小夜啼鳥
ある日気がつくと僕は、歌を聴かなくなっていた。
コートの右ポケットにはいつものように、ミュージックプレーヤーがもつれたイヤフォンとともに突っ込まれているのだが、もう何日も(もしかすると何ヶ月も?)それは取り出されないままになっていて、時々しわくちゃのコンビニのレシートを抱き込んでいる。以前の僕は通勤の行き帰り、まるで外部の音を遮断したいかのように耳をそれで塞ぎ、オフィスの玄関と家の玄関をつなぐ渡り廊下の手摺のように、歌にしがみつき、周囲の雑踏と車の流れから身を避けていた。
なぜならば、舗道を歩く僕の周りには、僕が見たくない現実の景色や人の生活が、梅雨の湿気が纏わり付くように蔓延していて、そしてそれは、僕の姿を映し出す鏡でもあり、僕を深い暗いところへ引きずり込んでしまうような気がしていたからだ。
歌を聴かなくなっただけではない。歌は聞こえなくなっていた。
店の中に流れるBGMも、TVから流れ出てくるバラードも、僕の耳には聞こえてこなかった。
たぶんそれは耳にしていても、僕の鼓膜に到達した瞬間に砂のように流れ落ち、そしてどこかへ消え去ってしまっていたのだろう。
歌を聴くときは元気になりたいとき。そう思っていたのだが、人はどん底に足が着いてしまうと、もう歌を聴く力もなくなってしまうのかもしれない。
君の声がかすかに聞こえる。
背中を向けて眠っている君の見えない唇から、か細い、絹糸をこするような声が漏れている。
それはきっと何かの歌。
君の歌がかすかに聞こえてくる。途切れながら、僕の凍った耳に。




