76 大騒動の裏側で その1
遅くなって申し訳ありません。ようやく纏まりました。
約18,400文字、2話分ぐらいの長さがあるので、読んでる途中で中だるみするかもしれません。
そして今回、ちょっぴりR-15っぽいグロさが入ります。
つたない表現なので大丈夫だとは思いますが、つい想像しちゃうような想像力豊かな方はご注意下さい。
2013/9/25 一般→市井に変更
「それじゃモコちゃん、よろしくね」
(是)
私が今いる場所は綾の家にあるバスルームだ。そこにある大きな鏡の前で、モコちゃんにお願いをする。
それと同時に、いつかの時のようにぐるりと世界が回ったような感覚に襲われた。
あらかじめ決めていた通り、今日は私が再び向こうの世界へと渡る日だ。その目的は、今この世界に居残る事になってしまっているスフィルが向こうに戻る手段を探すことである。
一番の目的はそれなのだが、そのついでとしていくつか用事を頼まれてたりもする。
具体的には宿の引き払いや、その部屋に残してあるわずかな荷物の回収だ。
今回は自分の意思での世界渡りなので、色々と準備を重ねてある。綾の協力もあって、タオルや下着、カップ麺等の携帯食料、それから化粧品に至るまで準備はばっちりだ。
当然、かなりの量の荷物になってしまったが、私にはモコちゃんがいる。この子が居れば荷物の問題は無きに等しい。
でも綾さんや、いくら荷物の問題がないからって、アレコレ押し込みまくるのもどうかと思うだけどなー。スマホ(研究室の破棄品&通話機能なし)なんて渡されても、そうそう使う機会なんてないと思うんだけど。
写真でも撮ってこいって事なんだろうか。時間潰しにも使えると綾本人は言ってたけど……。
そしてもちろんこれらはタダではない。代わりに綾からは向こうで見つけた魔法の道具や資料を出来る限り持ち帰るように要求されている。色々と調べる気満々である。
一瞬の反転感のあと、目の前の景色が薄暗い場所へと切り替わった。
目の前には大きな鏡が乗った鏡台と───これはモコちゃんが元住んでいた鏡だ、その周りには色々な小物が乗せられた大きな棚。
見上げれば天井が見えたので、ここはどこかの室内だと思われる。
なんだか見覚えのある場所だと思いながら周りを見回し、ぽんと手を打った。
「マレイトさんのお店っか、ここは」
明かりがつけられてるわけでもなく人気も感じられないので、今は恐らく閉店してるのだろう。
無事に移動出来た事に安心しながらも、まずはモコちゃんに確認をする。
確認するのは綾の部屋の鏡が分かるかという事と、今すぐ再び飛べるかという2点だ。
前者については出発前に念入りに確認したので恐らく問題ないと思われるが、後者はモコちゃんの腹具合(疲労?)次第である。
ただ単にご飯として魔力を与えるだけでいいのなら、割とすぐに飛べそうなのだが……。
我、空腹、と早速ご飯をねだるモコちゃんに魔力を分け与えつつ、2点を確認してみると、前者は無問題、後者は不可との返答を頂いた。ただ単に魔力を与えるだけではダメらしい。
なら、どのぐらいの時間を置けば平気かと聞いてみると大体半日との返答。
まあ、半日ぐらいなら1日で往復する事も出来るかと結論付け、次の行動に移るべく意識を切り替えた。
マレイトさんの店に出たのはある意味好都合だ。このままマレイトさんを訪ねてしまおう。スフィルの事を相談するに当たって、私の中で一番知識を蓄えてそうな人=マレイトさんなので、いきなりの本命だ。
「こんにちはー。マレイトさん、いらっしゃいますかー?」
奥に向かって呼び掛けてみる。
だが、しばらく待っても返事はなかった。出掛けているのだろうか。
2~3回呼び掛け、返事がないのを確認してから店を出ることにした。
仕方がない、また日を改めるか。
外に出ると、途端に差し込んだ眩しい光に目を細めた。どうやらこちらも日中のようだ。持ってきた腕時計を見ると14時半を指していた。続けてこちら側の時計を引っ張り出してみると、そのメーターは下から1/4付近(約15時)を指している。どうやら向こうとこちらでの時間のズレはほぼ無いらしい。
時計から目を離し、スフィルの荷物を回収してしまうかと宿に向かう事にする。
……なんだろうか、さっきから町の違和感がものすごい。
まず露店が出ていない。裏筋から大通りに出ても店を出しているところはひとつもなく、それどころかまったくと言っていいほど人気がない。
辺りを見回しても人っ子ひとり見当たらず、耳を済ませても時折風の流れる音が聞こえるのみだ。
まるで町から住人そのものが消えてしまったような感じだ。
まさか帰ってきたら何十年も経ってましたってオチじゃないだろうな。
そんな馬鹿げた事を考えながら宿に向かって歩き続ける。
やがて宿へと到着したが、やはりというべきか、ここにも人気はまったく無かった。
道中誰ともすれ違わなかったので、半ば予想はしていたのだが……。
「ったく、どうなってんのよコレ……」
ため息つきたい気分に襲われながらも中を見渡した。
いつも受付カウンターに座っていた親父さん、食堂の常連だったおじさん達に威勢のよかった女将さん。今はその誰もが見当たらない。
おまけにここ数日、ろくに掃除もされていないのか、机の上にはうっすらと埃が積もっていた。
