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10/21

かつがれて、、、トイレ(泣)。。。

 9月30日(金)くもり


 入院。。。トホホ。。。

人生かつてない怒涛の一カ月。。。


 家から車で10分、丘の上の総合病院に4日前から入院中なり。

予定通りにいけば、明日は退院できるはず。

やっと起き上がって日記を書く気になったので、

この際、あれやこれやと書き残そうと思う。


 9月に入るとチューリッヒの陽気は一変し、太陽はなかなか顔を見せず、

雨は降らないものの、どんよりとした空模様で、急に肌寒い日が続いた。

聞いたところによると、毎年こんな感じらしく、

この辺りではこのまま冬に突入していくのが常らしい。

日本のような爽やかな秋晴れを楽しめるのは、ほんの一瞬だそうで。

秋のステキファッションアイテムが、登場機会を失いがちらしい。

 私は、船便の段ボールの中に冬物衣料を全部詰め込んでいたので、

今か今かと船便が届くのを待ちわびていた。

やっと十数個届いた段ボールから、冬物衣料の箱を見つけて、真っ先に開封。

懐かしい空気が、中からふわっと漂った気がした。

それをそのまま着こんで、片付け作業に取り組んだ。

私が持ってきたものは、洋服とお気に入りの雑貨や食器がほとんど。

ずっと実家暮らしだったから、そんなに品数も多くはないのだけど、

手に取ると思い出に浸ってしまうから、片付けもはかどらない。

 時間はたっぷりあるし、天気はどんよりしているし、

少しづつ引っ越し荷物の整理を進めていった。


 その日は、久々にお天気もよくて、太陽が顔を出していた。

近所のメキシカンカフェからは、ランチタイムに陽気な音楽が流れてきていた。

 そして、あのパッカパッカという軽快なリズムも。

それは、街の警察官が馬に乗ってこの辺りをパトロールする、

馬の蹄の音なのです。

なんとものどかなこの光景を眺めるのが、私は好きで、

バルコニーに出て、馬に乗った警官が通り過ぎていくのをしばらく見下していた。

 ついでに窓掃除もしましょうかと、

クリーナと雑巾を用意して始めてみたものの、

意外に汚れは手ごわくて、窓がピカピカになった頃には、体が芯から冷えていた。

 部屋の中に戻ろうと、小さな踏み台から降りたとたん、

下腹部に突き上げるような激痛が走った。

一瞬、呼吸が止まる程の激しい痛みだった。

 大学時代に、初めてこのド級の痛みを経験した。

すぐにその足で、病院に駆け込んだ記憶がある。

 会社員新人時代にも、一度。

この時は、診察後も三日間は下腹部の痛みで動けず、ほぼ寝たきり状態だった。

起き上がりたいときには母を待ち、起こしてもらってトイレにも行った。

年頃の娘が母にトイレに連れて行ってもらい、

おかゆを食べさせてもらい、仕事を休み、髪もぼさぼさ寝たきりで、

その仕事も充実させられず、彼氏もいなく、、、

親孝行なんて程とおく、、、

私は、とてもとても情けない気持ちになって、悲しくて、

布団の中で声を殺して、一人泣いていたのを覚えている。

たかしに出会う、ずっと前のことだ。


 ヤバイ。


 やっとの思いで、窓を閉めて、

這うようにしてキッチンに向かう。

キッチンの吊戸棚には、東京で処方された痛み止めが常備してある。


 いつもの薬、いつもの、いつもの、、、

と、戸棚から薬を出そうとするのだけど、

痛みのあまり、体に力が入らない。

手指も震えて、上手く薬も取り出せない。

キッチン台に床に、たくさん薬袋が散らばった。

なんとか目当ての痛み止めを見つけ出して、どうにか口に押し入れた。

その他、今自分でできることは、

もう、暖かくしてじっと動かず横になることくらい。


 とにかく、ベットまではたどり着いた。

このまま安静にして、たかしの帰りを待ちつつ、様子を見るしかない。

携帯を探すこともできなかった。


 私は、十代のころから子宮内膜症による下腹部痛に悩まされていて、

その都度対処してきていたものの、その症状はだんだんと悪化していた。

 結婚が決まり、日本を離れることとなり、そのころの診察では、

もう対処療法ではない根本治療、つまり手術やホルモン剤内服などに

踏み切る段階にきている旨の説明は、されていた。

 たかしもすべてを知っていて、一緒に乗り越えていこうと言ってくれていた。

 東京の主治医の勧めで、英文の紹介状を用意しておき、

こちらに来てから、しかるべきお医者様に診てもらう準備はできていた。

 できていたのに、私は実行していなかったから、

チューリッヒではまだ、主治医も見つけていなかったし、

下腹部痛はあったとしても、これくらいなら大丈夫だいつものことだと、

手持ちの痛み止め薬を飲んでしのいでいた日々で、

一度も医師の診察は受けていなかった。


 あぁぁっぁぁぁぁぁ。しまった。。。。。

いたいっ。。。


 どのくらい寝ていたのだろう。

痛み止めが効いてきて、少し眠れたのか、

実は気を失ったのか、、、わからないけれど、

たかしが仕事から帰って玄関の開く音で、目が覚めた。

だけど、、、目を開けるのもつらいし声も出ない。

 キッチンに向かったたかしが、様子を察知したようで、

あわてて私を探している。


(ごめん、ごめん、たかし、ごめん)


