めたが、いつもよりだいぶ高い太陽の位置に寝坊したと思って驚いた。目覚まし時計を見ても、5時半を少し過ぎた頃なのだが、日が出ているということは、一時間以上寝坊したか?
そう思っていたが、母から今日は臨時休校であることを聞いて、ホッと一息いれると、いつもどおり日課のトレーニングのためにいそいそと家を出た。
自宅は海沿いの道のすぐそばにあり、そのまま海沿いの道を1キロ程走って砂浜へ入る。砂浜では、ダッシュしたり、ゴムチューブを使った筋トレや投げの練習をするなど、1時間ほど一人でトレーニングを行った。
もう、何年も前から日課にしている朝のトレーニング。足腰を鍛えるためにも、天気が良い日は砂浜に行くようにしていた。
この日もいつもと同じように砂浜までランニングしてきたが、そこから見える景色に若干の違和感を覚えた。不思議に思って周囲を見渡すが、普段は景色など気にせずトレーニングしていたため、結局その時は気づくこともできなかった。何かが違うんだけど……。
釈然としない思いを抱えつつも、トレーニングを終えて帰宅すると、寝ている間に流れた島内放送の内容を母から聞いた。
テレビや携帯が通じないこと、昨日の夕方の怪奇現象のことを聞き、ここに至ってようやく何かおかしなことが起きていると理解した。また警察官である父からは、理由は聞かされなかったが、海にあまり近付かないようにと注意を受けた。
いつもなら、早朝トレーニングの後は、急いで朝食を食べて学校に行くのだが、この日は臨時休校な上に転移の影響で時差がある。そのため、もう1時間もすれば昼食の時間となるようだ。
学校に行く予定だったし、1時間という微妙な時間だったので、勉強ではなく庭でトレーニングして昼食まで過ごした。昼食後は昨日同様に試験勉強をしてすごし、夕方には気分転換に庭で再度トレーニングをした。
夕方のトレーニングを終える頃になって、いつもより身体が軽いように感じた。気のせいかと思い、少し駆けてみるも、走る速さも幾分か速いように感じた。その上、いつもより余裕があり疲労が少なかったように思った。練習メニューは、いつもと変わらない程度だったんだけどな……。
そして練習後は、わずかに頭がスッキリと冴えるような感じもした。とは言っても、気のせいかと思うくらいの微々たる変化なんだが……。
翌日も学校は休みのままであった。
そのため、父からの注意に従って砂浜にこそ行かなかったが、いつもより長めのランニングと庭での稽古に励んだ。昨夕から若干体が軽くなったように感じた影響か、疲れも感じず想像以上に体が動くため、その日はいつもの倍のメニューをこなしてしまった。
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そして、さらに翌日。
学校が再開され、授業の始まる直前に島内放送があった。内容は、広川島が異世界に転移していて、自分のステータスが見られるというのだ。
放送を聞いた直後の感想は、島ぐるみでエイプリルフールのようなイベントでも発生しているのかと、放送内容を冗談だと思った。
しかし、教室内の友人がステータス確認を行っている様を目のあたりにする。その興奮した様子が物凄く自然で、とても演技や冗談には見えなかった。とすると、ホントに転移?
