78 大騒動の裏側で その3
お待たせしました、ギリギリ2ヶ月以内に投稿出来ました。
約13,000文字です。
5日ぶりに綾の家に戻ったらスフィルが寝込んでいた。───と思ったら元気よく起きて動き出した。
え? 病気? 違うの? 元気なの? なんで寝てるの? まさかのドッキリ?
いくつもの言葉が頭の中で渦を巻く。
時計を見ると夜8時。そろそろ寝る時間って事でもないだろう。それだとお見舞いっぽい品がたくさん積まれている説明が付かないし。
「状況が掴めないようだな。
まあいい、とりあえず座ってくれ。今説明しよう」
「あ、うん」
綾に言われるがまま、スフィルを挟んで反対側に腰を下ろす。
「なにか飲むか? こんなにあるんだ、好きなのを選んでいいぞ」
「今はいいわ。
それよりなにがあったの? スフィルはなんで寝てんのよ?」
「何故、か。
簡単に言えば、倒れたのさ」
「倒れた? スフィルが?」
「ああ。確かお前が向こうに行ってから3日目だったか。ちょうど学園祭の初日だな。
彼女を連れてあちこち見て回っている最中に、唐突にな」
「なんで……?」
「やはり忘れていたのか」
私の問い掛けに対し、あきれたようにため息を吐く綾。
やはりってどういう事よ。
「さっき彼女は倒れたと言ったが、それは正しくない。
力が入らなくなった結果崩れ落ちた、と言うのが正確なところだ」
「力が入らなくなった?」
「ああ。彼女が言うには魔力切れ、だそうだ」
魔力? あっ……!
「思い出したようだな。
彼女には定期的に"補給"が必要だという事を」
「うぁ、ごめんスフィル! 色々あってすっかり忘れてた……」
「ん? いいっていいって。忙しかったんでしょ? それにこうしてたくさんの物をもらえたし」
「……?
そういえばスフィル、魔力切れにしちゃ妙に元気だよね。
それにそのお見舞い品? の山は一体……」
積み上げられた数々の品を見ながらそう尋ねると、あっけらかんと答えてくれた。
「大丈夫だよアタシは。動くのにちょっと余分な力がいるだけで、どっか痛いわけじゃないし」
「彼女の体調についてはなんとも言えん。
本人は平気だと言ってたし、前例がない以上、その言葉を信じる他なかったのでな。
その見舞い品の山については……」
再び大きく息を吐く綾。
今度はさっきと違って、どこか疲れを感じさせるため息だ。
「学園祭の準備に彼女の手を借りたのは知っているな?
そこで彼女は獅子奮迅の大活躍をしてな。特に力仕事に関しては男性顔負け、というかそれ以上か。大量の荷物を一度に運んだり、祭りにかこつけて暴れるバカを鎮圧したりと、凄まじい働きぶりだったんだが、その中でパンチングマシンを試す機会があってな」
「パンチングマシン? なんでまた?」
「所用でボクシング部を訪れた時の、そこの出し物の1つだったんだ。
で、彼女にこれはなにかと聞かれた時に、"あの飛び出た部分を思い切り殴ってその強さを競う遊びだ"と教えたんだが……」
「そこでスフィルがやりたがった、と」
「その通りだ。
そこで彼女は記録を大幅に塗り替えるぶっちぎり1位の記録を打ち立ててな。それも部員を含めた全員の中でだ。お陰で彼女はそこじゃ姉御呼ばわりされているぞ」
「……なにやってんのよ、スフィル」
「まぁそんな事があってな。
彼女が倒れたと聞いた彼らが、どうしても見舞いたいとここまで押し掛けて来たんだ。
この見舞い品の山はまぁ、彼らの心の現われというやつだ」
つまり古い体育会系のノリでこれらを持ってきた、と。
しかもよく見ると肉類詰め合わせとかおおよそ見舞い品っぽくないものも混じってるし。肉食って早く治せってか?
