73 思わぬ帰還 その3
お待たせしました。
約13,500文字と再び長目ですが、その割にあまり話が進んでません。
そして今回、場面の切り替えが多いです。
2013/6/13 誤字修正
手に軍手をはめ、目に付いた茂みに腕を突っ込んでかき分ける。そのままごそごそと手を動かして確認するが、伝わってくる感触は草と地面の感触のみだった。
ふと頭の中に、草の根を分けて捜すとはこういう事だろうかと浮かぶ。
「あーもう、暑いっ。
スフィルー、そっちはどう?」
「ダメ。それっぽいのは欠片も見つかんないわ」
「そっかー……」
私とスフィルは今、町外れの道路沿いにある森(と言うか林?)に来ていた。目的は、私達がこっちに来る原因となった馬車を捜すためだ。
私達2人は今、綾の家でお世話になっている現状である。数日綾の好意に甘えるだけならともかく、さすがにずっと居座るのは問題がありすぎる。一番いいのは、あちらの世界に戻る方法を見つける事なのだろうが、その方法については全く見当がつかなかった。
そこで思い出したのが、例の馬車の事である。
無論、あの馬車を調べたところでなにか分かるわけではないだろうが、ちょっとした手掛かりぐらいなら掴めるかもしれない。そう思いこうして馬車を探しに来たわけなのだが、お約束というべきか、いくら探しても例の馬車を見つける事は出来なかった。
時刻はそろそろ夕方に差し掛かる頃だろうか。空を見上げれば、落ちかけた太陽が赤い光を放っていた。
「ハルナー、そろそろ日も暮れそうだし、今日はもう諦めない?」
「そうだねー……。どうも探すだけ無駄っぽいし、そうしましょうか。
あーあ、どうしたもんか……」
うーん、と両手を上げて伸びをしてからこれからの事について思いを馳せていると、そこにスフィルが合流してきた。
「あー、疲れた。腰痛いわー」
「珍しいね、このぐらいで疲れるって。いつもの元気(体力)はどうしたのよ」
「魔力が足りないせいか、どうにも力が入んないのよ。ハルナ、今日はたっぷりよろしく」
「はいはい、大盛りね。ついでに聞くけど、夕食になんか食べたい物とかある?」
「なんでもいいよ、ハルナの作る物って美味しいし。それに、食べたい物って言われてもここの食べ物ってよく分かんないしなぁ……。
あ、プリン食べたい。プリン」
「それは夕食じゃないっつの」
スフィルにツッコミを入れつつ、バケツプリンでも作ったら喜ぶだろうか、等と思いながら帰路についた。
夕食後、スフィルをお風呂に放り込んでからリビングに戻ると、少々気になる事があると、綾がビール片手に切り出した。
「気になる事? ってか綾、今日も飲むつもり?
今朝、連続2日酔いだったの覚えてる?」
「こればかりは止められんよ。私のライフワークなのでな。
それに2日酔いになりはしたが、記憶がある分昨日よりマシな状況だと言えるはずだ」
「いやいやいや、記憶のあるなしで判断しないでよ……。
んでなに? 気になる事って」
「ああ、その前に聞かせてくれ。今日はこちらに連れて来られたという馬車の捜索に向かったのだろう? その結果を聞いておきたい。
私の話はまだ推論もいいところでな。春菜の方でなにか進展があったのなら、そちらを進めた方がいいと思うんだ」
「この状況と関係ある話ってこと? まぁいいけど。
でも残念ながら、こっちは空振り、手掛かりなし。馬車の影も形もなかったわ。あれじゃ正しく怪談よ」
「そうか……」
「それで、綾の話って?」
「あー……、昨日春菜から聞いた話になるのだが、ウィリィという翼を持った女性に拘束された時の話だ。
今日ふと思い出したのだが、少々気になる点があってな」
「あの話で?」
「ああ。春菜、お前は確か昨日こう言ったな? モコちゃんから知らせを受けたスフィルに助けられた、と」
「確かにそんなこと言った気はするけど……」
「私の聞いているモコちゃんの能力は、テレパシーのようなもので会話が出来る、別空間へと物を取り込める、の2点だったな。
そしてその子はお前の持っている鏡に住んでいる、で合っているか?」
「うん、合ってるよ」
「そのウィリィという女性に拘束された時、お前の持っている鏡に居たはずのモコちゃんが、別の部屋にいるスフィルの前に現れたと言ったな? ひょっとするとその子には、鏡と鏡の間を移動出来る力があるのではないかと思ってな」
「ホントだ、よく気付いたね……」
確かにあの時、モコちゃんは私の懐からではなく、別の鏡から姿を現してスフィルに知らせを届けている。綾の話ももっともだ。
「いや、私が言いたいのはそこじゃないんだ」
「え? まだあるの?」
「ああ。その話だけではなんの解決にもならんだろう?