目の前で繰り広げられるクラスメイト達の様子を見て、昨日・一昨日と、自分の体が軽く感じていた事を思い出した。もし、ステータスなんてものがあるなら、当然レベルアップもあるだろう。すると、あの体が軽いという感覚の正体が、それなのかと……。
そう思うと、次第に異世界転移というのも冗談ではないのだと思えてきた。
ただ、そうは言っても、人前で中二病のような呪文を唱えるなんて、恥ずかしくてなかなかステータスを見れない。見たいけど、実はやっぱり冗談でした、なんて感じになったら、恥ずかしくてたまらないだろう。それで、教室を出てこっそり試そうかと思っていたところで、友人に捕まってしまった。
自分達のステータスを比較して一喜一憂していたウチの一人が、俺に向かって、「ステータスも教えてくれよ!」 って言ってきたのだ。人から言われたから、しょうがない……。そう自分に言い聞かせて、意を決して『ステータスウィンドウオープン』と、口にしてみる。目の前に出現したステータスウィンドウに驚きつつも、その数値を確認していく。
「レベル3か……」
夢中になって、自分のステータスを確認していった結果、自分のレベルは3と表示されていた。レベルを口にすると、友人が騒ぎだした。どうやら教室内には、自分以外にレベル3以上の者はいない事が原因のようだ。体が軽く感じた理由が、予想通りレベルの影響なのだと納得する一方、自分一人だけがレベル3になっている事に、疑問を感じた。
周りのクラスメイトの話を聞くに、レベル2の者は、普段から何らかのトレーニングを行っていると言っていた。自分も日課のトレーニングを行っていたので、きっとそれが関係しているのだと結論付けた。
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さらに翌日の夕方。
学校から帰宅した後、ランニングに出かけた。
気付いたら砂浜に降りる階段の前まできており、一旦足を止めていた。立ち止まって息を整えながら、ぼーっと海を眺める。どこか、未だに信じられない気持ちを持ちつつ、考えにふけった。
異世界転移と聞いて丸一日が経過したが、島の様子はあまり以前と変わっておらず、たいして実感もない。しかし、月が3つある事も確認したし、ステータスも見れる。これが、今までどおりでは考えられない事だと頭で理解はできるのだが、それを認めたくない自分がいた。転移したとしたら、自分はこの後どうするべきなのか……。
高校卒業後の進路は、どうなるのだろうか?
今まで通り、警察官採用試験を目指しても、本当に試験は行われるのか?
そもそも警察という組織が継続して存続できるのだろうか?
街の治安を守るという意味では、治安組織は残るだろうが、それが日本でいう警察という組織のままなのか、それとも軍隊のような外敵に対する戦力も保持するような組織となるのか?
自分の進路を考えては、頭にいくつもの疑問がよぎる。……だが、明確な答えは当然出てこない。
そんな感じで、昨日から答えのない迷路に迷い込んだような、思考の渦にとらわれていた。そんなモヤモヤとした気分を晴らせればと、体を動かしたり、いつも通りの試験勉強も継続してみるが、それでもふとした瞬間に先程のような疑問が湧き出てしまう。
ランニングで切れた息が整う頃には、父から海に近付くなと注意されていた事を思いだした。色々と悩んでいた事もあり、注意を忘れて日課の通りに砂浜まで来ていた事に気づきいて引き返そうと思った。
何気なく海岸を見たら、ふと、堤防と波打ち際の中間あたりで海を向いて佇む少女に目が留まった。平日で時間が夕方という事もあり、どうやら砂浜には、その少女が一人しかいないようだった。
父から受けた注意は、危険だから海に近付くなというものだった。具体的に何が危険なのか説明してくれなかったが、仕事上の関係で言えないと言われていた。警察官の父が、仕事上の関係と言っていたので、自分では犯罪者が出没するのかと思っていたのだ。その危険と言われる海に、少女が一人だけしかいないのだ。
