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二つの世界

 やっと見つけた母はすでに息絶えており、喚こうが揺すろうが、何も語りはしない。ひろしは絶望の中一人で叫ぶ、吠える。そんな夢を何度も繰り返し見ていた。

 

 ひろしは再び目覚める。一度目はあの世の管理局、二度目は警察の霊安室。そして今、大学病院のベッドで。

 ほのかに香る独特の芳香、ごわごわとしたシーツの感触。

 ひろしはゆっくりと目を開けたかと思うと、すぐに跳ね起きた。


「ここは……そうだ、母さんは!?」


 その様子をみていた年配の看護師がにこやかに微笑み、窓の外を指さす。よろめきながら窓辺に歩み寄るひろしに看護婦が肩を貸す。

 咲き始めたばかりの桜が夕日の色に混ざって鮮やかなオレンジ色をしていた。


「お母さん、さっきまでずっとあなたの側に寄り添っていらっしゃったんだけどね。あなたが目覚めそうになると、合わせる顔がないと言ってね」


 ひろしは中庭に正美の姿を見つけると、お礼を言って、急ぎ足で部屋を後にした。



 正美は中庭の椅子に腰をかけて、ぼぅっと空を見上げていた。ひろしが一人分ほど間を開けて隣に座ると、正美は視線を落として瞼を閉じた。しばらくの沈黙のあと、木々をざわめかせていた風が止むのを待っていたかのように、正美が口を開く。


「懐かしいね、お花見。父さんが死んじゃってから、そういえばしてなかったわね」

「うん。なんとなく覚えてるよ。父さんが肩車してくれてさ」

「そうそう。ひろしったら、桜の花びらをちぎっては、次々に母さんに渡そうとするものだから、怒られないかと冷や冷やしたわ」

「ははっ。そうだったっけ」


 1年ぶりの会話だった。あるいは、会話が成立するのが1年ぶりというべきか。ひろしは引き籠ってからというもの、母親へ投げかける言葉は悪意に満ちて一方的だった。

 ひろしがそのことをまずは謝ろうと口を開きかけた時だった。


「ひろし、ごめんね」


 正美が頭を低くしながら呟く。ひろしは開いた口元を一度結びなおすと、少し慌てるようにして、あるいは苛立ちを含むような口調でそれに答えた。


「なんで母さんが謝るんだよ。謝るのは俺のほうじゃないか」

「ううん。母さんね、父さんが死んでから、いつもひろしに頼ってばかりだったもの」

「何言ってるんだよ。俺の方が頼ってばかりだったじゃないか。母さんがいつも明るく励ましてくれてたのに、俺は―――――」

「ううん。違う。母さん本当は、父さんがいなくなったのがどうしようもなく寂しくて。ひろしがいなかったらとっくにダメになってたわ。だからひろしが部屋から出てこなくなってからはまた寂しくなって、おせっかいばかりしてかまってもらおうと必死だった。ひろしの気持ちも考えずにね」


 意外だった。いつも気丈に明るく振る舞っていた母の態度が、寂しさの裏返しだとは思いもよらなかった。大人というのは心が分厚く、鈍いからから、繊細な少年の気持ちなど理解できないのだ。そんな風にすら思っていた。


「ひろし、ごめんね。辛かったね。辛いときに辛いって言える相手がいなくて、辛かったね……」


 正美はおずおずと手を伸ばすと、息子の手の甲にそっと指先で触れた。

 ひろしは顔を伏せて頷いた。関を切ったように溢れだした思いを表現できる言葉など無く、ひろしはただ、頷いた。何度も、何度も。

 

 やがて、しっかりと重なった二つの手の甲には、一片の桜の花びらが舞い落ちていた。


 


 翌朝、ひろしと正美に退院の許可が下りた。晴れ晴れとした気持ちで揃って家に帰れることが夢のようで、つい顔がほころんでしまう二人。荷造りをしているところに年配の看護師がやってきて「仲の良さそうな親子さんだこと」と嬉しそうな顔をしてクスクスと笑った。ひろしと正美は少し顔を見合ってから、「おかげさまで」と照れくさそうに頭を下げて見せた。


