74 思わぬ帰還 その4
74話目、お待たせしました。
約11,800文字です。
さんさんと降り注ぐ日差しの中を1台の車が走る。それに乗るのは私、スフィル、綾の3人だ。
今日はドライブ当日。綾の運転する車に乗り流沢岳を目指して順調に走っている。
天気予報通り、天候は晴れ。雲ひとつないとは言えないが、絶好のドライブ日和である。
「いい天気だねー」
「そうだな、季節の割に晴れてくれて助かったよ。雨の日のアジサイというのも悪くはないが、せっかくの気分転換の日だ。晴れたほうが気分もいい。
スフィル、酔い、大丈夫か?」
「アタシ? 大丈夫だよ、平気」
返事をしてからサービスエリアで買ったペットボトルの紅茶に口を付けるスフィル。特に車酔いした様子は見られない。
車に乗った当初こそ興奮した様子であちこちをキョロキョロとしていたスフィルだったが、慣れてきたのか今では普通に窓から景色を眺めている。
「それにしてもさ、ハルナ。こっちって便利だよね。こんな冷たくて甘い飲み物が簡単に手に入るし、車っていう移動手段もあるしさ。
向こうに帰ったらやってけるのかなぁ、アタシ」
「さぁね。そこはまぁ、努力次第なんじゃない?」
「どんな努力よ、それ」
ちょっぴり呆れた様子のスフィルにさぁ……? と適当に返事を返すと、続けて綾に目を向ける。
「便利といえばさ、綾。ホントにこれもらっちゃっていいの?」
これというのは私の指にはまってる指輪の事だ。2日前にテストを行った例の魔法の指輪である。
「もちろんだとも。それは私には使えんようだからな、持っていてもなんの役にも立たん。それなら使える人に持っててもらう方が何倍もいい」
綾の言うとおり、彼女は指輪を使えない。エネルギー元である魔力を操れないためだ。
以前、魔力を体感したいという綾に頼まれて彼女自身に魔力補給を試したことがあるのだが、その時の結果は酷いものだった。
綾に魔力を注ぎ始めた途端、まるで電流を流されたかのように勢いよく立ち上がったかと思うと、口元を押さえて洗面所に駆け込んだ。
そして聞こえるリバース音。
しばらくして、やつれた様子で洗面所から出てきた綾はこう言った。
「体の中に気持ちの悪いものが大量に這いずり回る感覚に襲われたぞ、キツイなこれは」
その後何度か試して全て同じような結果に終わった綾は、魔力を使う事を諦めた。
魔力に対する拒否反応のような物か、これは? というのは綾本人の弁。
……うん、よく数回も頑張ったと思うよ。私だったら絶対最初で諦めてたと思う、あの苦しみっぷりは。
「いや、そうかもしんないけどさ。さすがに気が引けるっていうか」
「趣味で作ったような物をそう気にされてもな……。
そうだな、どうしても気になるというのであれば、改善点等なにか気付いた事があれば教えてくれればいい」
「改善点、ねぇ……」
ぼんやりと指輪を見つめながらポツリとつぶやいた。
確か、この指輪に込められている魔法陣は『盾』だったか。
もらった指輪の中で、一番のお気に入りがこの『盾』の指輪だ。込められた魔法陣ではなく、アクセサリーとして色とデザインが気に入ったからだ。
「まぁ、気付いたらね」
「ああ、頼んだぞ」
と、返事をしたところで欠伸をひとつ。日差しがぽかぽかと心地いいのだ。
「どうした、眠いのか?」
「ちょっとね。いい天気だし」
梅雨時の割に夏を思わせるその日差しは暑いぐらいだ。後部座席で外を眺めるスフィルも、なんだかとろんとした目をしている。
「ふむ。ならば眠気覚ましに1つ話でもするとしようか」
「話?」
「なに、ちょっとした昔話だ。
今向かっている流沢岳だがな、魔女の住まう山と言い伝えられてる場所でもあるんだ」
「ふーん、魔女ねぇ……」
割とありがちな話な気がする。魔女ってのは微妙に違和感あるけど。
「気にならんか、春菜? こういった話で山に住むのは、山姥や天狗といった妖怪と相場が決まっている。なぜ魔女なのだ、と」