「そっか……。大体分かった。
つかナニやってるかなこの子は。倒れたって割には元気っぽいからいいんだけど」
寝ているスフィルの額に手を乗せ、魔力補給をしながら呟くと、温泉につかってる時のようなほわんとした表情でスフィルが答えてくれた。
「なんかね、力が抜けてく感覚は確かにあったんだけど、途中でそれが止まったっていうか。前みたいにってわけにはいかないけど、いつもより力を入れる感じでいけば普通に動けるし」
「ふーん……?」
曖昧に返事をしながら綾に視線を向ける。
「私にも分からんよ。彼女がこちらの環境に適応しつつある、という憶測は立てられるがな。いかんせん情報不足だ。
それより春菜、薬は見つかったのか? 帰りがあまりにも遅いんで、向こうでなにかあったのかと心配してたんだぞ」
っと、そうだったね。
「ごめん、それについてはホント謝る。
あっちが大変な事になっててさ、すっかり忘れてたのよ」
「ふむ、さっきも言っていたな、色々あったと。
なにがあった?」
「えっと、話せば長くなるんだけど……。
モコちゃんにお願いしてすぐにちゃんと向こうにはついたんだけど、なんか町が誰も居ないゴーストタウンみたいになっててさ」
宿に戻るくだりからウィリィとの再会、聞かされた町の現状と討伐隊の壊滅───、と向こうで起こった出来事を順番に話していく。
ほぼ宿に篭りきりだった5日間に加えてマレイトさんからの要請までを大雑把に伝えると、喉に渇きを覚えたのでスフィルの枕元から飲み物を1本失敬して蓋を開けた。
「押し寄せるゾンビの群れか。話だけを聞くならホラー番組等の一部のようにも思えるが、向こうに住んでる人にとっては死活問題なのだろうな。
それに私に会いたいという人物か」
なにか考え込む綾に対して、町が襲われてると聞いたスフィルは不安そうな表情だ。
「ねぇ、その転移魔法陣? を使えばアタシは戻れるんだよね? だったら今すぐ行ける?」
「すぐには無理だよ。これちゃんと使えるかどうかも分かんないしさ。
それに、あっちに出口になる魔法陣もまだ置いてないから、どれだけ急いでも明日まで時間が掛かっちゃうよ」
「そっか。みんな大丈夫かな……」
焦る気持ちは分かるが、こればっかりはどうしようもない。こっちで出口の魔法陣を用意して、向こうに持って行って設置して……。モコちゃんの能力にもインターバルがあるので、どう頑張っても1日~1日半は掛かる見通しだ。
「なぁ春菜。私に用事があると言うその"マレイトさん"とは、一体どんな人なんだ?」
「マレイトさん?
んーと、雑貨店の店主さんで結構歳のいった感じのおじいちゃんだよ。多分60近いんじゃないかな。
もっとも、お店の方は趣味でやってて、本業は確か魔法陣の研究家って言ってたと思う。まぁ私からすると、趣味に走ってる研究者ってイメージかなぁ」
「ほぅ、魔法陣の研究家か。ならついでに色々と聞けるかもしれんという事だな。
……日程を調整しておくか」
「え、行く気満々?」
「前向きに検討しているだけだ。学園祭の始まった今が一番時間を取りやすいのでな」
「あ、そう言えば学園祭、始まってるんだっけ?」
「ああ。お陰で今は暇してる者も多いというわけだ。
もっともその所為で、こんな時間まで見舞いに押し掛けて来る者達もいるわけだが。
もう少し時間がズレていれば、鉢合わせしていたところだぞ?」
うわ、こんな時間にまで見舞い客が来てたんだ。危ないとこだったなぁ。
「う、ゴメン。来客の可能性は全然考えてなかったわ。
ってか、それでスフィルは寝てたのね」
「ああ、対外的には体調を崩したままという事になっているからな。普通に動けるようになったとはいえ、力が戻ってないのもまた事実だ。
と、話が逸れたな。
春菜、そのマレイトさんから預かったという転移魔法陣を見せてもらってもいいか。こちらで用意する必要があるのだろう?」
「あ、うん。ちょっと待ってて」
グリモアを取り出し中を開き、1つだけ入っている転移魔法陣を表示させる。
「これなんだけど。どう、いけそう?」
「……デカいな。それもかなりの複雑さだ。
まぁ、データに落とし込むのは今夜中にいけるとして、あとはそれの出力か。
春菜、これは紙に印刷するだけでいいのか?」
