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一度狂った時計は、外部から手を加えられるまで狂った時間を刻み続ける。
それは国にもいえたことだ。
あいつと俺は、同じ理想を持って騎士団に入団した。だが今、こうして選んだ道は異なる。
なあ、お前と俺の違いって……何だ?
第2話[Crazy Kingdom]
「全く、しつけがなってねぇな、お前ン所の飼い犬は」
ガン、とけたたましい音と共に扉が開く。現れたのは二人の男。一人は騎士で、一人は浪人。
「……ルクシエ」
「やはりてめぇか」ルクシエは刃を玉座に突きつけた。「ラグナ!」
ラグナと称された男は不敵な笑みを浮かべ、足を組みなおした。
「この国は腐りきってしまった。腐った部分は削らなければならない」
「だったらあんたも削らないと」
浪人が口を挟んだ。
「ああ。だが私が削られるのはまだ先だ」
「……どういうことだ?」ルクシエは眉をひそめた。
「そのままの意味だ」楽しそうに、彼は笑う。「いずれ分かるさ」
男は指を鳴らした。ガチン、と何かが外れる音がしたのと同時に、足元の床が開いた。
「……!」
咄嗟に縁を掴み、落下を食い止める。地上に残る僅かな指先の前に、男は座った。
「友よ。未来で会おう」
そっと……そして無慈悲に、希望は剥がされ……。
宇宙にもにた暗がりに飲み込まれていった……。
目を覚ますきっかけになったのは、心地悪い風と臭い。死が持つ、特有の臭い。
体を起こすと、小さな蝋燭の光が見えた。ほかには何も、見えない。
「……おい、ルクシエ」
「……なんだ?」
声を頼りに居場所を探す。やがて、暗闇に目が慣れてくると、明確に場所が分かるようになった。
牢屋の柵に、無気力そうな面を当てながら、男はため息をついた。
「やられたぜ……ったく」
ハハッと、寂しげな笑いがこだまする。俺は何も言わず、柵に手を触れ、ほんの少し、力を入れる。パシッと、水のはじける音と共に、柵は消えた。
「おい、今の……!」
「行くぞ、ルクシエ」開放された空間を通り、外へ出る。「あいつを殴りに――」
「だ、誰かいるのか!?」
二人の物ではない大きな声が、狭い牢内へ響き渡った。
「……いなかったら声はしないと思うが」
「いや、そりゃそうだが……ていうかあんたら誰だ?」
それはこっちのセリフ、という王道の切り替えしをぐっとこらえ、二人の名前を紹介する。
「そうか……! 何にせよあいつらの仲間じゃないみたいだな!」
どうしてか。この男、妙にハイテンションである。
「俺の名前はアルド……アルド・ラクスってんだ!」
視界の隅にぼんやりと腕が浮かぶ。どうやらその腕の持ち主がアルドらしい。俺はその手を掴むと、先ほどと同じように、檻の一部分に穴を開けた。
中くらいの穴から這い出てきた少年は出てくるなり大きく背伸びをし、にこやかに握手を求めてきた。俺とルクシエは適当に握手を交わし、牢獄の端から伸びる階段をのぼりはじめた。
一体ここが城内のどこに位置するのか、ルクシエに尋ねるが分からないと答えられた。勿論、アルドも同じ返答をした。となれば、手探りに近い状態で敵の巣窟を移動しなければならないということになる。
「湿気具合や様子からして地下であるのは間違いない。とにかく上を目指そう」
無限回廊にも見える長い階段を上り続けるも、一向に地上が見えてこない。
数十分ほど登り続けたところで、流石におかしいと思い始めていた時、ふと壁に奇妙な模様が描かれていることに気付いた。一体何をモチーフとしているのかが全く分からない謎の模様。だが、この中にその模様に心当たりのある人間が一人だけいた。
「これは……幻術か」