「そうそう、先ほど妹さんがこのバッグをお兄ちゃんに渡して下さい、と言って持ってきましたよ。着替えらしいです」


 看護師が大き目のボストンバッグを差し出しながら微笑む。


「妹?」


 ひろしと正美が顔を見合わせながら首を傾ける。

 美方家はひろしと正美の二人暮らしで、妹などいるはずもなかった。


「あれ、妹さんじゃなかったですか? 背はちょっと低くて、すごく明るくて、礼儀正しくて」


 ひろしには思い当たる節が二件あった。が、片方の可能性は「礼儀正しくて」の一言で吹き飛んだ。


「なるほどわかりました。ありがとうございます」


 ぽかんとしている正美に目で合図しながらひろしが答える。正美にはなんのことだかよくわかっていなかったが、ひろしの様子からきっと問題は無いのだろうと思い直した。

 

 バッグの中には新品の衣類や履物などが入っており、互いに着の身着のまま靴も履かずに家を出ていた二人にとってはこの上なく有り難かった。さっそくに着替えて病室をでると、看護師が今度は神妙な面持ちで駆け寄り、耳打ちをした。


「その、申し上げにくいのですが、病院をお出になる際は、裏手からお願いできませんでしょうか」

「かまいませんが、またどうしてですか?」


 正美が口元に丸めた人差し指を宛がいながら聞き返す。


「その、マスコミの方々が正面玄関に押しかけていまして」

「あらあら、お偉いさんでも入院してらっしゃるのかしら」

「いえ、そうではなく、目的は息子さんのようなんです」


 ひろしは自分の顔を指さし、首をかしげて見せた。


「世間では奇跡の復活を遂げた少年として騒がれているんですよ」

「ええー!? いや、そうですか、なるほど……」

「そうねえ、ひろしったらまさか生き返るなんて。もっと早く言ってくれてれば母さんもあんなことせずにご馳走用意して待ってたのに」

「いや、そういうことじゃなくて母さん……。仕方ない、裏手からこっそりでますね」

「お手数をおかけします。タクシーを呼んでありますので、ご利用下さい。マスコミがご自宅にも押しかけているかもしれませんので、気を付けて下さいね」


 二人は看護師と担当医師に見送られながら病院を後にする。裏手の出口付近にもマスコミが数名いて、フラッシュを浴びせられたが、正美はそれに笑顔で応えて手を振っていた。


 看護師の予想通り、自宅の門前にはマスコミが手にマイクや照明器具を持って集まっていた。二人は回り道をして、家の路地裏にタクシーをとめてもらうと、隣家の庭を通って、塀を飛び越えた。塀は腰より少し高い程度だったので、正美も申し訳なさそうにしながらそれを跨いだ。ひろしはトイレの窓から中に入ると、裏庭の窓ガラスを開けて正美を招き入れる。そしてすぐに正美の口を塞いだ。


「母さん、もしかしたら家の中に誰かいるよ。さっき物音がしたんだ」

「ええっ、泥棒かしら。ファンデルを閉じ込めちゃいけないと思って、入り口を開けっ放しで出ていっちゃったから……」

 ファンデルというのは美方家の飼い猫である。ひろしも玄関のドアを閉めることなく出て行ったクチなのでそれについては何とも言えなかった。

 正美に離れないように言ってから、物音のした台所へと息を殺して静かに進んでいく。台所のドアの隙間からはうっすらと光が漏れていた。壁に背をつけたままひろしが半開きになっているドアのノブを少しだけ引いて中を覗き込む。正美は胸に手を当てて息を飲んで様子を見守っていたが、向き直ったひろしが大きくため息を吐き出したのをみて首を傾げた。

 状況を理解したひろしは力なくドアノブを引くと、再び大きく息を吐き出す。


「おい、何自分んちみたいにくつろいでるんだよ」

「おー、戻ったか」


 青いジャージの上下を着込んだGODが煎餅を片手に椅子の上に正座してテレビを見ていた。亜麻色の髪の毛が頭の上で大雑把に一つに縛られ、後れ毛が触角のように首の後ろから垂れ下がっている。膝の上ではファンデルが気持ちよさそうに寝息を立てていた。