「えーっと、普通の魔法陣ならそれでいいらしいんだけど、こういう特別なやつは魔石を溶かした液で描くんだって」
「うん? 溶けるものなのか、アレは?」
「マレイトさんからそれ用の薬を預かってきてるけど……。なんでも水にうっすらと色が付く程度にまで薄めて使うらしいよ」
香水を入れる程度の小瓶に入った赤い液体を取り出し、綾に手渡した。
「ほう。匂いは……特にしないな。なんの液体だ、これは?」
「さぁ? さすがにそこまでは。
それから、溶かす用の魔石も預かって来てるよ」
「なんとまあ、至れり尽くせりだな。魔石とは本来、貴重な物ではなかったのか?」
「んー、私もそう思ってたんだけど、実はそうでもないみたい。
杖の先っぽに使うような質のいいやつじゃないなら、そこそこ手に入るって感じの事、言ってたし」
「ふむ、そうか。使い方とかは聞いてるのか?」
「これを入れた水を沸騰させて、そこに魔石を入れて混ぜるって言ってた。冷えると固まるんだってさ」
「氷を溶かすのとはわけが違うと思うんだがな……、まぁいい。
だが印刷という手段が使えないとなると、手持ちの機材だけでこれを作り上げるのは無理があるな。仕方ない、工業課の設備辺りを借りるとするか」
「え、大丈夫なのそれ?」
「急遽必要になった演出用の小道具とでも言っておくさ。あそこの方が設備は整ってるしな」
「まぁ、大丈夫って言うなら任せるけど。
んで、いつ頃出来るの?」
「そうだな、データにさえしてしまえばあとは基本的に機械任せだからな。
明日中には出来ると思うが、春菜、お前は明日、どうするんだ?」
「明日は……、留守番をお願いしてるウィリィに朝には戻るって言っちゃったからなぁ。明日の朝には一旦向こうに戻るつもりだよ」
「なるほど。
そうなると、その次戻ってきた時に渡す事になると思うが、それで構わんか?」
「おっけーおっけー。じゃ、夜にまたこっちに戻るようにするから、その時にお願いするわ」
「了解した。それまでに仕上げておこう」
「ごめん、よろしくね。
てことでスフィル、戻れるのは早くても明日の夜以降って事になりそうだけど、それでいい?」
「…………」
「スフィル?」
返事が無いのを不審に思い、視線を落とすと私の手を頭に乗せたまま寝息を立てるスフィルの姿が目に入った。
普通寝るか? この状況で……。
「……今日はここまでにした方がよさそうだな」
「そうだね。聞きたい事は大体聞けたし、なんかあったら明日の朝にまた聞くわ。
それじゃ解散って事で……」
と言って、立ち上がりかけたところで綾が私の腕を掴んだ。
「待て、どこへ行くつもりだ?」
「え? どこって、ここもひと段落したしリビングでテレビでも見ようかと」
「私の話を聞いてなかったのか? 今夜中にパソコンにデータを落とし込むと言ったろう。お前が居なくてはこの本は使えん。入力し終えるまで付き合ってもらうぞ」
「い、今から?
あーいやその、私も色々あって結構疲れてるし、今ここで紙に書き写すとかは……」
「二度手間だろうが。それにここまで複雑だと写し間違える可能性もある」
現物を見ながらやるのが一番いいんだという、綾の魔の手が私に迫る。
「え、ちょ、助け……!?」
あふぅ……ぁ。眠いぃ。
翌朝、宿の自室で大きな欠伸をこぼしていると、ウィリィが心配そうに話し掛けてきた。
「随分眠そうですネ、大丈夫ですカ?」
「うー、あんまり大丈夫じゃないかも。昨日遅くまで転移魔法陣の作成を手伝わされちゃってさ……」
つか昨日寝たのって、午前3時を過ぎてたんだけど……。うぅ眠い。
「昨日頂いたと言っていたやつですカ、お疲れ様デス。
それデ、スフィルは無事戻って来れそうなんですカ?」
平気そうにしていてもやはりスフィルが心配なのだろう。ウィリィの言葉の端々からは不安そうな雰囲気が感じられる。
「そこはやってみないとなんともね。そのためにも、まずは魔法陣を仕上げなきゃだし」
「そうですネ。ワタシとしても2度とスフィルと会えないのは寂しいですのデ、ハルナさん達には頑張って頂きたいところデス。
ですガ、無理はいけませんヨ。いくら急いで作ったとしてモ、大体10日ぐらいハ掛かるでショウ?」
「んー、そうでもないよ? 明日には出来上がってる予定だし」
「えェ!?