そう。ちゃらんぽらんな騎士だ。見た目は空気の抜け切った風船だが、意外と目ざとい。
ルクシエはその模様をカリカリと削った。やがて、その模様の一部分が完全に削れて無くなると同時に、果てしなく頭上に見えていた天井が急速に落下を始め、目と鼻の先で止まった。
それが天井ではなく壁だと気付き、そして今まで自分が壁に向かって歩いていたという事実にも気付いた時、俺は言いようの無い気分で顔を思わず赤らめた。
「ま、若気の至りってやつさ」ルクシエは他人事のように慰めの言葉をかけた。言っておくがお前も同類だ。
「それはさておき、こいつを仕掛けたのはおそらくクラリスだな」
ルクシエは廊下のあちらこちらに見える紋章を指差した。
「知り合いなのか?」
「知り合いというか後輩だ。幻術に関してはかなりの腕前だからな……こいつは厄介だ」
「へぇ……」俺は壁の紋章に手を当て、牢獄でやったことと同じことをした。結果、紋章は壁ごと消え、先ほどからなんとなくのしかかってくる奇妙な重圧感は消えた。
「この先も色々と仕掛けられてるに違いない。用心していこう」
騎士団とは本来民を先導しその安全を守るために存在している。身なりからは想像もつかないが彼もそんな騎士団の団長であり、彼の中の騎士団としての本能のようなものがあるのか、いつの間にか後続のレクエスとアルドを先導し歩いている。
じめじめとした地下道は迷宮のように入り組んでいる。地図も無く目印も無い以上手探り状態で進むしかなかった。魔ノ物や敵の兵士がいないのが唯一の救いだ。
さまよい続けることどれくらい経っただろうか。見つけて登った階段の数は2つなのに対し、廊下は一体何メートル歩いたか分からない。それに加えて、幻術の紋章を探し歩いているせいで、余計に時間を食う。
ところが、そんな長い旅路もようやく終わりを迎えるときが来た。3つ目の階段を登り切った時、懐かしい外の風が髪を靡かせる。
「……どうやら、脱出すること自体は想定していたようだな」
一番上の段に、大きく幻術の紋章が描かれている。紋形から推測するに、時間齟齬の幻術に間違いなさそうだ。
「時間稼ぎってことか。……ということは……」
街のどこからでも望むことのできる魔天楼――王の住まう城からは、赤々しい炎と星を覆い隠す灰色の煙がもくもくと立ち上っていた。
「ラグナ……お前は……」
守るべき主の城の惨状。ルクシエはかつて共に門を叩いた友の名を口にし、虚空に呟いた。
「お前は……一体何を夢見たんだ……」
「……ルクシエ、お友達の事を流暢に思ってる場合じゃないぞ」
レクエスは前を見据え、城に向かって走り出した。それにつられる形で、アルドも走り出した。
先を駆けていく二人の背中を茫然とルクシエは眺めていたが、フッと笑うと、彼らの後を追って走り出した。
それぞれが、やるべきことを成すために。
城内は多くの死と生に溢れていた。しかしその大半は、皇帝に仕える騎士のものばかりだ。
「こいつは……新兵器かなにかか?」
ルクシエは床に転げ落ちていた小型の機械を手に取った。L字型に曲がった、特徴的な形のその武器は、弱々しい光を放っている。
「“超高圧粒子銃”とかいう、九ツ龍の持ち込んだ外界の技術だ」
レクエスはそう解説すると、いくつか転がっているそれの内比較的新しいものを手に取り、壁に向かって照準を合わせ、トリガーを引く。
「うおっ!」
発射された弾丸は閃光に近い光と破壊力を持って壁を粉砕した。自らの知る銃とは程遠いその銃の威力を目の当たりにして、ルクシエは思わず感嘆の声をあげた。
「……一見強く見えるが、弾の速度は実弾に劣る。ある程度剣術の腕を磨いたものなら、弾丸を真っ二つに斬ることも可能だ」
