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水は電気に強い

「これは!?」


 覚悟を決めてシールドを構えていたひろしだったが、力を込めたその腕にはなんの手ごたえも無かった。恐る恐る瞼を開いてみると、眼前には揺らいだ水面に映る自分の顔ばかりがあった。


「やれやれ、ネタがばれてしまったかのぅ……」


 律が脇腹を抱えたまま、しぼりだすようにして声を漏らす。

 ひろしはわけもわからず、目を白黒とさせながら自分達を覆っている半球形の水の薄膜を眺めていたが、ゆったりと流動する水面の奥にいくつもの赤い光が浮かんでいることに気が付き、やがて青ざめる。

 光の正体は雷槍らいそうの群れであり、女はそれを今にも発射してやろうと構えているところだった。


「くそっ、やべぇ!」


 ひろしが律たちに覆いかぶさるようにして背を向けると、無数の雷光が直線の軌跡を描きながらひろしたちに襲い掛かかった。

 これまでかと覚悟を決めたひろしであったが、放たれた雷槍らいそうは薄膜に触れるとあっけなく消滅していった。


「はぁ、静電遮蔽ですか。まあそんなところだろうとは思っていましたが」


 女は特に驚く様子もなく、ため息交じりに呟いた。 


「な、なんだ律、こんなすごいシールドもってたのかよ」


 ひろしは力強く握っていた律の小さな肩を慌てて放すと、改めて自分たちを覆う半球形の薄膜を見回しながら言った。


「あ、あほぅ。これはただの海水じゃ。電撃がその表面を伝って地面に逃げていっておるだけのこと……くっ」

 

 律が痛みに耐えかねて片膝を地面につくと、薄膜は霧のように周囲に拡散していった。


「なるほど、水の剣によって飛び散った海水を利用したわけですか。最初から狙いは周囲を水浸しにすることだったのかしら。小賢しいですね」


 女は律たちの足元だけが渇いているのを見て舌打ちをした。


「あと、その水でできた神装……。最初の雷撃のときもその一部を地面まで垂らしてアースしていたというところでしょうか」


 女の予想通り、神装のおかげで律には最初の落雷によるダメージがほとんど無く、駆け寄ってきたひろしと安立に軽くウインクしてみせてから「このまま少し時間をかせげないか」と呟いていた。安立が治したのは顎に受けた打撃の傷だけであった。

 女のオートガードを粉砕するにはある程度高度なスキルを使う必要があった。そして、発動系スキルは大技ほど長い詠唱や特異な発動条件を必要とするのに対して、女の使う電荷操作スキルは無詠唱・無条件で発動できる装備型であったため、律にはなんとかして時間を作る必要があった。

 

「ふふ、水が雷に弱いとでも思っておったか? 逆じゃ、貴様のスキルは私には一切効かんよ。これだけ水浸しなら私は一瞬で水の盾を作ることができる。もう降参したらどうじゃ」


 逆を言えば律は手近に水分が無い場合には空気中の水蒸気からそれを錬成しなければならないため、攻撃にも防御にも隙が生まれる。


「そんな状態でよくハッタリが言えますね。少なくとも物理攻撃に関してはよく通るようですが? 次は一瞬で首をへし折って差し上げましょうか」

「ふふ、貴様こそ去勢を張っておるではないか。この水浸しの地面では電荷が拡散して、これまでのような高速移動はできまい。あれは貴様が靴底に集めた負電荷と地面に発生させた負電荷の斥力を利用しておるのじゃろう? ヒロシンの乱打を満足にかわせなくなっていたのを見て確信したわ」

「これは驚きました。なるほど、戦闘においては頭が切れるようですねぇ」

「うむ。普段は天然じゃが、こっち方面は得意分野じゃ」

「ご自分で天然とおっしゃるのはいかがなものでしょう」


 苦しさを誤魔化すかのようにおどけてみせる律。

 女は呆れながら髪を掻き上げようとしたが、腕自体がないことに気付くと、少し苦笑を浮かべてから右手で左耳の辺りを掻き上げた。


「そうか、もしかして……」


 不意にひろしが訝しげな瞳で女を見つめながら口を開いた。


「あんたさっき、自分のことなんて覚えてないだろうっていってたけど……。もしかしてお前、浄土で同じ孤児院にいた……シェラか?」


 ひろしは女の赤黒い髪の毛の下に覗いたイヤ-リングに見覚えがあった。女の纏う殺気や、その引き締まった肉体の美しさに対してあまりにも不釣り合いな安物のイヤーリングは、鈍く、くすんだ光を放っていた。

 ひろしの言葉に女の呼吸が一瞬止まる。少し緩んだ口元からふぅっと息を吐き出すと、俯いたまま呟いた。


「ううん、違いますよ。私の名前は……シェイラ。いっつも間違えるよね。―――――ヒロ兄ちゃん」


 女は顔を上げると首を少し傾けながら、困ったように微笑んだ。


「やっぱそうか! シェラ!」


 ひろしは心躍る思いで駆け出していた。先ほどまで胸の中で渦巻いていた殺意や恐怖が、懐かしく、暖かい感覚と入れ替わっていくのを感じていた。


「なんですぐ気付かなかったんだろうな。会いたかったぞ、シェラ!」

「来ないで下さい!!」


 女の放った電撃がひろしの足元を掠め、飛び散った雷光が視界を遮った。


「……お、おいおい。どうしたっていうんだ、シェラ」

「…………」

「久々に会えたんじゃないか! というか、会いに来てくれたのか? でも、なんでこんな形で……」


 ひろしはひどく困惑していた。おそらくシェラは最初からひろしのことに気付いていた。その上で自分の命を狙ってきている。その理由が解らなかった。

 しかし、すぐに意を決したようにひろしは再び歩き始める。


「おい、馬鹿者! 下がれ、殺されるぞ!」

「大丈夫さ。この娘は俺の妹みたいなもんなんだ。少なくとも、俺の知ってるシェラは人を傷つけるようなやつじゃなかった。泣き虫で、痛がりで……優しいやつだよ」


 律の制止の声は続いていたが、ひろしはそれを気に留める様子もなく段差を上っていった。


「泣き虫……そうですね。そうだったよね。いっつもヒロ兄ちゃんに守ってもらってばっかりでした。でも今は違う。もう泣き虫シェイラじゃない。痛みも感じないし……優しくもない!」