……さすがにそれは早すぎやしませんカ?」
「向こうはその手の技術が発達してるからね。最初の入力が面倒だけど、それさえやっちゃえばあとは全部自動でしてくれるらしいし」
「……? なんだかよく分かりませんガ、スゴイところなんですネ」
「うん、まぁね。
私の故郷がどんな場所かについては、戻ってきたスフィルに聞いてよ。絶対、連れ戻すからさ……ぅあふぅ」
そう答えながらも再び大きな欠伸を1つ。
なんだか締まらないなぁ。
「大丈夫ですカ? 今日は特に予定もないですシ、少し休まれますカ?」
「そだね、そうさせてもらうわ……」
あぅぅ、眠い。こんな調子じゃなにも出来やしない。
ウィリィにあとをよろしくと伝えると、ベッドに横になって目を閉じる。
意識が落ちるまでに掛かった時間は、ほんのわずかだった。
あっという間に時間が過ぎて、次の日の夜。
完成したでっかい魔法陣に向かい合って、荷物をまとめたスフィルが立っている。
その表情から特にこれといった感情は感じられないが、少し寂しそうな気配が漂っている。ひょっとしてもうここには戻って来られないとでも思ってるんだろうか。
「どしたの、スフィル? しみじみ見詰めちゃってさ」
「うん? なんでもないよ。
ただ、しばらくプリン食べられないなーって」
「……あっそ」
それかい。心配して損した。
プリンぐらい私が持ってけばいつでも食べられると思うんだけど……、今それを教えるのもなんだか癪だし黙っとこう。
実はこの魔法陣、綾の私室に置かれてたりする。そのサイズ故にリビングや客間に置くと急な来客の際、隠すのが難しいという理由でだ。
スペースの問題か地面に寝かせる形ではなく壁に立て掛けるようにして置かれている事を除けばその出来は見事な物で、透き通ったアクリルっぽい板の上に人の背丈と同じぐらいの魔法陣が透明度のある赤色で刻まれていた。
ちなみに予定より1日遅れなのは設置に時間が掛かったためだったりする。この魔法陣、入口出口双方の設置が必要な上、起動した側からの一方通行というややこしい仕様であるため、向こうとこちらの往復+半日のインターバルのせいで随分と時間が掛かってしまった。
魔法陣自体は綾の言ったとおり昨日の夜にはきちんと完成していたのだが……。
まぁそれはさておき。スフィルの準備も済んだので、早速起動を始めよう。
いつも通り、手のひらかざして魔力を流して───。
「……あれ?」
しばらく魔力を通してみるもすり抜けていくような感覚ばかりで魔法陣には何の変化も起こらなかった。起動中は淡く輝くと聞いていたのだが……。
「どうした、春菜?」
「いや、なんか起動しなくてさ。これ壊れてない? ちゃんと出来てんの?」
「無論だとも。データ作りには春菜、お前も協力したではないか」
「……アレって協力って言うんだ。
じゃあなんでちゃんと動かないのよ?」
「ふーむ……そうだな。この場合3通りのパターンが考えられる」
さらっと流さないでよ。今は追及しないけどさ。
「3通り?」
「ああ。