ただし、とレクエスは続ける。
「剣の腹で受け止めたり流そうとするのは難しい。何せあの破壊力だ、そうとうな腕力がないと吹き飛ばされるぞ」
レクエスはそれだけ言うと、最も武術とは無縁そうな青年・アルドに銃を手渡した。
「……弾数制限は?」
「無限だ。壊れない限りな」
その時、騒音を聞きつけた相手側の騎士団が大広間に顔を出した。そして、こちらの存在を見つけるやいなや、原始人の狩猟を彷彿とさせる構えで突進してきた。
ルクシエは懐の剣を、レクエスは落ちている死んだ兵士の剣を手に取り、身構える。後ろでは、アルドが新しい兵器の銃口を迫りくる騎士達へと向けた。
「痛かったら、ごめんな」
軽い懺悔の言葉を口にしてから、アルドは引き金を引いた。疑似的な銃の発射音とともに、光の弾丸は真っ直ぐに先頭の兵士へ衝突した。しかし、結局その一撃によって仕留めた兵士は一人のみで、爆風をかき分け他の兵士は依然として勢いを止めようとしない。
アルドはもう2、3発兵士へ向けて発射した。そのうちの一発は奥の壁へとぶつかり、残りの2発は真っ二つに切断されてしまった。
「この、反逆者め……ッ!」
振り下ろされた剣を同じく剣の腹で受け止める。力でねじ伏せようとする兵士の、そのがら空きの懐めがけて拳を振るった。ジャストミートしたその一撃で兵士はくぐもった声を上げると同時に、その場に崩れた。レクエスは倒れこんだ兵士の心臓を、背後から真っ直ぐに剣を突き刺し、そして抜いた。
一方のルクシエも、こちらも流石団長と言うだけあって既に片付いた後だった。
「何も首を斬らなくても……」
真っ二つに引き裂かれた体と頭を見て、アルドはより残忍な殺し方を選んだルクシエに申し立てた。ルクシエはそれに対して、騎士の掟だと答え、剣を鞘におさめた。
「ここからは分かれて行動しよう。レクエスとアルドは王女の保護に向かってくれ」
「……お前は騎士だ。護衛ならお前の方が適任だと思うが。それに、外法を断つのは騎士よりギルドの人間の方が慣れている」
レクエスはもっともな言葉を述べた。が、ルクシエは首を横に振った。
「俺には、やらなければならないことがある。そしてそれは、俺にしかできないことだ」
ルクシエは真っ直ぐに二人を見た。その瞳を見て、二人はクスッと笑った。
「人は見かけによらないものだな。」
「……どういう意味だ?」
「外見と中身は異なるってことだ」
それだけ言ってアルドとレクエスは踵を返し、王室へと続く廊下へ向かって歩き出した。
一人残ったルクシエは、二人が完全に見えなくなるまでその場に立ち続け、消えたのを見届けると、最上段――つまりは玉座へと続く道を歩き始めた。
かつてこの国の光明に憧れて同じ門を叩いた。そして今、二人は闇と光――相反するものとなってしまった。彼らの師は、光と闇は相容れることの無い対極的存在だと言った。もし仮に、その言葉が正しいとするならば――。
「お前の闇、消せるのは俺だけだ」
覚悟を決め、彼は刃を構えた。
人の手によって齎されたものはいずれ崩壊を迎える。王国も例外ではない。そしてその瞬間に、俺は存在している。
かつて世の中の安泰を夢見た少女は、世界から除外された少年の傍ら、天に手をかざし誓った。
――「私は、大切な人々をきっと守り抜いてみせる」
ありきたりな、子供らしい言葉。でも当時子供だった俺たちにとっては、何よりも美しい、特別な言葉。
それから10年近く経った。彼女は言葉どおり、優れた指揮の下平和を守り抜いてきた。しかし、彼女の思わぬところで“綻び”は拡大していたのだ。
廊下では既に激しい戦闘が展開されていた。兵士と兵士の間を駆け抜け、時には襲い来る兵士を切り伏せ――向かうはただ一人の少女の下へ。
