携帯電話…【短編】
信二が今でも自分の携帯番号を知っているとは思わなかった。
「どうしたの?」
5年ぶりの信二の声に、少し陰りのようなものを感じながら節子は思わずつれない返事をしてしまった。
「いや、ちょうど携帯の機種を変えた時に節ちゃんの番号が目に入ってしもうたから、どないしよるかなと思うてな」
どうもこうもこうなったのは信二のせいではないかと内心思いながら言葉では違う事を言ってしまう自分がいた。
「あれから携帯変えてなかったの?」
「ん、ん~、何か変えるきっかけが見つからんでな、そのまま使うとった」
じゃあ、何かきっかけがあったんだ、と勘ぐりながらも、一瞬、信二との逢瀬が脳裏によぎっていった。
携帯も一緒に色違いの機種を買った物だし、一緒に生活を共にしていた時期もあったくらいだ。
丸い身体をさらに丸くしてご飯を表情豊かに食べてくれたあの人が、夜の一時も貪るように求めてくるあの人が、風のように節子の中を通り過ぎて行った。
そう、もう節子にとっては信二はとっくに過去の人であり、今、電話越しに聞こえてくる声の主は過去の信二ではなく、今の信二であった。
「何か言いたくて掛けてきたんじゃないの?」
薄々、節子も信二の声質で何を言いたいのか分かっていた。
だが、其れを先に勘ぐったところで今の節子には答えを急ぐようなほど馬鹿ではない。
「あっ、あのな、俺…今度結婚する事になったん、節ちゃんの方はどないかなと思うてな」
節子は返す言葉が見つからなかった。そんな事なら電話などせずに携帯から私の番号消去すればいいだけの事ではないか…
一瞬にして節子のプライドは自分で作った信二の返答でなかった事に崩壊してしまった。
…私は一人で、また一緒になってくれないかと言うものとばかり…
「そんなおめでたい話、わざわざ有難う、私の方は今が一番公私共に順風満帆だから心配は無用よ」
それだけ言うのが節子にとっては精一杯であった。
信二との事が終わってからも2人ほど節子の身体を通り抜けていった男がいる事は確かである。
だから今更、信二が結婚しようがどうしようか関係のない話であり、どうでもいい事であった。
「そっか、それ聞いて安心したわ」
信二との会話が終わった後、節子は身体の芯が熱くなるのを排除出来なかった。
「今度こそ…振ってやろうと思ったのに…」
節子はずっと使い続けてきた携帯電話を思い切り壁に投げつけた。
色違いで買った…携帯を…
それが節子に出来る唯一の信二との決別であると信じて…