この埃の溜まり具合からして、ここから人が居なくなったのは数日以内だと思われるが、一体なにがあったのか見当もつかない。
分からないものを考えてもしょうがない、っか。
誰もいない宿に勝手に入るのは少々気が咎めるのだが、一応部屋を確認しておく必要がある。
軽く頭を振って気を取り直すと、そっと2階への階段目指して歩き出した。
結論から言えば、私が借りていた部屋の荷物はそのままの状態で置かれていた。
どうやら何十年も経ったわけではないらしい。ちょっと安心した。
残してあったわずかな荷物を回収してモコちゃんに預け、続けてスフィルの部屋に入ろうとしたところで、聞き覚えのある声が響いた。
「アーっ、ハルナさん、こんなところでナニしてるんですカ!?」
この独特のイントネーションって……。
振り向いてみると、そこには3つの人影があった。そしてその中の1つはぴかぴか光る羽を背中に背負っている。私の知っている限りそんな人は1人しかいない。
「ウィリィ? 久しぶりー。
よかった、やっと人と会えたよ」
「久しぶりじゃないですヨ! 今までドコ行ってたんですカ!」
「ち、ちょっと予期せぬ里帰りをね……。それよりウィリィ、なんかあったの? なんか町の中、がらーんとしてるんだけど」
そう尋ねるとウィリィの勢いがぴたりと止まった。
「ひょっとしてハルナさん、なにも知らないんですカ?」
「う、うん。割とついさっきここについたばっかでさ、様子が変だなーとは思ってたんだけど……」
「それ、本当ですカ?」
「ホントだって。嘘ついてもしょうがないし」
「マァ、そうなんですけド……」
なにやら考え込むような動作をしていたウィリィだったが、やがて顔を上げると後ろの2人に向き直って頭を下げた。
「すみまセン、見回りの途中ですガ、ワタシはこの人に色々と説明しないといけませんのデ、ここで一旦抜けさせてもらいマス。
すぐに代わりの人を手配してもらいますのデ、すみませんがワタシはこれデ」
「あ、ああ。分かった。
一応念のため確認しておくが、怪しいヤツではないんだな?」
ウィリィの後ろに立っていた2人の男性のうち、1人が答える。
「エエ、問題ありまセン。ワタシが保証しマス。
それにこの人はエクソシストですかラ、大きな戦力になってくれると思いますヨ」
「ほう、それは頼もしいな。分かった、後はこちらでやっておこう」
「助かりマス」
去って行く男性2人を見送ってから、ウィリィに声を掛ける。
「ねぇ、ウィリィ。一体なにがあったの? それにさっき言ってた戦力って?」
「本当になにも知らないんですネ……」
「ウィリィと別れた日から今日まで、ずっとここを離れててさ。
戻ってきたと思ったら急にこんな事になってるし、一体どうなってるの?」
「そうですカ……、分かりましタ。
少々長くなりますのデ、ハルナさんの部屋にお邪魔しテモ?」
「あ、それならスフィルの部屋でもいいかな。彼女から荷物の回収を頼まれててさ」
「回収? そういえバ、スフィルは一緒じゃないんですカ?」
「こっちも色々あってね、今は別れて行動中。その辺の事もスフィルの部屋で話すよ」
「そうですカ、分かりまシタ」
ウィリィと2人でスフィルの部屋に入る。そしてスフィルの荷物と思しき物を、どんどんとモコちゃんに預けていく。
……結構数が多いなぁ。メモでも取っとかないと、なにを預けたか忘れてしまいそうだ。
「ハルナさん、スフィルと別行動中とハ、なにがあったんですカ?」
「んー、これまた説明するとややっこしいんだけど……。
以前ウィリィが言ってた"妖精郷の馬車"の話、覚えてる?」
「もちろん覚えてますヨ。ワタシが持ってきた話じゃないですカ。誰も信じてくれませんでしたケド……。ってまさカ?」
「そ。そのまさか。ウィリィを見送った日に飛び込んだ馬車がまさにソレでさ。あの時はホントどうなるかと思ったよ」
「よく無事デ……」
「うんまあ、なんかついた先が私の生まれ故郷でさ。色々あって、最終的にはこの子の力でなんとかこっちに戻ってきたんだけど……」
「エ!? ハルナさん達の故郷は妖精郷にあるんですカ!?」
「へっ?
……いや、違うから。確かに私の故郷は普通じゃいけないような場所にあるけど、妖精郷なんて場所じゃないから。ちゃんと普通に人が居るし、生活してるよ」
「そうなんですカ? でも話を聞く限りでハ、それは妖精郷と変わりない気もしますケド」
「……あれ?」
確かに異世界って意味じゃ、妖精郷ってとこと大差ないような気はするけど……。
「えっと……、んー? ゴメン、私にもよく分かんなくなってきた。
まあ、その話は置いといて。それで、この子の力じゃ私だけをこっちに送るのが精一杯で、スフィルがあっちに取り残される形になっちゃってさ。
あっちじゃスフィルを送り返す方法が見つからなかったから、その方法を探しに私がこっちに来たってわけ」
「スフィルは大丈夫なんですカ?」
「大丈夫……、のはず。あっちにいる私の友達に面倒を頼んできたから。でもやっぱり、時折寂しそうにしてるかな」
「そうですカ……」
「まあ、私も様子見に時々向こうに帰るつもりだしね。なにか伝えたいことがあるなら伝えとくよ。
そんなわけでウィリィ、唐突だけど人を仮死状態……一時的に死んだような状態になる薬とかって知らない? スフィルをこっちに連れ戻すのに必要なんだけど」
「一時的に人を死んだようニ……ですカ?