「王女はどこだ!」
運良く光十字騎士団の団長を見つけた。団長は一瞬こちらを敵だと認識し刃を振り上げたが、直ぐにこちらの正体に気づき刃を引いた。
「待っていました、レクエス殿。王女が王室にてお待ちです」
そういって団長は王室へと続く道を開くための宝玉をレクエスに渡した。レクエスはそれを握り締めると、軽く礼を言って、再び戦場を駆けようとした、その時だった。
「行かせるか!」
背後から突然兵士の影が伸びてきたかと思うと、まっすぐ、脳天をめがけて刃が振り下ろされるのが背面越しに分かった。全く予想だにしなかった攻撃に、身を守る暇などなかった。
「レクエス、行け!」
瞼を閉じ死を覚悟した。ところがその瞬間、金属が衝突する音がしたと思うと、いつの間にかアルドが割り込んで鍔迫り合いを展開していた。
「アルド……」
「あんたを待ってるんだろ! 王女様は!」
ぶつかり合う刃と刃。アルドは相手の力を上手く利用し背後に回りこむと、背後から切りつけた。
「……死ぬなよ、アルド」
レクエスは地を蹴り、その先に待つ王室へと向かって駆け出した。決してその足は止まることなく、また、止めようとするものをなぎ倒し、ただひたすらに、走り行く。そしてやっと、たどり着いた廊下の終端にある壁面のくぼみに、宝玉を押し込む。歯車と歯車がかみ合う音がし、目の前にあった壁は静かに口をあけた。その奥の一室――王女の部屋から、微かに光が漏れている。
「シャルル!」レクエスが扉を蹴り開けると、中には一人、椅子に座り外を見る少女の姿が見えた。「……無事、みたいだな」
金髪の少女――アーサーは振り向かずに、静かに口を開いた。
「……覚えているか、6年前の“大逆事件”を……」
大逆事件――それは、アーサーが正式な王位継承者と決まった直後に起きた、アーサーが王にならんとするのを阻止しようとした重役達の反逆事件。結局その事件は表沙汰になる前に鎮圧され、反逆の首謀者達も暗黙の内に処刑された。当時幼かったシャルロット(アーサー王)は、その事件の時に敵側の刺客に拉致され、その際一緒に居た父親、つまりアーサー15世は、その刺客の手によって暗殺された。シャルロットはその後、聖下十二騎士団の兵士によって無事保護されたが、結局その誘拐犯は捕まらなかった。
「私は……あの時の誘拐犯は、あの男ではないかとにらんでいたんだ……」
あの男……恐らくはラグナのことだろうが――にらんでいたとは、どういうことだ?
「元々、野心の強い男だとは風の噂で知っていたが……まさかここまでとは……」
彼女は肩を震わせ、悔しそうに声を漏らした。レクエスはその震える肩を抱き、王女の耳元で言葉を語る。
「……失敗は誰にでもある。大切なのはその失敗を修正できるか、だ」
レクエスはそういって、座るシャルルの手をとり立ち上がらせた。
「な、なにを――」
「行くぞ。真実を、見届ける義務がお前にはある」
ルクシエは躊躇いもなく玉座に向かっていった。ラグナと旧知の仲であるあいつには、ラグナがどこにいるかを知ることなど容易だったのだろう。そしてその予想が、外れることはないはずだ。
だとすれば、おのずと行くべき場所は限られてくる。
「どこへ向かうつもり?」
「玉座。そこにきっと、あの男はいる」
あの男、というフレーズに、彼女は敏感に反応した。
「それなら、少し待っていてくれないか?」
シャルルは握るレクエスの手をスッと離すと、おもむろに部屋に入り鍵を閉めた。
「おい、一体何を――」
「着替え! ……覗かないでね?」
「……誰がのぞくか、アホ」
ドアの向こう側でクローゼットが開く音がする。どうやら本当に着替え始めたらしい。