「まぁ、確かにそうだよね。魔女ってーと、どっちかって言えば外国の話に出てくるもんだし」
「だろう? 私もその辺りが気になってな、調べてみたことがあるんだ。
それによると、この魔女が話に登場するようになったのは近代に入ってからでな。それまでは山姥、というのが通説だったらしい」
「山姥? それがどうしてまた魔女なんかに」
「そこが気になるところだったんだがな……。調べはしたが、残念ながらこれといったものは見付からず仕舞いだ。
ただ昔、流沢岳は姥捨て山にされていたことがあったらしくてな。山姥については、その生き残りを見たのではないかと言う説が主流のようだ。
あぁ、魔女についてはお菓子の家が出てくる外国の童話と山姥が中途半端に混ざった結果という説もあったな」
「え、さすがにそれは酷くない?」
「絶対無いとは言いきれんよ。昔話というものは大抵こんなもんだ」
「そんなもんかねぇ……」
「そんなもんだ」
遠くにうっすらと見える目的地を眺めながら、もう1つ大きな欠伸をこぼす私だった。
ぽつっ、と音がする。見ればフロントガラスに大きな水の円が描かれていた。
水滴? と思った瞬間、バラバラと大きな音を立てて一気に水の円が増え始めた。
雨だ。
あんなにいい天気だったのに、と思う間もなく、たちまちのうちに水の入ったバケツをひっくり返したような大雨になった。
視界がかなり悪い。ほぼ見えないと言った方が正しいか。
まるでシャワーを浴びせ掛けられたように降り注ぐ大雨に、綾は車の速度をかなり落として走らせる。
「なんともはや、いきなりだな。暗くなって来た時はまさかとは思ったが……」
「ホントだねー、これが山の天気は変わりやすいってやつかな?」
車は今、山肌に沿って作られた曲がりくねった山道を走っている途中である。位置的には流沢岳の中腹といったところだろうか。
さっきまでは窓から遠くに町並みが見えていたのだが、今は分厚い水のカーテンが敷かれており、その様子をうかがう事は出来なくなっていた。
「うわ、こりゃすっごいわね……」
「あ、スフィル、起きたの?」
「ずっと起きてたって。ぼーっとしてたけど」
そんな会話を挟みながらも、ゆっくりと車は走り続ける。
やがて10分ぐらい経った時だっただろうか。
「む……?」
綾が唸ると同時に車が止まった。
「どうしたの、綾?」
「見ろ、崖崩れだ」
「え?」
前方に目をやると、うわぁ……という声が漏れた。道路が土砂で完全に埋もれている。
いや、埋もれてるというより、完全に押し流されているといった方が正しいか。まるで土で出来た川が目の前に走っているようだ。
辛うじて巻き込まれずに済んだのか、近くに立つ折れ曲がった落石注意の看板が微妙な哀愁を漂わせている。
「さすがにこれでは進めんな……」
「どうするの、綾?」
「引き返すしかあるまい。そして残念だがドライブはここで中止だな。
山頂まで続く道で、車が通れるような場所はここしかなくてな。ここが通れんことにはどうしようもない」
「げ、それ本当? 迂回路とかないの?」
「ああ。さっきも言ったが、車が通れる道はここのみだ。ここから歩くという手段も無くはないが、借り物である車を置き去りにするわけにもいかんしな。
残念だが、諦めるほかはない。代わりといってはなんだが、なにか美味い物でも食べて帰るとしよう」
「えぇー、残念……。アジサイ、結構楽しみだったんだけどなー」
未だ大雨の降りしきる中、綾が車をUターンさせゆっくりと発進させる。
「さて、リクエストを募るとしようか。なにか食べたい物は───」
綾が喋り始めたところで、地面の方からお腹にズンっと響く重い唸るような音が聞こえてきた。錯覚かもしれないが、なんだか地面がぐらついてるような気もする。
「なんだ、地震か?」
車を止めて辺りの様子をうかがう綾。
「ちょっとやめてよ、こんなとこで地震なんて」