1つは魔法陣自体に間違いがある場合だ。データ入力にミスがあったか元にしたモノ自体に間違いがあるパターンだな。ただ前者はともかく後者は考えたくないな、手のつけようがない。
そして2つ目が、この魔法陣をもってしても世界の壁を越える事が不可能な場合。要はコイツじゃ駄目という事だ。なるべくならこれも考えたくはないが、可能性としてはありえるだろう。
最後、3つ目は単純にエネルギー不足が考えられる。この場合込める魔力が足りないといったところか。なんでもこの魔法陣は随分と効率が悪いらしいじゃないか。そっちの線も十分にありえるだろう」
「はー、なるほど……」
思わず感心のため息が漏れる。よくまあそんなポンポンと思いつくもんだ。
「しかし参ったな、今までが順調だっただけに動かないのは想定外だ。この場でどうにか出来ればいいのだが」
「え、なんとかなんの?」
「せっかく手に入れた手段だ、なんとかしたくなるのが人情だろう。諦めるのは出来る事をやってからでも遅くはあるまい。
まぁ、まずは原因を特定するとして……。手を付けられない2つは後回しだな。
私は入力されたデータに間違いがないか調べよう。春菜は……込める魔力を増やせたりはするのか?」
「イケるよ。さっきは普通の魔法を使うのと同じぐらいでやったし」
「そうか、頼む」
「えっと、アタシは?」
「君は……そうだな、私と一緒にデータのチェックをお願いしよう。なに、難しい事じゃない。図形を見比べての間違い探しだ」
「分かった」
グリモアを操作し見本となる魔法陣を表示させると綾達が確認を始めたので、私は私のすべき事をする。っても込める魔力を増やすだけなんだけど……。
一気に魔力を増やして、いつかのランタンの時みたく爆発されても困るので、徐々に出力を上げていくつもりだ。
今まで結構加減してたからなぁ、と思いながらも、いつもより少し増やした魔力を魔法陣に注ぐ。が、やはりなにも起こらない。
もう少し増やして再び注いで……って、これでもダメか。
んじゃもう少し、っと。───動かないなぁ。
こんなチマチマ増やすだけじゃダメなのかな。じゃ次は一気に倍レベル(体感)いってみよう。
そんな試行を何回も繰り返したが、魔法陣は一向に反応を示さない。
これじゃダメなんだろうかという考えが頭をよぎるが、すぐさまそれを振り払う。
いやいやいや、弱気になってどうする。諦めるのは出来る事をやってからとさっき綾が言ってたじゃないか。
次で絶対に動かす。これでダメなら諦めよう。
そんな思いの元に、右手の上にこれでもかというほどの魔力を束ね、叩きつけるようにして魔法陣に流し込む。
漏れ出た魔力が渦を巻き、物理的な圧力を伴う風となってローブの裾をバタバタとはためかせた。
「お、おい、春菜!」
「ちょ、ちょっとハルナ!?」
綾とスフィルがなにか言っているが、あとだあと。今は魔力の制御で忙しい。
束ねた魔力を注ぎきろうかという瞬間、ズンッというお腹の底に響くような振動を感じたのと同時に、魔法陣が淡く輝きだした。
よーっし、成功ーっ!