沈黙の中聞こえるのは静寂と時折聞こえる着脱音のみで、他は何一つ聞こえてはこなかった。ところが、その静寂を破る声が耳に響いた。その声の主は、他ならぬ扉の向こう側の姫だ。
「……今日は、ある記念日だったんだけど……憶えてる?」
今日……俺の記憶が正しければ……。
「この国の、建国記念日だったか?」
そうだよ、と声が聞こえてきた。
「だけど、それだけじゃなくて、もうひとつあるの。……何かわかる?」
「さあ……誰かの誕生日かなんかか?」
「……ううん、違うよ」
その後も彼女が扉を開けるまで色々と考え続けたが、結局答えは出なかった。彼女がその答えを言うまでは。
「今日はね、私とレクエスが始めて出会った日でも、あるの」
記憶を遡る。確かに、言われてみればそんな気がしてきた。が、いまいちピンとこない。
「レクエスは、あの時から自由な人だったから、しょうがないかもね」
「自由、ね……」
俺は忌々しいこの力以外、何も持っていないままこの街にやってきた。あの時、あの場所で全てを失ってから、俺は居場所を求め続けていたのだ。そして気がつけば、ここに定住していた。……勿論、ギルドという居場所を見つけたというのもあるが、主な理由はそこではなく、別にある。
彼女との出会いも、そんな一つなのかもしれない。シャルルが、俺との出会いを大切な物にしていたように、俺もまた、シャルルとの出会いを気づかぬうちに大切な物にしていたのだ。
「随分、変わったね、あの頃から……」
すっかり正装に着替えた彼女は、時折見せる物寂しそうな表情でうつむいた。
「……変わるさ。これだけ時間が経ってしまったらな」
ポン、と彼女の頭を撫でる。今落ち込んでいる場合じゃないだろ、と励ますと、シャルルは、そうだなと笑って返した。
「あの男――ラグナは何処にいると思う?」
「大丈夫だ。ラグナの居場所なら既に分かってる」
俺は先ほど来た道とは真逆の道を走り出した。シャルルもそれに続き、走る。
ルクシエは何もためらうことなく玉座へ向かい歩いた。ということは、彼はラグナが何をしようとしているのかをある程度予想していたに違いない。それに、聞いた限りでは長い付き合いである彼ら二人が出会わない確率の方が低い。
渦の中心へと確実に歩みを進める一方、レクエスにはぬぐえない不安が一つ、残っていた。それは、置いてきたアルドの事でもなく、ルクシエの事でもない。
彼に残る不安――ラグナが、玉座の秘密を知っている……?
「ラグナは……玉座で何をしようとしているんだ?」
俺は答えられない。詳しく知らないからではない。詳しく知っているからだ。
玉座の秘密はまだ暴かれてはならない。あそこに眠る秘密は、ラグナの考えているような、新しい秩序を生みだすというような、生易しいものではない。
「急ごう。急がないと、取り返しのつかないことになる……!」
拭えない不安を振り払うかのように、一心不乱に廊下を駆け抜けていった……。
玉座の間――今宵、そこに坐すは王ではない。坐すのは、かつて、共に騎士の門をたたいた友――。
「ラグナ……随分な身分になったじゃないか」
ラグナは旧友の訪れに笑みをこぼし、わざわざ立ち上がり出迎えた。まるでここに来ることが分かっていたかのような振る舞いに、ルクシエは歩みを止める。
「……お前は、何をするつもりだ」
腰の剣に手をかけ、真っ直ぐにラグナを睨む。しかしそれをラグナは意にも介さず、むしろ洒落を受け取るように、顎に手を当て考えるふりをした。
「目的か……そうだな」狡猾な眼差しがルクシエに突き刺さる。「世界征服……とでも言っておこうか」
「世界征服……?」
「ああ。ま、征服と言っても、俺が頂点に立つわけではない……。」