こんな崖っぷちにいる状況で地震とか怖すぎる。現に目の前で崖崩れが起こってるのだ。今この場所が崩れたらと思うとぞっとする。
1秒が長く感じる緊張の中、息を潜めてしばらく様子を見るもなにも起こらない。
そのまま10分が経過したのか、はたまた1分程度だったのか。短くて長い間が経過し重たい音がおさまると、知らず大きく息を吐いていた。
「……おさまったか。なんだったんだ、今のは?」
「分かんないけど……。
なんか一気にドライブって気分じゃなくなったわ。ねぇ綾、早く帰ろう?」
「そうだな、そうするか」
再び車が動き出し、さっきよりかは幾分かマシになった雨の中をゆっくりと走り始める。だが、すぐに再び停車する事を余儀なくされた。
「これは……、参ったな。さっきの音の原因はこれか」
急な曲がり角の向こう、ちょうど山陰に隠れていたところで、通ってきたはずの道がなくなっていた。
またしても崖崩れだ。
徐行してたのが幸いし、そこに突っ込むような事はなかったが、とても通れそうにない。
前も崖崩れ、後ろも崖崩れ。ちょうど崖崩れに挟まれた感じだ。完全に閉じ込められてしまっている。
「あー……、ひょっとして立ち往生ってやつかな、これ」
「ひょっとしなくてもその通りだ。
こうなってしまっては……、まずはレンタカー会社と警察に連絡か」
「え、スフィルもいるのに警察ってまずくない?」
「その辺はちゃんと伏せておくから安心しろ」
それだけ言うと、携帯を取り出しささっと操作してどこかと話を始める綾。まずはレンタカー会社のようだ。
そして続けて警察へ連絡した……と思ったら、会話中に外へと飛び出し、びしょ濡れになりながらも再び戻ってきた。
「ちょっと、いきなりどうしたの。こんな中、外に飛び出したりしてさ」
濡れねずみな綾に尋ねる。どうやら電話は終わったらしい。
「向こうが正確な位置を知りたいと言うのでな、道路標識に付いているという番号を確かめに行っただけだ」
「……アンタたまに無駄に男らしいよね、行動が」
雨具がないこの状況で、普通そこまでしないと思うんだけど……。
「いや、これから濡れるのは皆一緒だぞ?」
「え?」
「向こうからの指示でな、このままここにいるのも危険という事で避難を勧められた。
レンタカー会社には申し訳ないが、指示通りここに車を置いて、徒歩で近くの避難小屋まで移動する」
「避難小屋?」
「ああ。この山は登山スポットでもあるからな、ここから少し下った場所に避難小屋があるらしい」
「で、そこまで傘も合羽もなしに? 歩いて?」
「無論だ。そんな物を積んだ覚えはないからな」
「うっそー……」
「だから言ったろう、これから濡れるのは皆一緒だと。
まあとりあえず、彼女に事情を説明してやってくれ。難しい会話はまだ出来んのでな」
その視線が示す先にはきょとんとした表情のスフィル。
やば、スフィルのことすっかり忘れてた。
「あー……、うん。
スフィル、よく聞いてね───」
「あーもう、やーっと着いたよ。スフィル……は置いといて、綾、大丈夫?」
「ハルナー、それ酷くない?」
「いや見るからに平気そうだし。それにスフィルならこの位なんてことないでしょ?」
「確かにそうだけどさぁ……」
「ああ、大丈夫だ。10分程度と聞いていたが、思ったよりも時間が掛かったな」
道路脇にあったメンテナンス用の階段を下り、崖っぽい山道をびしょ濡れになりながらも歩き続けること約30分。私達3人は指定された避難小屋とおぼしき建物に辿りついた。
印象としては……なんというか全体的にボロイ。別にコテージのような建物を期待したわけではないのだが、一言で言い表すなら屋根と壁のしっかりした炭焼小屋といった感じだろうか。やたらと尖った屋根の上に色の剥げたでっかい貯水タンクらしきものが乗っている。
辺りには鬱蒼とした背の低い木が生い茂り、森の中の一軒家といった感じだ。
というか、ボロさの所為でパッと見、廃屋に見えてしまう。