 辺りに激しいいかずちが降り注ぐ。海水で濡れた足元を駆けめぐる雷光の一つがひろしの体を突き上げると、膝を折って地面に伏せた。


「あっ!!……ごめん、ヒロ兄ちゃん。痛かったよね。ちゃんと苦しまないように逝かせてあげなきゃですよねぇ」


 しおらしくなったかと思えば、急に悪魔のような笑みを浮かべるシェイラ。何かが壊れてしまったかのように、口調も行動も支離滅裂になりはじめていた。


「何が……、誰がお前をそんな風にした!!」

「浄土で会いましょう。ご希望とあらば魂体もきっちり殺しますからね」


 虚ろな目をしてシェイラが腕をゆっくりと空に伸ばすと、細く、眩い光の輪が二つ浮かび上がり、回転し始めた。不気味なほどに音もなく回る輪の片方が、シェイラの体を中心としてじわじわと半径を広げてゆき、もう片方はターゲットをひろしに定めるかのように正面を向いて空中で固定されていた。


「あれは……だめ! ヒロシン、逃げて!」

「アッハハハハハ!! もう遅いです!」


 シェイラの絶叫にも似た笑い声の後、辺りは光で白く染まった。




 ひろしには何が起こったか分からなかった。確かに水族館の中にいたはずであったのに、気が付くと辺りは瓦礫の山があるばかりで、所々から煙が立ち昇っていた。

 ひろしは四つんばいになっている自分の体の下に安立の姿を見つけて飛び起きると、無事を確認すべく首元にそっと触れた。

 安立の眉がピクリと動く。


「美方……さん? 律様は?」


 意識を取り戻した安立が、ぼんやりとした瞳をひろしに向ける。

 ひろしは無言で安立を抱きかかえると、少しだけ原形の残っている外壁の側へと歩き、それにもたれ掛らせる形でそっと降ろした。


「すみません、安立さん。ここで少し待っていてもらえますか?」


 ひろしが安立を安心させようと不器用に微笑む。

 まだ意識のはっきりとしていない安立は小さく返事をして、歩きだしたひろしの背中をぼぅっと眺めていた。




「律! どこだ! 返事をしてくれ!」


 ひろしは先ほどまでプールがあったであろう場所の中央あたりで、声を張り上げていた。しかし、耳を澄ませてみても聞こえてくるのは振り出した霧雨の音ばかりだった。

 立ち込める粉塵と霧雨が、夜の闇と相まって、視界はほんの数メートルもない。

 ひろしがふらつく足で再び歩き始めようとしたとき、瓦礫の一角が崩れ落ちて、人影がそこからゆっくりと立ち上がった。


「よかった、無事だったか!」


 駆け寄ろうとしてその人影の背の高さにすぐに気付き、立ち止まる。


「やって、くれますわね……、あのお嬢ちゃん」


 シェイラは体中に深手を負って、息も絶え絶えに立っていた。


「シェラ……」

「まさか、隠していた水の剣を割り込ませてくるとは……」


 シェイラのスキルが発動する瞬間、律はひろしと安立を水の球体に包んで壁際へと跳ね飛ばしていた。同時に物陰に潜ましてあった水の剣の最後の一本を、光輪に向けて飛ばした。シェイラのスキルはこれによって暴発し、辺りの壁や地面へと拡散していったのだった。


「ヒロシンさん、私にはもう、あなたをすっきりと殺すだけの力が残っていないようです、申し訳ありません。よかったら私の首をお持ち帰り下さい。いくらかはあなたの人生の助けになるでしょう」


 ひろしはわざとらしく息を吐いてみせた後で、頬をポリポリと掻きながら答えた。


「バカ言うなよ。俺にそんなことができるわけがないだろう」

「なぜですか? あれ程までに根深い殺意をお持ちですのに」

「あれは頭に血が上ってただけで……。シェラだって知らなかったしな」

「あなたの仲間を殺そうとした人間であることには変わりありません」

「お前が理由もなくそんなことするかよ」

「……ふふ。やっぱり変わってないのかもしれませんね、ヒロカズ兄さんは」

「お前は結構変わったなぁ。あんなちっこかったのに、大きくなって」

「あれから20年も経っているのですから、変わりもします……よ」

 

 不意にシェイラが瓦礫の山から力なく崩れ落ちた。ひろしはすぐに駆け寄って手を貸そうとしたが、シェイラはそれを拒むように跳ねのけると、横たわったまま唇を噛みしめた。


「気を、悪くしないで下さい。……私などに触ったら貴方が穢れてしまう」

「何いってんだ。早く手当しないとまずいだろう。今安立さん呼んでくるから、少し待っててくれ」

「やめて下さい。良いんです。このまま逝かせて下さい」

「うん、絶対にいやだ。お前とは話したいことが一杯溜まってるんだ」


 ひろしが安立の元へ戻るべく背を向けると、上着の裾をシェイラの指がそっと掴んだ。


「じゃあ、少しだけ、昔話でもしましょうか」


 シェイラは力無く俯いたまま、ゆっくりと語り始めた。

 霧雨はいつの間にか、雷鳴を伴い始めていた。

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