うーン、残念ながらワタシに心当たりはないですネ」
「そっかぁ……」
まあ、そう簡単には見つからないか。となると、やっぱり頼りになりそうなのはマレイトさんなんだけど。
「ってそうだ、町ががらーんとしてるのってなにがあったの? マレイトさんに薬の事相談しようと思ってたんだけど……」
「マレイトさん? って誰ですカ?」
「あぁ、ウィリィに紹介してないんだっけ。この町で雑貨店を開いてるおじいちゃんで、あと魔法陣の研究家とか言ってたかな。色々と知識が深そうな人だから、今回の件で結構アテにしてたんだけど」
「町に住む市井の人ですカ。それなラ皆、最寄の町へと避難されてますヨ。そのマレイトさんという方も、どこかに避難してるんじゃないでしょうカ?」
「避難?」
「エエ、避難でス。
ハルナさんはまだ事情を知らないようですのデ、最初から説明しますガ……。
そうですネ、これも以前の打ち上げの時の話になるのですガ、動く死体が増えてきてイテ、その討伐隊が組まれるという話があったのを覚えてますカ?」
「覚えてるよ。確かウィリィも志願するとか言ってたやつだよね?」
「その通りデス。そして討伐隊が動く死体の討伐に赴き……、そこで負けてしまったんですヨ」
「え? 負けた?」
「ハイ。それはもう完膚なきまでニ。逃げ帰ってきたのがわずか十数名でしたのデ、全滅と言っていいぐらいですネ」
あんな素早さってナニっていうレベルの、トロトロとしか動かない死体相手に負けた?
「うそぉ、あんな私でも勝てる相手に……?」
「事実負けてしまったんですヨ。そして討伐隊に加わった約700名を取り込み、最悪の軍団となって戻ってきまシタ」
「戻ってきたって、ひょっとして……」
「そうでス。今この町には、大量の動く死体が押し寄せてる真っ最中なんですヨ」
……マジっすか。
「なるほど、それで"戦力"っか……」
確かあのゾンビには、私の作った聖水を使って対処をしたはずだ。それに私の持つ大鎌も、当たれば一撃必殺の威力を持っていた。
「分かってもらえましたカ」
「まぁ、大体は。のん気に薬を探してる場合じゃないって事は分かったよ。
それに、私もなにか手伝った方がいいって事もね」
「手伝ってもらえるンですカ?」
「ここまで聞いといて、放っとくのもどうかと思うし。
それに、さっきの"戦力"って言葉。そんなのが出てくるって事は、まったく人手が足りてないんでしょ?」
あまり目立った事はしたくないが、手を出しあぐねた結果、この町はゾンビでいっぱいのリアルゴーストタウンになりました、なんて事になったら目も当てられない。
それに、この町はこっちの世界に来てから初めて辿りついた町でもあり、2ヶ月弱暮らした町でもあるのだ。なので当然、それなりに愛着が湧いている。ここで見捨てるなんていう選択肢はない。
「そうですガ、ちょっと違いますネ。
確かに手は足りないんですガ、それはある一部に限っての話デス。ですからハルナさんが手伝うとしたラ、恐らくそこになると思いマス」
あ、あれ?
「ハルナさんは聖水を作れますよネ? 宝石持ちのエクソシストでもあるわけですカラ」
「まあ、そのぐらいなら簡単に出来るけど……」
「今足りないのハ、その聖水なんですヨ。今も他の宝石持ちの方々が必死に聖水を作り続けてますガ、作られる量より使う量の方が遥かに多いんデス。今はまだ蓄えがあるのでなんとかなってますガ、このままだとそう遠くないうちに尽きてしまうでショウ。
動く死体相手に武器を振り回すのはワタシ達でも出来ますガ、聖水を作るのはハルナさん達にしか出来ない事なのデ、多分これをお願いする事になると思いマス」
なるほどね。私にしか出来ない事を、っか。
「そっか、分かった。いっぱい作っとくから、そっちは任せといて」
「まだそうと決まったわけではないですガ、無理のない範囲でお願いしますヨ。
まァ、まずは領主様のところに向かいまショウ」
「え、領主様? なんで?」
「ハルナさんは冒険者ギルドや魔術師ギルドに登録しているギルド員ではないですからネ。市井の人の協力者はそれとは別枠で領主様が管理しておられマス。そこに登録しておけバ、あとで領主様から褒章が出るはずですヨ。
それニ、避難した人達の行方も領主様が管理なさってマス。ハルナさんの探しているマレイトさんという方の居場所モ、ここで聞けば分かるはずデス」
「あ、確かにそれは調べときたいかな。ありがと、ウィリィ。早速その領主様の館まで行ってみるよ」
「どういたしましテ。でハ、向かいましょうカ」
スフィルの荷物の回収はとっくに終わっていたので、早速行くかと椅子から立ち上がったところで、ウィリィも一緒に席を立つ。
「向かいましょうか、ってウィリィ、一緒に来るの?」
「もちろんですヨ。
今、町がこんな状態ですからネ。ハルナさんが1人で町を歩くト、不審者として最悪の場合は捕まってしまいマス」
「うげ。それは勘弁して欲しいなぁ……」
「そのためにワタシが一緒に行くんですヨ。ワタシが付いていれバ、そんな心配はありませんのデ」
「う、手間取らせてゴメン。
でもウィリィって色々と詳しいね。お陰で助かるよ」
「気にしないでくださイ。やりたくてやってる事ですからネ。
それニ、ワタシの主な役割は伝令と見回りですかラ、こういった話を聞く事が多いんですヨ。お陰で色々覚えてしまいましタ」