一応念のため、入り口の扉ノックをしてみる。
しばらく待ってみるも返事はない。中には誰も居ないようだ。
扉を開けて中へと入る。鍵は掛かっていなかった。
、
「あーもう、びちゃびちゃ。下着までぐっしょりだわ、こりゃ」
「外套があってこのザマとはな。電話は無事なようだが……圏外か」
「さすがにあの雨は外套だけじゃ無理だって」
外套は向こうの世界で服を買うと同時に見繕ったものだ。私の荷物一式は全てモコちゃんに預けてあったので、それを取り出して綾に貸し出し中である。
改めて中を見回してみるが、だだっ広い部屋の中央に大きなテーブルが1つと椅子がいくつか置かれているだけで、これと言ったものはなにも見当たらない。
奥の方に小部屋が2つ並んでいたので中を覗いてみたが、トイレと管理人室っぽい部屋だった。
あとは部屋の隅にぽつんと小さな洗面台が置かれている程度だろうか。飲めませんと書かれた古ぼけた張り紙がされている。屋根上に置いてあったタンクは雨水を溜めるもので、そこから水を引いているのかもしれない。
とりあえずこのままだと風邪引きそうなので、着替えることになった。替えの服は外套と同じくモコちゃんに預けてあった私の服だ。予備があるのでそっちは綾に着てもらう。
「便利なものだな」
「私もそう思う。いい子だし可愛いし、出会えてよかったって思うよ」
「ハルナ、アタシの服も出してくれる?」
「いいよ。モコちゃん、スフィルの荷物も出してくれる?」
(是)
更衣室などないが、女3人なので気にせずぱぱっと着替えを済ませてしまう。
濡れた服は天井付近に張られていたロープに吊るしておく事に。これで乾いてくれるといいのだが。
外からはバシャバシャと雨が降り注ぐ音が響き、風が吹くたびにぎしぎしと音を立てて小屋が揺れる。
テーブルの上に埃まみれの小型ラジオが乗せられていたが、スイッチを入れてもなんの音も聞こえてこなかった。電池切れのようだ。
「これからどうしようか、綾」
「ひとまず雨がやむまでここで待機だろう。このままだと動く事もままならんし、それが向こうからの指示でもあるからな。待つしかあるまい」
「あー、やっぱそうなる?」
「ああ、その通りだ」
その後特にこれといった会話もなく、椅子に座ってぼーっと時計を眺める。時計の針は午後2時半を指していた。雨が上がらない限りはここから出られないし、山を降りるにしてもそれなりに時間が掛かるだろう。最悪ここで1泊する羽目になるかもしれない。
綾とスフィルの2人も似たような感じだ。どことなく疲れた様子で辺りに視線をさまよわせ続けている。
少しするとじわじわ肌寒くなってきたので、死神印のローブを羽織る。これを着るのもなんだか久しぶりだ。
「ほう、それが春菜の仕事着か。話には聞いていたが、見るのは初めてだな」
「あれ、見せたことなかったっけ?」
「ああ、話で聞いただけだ。それにしても結構雰囲気があるな」
「そりゃ一応本物だし。
む~か~え~に~き~ま~し~た~よ~、って感じ?」
フードを被ってモノマネっぽい感じでやるとちょっぴりウケた。
そこにドンドンドン、と扉を叩く音が響く。誰か来たのだろうか。
少々乱暴だがノックのように聞こえなくもない。
どうする? と、綾に向けて視線を送るとうなづいてくれたので、席を立ってガチャリと扉を開けた。
そこにいたのは、ずぶ濡れになりながらもぽかんとした表情でこちらを見つめる高校生ぐらいの男の子2人組。2人とも頭からすっぽりとかぶる合羽を羽織っており、大きなリュックを背負っている。
新しい避難者? そう思ったのもつかの間。2人は1歩引きながら叫び声を上げた。
「うぉ、魔女っ!?」
「は……?」
……あ、フード被ったままだった。
山奥にあるボロ小屋から、真っ黒いローブを被った人が出てきたらそりゃ驚くか。
フードを下ろしてから改めて2人組に話し掛ける。
「ごめん、驚かせたかな」
「え、あ、女の人……?