 ベットに私を見つけたたかしは、

驚き、声にならない声で私を呼んだ。

「かお、、る!?」

「っごく、、、おなかがぃたくてぃたくて、、、ごめん。たかし、ごめん。」

「すぐに医者探してくるから、手配してもらうようにするから」


 その後たかしは、

人事部の長崎さん(飛行機で遭遇した紳士)に相談して対応をお願いし、

私の看病をひたすらしてくれた。

 翌日の昼には、長崎さんのご紹介でスイス人産婦人科医の緊急予約も取れた。

明日の15時に診てもらえるとのこと。

こちらの病院は予約必須だから、このタイミングで予約が取れたのは、

とにかく長崎さんご夫婦のご尽力のたまものだ。

 この医師は、これまで何人も日本人女性の診察や分娩をしてきたそうで、

日本文化をこよなく愛する年配の男性とのことだった。

 長崎さんのお宅の日本人女性家庭教師が医療通訳に、

ボランティアで都度付き添ってくれるとのことで、

スイスの医療のことが全く分からない私たちは、本当に心強かった。

 たかしがこの時の長崎さんとのやり取りの一言一言を話してくれた。

私は、ただただありがたくて、ずっと泣きながら聞いていた。


 生まれ育った国を離れて、海外で働き、暮らし続けていくことの過酷さ、

そこで信頼関係を築き、夫婦で親子で家族で、友人や知り合いとで、

お互いに寄り添い支え合い、協力して生活していくことの尊さ、

長年身をもってそれらを経験してきたからこその力が、

私たちを取り巻いている皆さんには、もう既にあって、

私とたかしは、まだまだ駆け出しで非力で無力なのだけど、

私は、体は痛くて辛いのだけれど、

その方々の大きな力に包まれている感じがして、

不思議と私には、不安や悲しみはなかった。

 この力こそ、愛というのかな。

初めて味わう愛のかたち。

 たくさんの偶然が重なって、今がある。

私は、なんて幸せなのだろう。

 今までだって、幼いころからずっと幸せだったはずなのだけど、

これまでとは違う愛に、包み込まれている感じがする。


 たかしは、仕事の合間にかいがいしく看病してくれた。

おなかが痛くて、起き上がれない私を担いでトイレに連れて行って、

便座の前に立たせてくれた後には、毎回毎回

「パンツは脱げるの?」と聞いてくる。

「一応なんとか脱げます。」と、食い気味で私が突っ込み、ひとネタ終了。

 倒れてから2日目には、もうこんな感じで笑いあうこともあったのだけど、

何も食べないとよくないからと、

リンゴを買ってきてすりおろして食べさせてくれた。

夜中寝ていて急に寒気がして、ガタガタと震ええてしまい、体をさすってもらったこともあった。

さすがにこの時は、死ぬなよっと、ビビッていた。

 ごめんよ。。。ホント。いろいろ。

 たかしや皆さんのおかげで、布団の中一人泣くことは

もうきっと、ない。


 16日に、予約した病院へ向かった。

 医療通訳の喜代子さんが、仕事を抜けて来たたかしと自宅まで来てくれたので、

病状をくわしく説明した後、丘の中腹のクリニックまで車で向かった。

 診察室から受付まで迎えに出てきてくれた医師は、

スレンダーな長身白髪スイス紳士で、

とても穏やかにほほ笑む、優しい口調のおじいさん先生だった。

 診察室に入ると、壁一面に並べられた漆家具や屏風が西日を浴びて輝き、

実に見事で、私は息をのんだ。

スイスでこんな漆の調度品をみるなんて、夢にも思わなかった。


 20日に検査結果が出たからと連絡をもらい、すぐにクリニックに来るよう言われた。

 21日に、再び喜代子さんも一緒に三人でクリニックまで向かった。

 おじいさん先生の表情は硬く、結果は悪そうだった。

実際、血液検査の数値はとても悪かった。

 エコーや症状と合わせて考えても、すぐに手術が必要なこと。

手術をして患部を目視しなければ、実際にどこまでの処置が必要なのかは、わからないこと。

手術自体は、内視鏡手術で対応できる。

が、処置としては患部摘出の覚悟もしなければならず、その範囲も今はわからないこと。

 私の横に座って通訳をしている喜代子さんの声が、少しづつ熱を帯び低くなっていった。

この数日後に、結婚式を控えている新郎新婦に、

この事実を伝えるおじいさん先生と喜代子さんが、悲痛な顔をしていた。

先生なんて、半べそだ。

 なんていい先生に出会えたんだろう、私。

この先生に言われたら、どんなことでも受け止められる気がした。

「最悪の状態だった場合、対処して手術してもらうとして、

今後どんなことが考えられますか?妊娠もできなくなりますか?