「そ、そうなんだ……」
「ところデ、忘れ物はありませんカ?」
ウィリィにうながされ、ざっと部屋を見回し回収し忘れがないかを確認する。
……よし、問題なし。
「大丈夫、全部回収したよ」
「分かりましタ、では行きまショウ」
宿を出て、セルデスさんの屋敷に向かって歩く。目指す屋敷はもうすぐそこだ。
途中でパトロールらしき人と何度か遭遇したが、ウィリィが取り成してくれたお陰で特にトラブルもなくここまで進んでこれた。
久々に目にするセルデスさんの屋敷の扉をノックをすると、いつものようにグリックさんが出て来てくれた。
がらんとした町を見てきた後だけに、たったこれだけの事がなんだか無性に嬉しく感じてしまう。
出迎えてくれたグリックさんに用件を伝えると、すんなり中へと通された。このまま領主であるマーリスさんと面会かなと思っていると、通された先にいたのはセルデスさんだったのでちょっと驚いた。
グリックさんが言うには、マーリスさんは今、魔術師ギルドの方に出向いての会議中らしい。
「こんにちは、セルデスさん。ご無沙汰してます」
「久しぶりだね、ハルナ君。そちらの君は……、確か伝令係だったかな?」
「ア、はい。伝令係のウィリリスと申しマス。今回はハルナさんの付き添いとして参りましタ」
「そうか、ご苦労だったね。
時が許せば色々と積もる話を片付けたいのだが、今はこんな状況だ。早速本題に入らせてもらおう。君達の用件は確か人探しだったね?」
「はい、そうです。その人の名前はマレイトさんで、この町で雑貨店を開いてました」
「ふむ、マレイトか。
グリー、至急避難者の名簿を調べてくれ。雑貨店の店主で名前はマレイトだ」
「かしこまりました」
「それかラ、ハルナさんを市井の協力者とシテ、登録をお願いしたいのですガ」
「ほう。確かハルナ君は宝石持ちのエクソシストだったな。協力してくれるなら心強い事この上ないが……、ハルナ君はそれで構わないのかな?」
「はい。私もこの状況は見過ごせませんので、お手伝いさせていただきます」
「分かった。
すまないがよろしく頼む。代わりといってはなんだが、出来る限りの便宜を図る事を約束しよう。手続きについてはこちらで済ませておくので気にしなくていい」
「ありがとうございます、助かります」
「礼をいうのはこちらの方だ。
ところでハルナ君、君はこれで今回の件の関係者となったわけだが、話はどこまで聞いているのかね?」
「どこまで、と言われましても、そんな詳しくは。
討伐隊が負け、動く死体が群れとなって町に押し寄せてる最中で、町の人達が他所に避難していっている、ぐらいですね」
「ふむ。では討伐隊が負けた理由は?」
「いえ、そこまでは。ただ単に負けたとだけしか聞いてないですね」
「そうか。
それなら私から伝えておくとしよう。これは今回の件でかなり重要な点でね、これを知らないと最悪命にかかわる場合もあるんだ。
と、その前に……。ハルナ君、君は動く死体を見たことは?」
「以前に一度だけ。冒険者ギルドの手伝いで見ました」
「ふむ、見たことがあるか。それなら話は早いな。
なら君は、討伐隊が負けたという話を聞いた時に、何故と思ったのではないかな?」
「思いましたよ。あんな動きの鈍い相手に負けるって、一体なにがあったんだって」
「やはりな。私もそう思ったよ。
報告によれば事実、討伐隊はこれといった被害もなく動く死体を殲滅していたそうだ」
だよねー。あんな相手に負けるほどプロは弱くないよね。
「相手の数は多いが、この調子ならもう2~3日もあればすべて片付く。そう思っていたらしい。
だが、その日の夜に異変が起こった。就寝中だった討伐隊員が呪いを発症し、別の討伐隊員にいきなり襲い掛かったそうだ。それも1人や2人だけではなく、討伐隊のおよそ半数以上が呪いを発症したらしい。
討伐隊が壊滅するまであっという間だったそうだ。
無論見張りは立てていたが、見張りは主に外に対して注意を払うものだ。内部の異変に気付くのはかなり遅かったらしい。気付いた時にはもうどうしようもなく、無事な人を集めて逃げ帰るしかなかったと聞いている」
うげー、まるっきりホラー映画じゃない、それ。
「君も知っていると思うが、呪いが発症するのは、呪いに犯された者に傷付けられた時のみだ。それに万一、呪いに犯された者に傷付けられても、聖水等を使って適切に処置すれば呪いを発症せずに済む───これは冒険者ギルドより送られてきた情報だな。よって、傷を受けたまま隠していた者も居なかったはずだ。
マーリスからこの事を相談された時は、私は頭を抱えたよ。
原因が分からず、その場に居合わせただけで呪いに犯されるかもしれない、なんてことを発表すると最悪、町が恐慌状態に陥ってしまうからね」
「その原因って、今は分かってるんですよね?」
もし原因が分かってなかったら怖すぎる。油断してたらいきなり隣人がゾンビ化して襲ってくるかもしれないって事じゃない。
「ああ。つい最近判明したのだがね、原因は虫だったよ」
「虫、ですか?」
「雨が降る前なんかによく固まって群れている、名もなき小さな虫だよ。ハルナ君も見たことぐらいあるのではないかな?」
あー、歩いているといつの間にか群れの中に突っ込んでて、顔の前で手を振り回すハメになるアレね。
「ありますね……、あんまりいい思い出はないですが」