えっと、オレらここに避難しにきたんすけど、入れてもらってもいいっすかね?」
「そりゃもちろん。どうぞどうぞ、遠慮なく……ってのも変だけど」
「うぃ。お邪魔するっす」
「お邪魔します」
脇に退いて2人を部屋に迎え入れると、スフィルと綾の視線が2人に突き刺さった。
それを受けて立ち止まる男の子2人組。
「む、新しい避難者か?」
「そうみたい。私らと一緒だよ」
「あれ、お姉さん達も避難っすか? 管理者の方じゃなく」
「ああ、君たちと同じく避難してきた者だ。
この山にある寺まで花を見に来たのだが、崖崩れに巻き込まれて車が動かせなくなってしまってな」
「うわ、災難だったっすね。
あ、自分は清流高校のワンゲル部に所属する3年の上田啓介っす。で、こっちが同じく3年の」
「植田直人といいます、よろしくお願いします」
あとから入ってきた方の男の子が、言葉を継いで自己紹介をした。
「君たち2人ともウエダというのか?」
「ええ、字は違うんすけどね。オレは上下の上って字なんすけど、こいつは植物を植える方の植って字で。田はどっちも田んぼの田なんすけどね。
読みが一緒なんで、周りのみんな、オレらのこと名前で呼ぶっす」
「啓介君と直人君か、なるほどな。
あぁ、私は綾子だ。綾と呼ばれたりもするな、好きに呼んでくれ。
それから、こっちのローブ姿の怪しい人物が春菜という」
「ちょっと、怪しいって酷くない?」
「苦情はあとで受け付ける。少し待っててくれ。
そして、そっちの赤い髪の彼女がスフィル。見ての通り彼女は外国人でな、こちらに来てまだ日が浅いので日本語はほぼ通じない。もしなにか伝えたいことがあるなら私を通してくれ、通訳しよう」
「綾さんに春菜さんにスフィルさん、っすか」
「ああ、その通りだ。
まあとりあえず、そのずぶ濡れな格好をなんとかするといい。そのままでは風邪を引いてしまうだろう」
「そっすね、そうさせてもらうっす」
高校生2人が部屋の隅で着替え始めると、唐突に綾に手を引っ張られて反対側の隅まで連れて行かれた。そして声を落として話し出す。
「よし、今のうちだ。簡単に打ち合わせをしておくぞ」
「ちょっ、綾、いきなりなに? それに打ち合わせって?」
「スフィルの事だ。こんな事態になってしまったからな、これからしばらく彼らと暇な時間を過ごすことになる。そうなれば彼女に関する話題も出てくることだろう。
適当にごまかしても問題はないだろうが、一応念のため、彼女の出身地や目的をここで決めておきたい」
「え? いや話は分かるけど。そんなの簡単に決まるの?」
「心配するな、大筋はもう考えてある。春菜はそれを覚えてくれるだけでいい」
「考えてある……?」
「ああ。まぁとりあえず聞いてくれ。おかしな所があれば随時修正しよう。
まず彼女の出身地だが、カリフォルニアとしておく。確か少ないながらも赤い髪を持った人達がいたはずだ。その中でも特に訛りの強い地域の出身だな。
次にここに来た目的だが、これは観光と買い物でいいだろう。私と春菜との個人的な付き合いがあり、家に寝泊りしている事にする。この辺の状況はそのままだから戸惑うことはないはずだ。
それから───」
その他スフィルに関する設定を3つ4つ聞いたところで、綾の説明が終わった。
「よくまあそんなぽんぽんと出てくるね……」
「彼女には学園祭の準備を手伝ってもらうつもりだったからな。その際の建前として前から考えてはいたんだ。披露するのが随分と早くなってしまったがな。
あぁ、それから少し注意してほしいのだが、スフィルと話す際はなるべく私を交えて3人で話すことにしてくれ。お前と2人だけで話しているのを見られると色々ややこしい事になりかねん」
「あー……。そうだね、うん、気をつける」
こっちは普通に喋るだけでスフィルと話が通じるもんな。事情を知らない人からすればかなり意味不明な光景に見えるだろう。
「あの、すんません。ちょっといいっすかね」
綾との密談(?)を終え、2~3確認をしたところで、半袖シャツに長ズボンを履いた丸刈り頭の男の子がおずおずといった感じで声を掛けてきた。