私が言いたいのは、もしその子に鏡同士を繋いで渡るような力があるのなら、お前達を連れて向こうの世界へ渡れるのではないかということだ。
仮定に仮定を重ねるような話ではあるが、試してみる価値はあるのではないか?」
「おぉ……さっすが綾」
そんな事、全然考えもしなかった。
確かにモコちゃんは出会った当初、私自身を鏡の中へと取り込んでいる。上手くすれば、こちらと向こうを繋ぐ鍵になるかもしれない。
「ちょっと待ってて、今聞いて───」
「ハルナー! ごめんちょっと来てくれるー?」
早速聞いてみようとしたところで、それを遮るようにスフィルの声が響き渡った。
お風呂場でなにかあったのだろうか。
「もう、こんな時に……。ゴメン綾、呼んでるっぽいから、ちょっと行ってくるわ。
待ってて、今行くー!」
「仕方あるまい、話はまた後で聞くとしよう。
ただ、これだけは言わせてくれ。せっかくこうして再会出来たのだ。この先どうなるかは分からんが、また再び会えなくなるというのは勘弁願いたいところだな」
「……そうだね、綾。ホント、そう願うよ」
「ハルナー!」
「はいはーい!」
呼んでるスフィルの元に駆けつけるべく、急いで席から立ち上がった。
時計の針が午前0時を示す頃。布団の上でうつらうつらとしているスフィルの横で、私は1人物思いにふけっていた。
どうしたもんかなぁ……。誰かに相談する? っても、相手は綾ぐらいしか居ないんだけど。
何度考えてもいい考えが浮かばないので、気持ちを切り替えようといつの間にか寝てしまったスフィルに毛布を掛ける。
夜更かししたことは今までに何回もあったが、向こうでの平均就寝時間は22時である。いくら生活が不規則な冒険者をやってるスフィルでも、眠いのは仕方がないだろう。
そこに綾がひょいっと顔を出した。
「春菜、ちょっといいか? 少し教えてもらいたい事があるんだが」
「ん? なに、綾」
「少しばかり時間をもらう事になるが構わんか? 眠いようなら明日にするが」
「大丈夫。それに私もちょっと相談したかったことがあるしね」
「ふむ。ならとりあえずリビングまで来てくれ。お茶を用意しよう」
「ほいほい」
リビングに移動してお茶を受け取ると、私から話を切り出す。
「それで、聞きたいことってなに?」
「ああ、実はだな。春菜、お前が魔法を使用する時に使うという魔法陣をいくつか私に教えてもらいたいんだ」
「魔法陣? いいけど、私そんなに数知らないよ?」
私が描ける魔法陣って、グリモアに入れてあるものを含めて大体10種類ぐらいだろうか。
「春菜が知っている分だけで十分だ。どんなものがあるか見てみたいだけなんでね」
「ふーん。
あ、じゃあ私が直接見せるよりもいい物があるよ。ちょっと待ってて」
そう言って隣の部屋から持ってきたのは、私がいつも持ち歩いているグリモア。
それを見て、綾が納得したようにうなづいた。
「ああ、それがあったな。確か魔法陣の見本が載っている物だったか」
「そそ。魔法陣を知りたいのなら、これを見るのが一番でしょ」
グリモア自体はスフィルに魔法を見せた際に、その機能を含めて説明済みだ。
手早くグリモアを操作し、いくつかの魔法陣を順番に表示させていると、綾が少しためらったのち遠慮がちに切り出した。
「なぁ、春菜……」
「ダメ」
「……まだなにも言ってないのだが」
「なんとなく分かるって。これ貸してって言うつもりでしょ?
でも、さすがにこれはダメ。これ持って行かれたら私が困るし」
「なぜ分かる……と聞くだけ野暮か。
ここで早々にそれが必要になるとも思えんのだがな……。まあ、仕方あるまい。
なら、今ここでメモを取らせてくれ。そのぐらいなら構わんだろう?」
「そのぐらいだったら、まぁ」
「ありがたい。早速ノートを持ってくるとしよう、少し待っててくれ」
そう言って自室に向かった綾は、程なくして1冊のノートを持ってリビングへと戻ってきた。
静かなリビングに、カリカリとペンと紙が触れ合う音が響く。
しばらくその様子を眺めていたが、なんとなく手持ち無沙汰になってしまった。
「ねぇ、綾。聞いてもいい? なんでいきなり魔法陣を教えてくれなんて言い出したのかって」
「ん? 前にも言ったろう、私の好奇心を満たすためだと」
「それは聞いたけど。でもホントにそれだけ?