「はは、それは私もだ。
とにかく、その虫が呪いを運んできたのが原因だったようだ」
「つまり、虫刺されが原因ですか」
「そう言ってしまうと、なんだか大した事のないように聞こえてしまうが……、まあその通りだよ。
今は対策として1日1回、聖水を薄めたもので全身を清める事で、虫による呪いの伝達を防いでいる状態だ。ハルナ君も今この町に滞在するからには、これを怠らないでほしい」
「はい、分かりました」
そのゾンビ化の呪いが私に通用するかはともかく、1日1回体をきれいにするのは大賛成だ。
ついでに聖水が不足している理由もよく分かった。今この町にどれだけの人数が残っているかは知らないが、ゾンビを倒すのに使い、体を清めるのに使いとしていたら、いくら量があっても足りないのは当然だろう。
「そうすると、私の役目は聖水作りですか?」
「ああ、恐らくそうなるだろうね。またなにかあれば追って連絡するが、当面は聖水作りをしてもらう事になると思う。
なにせこれは、君達宝石持ちのエクソシストにしか出来ない事だからね」
ウィリィの言っていた通りっか。まあ、精々大量に作るとしよう。
「それからこの件が終わるまでの間、ハルナ君には1人、専属の護衛が付くことになるが了承してもらいたい。今、宝石持ちエクソシストの存在は非常に重要なのでね。これは万一の事が無いようにとの備えでもある」
う、護衛かー。そういう煩わしいのは出来れば勘弁してほしいんだけどな。色々と気を使いそうだし。それに、人に見せたくない物とかも結構あるしなぁ。主にあっち製の道具とか、モコちゃんによる世界間移動とか。
でも、そんな事情なら理由もなく断るわけにもいかないし……。うーん、困ったな。
いっそウィリィが付いてくれればいいんだけどなー。でも彼女は彼女で仕事があるし。
……って、そうだ。
「……分かりました。ですが、護衛に付く人をこちらで指名させてもらっても構いませんか?」
「もちろん構わんよ。出来る限り要求に応えよう。まあ、この国の騎士団長などといった無茶な要求には応えられんがね」
「そんな無茶は言いませんって。私が指名するのはこのウィリィです」
「ほう、彼女かね。
……ふむ、彼女は確か冒険者ギルド所属だったな。本人さえよければ私としては文句は無いが……」
「ワタシなら問題ありまセン。喜んで引き受けさせていただきマス」
「分かった。では君に護衛をお願いするとしよう。ハルナ君のことをよろしく頼む。
今までの仕事の引継ぎに関しては、こちらから手を回しておこう」
「分かりましタ。全力で勤めさせていただきマス」
よっし、これで気兼ねする必要の無い護衛ゲットっ。
───と、その時響くノックの音。
「お待たせしました、セルデス様」
ノックと共に入室してくるグリックさん。マレイトさんは見つかったのだろうか。
「遅かったな、グリー。それで、どうだった?」
「申し訳ありません。避難者の名簿すべてを調べたのですが、マレイトという名前は見付からずに手間取ってしまいました。
ですが、続けて協力者の名簿の方を調べたところ、そちらの方に名前が載っておりました。
マレイト・エークトル、58歳、雑貨店店主とあります。恐らくこの方ではないでしょうか」
「ふむ、ご苦労だったな。
どうかな? ハルナ君。その人で間違いないかね?」
マレイトさんて苗字、っつーか家名だっけ? あったんだ。初めて知ったよ。
「家名は聞いたことないですけど、名前と年齢からして多分その人だと思います。今どこに居るんですか?」
「協力先は魔術師ギルドとなっておりました。恐らくそこで寝泊りされているものと思われます」
「魔術師ギルドですか……。分かりました、ありがとうございます」
そう言えば確かマレイトさんは昔、魔術師ギルドの関係者だったとか聞いた気がする。そんな場所に居るのはその繋がりだろうか?
「ああ、そうだ。これを渡しておかないとな」
微妙に思考が逸れて掛けたところで、セルデスさんが封書のような物を手渡してきた。
なんだろうか、これは?
「君が協力者である証のような物だよ。それを持っていれば色々と自由に動けるはずだ。
まあ、まずはそれを持って"流れる星屑亭"という宿を訪ねるといい。部屋を1つ融通してもらえるはずだ。
なにぶん、町がこの状態なのでまともに営業している宿がほぼなくてね。場所は……」
「ア、それならワタシが知ってますのデ、案内しておきますヨ」
「そうか。では君にお願いするとしよう」
「お任せくだサイ」
丁寧にお礼を言って、セルデスさんの元を辞した私達は、ウィリィの案内に従って、流れる星屑亭を訪れた。
私が長らく滞在していた月夜の白兎亭と比べて、より町の中心に近い場所に位置するこの宿は、かなり高級な部類に入るようで、見た目も広さも段違いである。
中に居た宿の主人らしき人にセルデスさんから預かった封書を見せると、中をあらためたのちに満面の笑顔で1つの部屋に案内してくれた。
い、一体なにが書いてあったんだろう……。
宿の外見から予想した通り、案内された部屋は今まで使っていた部屋と比べて倍ほど広い部屋だった。ここを自由に使っていいという。しかも料金は向こう持ちだというから驚きだ。
これも図ってくれた便宜の内の1つなんだろうか? セルデスさんの権力すげー。