緊迫がわずかな間隙に流れ込み、激しい鼓動となって音を響かせる。ただ広いこの空間に、五月蠅いくらいの音量で。
「……どういう意味だ?」
「まあ、見ていればわかるさ」
パチン、と指が鳴らされた。それと同時に、何処からともなく巨大な壁がルクシエを包み込んだ。
「友の誼だ。お前には真実を見る権利をやろう」
ラグナは腰につけた2本の剣の内、一本を天高く振りあげると、玉座の中央に突きたてた。その途端、床を這うようにして亀裂が入り、そしてその亀裂からたちまち紫色の光が溢れてきた。
「長かった……実に、長かった」溢れる光の中、一人の男の高笑いがこだまする。「ようやく手に入れる時がきた! “新たな力”を!」
両手を広げ、ラグナは天を仰いだ。それに導かれるように、周囲の光がラグナに向かって集まり、やがて完全に姿は光に飲み込まれた。と、同時に、ルクシエの周囲を囲んでいた障壁が突然消え去った。
自由に動き回れるようになったルクシエだったが、つい先刻起こった事象の理解を試みるのに精一杯で、一歩も動くことができなかった。しかしそれとは対称的に、光は次第に弱まり、やがてまた新たな姿を示した。
その姿は、彼が今まで見てきた彼とは大きく異なる、まったく異質の姿――。
「……なるほど、お前が欲したのは魔界の力か」
第3者の声に振り返ると、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる影が一つ、見えた。その影は、とても見覚えのある――。
「あなたは……ッ!」
光り輝く金色の髪、遠く先を見据える空色の瞳、そして何より、凛々しいその姿は、まさしく王のものであった。
「なるほど、貴公の目的はそのようなものか」
腰から神々しい輝きを放つ刃を抜き、真っ直ぐに、ラグナへ向けて刃を構えた。揺らぐことの無いその王たる立ち姿は、まさに圧巻のものであった。
しかし、ラグナはその姿に微塵もひるむことなく、彼も同じようにして刃を抜いた。その姿を見て、ルクシエは遅れて刃を抜いた。
「あなたを守るのが騎士の役目です。どうか、ここはお任せを」
ところが、王は自ら前線に躍り出て、ルクシエと同じように戦う姿勢を見せた。これに驚いたのはルクシエよりもラグナの方であり、彼は嘲笑の笑いを王に向けた。
「3流から習った3流の刃で、どこまでこの私と戦えるかな?」
「さあな……やってみなければ、誰にもわからないさ」
刹那、電光石火。騎士の誇りと自尊心がぶつかり合う。それぞれの刃が軋み、悲鳴をあげる。それでも彼らは、お互い一歩も譲らず、睨み続けた。
「すまないが、この戦いは一対一ではない」
ラグナの意識がルクシエに向いている一瞬の隙をついて、王はすくい上げるようにして刃を振るった。ラグナはとっさに身を翻し一閃の直撃は避けたが、完全に避けることはできず浅い傷を胸部に負った。
「3流に汚されるお前は3流以下だな、ラグナ」
したたかに血は刀身を滑る。胸をかける傷口に触れニヤリとラグナは微笑みを浮かべた。
「どうやら、見縊り過ぎていたらしい……」
彼は静かに、二本の腕を前に突き出した。すると突然、腕の外側から鋭いエッジが生え、ブーメランにも似た形となり彼の腕を変質させた。
「魔族の力は素晴らしいな! 全てが思い通りに行く……!」
傷を負ってなお自信に満ちた表情。微かに、昔のラグナと面影が重なる。
ラグナは何の前触れもなしに地面を蹴ると、先ほどとは比にならないスピードで一気に間合いを詰めた。対処の遅れた二人はその腕のひと振りを完全にはよけきれず、ルクシエは右肩を浅く斬られ、王は大きく弾き飛ばされた。更に、ラグナはそのまま勢いを止めることなく方向転換をし、大きく飛ばされた王に追撃をかけた。王は後ろに交代しながら高速で振られる刃の連撃をうまく流し、再び間合いを広げた。