「あら、おっかえりなさーい。あ、お茶二つ追加ですねぇ」


 キッチンから声をかけてきたのは、警官のような制服にエプロンをつけた幼女、もとい、安立だった。安立はあっさりと視線を元に戻して勝手知ったる台所と言わんばかりの動きでテキパキとお茶の用意を続けた。


「レイ~、ついでにつまようじも持ってきてくれ」


 GODが視線をテレビに向けたままキッチンの方へ手を振る。

 ひろしはGODの頭から噴水のように立ち上がっている髪の毛の束を握って、ぎりぎりと引っ張り上げた。



「で。ひろし、この子たちは?」


 正美は湯呑をゆっくりと傾けると、しみじみと一息ついてから尋ねた。足元では山盛りにされたキャットフードをファンデルがほおばっている。


「えっと、こいつらは―――――」

「神じゃ! 」

 ひろしがどう説明したものかと言葉に詰まっていると、GODが横から唇を尖らせながら豪語した。

「お前な、説明には順序ってもんが――――」

「あらあら、可愛い神様ね。ふふふ」

 今度は正美がひろしの言葉を遮る。

「むぅ。お主、信じておらんな?」

「ごめんなさい。だって、こんな可愛らしい御嬢さんが、神様だー!っていうんですもの。なおさら可愛いじゃない」 

「ば、罰当たりめっ! おい、レイからもなんとか言ってやれ!」

 急に振られた安立が、あたふたと袖を振りながら口を開く。

「えっと、この方は瀬尾せおりつ様とおっしゃいまして、超有名な神様ですっ!」

「ぶっふふー!」 

 腹を抱えて笑う正美の頭の中には、たっぷりと白髭を蓄え、樫の杖を片手にもち、雲の上でにこやかに微笑む律の姿が浮かんでいた。

「母さん、わかる。気持ちはすごくわかるんだけど、残念ながら本当なんだ」

「え、そうなの!?」

 ひろしがしぶしぶ擁護すると、正美は一瞬で笑い止み、実に険しい顔でひろしの方を向いた。



「ひろしが生き返ったのも、私が助かったのもこの子達のおかげなのね」

 正美は驚きの表情のまま固まっていた。

「ふふん。どうやらわかってきたようじゃな」

 律は小さな体を精一杯のけぞらせて腕を組んだ。

「すみません~、差し出がましいとは思ったのですが、お二人のいない間、お留守番をさせていただきました」

 安立が申し訳なさそうに頭を下げる。

「とんでもない、ファンデルのお世話もして下さったようで、助かりました。ありがとう~」

 正美が負けじと姿勢を低くする。

「それにしても……。死後の世界、トクポン、転生。大体は理解したけど、もう少し詳しく聞かせてもらってもいいかしら。紛いなりにも知識を売るお仕事をしているから、なおさら興味深いの」

 美方正美の仕事は私立大学の准教授であり、物理学を専門としている。正美は普段はおっとりとしているが、仕事となると人が変わるタイプ。ひろしもそれはよく分かっていて、仕事モードの正美の事は少々苦手としていた。

「ふーむ。よかろう。その様子だと完全に信じてはおらんようだし、それではこちらも話がしにくいからのぅ。なんでも聞いてみよ。レイに」

「わたしですかぁ!? はぃ、わかりました……」

 律はめんどうくさそうに背を向けると、安立に説明を丸投げしてまたテレビのほうに向き直り、煎餅をかじりはじめた。

「まず、どういう理屈で転生が起こっているのか教えてくれるかしら」

「そうですね。私たち転生管理官も根っこの理論まで知っているわけではありませんけど……。平たく言えば、転生というよりは転送、に近いものらしいんです。超弦理論はご存じでしょうか?」