部屋に入って一息ついたところで、これからどうしようかと考えを巡らせる。
なお、ここまで案内してくれたウィリィは、最後の仕事として配置変更を伝えに伝令として走っている。自分で自分の辞令を持って伝令に行くというなんだか奇妙な事になったが、きっとそれが一番早いのだろう。
そのついでとして、以前作ったまま放置していた聖水を持って行ってもらった。たかだか小瓶15本程度だが、少しは足しになるだろう。
とりあえず、私の今からの行動指針としては、1.マレイトさんの元を訪れて当初の目的どおり薬の情報を探す、か、2.緊急度が高そうな聖水作りを始める、の2択なんだけど……。
まあ、普通に考えたら2の聖水作りだよね。いきなりマレイトさんの所に押し掛けても会えるかどうか分からないし、もしかしたら忙しいかもしれないし。
明日辺りにアポイントメントを取りに行って、実際に会うのはこの騒ぎがひと段落してからってとこかな。
よし。そうと決まれば、早速聖水作りだ。
宿の主人にお願いして湯浴み用の大きなタライ(家庭用プールサイズ)を貸してもらい、『湧水』の魔法で水を汲み、腕を突っ込んでぐるぐるとかき回していく。
これだけで聖水が出来るのだから超がつくほどお手軽だ。もっとも、この方法が使えるのは私だけのようではあるが。
他の人はもっと大変なんだっけ、と考えながらしばらく手を動かし続け、20分ほどかき回してから引き上げる。
───と、しまった。作ったはいいが、入れる器を用意してなかったな。それに、どのぐらいの量が必要かも聞いてなかったし……。
まあ、入れ物はあとでウィリィにお願いするとして、量に関しては……足りなかった時の事を考えて、もう少しだけ作っておくのがいいか。
となると、大タライをもう1つ、っと。
再び宿の主人の元を訪れ、同じ物を借りれないかと聞いてみたのだが、この宿にある大タライ3つのうち、残り2つは使用中で使えないと言う。代わりになにか水を汲めるものはないかと尋ねて出てきたのは、掃除に使うような大き目のバケツが2つ。
まあ、水が汲めるならこれでもいいかとお礼を言ってバケツを借り受け、聖水作りを再開する。
その2つ目のバケツに手を突っ込んでるところでウィリィが戻ってきた。部屋に入るなり目を点にするウィリィ。
「……なにをしているんですカ? 部屋の掃除ですカ?」
掃除と間違われてしまった。
まあ、バケツに手を突っ込んで、ぬかみそよろしく中をぐるぐるとかき回してる姿を見て、聖水作りをしてるなんて誰も思わんわな。
なんか以前にもこんな事あったなーと思いながらも聖水作りだと説明したが、なんだか納得いかなさそうな感じだ。
「はァ、なんと言いますカ……随分とお手軽ですネ」
「あはは、そう遠慮しなくていいよ。前にスフィルにも、神秘性のカケラもないって言われたことあるし。それに、私もこれはどうかと思う」
笑いながらそう返したところで時間が来たので、バケツから手を抜いて持ってきたタオルで手を拭う。
「はい、完成。これだけあれば足りるかな? あ、ちゃんと洗ってあるから大丈夫だよ」
そう言ってウィリィの前にバケツを突きつけてみたが、反応がイマイチかんばしくない。
やはり少なすぎたのだろうか。
「ひょっとして足りなかった? 一応あっちにもまだ作っておいてあるんだけど……」
部屋の隅に寄せてある、聖水の詰まった大タライとバケツその1を指差してそう伝えると、ウィリィの顔が見るからに引きつった。
「あノ、ハルナさん? あの中身はひょっとシテ全部……?」
「うん、全部そう。これだけあったら多分足りると思うんだけど」
「多すぎですヨ! 1人が1日で作れる聖水の量を遥かに超えてますよコレ!」
1人が1日ってナニ? 1人の宝石持ちエクソシストが1日に作れる聖水の量って事か?
「え……っと、以前聞いた話だと確か、大きな容器に水を汲んで作るって聞いたから、このぐらいどうって事ないと思ってたんだけど……」
「そんナ国に1人居るか居ないかといった超一流を基準にしないでくださイ。イエ、その人にだっテ、ここまでの量は作れませんヨ」
そうは言われてもなぁ……。
「でも、今かなり切羽詰ってるんでしょ? このぐらいの量は必要なんじゃ」
「確かにそうですケド!
……いエ、違いますネ。今そんな事を言ってる場合じゃなかったですヨネ。
すみませんハルナさん。あまりの量に驚いて大声を上げてしまッテ。
ですガ少しばかり問題もありますヨ? 確かニこれだけの量があれバ、聖水不足の問題ハほぼなくなると思いますガ、コレは確実に目立ってしまいマス。
ハルナさんは確か、目立つ事を嫌ってませんでしたカ?」
「いや、目立つってより、それにくっついてくる面倒事を避けたいだけだよ。
後々色々とありそうだから、出来れば出所をごまかしといては欲しいけど……、無理ならいいよ。私のこと言っちゃって」
「いいんですカ?」
「あんまりよくはないんだけど、ここで出し惜しみをして町が壊滅しましたじゃ笑い話にもなんないし。その時は仕方がないと思う事にするよ」
「……分かりましタ。この聖水はワタシが責任を持って運ばせてもらいマス」
「よろしくね、ウィリィ」
まあ、もしバレたらバレたで、聖水作りに特化してるとでも言い張ろう。ある程度の面倒が舞い込んで来るかもしれないが、それはもう仕方のない事だろう。
「しかシ、これだけの量をどうやって運びましょうカ」