危険だと声を掛けなければと思った。
これで、砂浜に複数人いるのなら、そんな事は思わなかっただろう。
自分で言うのも何だが、身長は180センチ、体重も90キロを超える立派な体格をしている。
また顔はやや老け顔で強面だ。そういった外見のため、子どもや女性から怖がられたり、敬遠される経験もある。自身の事は、見た目とは違って面倒見がよく、優しい性格だと思っている。実際に知り合って、話をしていくと、笑顔で応対してくれる人がほとんどのため、そんなに自分の評価も誤っていないと思っている。
ただ、初対面の相手に対して威圧感があるというのは自覚していた。
そんな事情があるため、初対面の女性や子供に、自分から声を掛ける事を躊躇していた。重い荷物を持って困っている感じの人に声をかけたり、バスで席を譲ったりなんて事は、使命感にかられてできるのだけど……。
そのため海に近付く少女に、注意を促すのを迷ってしまった。
父から注意されていたが、明確な理由も知らないため、詳しく相手に説明できないという事情もあった事も迷った原因だろう。それに、目撃者もいない場所で女性に声をかけ、悲鳴でも上げられたら、面倒な事になりかねないと思った。
しかし、この場合は、その迷いが禍した。
その少女の斜め後ろ――自分のいる堤防の近く――からゆっくりと、砂の上を這って近付く黒いものに気が付いたのだ。それは、直径20センチ、長さは2メートル以上はありそうな黒い蛇のようだった。
島の山の方で蛇に遭遇したことはある。しかし、砂浜で見たのは初めてだった。それも、体長に対して胴回りが太いし、黒光りする鱗からは禍々しい何かさえ感じた。目の前にいる蛇は、自分の知識――とは言っても、動物園やテレビなんかでも見た程度――では見た事もないが、それが危険な生き物であるというのは、何となく見た瞬間に感じていた。
瞬間、自分の中の迷いは吹っ飛び、急いで少女に向かって走り出した。
少女は蛇のさらに向こう側にいて、位置的に蛇と少女の間に割って入る時間はなさそうだった。そこで、砂浜に降り立つなりすぐに「危ない! 後ろだ!」と少女に向かって叫びながら走りだし、足元の小石や砂を掴むと、蛇に向かって投げつけた。そして、投げた結果を待つことなく、再び少女に向かって走り出した。
運の良い事に、投げた小石が見事に当たり、一瞬蛇の動きが止まった。その瞬間、蛇の横を追い越して、回り込んで少女と蛇の間に割って入る事ができた。少女は突然の展開に驚き、「ひっ!」と小さく声を上げ、若干震えながら固まっているようだった。
こんな見た事もない蛇が、近くに迫っているのだから無理もない。いや、むしろ体の大きい自分が間近まで走って来たのだから、その迫力で驚いたのかもしれない。そう思いつつも、とりあえず少女に訪れる危険に間に合ったことに胸を撫で下ろした。
動きが止まっていた蛇は、砂を投げつけ横を通り過ぎた自分に向きなおっていた。その場で上体を起こし、鎌首をもたげ、舌をチロチロと出して威嚇してくる。その体の半分以上を起こしており、蛇の頭の高さは、自分の腰より上に位置していた。
未知の生物を前に恐怖心を感じつつも、守るべき対象が後ろに居る事で、自分を奮い立たせ、蛇から視線を外さず、背後の少女に声をかける。
「落ち着いて! そのまま蛇から目を離さないで、背中を見せないように少しずつ。階段の方へ下がるんだ!」
そういって、階段を指さす。
「は、はいっ!」
少女は幾分か落ち着きを取り戻したのか、俺が助けに来たのだと理解したようで、こちらの指示に素直に従った。その際、少女の体が強張る事無く動いたのは幸運だっただろう。
流石に腰を抜かして動けないなんて事になると、そんな少女を守っていては、未知の生物を相手に、不覚を取りかねない。これがアオダイショウ程度なら、距離をとればそんなに怖く無いのだが、目の前の存在を相手に、距離があるからと安心することはできなかった。
蛇の方を向いたまま、少女が迂回しつつ階段の方へと移動するのを視界に捉えた。ある程度自分達から離れた時点で、少女の無事を確信して安心した。