この喋り方は啓介君の方だったか。
「どうかしたのか?」
「ちょっとお聞きしたいんすけど、オレらが来る前に誰か来なかったっすかね?」
「いや、知らないな。私達がここに到着してから人が来たのは君たちが初めてのはずだ。誰か探してるのか?」
「探してるっていうか、顧問の先生なんすけどね。この山にはオレと直人と、あと顧問の先生の3人で来たんすけど、この大雨で先生見失っちまいまして。
事前に決めてた緊急避難場所がここなんすけど、ひょっとしたら先生先に来てるんじゃないかなーと思ったんすけど」
「顧問か、なるほどな。君たちはワンダーフォーゲル部だったか?」
「そっす。部活でこの土日を掛けて流沢岳を登る予定だったんすけど、いきなりの大雨ではぐれちまったんすよ。昨日の天気予報じゃ晴れって言ってたんすけどね」
「なら携帯で連絡を……。いや、携帯は使えなかったな」
「この辺は元々電波状況がよくないっすからね、雨が上がれば繋がるようになると思うんすけど」
「ふむ、どちらにせよ今は待つしかないのか」
「そうなるっすね。しばらくご一緒させてもらうっす」
どうやら綾の予想したとおり、短くない時間を彼らと過ごす事になりそうだった。
「ほらほら、こっちが当たりだよ」
「なんて言ってるんすか?」
「こっちが当たり。つまりババって事だな」
「うげ、じゃこっちで……。おぅあっ!?」
現在、私達3人+彼ら2人で絶賛トランプ中である。種目はババ抜きだ。
最初は携帯を弄っていた彼らだったが、電池について綾が注意すると大人しくそれを止めた。そして暇になった彼らがごそごそと小屋の中を探索した結果、管理人室からトランプを見つけてきたのである。
「よっし、あがりー」
「うへ、またっすか?」
「相変わらず強いねぇ、スフィル」
ババ抜きや七並べといった簡単なゲームならスフィルでも参加可能だ。というか、スフィルが数字を覚えたのはトランプからである。家で何度か遊んだらばっちり数字を覚えてくれた。
「うし、あがりっす」
「そういう啓介もしっかり2位じゃんか。
あーあ、またオレがビリになんのかなー。2人とも勘、鋭すぎ……」
「諦めるな、勝負は最後まで分からんぞ? ……ち。ほら、春菜の番だ」
「んじゃこれちょうだい。……よしよしよし」
揃ったカードを場にぽいっと捨てる。
ババ抜きはこれで3回目だが、3回ともスフィルと啓介君が1位2位を独占していた。逆に直人君はずっと最下位だ。
他にも神経衰弱、七並べを数回やったが、神経衰弱はスフィルと綾が1位2位を占め、七並べでは綾が1位固定、直人君と私が2位3位を争う形になっていた。
なんかそれぞれの性質が見えてくるような結果だ。
「よし、私もあがりだ」
「うがー、またビリかよ。なんでこう最後の最後で引き負けるかなぁ、オレ」
「ジョーカーに好かれてんだろ? 直人」
「ババ抜きで好かれても嬉しくねーよ。どうせならポーカーの時とかにしてくれ」
最初は無口気味だった直人君も大分打ち解けてきたらしく、啓介君と同じく普通に話すようになってきた。
「くっそ、今度こそ……」
ぶつぶつ言いながらもカードを回収してシャッフルする直人君。そこに綾が声を掛ける。
「少し休憩を挟まないか? あまり熱くなり過ぎるのもどうかと思うぞ」
「そうですね……」
綾の言葉をきっかけに、それぞれが休憩する体制に入った。
時計を見ると時刻は午後6時を指していた。外は薄暗くなってきており、日没が近いことを予想させる。
いつの間にかこんなに時間が経ってたのか。この様子だと一晩ここで泊まる事になりそうだ。
「少し手を洗ってくるよ」
「あ、じゃ私も」
「ちょっと電話通じないか試してくるっす。雨、マシになったっぽいすし」
綾と私が席を立った後、そう言って外に出て行く啓介君。
スフィルは椅子に座ったままカードをぱらぱらと捲っている。
「ん?」
私の前で手を洗っている綾が声を上げた。
「どうかした、綾?」
「いきなり水が出なくなってな。あのタンクの大きさからして、とても使い切ったとは思えんのだが……」