「うーん、実は全然考えてなかったり。
今からちまちま小瓶に移し替えるのもねー。それに、そんな数の空き瓶なんてすぐには用意出来ないだろうし……」
「となるト、アレを使いますカ。少し待っていてくだサイ」
アレってなんだろう、と思う間もなくウィリィは部屋を出て行くと、5分も掛からずに大きな荷物を抱えて帰ってきた。
「……酒樽?」
「違いますヨ!」
ウィリィが言うには、これは馬車に取り付ける水タンクのようなもので酒樽ではないらしいのだが、私からすればこれはどう見ても酒樽である。
確かに、液状の物を運ぶといった点では間違ってはないのだろうが……。
外見的にいいのだろうか、これ。
まあ、そこは私が気にする事でもないし、他に案もないのでこれを使う事にする。
漏斗のようなものを使ってバケツから樽に聖水を移し、一杯になれば次の樽を準備する。それを数度繰り返した結果、中サイズの樽3つを満タンにしてようやく作った聖水すべてが納まった。
その足元に積み上げられた聖水in酒樽を見てウィリィが一言。
「なんだカ、聖水には見えませんネ」
あんたが言うな。提案した張本人。
持って行くなら早い方がいいということで、作った聖水は今から運ぶ事になった。
それには私も付いていくつもりだったのだが、本人が居るとごまかすのが難しくなると言うので運搬はウィリィに任せる事にする。
一応ちゃんとごまかす努力はしてくれるらしい。
ウィリィを手伝い樽を転がして外に出ると、外は既に真っ暗だった。時計を見ると午後7時。いつの間にか結構な時間が経っていたようである。
馬車を呼んでもらって樽を乗せ、ウィリィを見送ってから部屋に戻るとなんだかお腹が空いてきた。
そう言えばこんな高級そうな宿でご飯食べるのは初めてだっけ。ふふ、なにが出てくるか楽しみだ。
「ウィリィ、ちょっといい?」
私が部屋を借りている星屑亭の、隣の部屋に引っ越してきたウィリィの部屋の扉を叩く。
時刻は午後11時。真夜中と言ってもいい時間だ。本来ならば人の部屋を訪ねていい時間帯のではないのだが、今は少々急を要する事態だ。勘弁してもらいたい。
「……はイ、なんですカ、ハルナさん?」
少しのタイムラグの後、ギィ、と扉を開けてウィリィが顔を出した。なんだか目元がしょぼしょぼとしているので、ひょっとしたら今から寝るところだったのかもしれない。
ちょっと悪い事したかなと思いながら要件を切り出す。
「遅くにゴメン。ちょっと緊急でさ。
実はこの近くで、動く死体がうろついてるっぽいんだけど、放っとくわけにも行かないでしょ? ちょっとついてきてくれないかな?」
「エ? ちょっと待ってくだサイ、なにか見たんですカ?」
「いや、目で見たわけじゃないけどね。私ってほら、そういうのに敏感だから」
ゾンビのにおいを感じ取ったのはついさっきだ。以前感じたのが1度だけとはいえ、このゴーストと呪いの入り混じったような感覚は、間違いなくあのゾンビである。
1人でさくっと排除するという選択肢もあったのだが、ウィリィは私の護衛という扱いなので、勝手に行動するのはマズイだろう。
まあ護衛といっても、常に私の近くで待機し不寝番までするような本格的な物ではなく、外出する際に必ず連れ歩くといった程度の物なのだが。
「となるトまたですカ……。分かりましタ。出る準備をしてきますのデ少しだけ待っていてくだサイ。さすがに見過ごせすワケにはいきませんシ」
「え、またって頻繁にあるの?」
「あるんですヨ。一応町の周りを見回り組が巡回してはいますガ、小動物や虫までは止め切れませんからネ。知らない間に入り込んでハ、中で動物相手に呪いを撒き散らすんですヨ。これが今大きな問題となってるんデス。
……と、ゆっくりお喋りしている場合じゃないですネ。すぐに準備しマス」
あー、あの鈍い動きでどうやって見つからずに町に入ってきたのかと思ったら動物っか。ずっとヒト形のゾンビだと思ってたよ。あ、でももしチワワみたいな可愛い犬ゾンビだったらどうしようか。……いや、余計に不気味か。
くだらない事をつらつらと考えていたら、引っ込んでいたウィリィが部屋から顔を出した。どうやら準備は終わったらしい。
「お待たせしまシタ、行きまショウ。場所は分かりますカ?」
「大雑把にならね。案内するよ」
「ハイ」
宿を出て、においを頼りに暗い町を並んで歩く。明かりは宿の備品として置いてあった魔法式のランタンだ。それを私とウィリィの2人でそれぞれ1つずつ手にしている。
昼間の時でさえ人気がなくさびれた雰囲気を漂わせていた町が、夜になるといっそうとその不気味さを増していた。
今驚かされると飛び上がる自信があるな、と妙な事を考えながら歩いていると、においが大分強くなってきた。
相手は近い。
ウィリィにその事を伝えて警戒するように促すと、ランタンを掲げて辺りを見渡した。
特にこれといったものは目に入らない。
だが、近くに居るのは間違いない。なら恐らく、物陰かなにか直接目の届かない場所に居るのだろう。
建物の隙間1つ1つをランタンで照らすようにして周囲を調べていく。
1つ、2つ、3つ。隙間を覗き込むようにして確認していき───そして発見。いた。
暗闇の中、建物同士の隙間といった細い路地道で倒れている人影が見えた。
……あれ、人影? 動物じゃない?