赤ちゃん産めないのでしょうか?全て知っておきたいです。」

隣で喜代子さんが、息をのんだのがわかった。

一瞬間をおいて通訳してくれたけれど、先生の返答は、

それも今の時点では、答えようがないということだった。

いよいよ先生は、泣き出しそうだ。


 とにかく、手術が急いで必要なので、

明後日23日に、すでに手術チームの手配をつけてあるとのことだった。

 こちらのクリニックでは、このおじいさん先生の様な専門主治医が、

提携している総合病院に自分のチームを呼んで、手術などを行う。

必要に応じて、麻酔科医や助手など数人のチームを作るらしい。

術後患者はその病院に入院して、退院まで看護師にケアをしてもらう。

毎日、主治医は診察に病室までやってきてくれる。

もちろん緊急時には、電話一本で主治医が駆けつけてくれるし、

常在医師もいから、問題はないみたい。


 ただ、今の問題は、、、

9月23日(金)は、自宅から結婚式ホテルに出発する日で、

9月24日(土)は、まさに結婚式で。

日本からは親族や友達が、近隣国からも招待客がそろそろこちらに来るのです。

なんてこったいな、事態です。

 私は、正直に事態を説明し、

どうしても結婚式を挙げたいと伝えたけれど、

先生は、とても容認できないと言い続けた。

あなたが、また倒れてしまう。体がもたないと。

今は、起き上がれるようになったかもしれないが、

いつまた患部が暴発状態になるかわからないと。

式のホテルまでここから距離もあるし、何か起きてからでは遅いと。


 長い沈黙が流れた。

 喜代子さんは単独で、まずは新郎を説得しようと、

部屋の外へたかしを呼び出した。

戻ってきた二人の顔は、こわばっていた。

私のせいで、みんなにこんな顔をさせて、ごめんなさい。

 でも、たかしと私の気持ちは、きっと同じはずだ。

 私は言い切った。

日本語だけど、先生を見据えて。

出てきた声は自分でも驚くくらいの強い口調だった。

「私は結婚式に行きます。きっと大丈夫です。

一番強い痛み止めをください。絶対に乗り切ります。

もし何かあっても、それはすべて私の責任です。

そして、大変申し訳ありませんが結婚式後の日程で、手術をお願いします。」

喜代子さんが通訳を終えるまで、私はずっとおじいさん先生を見据えていた。


 先生はしばらく目をつむり、

観念して、わかったとほほ笑んだ。

 そして最後には、私の手を握り、そっと抱きしめ、

くれぐれも体の負担を最小限にして移動するようにと、

天気に恵まれていい結婚式になるようにと、

無事結婚式を終えて、病院で万全の態勢で手術できるように待っているからと、

もしもの時には、どこまでできるかわからないけれど、すぐに連絡をするようにと、

実は、そのホテルは奥様のご実家のすぐそばで、本当に美しいところなんだよっと、

ニッコっとウィンク。

ただただ温かく優しく語りかけてくれた。


 9月24日(土)結婚式でした。

 日に日に痛みは解消されてきて、だいぶ体に力が入るようにはなったけれど、

私がお腹に爆弾を抱えていることに変わりなく、

つとめて、ゴロゴロ寝ていることにしていた。

 前日の移動中の車でも、シートをめいいっぱい倒して、

ホテルでも、参列者の皆さんへのご挨拶もそこそこに、ずっと横になっていた。

 昨日から、私の分もご挨拶して回るたかしは、すでに疲労困憊だ。

しゃべりすぎて、声がかれている。。。

 ホテルで事情を聞いた両親達は、ずっと固唾をのんで見守っている。

 式当日は、朝からそれはそれは見事に晴れ渡っていて、

ご招待した参列者の皆さんのお顔も晴れやかだった。

私のドレス姿を見て、長崎さんも少し安心してくれていそうだった。

 東京から担いで持ってきたオーダーのウエディングドレスの胸元は、

一気に痩せたせいで、スカスカになってしまった。

ブラと胸の間に、タイミングよく服用できるように痛み止めの錠剤を挟んでいるのだけど、

それもスルッと落ちていってしまいそうだ。

ちょくちょく胸元をいじる新婦は、きっと参列の皆さんに怪しく見えただろう。