「……春菜、もういいか?」
「あ、うん。見てよ綾、上手くいったよ」
「そんな事は見れば分かる。それより周りを見ろ」
「え、周り? って……」
どことなく怒気を含んだ綾の声に周りを見回したところで、改めて部屋の惨状に気が付いた。
さっき吹き荒れた風のためか置かれていた小物はすべて倒れ、束ねてあったはずのメモは部屋中に吹き散らされており、横倒しになったゴミ箱からゴミが散乱していた。
「う。えっと、その……、ゴメン」
「やりすぎだ馬鹿者。やるならやると事前に言え」
うぅ、綾がおかんむりだ。ここまでやるつもりはなかったんだけどなぁ。
ついでに言うと、この副産物(暴風)も予想外だったし。
「なんか意地になっちゃって。あはは……。
……ほんっとゴメン」
拝むようにして何度も謝ってると、綾は手を振ってそれを制してきた。
「いや、もういい。過ぎた事だ。今ここで文句を言っても仕方あるまい。
それより春菜、魔法陣の光がどんどん弱まってるぞ」
「え? あっ!?」
ゆっくりとだが光を薄れさせていく魔法陣に慌てて魔力を注ぎ足すと、たちまちのうちに輝きを取り戻した。どうやら維持するだけなら通常の魔法陣の時と同じぐらいの魔力で構わないようだ。
「ふむ、維持は容易そうだな。……少しそのままで頼むぞ」
そう言うと、綾は足元に転がっていたテニスボールを拾い上げ、魔法陣に向かって投げつけた。
特に跳ね返ることもなく、ボールは魔法陣を突き抜けて消えていく。
「なるほどな。まさしくどこかと"繋がった"というわけだ」
へぇ、その場でフッと消えるんじゃないんだ。ワープ装置みたいなのを想像してたけどちょっと違うんだな。
「待たせたな、スフィル。もういいぞ」
「ん、分かった。
じゃあアヤ、アタシは行くね。今日までありがとう、楽しかったわ」
「気にするな。こちらも色々と得るものがあったんだ」
「じゃあね」
「ああ、気をつけてな」
軽く手を振ってから戸惑いもなく魔法陣に飛び込むスフィル。あっという間にその姿が見えなくなってしまう。
えらくあっさりした別れだったけどいいのだろうか。
「あぁ、ちょっと待て春菜」
続けて魔法陣に飛び込もうと、台座に片足を掛けたところで綾に呼び止められた。
「なに、綾?」
「明日の朝、もう1度ここに顔を出してくれ。少し頼みたい事があるんだ」
「頼み? それなら今聞くけど?」
「そのための準備がまだ出来てなくてな。
そうだな、10時頃に来てもらえると助かるんだが」
「ふーん、10時ね。分かった」
「すまんな、頼むぞ」
「ほいほいっと。じゃ、行ってくるね」
そう返事をして綾との会話を打ち切ると、思い切って魔法陣に飛び込んだ。
目の前に広がる魔法陣───そして一瞬の浮遊感。その後に見えたのはどこかの部屋の天井。
……天井?
と思う間もなく背中に衝撃が走り息が詰まる。
「こぱっ!?
ふ、不意打ちとは卑怯なり……」
「なに言ってるンですカ、あなたハ」
思わず漏れ出た謎の悲鳴をワケの分からん言葉でごまかしていると、ウィリィが呆れたような表情で私を見下ろしているのに気が付いた。
思わず顔が赤くなる。
「き、聞いてたの?」
「ハルナさんガ勝手に呟いたんですヨ。
それよリ大丈夫ですカ?」
「うん、びっくりしただけだから。痛いっちゃ痛いけど」
改めて辺りを見渡すと見覚えのある宿の内装が目に入る。どうやらきちんとついたらしい。床に私の設置した魔法陣が敷いてあるので、ここはウィリィの部屋なのだろう。
んでさっきの衝撃は……。
向こうで勢いつけて魔法陣に飛び込んだはいいが、こっちの出口は床に設置してあったため、向こうの勢いと姿勢のまま出口から飛び出して落下した、というとこか。
ウィリィの隣には背中をさするスフィルの姿があったので、きっと彼女も同じ目に合ったのだろう。
「なんだカ情けない再会になりましたガ、無事帰ってこれたようですネ。お帰りなさイ、スフィル」
「あはは……。
ただいま、ウィリィ」
言葉こそ普通だが、ウィリィもかなり嬉しいのだろう。その背中でパタパタ動いてる羽で丸分かりである。
「ところで、ここってどこなの? 宿にしちゃやけに広い部屋だし……」
「宿で合ってますヨ。ここハ流れる星屑亭のワタシの部屋デス」
「星屑亭……、ってあの星屑亭!?