「ええ、かじった程度だけどね。この世界を構成している最小の粒子は、粒子状ではなくひも状のエネルギー体だって話ね」

「ですです。それが実は単なる情報の集積体だったりするんです」

「そんなばかなこと。物質の質量がデータで出来ているっていうの?」

「そうなります。質量が存在する、という情報が発信されているだけで、実在するわけではないと考えて頂ければ結構です。そして、情報集積体の示すデータを解析して自由に操ることができるようになったのが2000年ほど前の話です」

「操るって……」

「えっと、これは実際にみて頂いたほうがはやいですね」

 安立は口早に何かを唱える始め、正美の手元にある湯呑を指さす。

「ボイルっ」

 すると、安立の声に反応するかのように湯呑の中身がボコボコと音を立てて沸騰しはじめた。

 正美が食い入るように湯呑を覗き込む。

「こういった技能を私たちはそのままの意味でスキルと呼んでいます」

「信じられない、なんてこと……」

「なんてことを……。母さん猫舌だぞ?」

 ひろしが真剣な顔で横やりを入れると、正美は不機嫌そうにシッシと手を振った。そして何か深く考え込んだ後で眉間に指をあてがいながら口を開いた。

「物質の元になっている情報集積体は特定の信号を受けると決まった動作をする。あってる?」

「ご明察です」

「どれだけ科学が進んだところで、そんなことが可能だなんて思えないけれども……」

「そうですね。あちらの世界はこちらより元々科学が発達していていましたが、2000年前はちょうどこちらと同程度の科学力だったと言われています」

「まさか。現代の科学力でそんなことが可能なものですか」

「それを可能にした天才がいたんです。現在もその方は健在で、浄土で最高神の座に君臨していらっしゃいます。あ、浄土というのはあっちの世界の名前です」

「2000年生きてるの……? いや、可能でしょうね。それが本当ならあらゆる事象を操れるんですから」

「はい。でも、当初その力は悪用され、世界を壊滅寸前まで追いやったそうです。なので最高神様は制限をもうけました」

「トクポンね」

「驚きました。本当に聡明でいらっしゃいますね。現世で擬似的に一生をおくらせて、その人間の本質が善人であるならばその程度に応じて力の行使を認めたんです」

「こっちの世界は査定のために作られた仮想世界ってことなの?」

「現世と浄土。二つの世界の関係性についてはよくわかっていません。同じ宇宙に存在する別の惑星同士だという説もあれば、正美さんのおっしゃる通り、どちらか一方が作られた世界であるという説もあります。ただ、何億年も前から二つの世界は繋がっていて、現世で亡くなった方は浄土で新生し、浄土で亡くなった方は現世に新生する。これを繰り返していたことは確からしいのです。新生の際には記憶のデータが消去されるようなので、超弦が解析されるまではお互いに気付くことはありあませんでしたけど」

「そうなると妙ね……。まあいいわ。じゃあ本題。転生っていうのは新生とは違うの?」

 正美には何かがひっかかっていたが、上手く言葉にできそうもなく、まずは生まれ変わりや転生のシステムについて情報を得ようと考えなおした。

「転生は浄土の転生管理局で100万前後のトクポンを支払い、自身を全てデータ化してサーバーに保存した後でこちらへ新生し、その一生の記憶をそのまま持ち帰って、保存していた身体データと合わせて浄土で再生するサービスを指します」

「肉体のデータ化、とんでもない話だけど、質量がそもそもデータでできているというのなら、不可能ではないか……。現世に転生する場合、浄土の記憶データは持っていけないし、生を受けるところから一生が始まる。けど、その一生の記憶は浄土に持ち帰れる上に、転生前の状態で復活できるのね」