 真っ白のパンプスも、足が小さくなってしまってスカスカ。

移動の途中でコロンっと脱げて、ドレスの外へ転がっていってしまい、

近くを歩いていたお義父さんが慌てて拾って履かせてくれた。

お義父さんにそんなことさせて、こんな嫁で本当に申し訳ないっ。

 でも、なんとかこぎつけた結婚式。

せめて今日一日、笑顔で乗り切るぞ。


 式は、参列してくださった方々の多大なご協力もあり、なんとか終了。

皆さんには、とんでもないご迷惑ご心配をおかけして大変恐縮ではございますが、

内容自体は、いい結婚式になったと自負している。

天候に恵まれて、ホテルからのアルプスの眺めは素晴らしかった。


 26日(月)入院&手術です。

 ホテルから戻り、26日の朝入院し、そのままオペしました。

 結婚式後にスイス旅行に出発する予定だった両親は、急遽予定を変更して、

術後落ち着くまでは、私たちの家に留まることに。

 喜代子さんも手術当日の入院手続きから、

手術室に入るギリギリまで、付き添ってくれた。

 手術室に入る前の、病室のベットの上で予備注射をして、

しばらく、喜代子さんとたかしと話していたら、

ぽわわ~ぁんっとしてきて、

2人と一緒に手術室にベットで向かったことまでは、

しっかり覚えているのだけれど、、、


 目が覚めると、そこは薄暗くがらんとした部屋だった。

なんとなく、他にもベットが何台か置かれているのがわかる。

寝ぼけてぼーっとしていたら、足元のほうから温かい声がした。

「かおる、起きたかい。なにも、なにも心配いらないよ。

すべてうまくいったからね。大丈夫だよ、かおる。

なにも心配いらないよ。赤ちゃんも、きっと大丈夫。」

と、おじいさん先生は言ったと、思う。

すでに手術は終了していて、びっくり。

「ありがとうございます、先生。」と言ったつもりだけれど、

ちゃんと声になっていたのか、曖昧だ。

先生の声は、いつにもまして柔らかな声だった。

今また、思い返してみても、神々しささえ感じる声だった。

私は心から安心して、また眠ってしまった。

こんなに安堵して眠りについた瞬間は、かつて記憶にない。


 それから今日まで、めきめき元気になってきた。


 まず実際の子宮内膜症の状態は、当初予想されていたよりも軽く、

炎症を起こしていた一部の箇所の切除だけですんだ。

この後の妊娠が可能かどうかも、検査してくれていて、

まったく心配ないとのことだった。

ただ、将来的に再発の可能性はあるから、経過観察は必要らしい。

引き続き、おじいさん先生にはお世話になりそう。

 

 一安心した両親は、スイス旅行の後半の日程に出発した。

たかしは、ここ最近は会社の帰りに病室に寄ってくれる。

 

 私も入院生活には慣れてきたけれど、

どうしても最後まで憎々しいものがある。

 それは、トイレの便座。

私は、日本人女性の中でも背が低くて、体も小さい。

こちらでは、子ども扱いされることすらある。

私よりも小さい大人は、あまり見かけない。

ので、、、この国?この病院?の便座が私にとっては高すぎるのだ。

術後は、なるべく早い段階でカテーテルを外して、

自力歩行をすることも大事らしい。

だから頑張って歩いて、自分でトイレに行くのだけれど、

便座に座って用を足そうとすると、私の足先は床につかず宙ぶらりん、

よってどうしても腹筋を使わなくてはならず、

それが下腹部を手術されている私には、どうにも痛く辛く、、、

加えて、手術していた箇所もうずいて。。。

最初は、トイレに行くたび半泣きだった。今でも痛い。。。

足台が欲しいけど、それってドイツ語でなんて言えばいいの?

っと考えるうちに、まぁ言うほどでもないかっ、となり、

便座の高さごときに負けてたまるかっ、となり

またトイレに行くと、看護師さんに伝えなかったことに後悔する日々だった。


 でもでもでも、明日は退院だ。

自宅の便座は、も少し低い。









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