しかし、ラグナのこの奇襲によりルクシエと王の距離が大きく離れ、連携も難しい状況に追い込まれてしまった。勿論、ラグナはこれを狙っていたことなど王やルクシエは重々理解していたが、それでも対処できなかった。その主な原因は、彼の予想以上のスピードと、人離れした能力にある。
王は一度刃を鞘におさめ、剣術の一つである“居合”の構えを取った。
「なるほど、最速の剣術で私のスピードに対応するつもりか……甘いな」
ゆっくりと、ラグナは右の手の平を前に突き出した。すると、手の平の中心に、球状に変形したエネルギーが集まりだした。
「私はなにも、近距離しかできないわけではないのだよ」
反動もほとんどなしに放たれたその弾丸は、王の僅か左をかすめて壁に衝突した。その衝突のエネルギーはすさまじく、特殊材質でできた並はずれた頑丈さを持つこの部屋の壁を大きくへこませた。直撃すれば人間の体であれば一瞬にして粉々になってしまうだろう、威力だ。
半身で攻撃を避けた王は間髪いれずにカウンターの居合斬りを放つ。が、その一撃はラグナの左腕により完璧に防がれた。
「所詮女か、王よ」
零距離射撃。間一髪直撃を免れた王だったが、その衝撃で再び大きく飛ばされ、地面に倒れた。その隙を狙いラグナが王に照準を合わせたが、すかさずルクシエが発射の妨害に入る。
「お前は変わるべきだ。こんな王を守る意味など、何処にある!」
「お前にとってはその程度の存在だとしても、俺にとってはかけがえの無い守るべき人だ!」
今度こそ鍔迫り合いを制したルクシエは、まだ人間の面影を残した顔面を力の限り殴りつけた。ラグナは思わずよろめき、殴られた場所を抑えた。
「貴様……」
「お前は俺に変われと言った。だがな、それは俺のセリフだよ、ラグナ」強い意志を持った目が、ラグナの瞳を捉え、拘束する。「変わるべきは、お前の方だ」
ラグナはその言葉を鼻で撥ねつけた。
「相変わらずの石頭だな、ルクシエ」
腰に帯びた鞘から剣を抜き、騎士団で習う剣術の基本の構えを取った。
「……どっちがだ、ラグナ」
ルクシエもまた、同じように基本の構えを取る。
見えない火花が飛び散り、詰めては退くといったような一進一退の“暗黙の駆け引き”が繰り返される。先に油断を見せたほうの負けであることを、両者は本能の内に理解していた。一見終わりが見えない戦いに思えるが、それでも決着はつくもので、それは一瞬のうちに訪れた。
ラグナの後方、地面に倒れていた王はラグナが完全にこちらに背を向けたと同時にスタートを切った。完全に不意を突いたように見える一撃。ルクシエもそれを見、王の動きに合わせてスタートを切った。が、瞬きを終えたとき、結果は予想を大きく裏切るものだった。
「ぐッ……!」
ルクシエはくぐもった声をあげた。白刃が、彼の腹部を貫いている。
「身を呈して、王を守ったか……見上げた騎士根性だ」
白刃を抜かれると同時に遠く蹴り飛ばされる。勢いそのままに壁に衝突し、静かに地面に崩れ落ちた。一方の王は、片膝をついてじっとラグナを睨む。
「シャルロット=フランツェ=アーサー。お前の血筋も、お前自身も、今日ここで歴史から姿を消すだろう」
白刃が容赦なく王に向けられた。王は何もせず、ただ肩で息をつく。
「……遺言は?」
ラグナは王に手をかける直前、王に対し時間を与えた。王はその時間を命乞いをするわけでもなければ逃げる時間にも使わなかった。彼女は、その時間を使ってただの言葉を羅列した。
「『月夜に窯を抜かれる』とはこういうことなんだな……、“レクエス”」
王は、勝利を確信したかのように、微笑んだ。