「はい、そういうことになります。転生した際には、身体的特徴は現世の両親に似ますが、性格の本質的な部分は魂体と酷似するようです」

「まるで魂の研磨ね」

 ひろしは完全に蚊帳の外だった。二人の会話を理解しようと必死で耳を傾けていたが、途中からあきらめて、律と並んで煎餅をかじっていた。

「その過程で最終的に2000万トクポンを失うと魂体が完全消滅することになるんです」

「悪しき者や生を望まない者は存在自体が消されるわけね。そしてそうなりかけていたひろしのトクポンを肩代わりしてくれたのがそちらの瀬尾さん……」

 正美が目をやると、律はテレビをから視線を逸らすことなくひらひらと片手を振って見せた。直後、律は背後から抱きしめられて目を白黒とさせる。

「瀬尾さん、ありがとう! ああ、本当に、本当に!」

「な、なんじゃ急にっ!」

「元気になったひろしとまた一緒に暮らせるなんて、まるで夢のよう! 本当に嬉しいのよっ」

 正美の表情はあっという間に母親の顔に、穏やかな表情に戻っていた。

「わ、わかったから離せ! えーい、この!」

 正美はしつこく頬を擦り付けていたが、ついには律のスキルによって宙へ浮かされ、椅子の上に強制着陸させられた。

「やれやれ、話は大体終わったようじゃな」

 律は目を白黒とさせている正美の方に向き直るとテレビを消した。特撮ヒーロー物のラストシーンを突然に打ち切られたひろしが頬を膨らます。

「さて、ヒロシン、覚えておるか? 復活の際に条件があると言ったことを」

「ああ、もちろん。てかリアルでヒロシンはやめてくれ」

「では召喚獣よ。貴様には当分私の仕事を手伝ってもらうぞ」

「仕事って、神様稼業をか?」

「うむ。神である私の正式な使い魔として、下僕として、奴隷として働いてもらうぞ」 

「前から似たようなものだったじゃないか」

「茶化すな、ゲームとは違う。先に言っておくが、文字通りの命がけの仕事になる。頼めるか?」

「わかった、手伝うよ」

 律がこれ以上なく真剣な声色で問い質していたのに対して、ひろしはあまりにもあっさりと承諾した。

「まさか貴様……」

「いや違うよ。命を軽くみているわけじゃない。お前には命をもらったからな、俺も命がけでお礼をしたいと思うんだよ」

「そ、そうか、それなら良いのだが」

 ひろしがまっすぐに見据えながら応えると、律は少し照れくさそうに視線をそらした。

「ただ、母さんにはまた心配かけることになっちゃいそうだけど……」

「そうねぇ、とっても心配。けど、ひろしの言う通りね。瀬尾さんには返しきれないほどの恩があるもの。がんばって恩返しなさいね」

 正美は少し歯を見せて笑うと、ひろしの肩に力強く手を乗せた。

「ふむ、決まりじゃな。では早速貴様には絶対服従の奴隷契約を結んでもらうとするか……」

 律が不気味な笑みを浮かべながら両手の指先をわしゃわしゃ動かす。

「や、やっぱやめようかな」

「ふふふ、もう遅い」

「ではでは、律様、神官契約の準備をしますね」

「あらあら、神官ですって。素敵じゃない、ひろし」

 安立は制服のポケットからサイコロ状のPCを取り出すと、サイコロの1の目に当たるボタンを押してPCを立ち上げた。浮かび上がったホログラムのモニターとキーボードを正美は興味深げに眺めていた。