妙な引っかかりを覚えたので、近寄る前によく見てみようとランタンを掲げ───
「うげっ」
思わず妙な声がでた。
うつ伏せで倒れていたのは1人の男性だった。そしてその足元に群がるようにして5匹の大きなネズミ(胴回りがハンドボール程もある)が男性の足に齧りついている。
その足は"ぬちゃぬちゃ"の"ぐちょぐちょ"といった表現がよく似合う有様になってしまっており、暗くてよく見えないが恐らく地面には血溜まりが出来ているだろう。
明かりに照らし出されてもなんとも思わないのか、ネズミ(?)達は一心不乱に男性の足を齧り続けている。
「退いてくださイッ!」
放心してたところに、後ろからウィリィの鋭い声が飛ぶ。
反射的に1歩横へ踏み出すと、さっきまで私が立っていた位置に幾本もの光の線が走った。見れば、ウィリィの手元にいつの間にか魔法陣が描かれており、そこから伸びた何本もの光の糸がネズミ達をがんじがらめに縛り上げていた。
続けてウィリィは残った片手を使い、懐から小さな瓶を取り出すと、その中身をネズミ達に向かって振り撒いた。
しゅうぅぅ、と白い煙がネズミ達から立ち昇る。
「ハルナさん、こいつラ動く死体でス!」
なるほど、今のは聖水か。となると、すべき事は……。
「ウィリィ、そのままっ」
「ハイッ」
縛られたネズミ達に向かって駆け寄り、右手に出現させた大鎌を一閃。
あっけなく光の糸ごと真っ二つになるネズミゾンビ達。
「お見事でス、ハルナさん」
「相手が動かなかったからね。それよりウィリィ、その人は?」
真っ二つになったネズミゾンビをジッと見ていたウィリィだったが、声を掛けると倒れている男性の手当てを始めた。
気を失っているのか、男性はピクリとも動かない。
「この人……」
男性の顔を見るなりそうつぶやくウィリィ。
「なに、ウィリィ。知り合い?」
「ワタシの伝令仲間だった人ですヨ。確かナーフさんでしたカ」
「伝令? こんな場所で?」
「なにか急ぎの用事があったのかもしれませんネ。裏道に詳しい人でしたカラ、きっと近道しようとしたのでショウ」
「なるほど……」
ここは狭いわネズミゾンビは転がってるわでロクに手当ても出来ないので、とりあえず広い場所に連れ出して改めて傷の様子を見る。
何度見ても酷い怪我だ。この手のグロさには慣れている私でも思わず顔を背けたくなってしまう。
「息はまだありますガ……、このままだとマズイですネ」
確か、ゾンビに傷を負わされた人は呪いが感染して、その人もいずれゾンビとなってしまうんだっけ。この人が受けた傷は傷というレベルではないが、呪いが感染するには十分すぎる程のものだろう。
うっすらと開いたまぶたの隙間から覗く、焦点の合わない濁った瞳がかなり怖い。
……まだ大丈夫だよね? 染まりきってないよね?
「ウィリィ、さっきの聖水ってまだ持ってる?」
「あと3本残ってますガ……」
さすがにこのまま見捨てるわけにもいかないので、今この場で治療してしまう事にする。いつかのファーレンさんの時より怪我は酷いが、聖水さえあるならなんとかなるはずだ。
「ごめん、ちょっと借りるね」
「どうゾ」
大鎌を消し、モコちゃんに出してもらった指輪ケースから『負傷治癒』の指輪を取り出すと、それを左手にはめて準備完了。そのまま左手で魔法陣を展開し、右手に持った聖水を垂らしながら治療を始める。
ぐちゃぐちゃになった足に聖水が掛かり、白い煙が上がる度にびくびくと体が跳ねるが、こればかりはどうしようもない。不意に蹴り上げられる事の無いように注意を払いつつ、慎重に治療を進めていく。
こういった同時進行的な作業をする時には、集中する必要がなく、ただ魔力を流すのみで発動する道具は非常にありがたい。
結果、聖水は3本とも使い切ってしまったが、なんとか足の治療は完了した。未だ気を失ってはいるが妙なにおいは感じないので、実はゾンビ化していて目覚めた途端暴れだす、なんて事にはならないだろう。
それにしても、あのレベルの怪我がきれいに治るとか魔法ってホントにスゴイと思う。こっちの世界だったら足を切り落とすレベルだと思うぞ、あれは。
「凄いですネ。あの傷を治してしまいますカ」
治療を終えてひと息ついてるところで、ウィリィが話し掛けてきた。
「スゴイのは魔法でしょ。使うだけであんな傷がきれいに治っちゃうんだし」
「違いますヨ。ハルナさんがさっき使った魔法は、治す傷が深ければ深いほど魔力をたくさん使うものデス。
ワタシでしたラ、そこまで治す前に魔力が尽きて倒れてますヨ。
それとも、その指輪のお陰ですカ?」
そういえば、ウィリィに指輪を見せるのは初めてだっけ。
「違うよ、これはただの杖の代わり。
魔力はまぁ……、私はちょっと特別で、使っても減らないというかなんというか。
その辺の理由は自分でもよく分かってないから、あんまり聞かないでくれると助かるんだけど……。というか、答えられないから」
「はァ、そうなんですカ」
以前王都に行った時に、その辺の事をシア先輩に聞いたのだが、正直"世界"がどうこうといった話を説明しきる自信がない。
「それより、この人どうしようか。このままここに寝かせておくわけにもいかないでしょ?」
「そうですネ。
……とりあえずワタシ達の宿まで連れて行くことにしまショウ。そこデ一旦ワタシの部屋に寝かせて置いテ、それかラ人を呼びに行ってきますヨ」
「え、今から? もう遅いし明日でいいんじゃない?」
「なにカ急ぎの用件があったかもしれませんからネ。その辺の確認も兼ねテ、ワタシが行ってきますヨ」
そっか。この人は急ぎの用件を預かってるかもしれないんだっけ。
「それもそっか。
でもなんか、ウィリィにばっかり負担掛けてるようで申し訳ない気が……」
「気にしないでくだサイ、これがワタシの役目ですかラ。それよりもまずはナーフさんを運んでしまいまショウ。
……すみまセン、1人じゃ辛いので手伝って貰えますカ?」
ウィリィがナーフさんを抱え上げようとしてよろめいていた。
確かに華奢なウィリィ1人じゃ大の大人を抱え上げるのは無理があるだろう。私も慌てて手を伸ばす。
結局、私とウィリィの2人で挟むようにして抱え上げ、2人の肩に手を回してもらう形でナーフさんを運ぶ事になった。
……はたから見ればただの酔っ払いの介護だな、これ。
今回ウィリィが使った魔法は、以前ハルナをベッドに縛り付けた捕縛魔法の加減なしバージョンです。こんな古い話覚えてる人いるのかな?
討伐隊に志願していたウィリィが無事だった理由は、ハルナの事を報告しに里帰りをしていて第1陣の出発に間に合わず、第2陣での出発予定だったからです。