「え、ウソ? ちょっと見せて」
綾と場所を交代し水道の蛇口をひねってみるも、カラカラと空しく空回りするだけで水が出てくることはなかった。
「うわホントだ……。参ったねこりゃ」
確かあのタンクはドラム缶程度の大きさはあったはずだ。綾の言うとおり、水を使い切ったとは考え難い。
「どこか詰まったのか壊れたのか……。大方そんなところだろうな」
「ちょっと外見てこようか?」
「……そうだな、念のため頼む。見て判るような原因なら対処も出来るだろう。
直せるならそれに越したことはないからな。ここが使えんというのは正直痛い」
「ほいほい。綾はどうするの?」
「ここを調べてからそっちに行くつもりだ。恐らく問題ないとは思うが……」
「分かった。じゃ先に出てるね」
「ああ、すまんがよろしく頼む」
大分小降りになったとはいえ、雨はまだ降り続いている。合羽代わりにローブを羽織り直し、扉を開けて外に出た。
「あれ、春菜さん。どうしたんすか?」
外に出たところで啓介君に声を掛けられた。そういえば電話を試すとか言ってたっけ。
「ちょっと水が出なくなっちゃってね、屋根のタンクに異常がないか調べに来たの。
啓介君の方こそ電話どうだった?」
「ダメっすね。色々試してるんすけど、アンテナの1本も立たないっす」
「あらま。色々心配してる人いるんじゃない?」
「そうなんすよ、せめて連絡だけでも入れたかったんすけどね。電話が通じないことにはどうしようもないっすから」
「そっか」
じーっと電話の画面を覗き込んでいた啓介君だったが、やがて諦めたのか電話をポケットに仕舞った。
「それで、確か春菜さんはあの天井のタンクを調べに来たんすよね? 手伝うっすよ」
「え? さすがにそれは悪いよ。せっかく着替えたのにまた濡れちゃうし」
「もう濡れてるんでそのついでっす。こんな時ぐらい男手を頼ってくださいって」
「うーん。じゃ、お願いしようかな……」
言い掛けたところでバキリ、と音が響いた。
見れば屋根に置かれていたタンクが水を噴き上げながらゆっくりとこちらに向かって倒れてくるのが目に入った。
折れて短くなったパイプとさび付いた金具がいやにハッキリと目に付いた。どうやらパイプが折れた事により金具に負荷が掛かったらしい。
あぁ、水が出なくなった原因はこれか。と頭のどこかで冷静にそう思いながら、落ちてくるであろうタンクを避けようとしたところで───。
「危ねっす!」
「───えっ?」
声と同時に体に衝撃が走る。
気付けば啓介君に押し倒される形で地面に尻餅をついていた。ちょうど腰の部分にタックルされた感じだ。
「ちょっ、啓介く───!?」
ゴッ!
目に映ったのは、屋根の端にぶつかり勢いよく回転しながらもこちらに向かって一直線に落ちてくるタンク。
逃げようにも地面に倒れ、腰に啓介君がしがみついているのでそれももままならない。
「啓介!?」
直人君の叫びが聞こえた気がするが、それを気にする余裕はない。タンクはもう目の前まで迫っている。
やたらゆっくりと進む時間の中、せめて顔だけは守ろうと反射的に手を上げたところで、目に入ったのは自分の指にはまった綺麗な石の付いた指輪。
これだ! と思う間もなく指輪に魔力を込めながら叫ぶ。
「『盾』よっ!」
瞬時に展開された魔法陣がタンクを受け止め横へと弾く。
タンクは私と啓介君のすぐ横に落下し、そこでじょぼじょぼと水を垂れ流す。
こ、怖かった……。本気で心臓がバクバクいってるよ。
はぁ……、と大きく息を吐き、とりあえず立ち上がろうとしたところで、未だ腰にしがみついたままの啓介君が、あんぐりと口をあけてこちらを見つめているのに気が付いた。
ギィ……、と音がした方向に目を向けると、そこには入り口から飛び出し掛けた体勢で固まる直人君。こちらも似たような表情だ。
あ、えーと。ひょっとして私、やっちゃった……?
念のため補則。
指輪を使う時にわざわざ声をあげる必要はありません。あれは力むときに掛け声をかけるような感じで、つい叫んじゃったとだけです。
そして部活についてのツッコミは勘弁してください。