この町で最高級の宿の1つじゃない、よく部屋を借りれたわね」
おおぅ。豪華だとは思ってたけど、まさか最高級レベルとは……。
そいやウィリィが護衛についてる事は言ったけど、宿までは伝えてなかったなぁ。
「ワタシはハルナさんのついでですヨ? 彼女の護衛ですからネ」
「ちょ、こっちに振らないでよ。
えーっとほら、この状況で営業してる宿がほぼ無くってさ。開いてる宿って事でここを紹介してもらったんだけど……」
こっちを向いたスフィルの視線が、自分だけいいとこ泊まりやがってと言ってる気がしたので、言い訳気味に説明してみた。
「それはまぁ分かるけどさ。ここって高いでしょ?」
「いや、料金は向こう持ちだし」
「え、うそ?」
「ホントホント。そもそも私がここに泊まってるのだって、領主様の紹介があったからだし」
正確に言うなら元領主様だけど。まぁどっちにしてもコネ万歳ってコトで。
「いいなぁ……。
あ。ねぇ、アタシも今夜ここに泊まれないかな? 部屋の隅でもいいからさ」
「え、泊まるの? どうしてよ」
「いや、よく考えてみたら今日寝る場所がないのよね、アタシって。
今から宿を探せるような時間じゃないし、かといって冒険者ギルドを頼ろうにも遅すぎるし」
「あーそっか。もう夜遅いんだ」
今の時間は午後9時半。外はもう真っ暗だし今から宿を探すにしても遅すぎる。それに、この状況で開いてる宿がどれだけあるかという問題もあるだろう。
うーん、向こうでもう1泊してくればよかったかな。
ああやって別れ(?)を告げてきた手前、今からまた戻るのもなんか気まずいけど、どうしようもない場合はそうするしかないかもしんない。
まぁ、スフィルを泊めるぐらい別に構わないし要らない心配だけど……と考えていると、ウィリィが先に名乗り出た。
「でしたラ、ワタシがひと晩スフィルを預かりまショウ。これだけ広い部屋デス、彼女ひとりが増えたところデまったく問題ありまセン。
ですガ、宿の方にハ話を通しておくべきでしょうネ」
「それはもちろんだけど……。
ねぇ、どっちか付いてきてくんない? アタシ1人で行くのはちょっと」
「それもワタシがお供しますヨ。
お代はスフィルの持ち帰っタお菓子ひとつデいいですネ?」
「えっ?」
「ハルナさんかラ色々聞いてますヨ? ワタシ達が大変な時に美味しいモノをたくさん食べてたそうじゃないですカ」
「でぇぇ! ちょっとハルナ、なに話してんのよ!?」
「んーほら、スフィルの事気になってたみたいだし、近状報告?」
「そこ報告してどうすんのよ、もっと違うこと報告しなさいよ!?」
「さぁ行きまショウ。そしてスフィルの荷物から美味しいモノを探すのデス。
ア、ハルナさんは先に休んでくれテ構いませんヨ。あとはワタシにお任せくだサイ」
「なんか目的変わってない!? ねぇウィリィ、ちょっと!」
ウィリィに引っ張られるようにして部屋を出て行くスフィル。
いつもよりウィリィがフランクなのは、再会の嬉しさからじゃれてるだけなのだろう。きっと。
去り際にもう休んでいいと言っていたのを思い出し、荷物を置くとベッドに上がる。
だが、ようやくスフィルを連れ帰れたという嬉しさと興奮からしばらく寝付けそうになかった。
でもって翌朝。目が覚めると既にスフィルは居なかった。
スマホの時計を見ると午前8時。少々寝過ごした感じだ。昨日、寝付けずゴロゴロしてる間に時間が遅くなってしまったのだろうか。
朝食を取りながら話を聞くと、スフィルは冒険者ギルドに顔を出しに行ったとウィリィが教えてくれた。
朝食を終え軽く聖水作りをしているといい時間になったので、綾の部屋に飛ぶ事にする。
魔法陣(ちゃんと壁に立て掛け直した)を使って移動してもいいのだが、なんとなく面倒だったのでモコちゃんにお願いしての移動だ。
そして部屋に入るといつもの部屋着姿ではなく、まるで今から仕事に行くかのようなスーツ姿の綾が出迎えてくれた。
「おはよ、綾……って、どしたのその格好。今日仕事だっけ?」
「おはよう、春菜。今日はお前と一緒に向こうに行く予定だからな、それなりに準備を整えたというわけだ」