「なんだ、脅かすなよ。結構まっとうそうな役職じゃないか」

「ちっ、つまらん。レイ、ちゃっちゃとやってしまってくれ」

「はーい。とりあえず今、事務的な手続きは終わりましたので契約スキルを施行しますね。お二人ともそちらに並んでお立ち下さい」

 ひろしと律が立ち並ぶ。

「こうしてみると、ほんとお前ちっこいな」

「やかましいわ! ふん、レイよりは1センチは高いんじゃぞ」

 安立は苦笑いをした後で、目を閉じてゆっくりと詠唱を始める。

「汝、神の傍らにて神のわざを助け、其の生尽きぬ限り神の僕となりて弥遠永いやとほながに主を守り導くことをるべし」

「ほれ、はやく言わんか」

 律がひろしの脇腹を肘でつつきながらせかす。

「何をだよ」

「守るといえ」

「だから何をだよ」

「私をだ!」

 律は力を込めて脇腹に肘を突き立てた。

「ぐおっ―――――。ぜ、善処します……」

「ふん、男らしくないやつじゃ」

 にわかに律の体から様々な色をした光の玉が浮かび上がり、ひろしの胸元にふわふわと移動し、溶けていった。

「はい、完了です。お疲れさまでした」

 安立が額に汗を浮かべながら笑顔を向ける。ひろしは先ほどの光がどこに収まったものかと自分の体をぺたぺたと探っていた。

「さっそく明日から働いてもらうぞ。明日、身支度ができたら連絡せい」

「わかった、SNSにでもメールするよ」

「うむ。まだまだ言っておかねばならんことは山ほどあるが、今日はもう休むがよい。私たちも帰る。っとその前に、ヒロシンの母よ、浄土に関する記憶を消させてもらうぞ」

「ええ!?」

 正美が立ち上がって身を乗り出す。

「お主は一般人じゃからな、浄土に関して知っていてもらっては困る」

「ま、まって、誰にもしゃべらないから、どうかっ」

 正美が両手を合わせて拝むようにしてみせる。

「いかん。このままじゃと私とレイのトクポンが大幅に間引かれることになる」

「正美さん、現世で浄土の情報を持ってる人は意図的にトクポンを稼ぐことができます。それでは正美さんの本質を判別できなくなりますので、禁止されているんですよ」

 安立が丁寧に説明する。

「浄土の記憶を持ってこちらにいることが許されるのは、神とその神官、一部の管理官くらいのものじゃ」

「そ、そうなのね。うん、これ以上お二人に迷惑はかけられないわ。ごめんなさい」

 うな垂れる正美。安立が不憫に思って律をちらりと見つめると、律は深いため息を吐いた。

「やれやれ、仕方ない。条件が二つある」

「本当ですか!? 私、なんでもしますよ!」

「一つ。このことを一般人に他言した瞬間、浄土に関する情報が記憶から消去されるスキルをお主にかける。二つ。今日以降にお主が行う善行に対するトクポン取得権を破棄してもらう。それでも良いのか?」

 律がこれ以上ないくらい真剣な声色で問いかける。

「母さん、安請け合いしないほうが……。俺が言えた義理じゃないけど」

 ひろしは心配そうに正美を見つめている。

「かまいません。純粋な好奇心で知っていたいのもありますけど、なによりこのままのほうがひろしの手助けもしやすいと思いますから。この子がどんなことをしていて、何に悩んでいるのか、知らずにいるのはもう嫌なんです」

 正美の声は穏やかで、力強い。律はやれやれと手を振り、安立に手続きをしておくよう指示した。

「ありがとう瀬尾さん」

「律でよい」

「じゃあ、ありがとう律ちゃん」

 律はふんと背を向ける。

「さんきゅーな、律」

「き、貴様は律様と呼ばぬか!」

「なんで俺だけそんなへりくだらないといけないんだよっ」

「使い魔の分際で無礼であろうがっ」 

 ひろしと律がまた小競り合いを始める。

「そうだ、律ちゃん、よかったらごはん食べてってくれないかなっ」

 正美がパンッと両手を合わせて満面の笑みで問いかけると、その明るさに気圧されて、二人の喧嘩がぴたりと止まった。

「お主らも今日は疲れておろう。気を使うでない。レイ、帰るぞ。……おいっ、聞いておるのかレイっ」

「現世のごはん、久しぶりです~」

 安立の耳には律の声は既に届いていなかった。うっとりとした瞳で天井を見つめている安立の体を律が揺さぶると、腹の虫だけが返事をした。律はあきらめた様子で再び椅子の上へと座り直した。

「決まりね。ひろしの復活祝いも兼ねてぱーっとやりましょう! ほら、ひろしはお手伝いよ。お客様は座ってらしてね」

「復活祝いなら俺が主役なんじゃないのかよ母さん」

「それはついでよ、まずはお礼が先っ」

「あ、私も手伝いますっ」

 安立も含めて3人がキッチンへ入っていく。

 

 律はファンデルを抱き上げて膝の上に乗せると、少し笑って背中を撫でた。

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