蛇に相対する自分は、適度な緊張感を持っており、今の状況が柔道で強敵を相手に立ち向かっているような感覚に似ていると思った。身体が少し硬いという自覚はありつつも、いつもと大差なく動けそうだと、客観的に自分を見れていた。
目の前の蛇が動いたのは、少女がずいぶん離れ、自分の状態を把握し終えた直後だった。
4メートル以上離れていた蛇の頭が、反動で勢いを付けるかのように僅かに後ろに動いたのだ。
最初、その反動で飛んでくるのかと思った。
柔道の試合で、組み手争いをするような感覚で、飛んできた蛇の体を手で払う動作をしようとも考えたが、嫌な予感がしたため、斜め後ろに大きく飛びすさった。
次の瞬間、蛇が大きく開けた口から紫色の液体が勢いよく噴射され、先程まで自分が立っていた場所に飛び広がった。
「毒か?」
見るからに毒々しい色をした青黒い液体に、自分が苦虫を噛み潰したような顔している自覚があった。
直感的に毒だと感じた液体を見た事で、素手で相手をするのが得策ではないと思った。だが、トレーニングをしていた最中のため、動きやすい恰好――Tシャツにジャージ姿――であり、武器や防具になるような物は持っていなかった。
もちろん、足元の小石や砂では大してダメージにもなりそうになく、何かないかと、蛇に意識を向けたまま、視界の中を確認する。
「……!」
砂浜という場所なだけに、大したものがないかと思っていたが、丁度視界の端にある物に気づいた。
錆びた鍋や流木といったものが、落ちていたのだ。
いつもは、トレーニングをする場所に漂流したゴミがあると、嘆かわしい気持ちになり、月に2・3度は自主的にゴミ拾いをしているのだが、この時ばかりは、ゴミを捨てたヤツに感謝したい気持ちだった。
飛びすさった事で、さっきより蛇と距離が離れている事もあり、何とかなるかとゴミの方に走り込む。蛇も鎌首を倒して追ってくるが、少女を助ける際に追い越せたように、ダッシュをすれば自分の方が若干早いようだった。
それで、目的のゴミのあたりに目を向けると、顔が隠れるくらいの金属製の鍋の蓋を見つけ、辿り着くと同時に手にして振り返り、再び蛇と対峙する。
鍋の蓋を手にする間に、蛇に接近され構えた瞬間に、口を大きく開けて飛んできた。噛みつかれそうになったが、なんとか鍋の蓋で牙の攻撃を逸らすことに成功! よかった。穴が空いてたりしなくて。
そして、ぶつかった勢いで再度蛇との距離が離れたので、急いで足元から片手で掴めるほどの流木も拾い上げた。
その後、万端とは言い難いが、手にした装備で蛇の噛みつき攻撃を防いでは距離を取る、といった繰り返しの攻防が行なわれた。幸い、装備を身につけた後は、蛇が液体を飛ばしてくることもなかった。ま、あの体の体積だから、単純に体内に残ってないだけかもしれないけど……油断せずにいこう。
予備動作がある事と、ここ最近のレベルアップもあってか何とか攻撃を防いでいた。たまに蛇の体勢が整っていない時は、こちらから攻撃を加えたりもした。
ただ、あくまで打撃武器であるため、蛇には大してダメージになっていないようだった。これで、刃物だったり切断できるような武器だったら、違った結果になったのかもしれないが、この近くにある漂流物にそんなものはなかった。この装備があるだけでもラッキーなんだけど、どうせなら駆除したいよな。
そうして戦うこと2分ほど。
お互いダメージは負っていないかに見えたが、徐々に蛇の動きが鈍ってきたように感じていた。このままいけば、仕留められるかと思っていたのだが、そう思った次の瞬間には、蛇が一目散に海へと逃げていった。
海に向かった蛇に対して、また何か不意をつくような攻撃があるのかと身構えたのだが、何も発生しない。そのまま距離を広げられるにつれ、逃げているのだと認識できた。ただ、その事に気づくのが遅れたため、追いかけたがまんまと海への撤退を許してしまった。
とりあえず身の危険が去ったことにホッとして、堤防に上がっていった。ま、まずは無事だったことを喜ぶか……。