「え? 向こうってあっちの世界の事?」
「ああ。マレイトさんという人が私と話したいと言ってるのだろう? なら早い方がいいと思ってな」
「ちょっと待ってよ、それ初耳なんだけど。
それに今からいきなりマレイトさんとこに押し掛けるつもり?」
「まさか。今日はただのアポ取りだ。その辺は人任せにしていいものでもなかろう」
「それはそうかもしんないけど……今は危ないよ。
もう少し落ち着いてからにしない?」
今向こうは、昼夜関わらずゾンビが徘徊するヤバイ場所でもある。そんな所に綾を連れて行き、もしもの事があれば悔やんでも悔やみきれない。
「危険性については聞き及んでいるが、その危険をどうにかするために話がしたいと言って来たのだろう? 危機が去るのを待っていては意味が無い。
それに、私とていつまでも時間があるというわけではないんだ。学園祭は今日を含めてあと3日しかないんでな」
「そりゃまぁ、そうだけど……。
じゃ、せめて別の町にしない?」
「は?」
ジェイルの町が危ないのなら他の町で話をすればいいじゃない、と思って提案したのだが、綾の反応は頭が痛いと言わんばかりに手を額に当て首を横に振る事だった。
なんだってのよ、一体。
「あー……春菜。心配してくれるのはありがたいが、よく考えてみてくれ。
お前の話ではゾンビというのは、仲間を増やしながら特に法則性もなく好き勝手に動き回るものなのだろう?
なら当然、他の町にも同様の危機が迫ってるはずだ。
それともゾンビ達がその町に固執する理由でもあるのか?」
「ない……、かな?
え、てするとなに? 今のこの騒ぎは世界中で起こってるって事!?」
「ゾンビ達の移動速度にもよるが、そうなる可能性は大いにあるな」
「大事じゃないの、それ……」
「その通り、大事だ。だからこそ恥も外聞もなく部外者にまで知恵を求めてるんだろう」
「うへぇ……」
思っていたよりはるかに重大な事態にため息しか出なかった。
「念のため言っておくが、対策もなく向こうに行きたいと言っているのではないぞ?
実はお前の話を聞いて少し思うところがあってな。確実に効くかどうかは分からんが秘密兵器を用意してみたんだ。私の予想が正しければそれなりに効果は出るはずだ。
それに、もしそれが駄目でも、聖水とやらを混ぜ込んだ水で身体を拭いていれば平気なのだろう?」
「う。まぁ、そうだね」
綾は行きたがっているが私は連れて行きたくない。反する2つの思いから煮え切らない返事をしていると、綾は黙ってじっと私の目を見つめてきた。
「……なぁ春菜。コイツ(魔法陣)の起動はお前にしか出来ん。いくら私が請おうが願おうが、お前が首を縦に振らねばどうしようもないのは分かっている。
お前の心配ももっともだが、それでも私は向こうに行きたいと思っているんだ。呼ばれたとか関係なしにな。それはただの切っ掛けに過ぎん。
その上で考えられる対策を練り、準備も整えた。それでもなお連れて行けないというなら私はどうすればいいんだ? 教えてくれ、春菜」
……あはは、参ったなぁ。昔から綾に口で勝てたためしがないんだよな。
「ああもう分かったよ、連れてくよ。
んでも、ヤバイと思ったらすぐに連れて帰るからね?」
「ああ、その時は私も素直に指示に従うとしよう。なにも好き好んでゾンビになりたいわけではないからな。
感謝するぞ、春菜」
「……お礼なんて言わないでよ」
若干赤くなった顔を背けるようにして魔法陣に向き直ると、右手にたっぷりの魔力を込めて魔法陣に流し込む。この前は溢れ出た魔力で部屋が酷い事になったが、今回は色々と対策済みだ。
やがて魔法陣が起動し淡い光を放ち始めると、後ろを振り返って綾に向かって手を伸ばす。
「さ、行くよ。綾」
なんだか打ち切りっぽい変な終わり方になってしまいましたが、きちんと続きます。
ちなみに遠距離通信が未発達なこの世界、アポイントメントという考え自体がほぼありません。よほどの事がない限り、いきなり押し掛け、都合が付かなければ長い待ち時間(日単位)を経て用事を済ませます。
綾もこの辺の事にはまだ気付いてません。