他にもまだなんかある気がするんだけどなー」
さすがに熱心すぎるというかなんというか。まだ他にも理由ある気がするんだよね。
「かなわんな……」
魔法陣を写し取る手を一時止めて、綾が向き直った。……が、その視線はどこか定まらない。
「まぁ、ほら、その、あれだ。
小さい頃によくテレビで魔法のステッキを持った主人公が出てくるアニメとかがあっただろう? 春菜も1度ぐらい見たことがあるはずだ。
私もよくそういった番組を見て、彼女らの真似事をして遊んだ記憶があってな。
つまりその……」
「……要するに魔法少女がしたかった?」
「魔法少女いうなっ。憧れがあるのは確かだが……」
「顔赤いよ、綾」
「うるさい、ビールのせいだ、ビールの」
あははは、可愛いなぁ、もう。
いやぁ、魔法が知りたい割に杖からってのはおかしいと思ってたけど、なるほどねー。
「それより、春菜もなにか私に相談事があったんじゃないのか? さあ言え、早く言え。今なら真摯に聞くぞ?」
「露骨に話題そらしたね……まあいいけど。
私が相談したかったのは、今日綾が言ってたモコちゃんのことについてだよ」
「なにか分かったのか?」
「まぁ、色々と。本人(?)に聞いてみたからね。でも問題があってさ……」
結論から言えば、綾の推測はほぼ当たっていた。
モコちゃんは自分が今住んでいる鏡だけではなく、別の鏡まで移動することも出来るらしい。自分の知っている鏡であれば、どんなに距離が空いてようとも関係ないようだ。本人曰く、かなりお腹が空く(=疲れる?)らしいが。
「ほう、それは朗報だな。だがそれだけなら、腹具合以外なにも問題がないように思えるのだが? それとも、もう2度とこちらに戻ることが出来なくなるのか?」
「いや、それは大丈夫。モコちゃんが覚えてる鏡があれば自由に行き来可能っぽい。
そういうわけだから綾、出入り口としてバスルームにある大きな鏡、使わせてもらっていいかな」
「ぬ、バスルームか……。
他の部屋にある物では駄目なのか? 私としては入浴中に突然割って入られでもしたら少々恥ずかしいのだが」
「それが、ある程度の大きさが必要らしくてさ。少なくとも全身映せるぐらいの。他になんかあれば、そっち使わせてもらうんだけど……」
「……無いな。ここにある全身を映せるような大きな鏡はあれ1枚きりだ。
仕方あるまい、だが気をつけてくれよ?」
「ごめんね、ありがと」
ちなみに向こうに戻る際の目印は、モコちゃんの長年の居場所だったあの大きな鏡である。あれならまず間違う事はないだろう。
「だがそうなると、なにが問題なんだ?」
「問題はね、スフィルを連れて行けないってこと。モコちゃんが言うには、生き物は取り込めないんだってさ」
「なに?
……いや待て、それはおかしい。それを言ったら春菜、お前はどうなる。それとも主というのは別扱いなのか?」
「ううん、そうじゃなくて、私は生きてるけど生きてないから大丈夫なんだってさ。よく分かんないけど」
「……まぁ、言わんとすることは分からんでもないが」
「それよりも、今大事なのはそこじゃなくて、スフィルをどうするかって事。
すっかり煮詰まっちゃってさ。なんかいいアイデアない? 綾」
「アイデアでどうにかなるのか、それは?」
「でも、スフィルを置いていくわけにもいかないでしょ。なんとかしなきゃ」
「そこは同意するがな……、うぅむ」
目をつぶって考え始める綾。
3分ぐらいそうしていただろうか。やがて呟くようにポツリと言った。
「現実的ではないが、仮死状態、というのはどうだ?」
「仮死状態?」
「ああ。生きているから駄目なんだろう? なら一時的とはいえ、死に等しい状態にしてやれば上手くいくのではないかと思ってな」
「……なるほど」
確かに肉や果物といったものならモコちゃんは普通に取り込んでいる。
希望が見えたと思ったところで、綾が再び口を開いた。
「ただ、一口に仮死状態と言っても、どこまでやればいいのか皆目見当がつかんのが問題だ。
意識や呼吸を失わせる程度でいいのか? それとも心肺停止レベルの状態にまで持っていく必要があるのか?
前者ならともかく、後者になると上手くやれば蘇生が可能なだけで、1歩間違えれば障害が残るだけでなく、そのまま逝ってしまうような危険性さえはらんでくる。
リスク面だけでもかなりのものがあるからな、気軽に試せる手段ではないな」
「え、もっと安全に出来ないの? 薬とか使ってさ」
「安全な仮死状態なぞあるか。そんな薬の存在もな。例えそんな物があったとしても、それは薬とはいわず毒薬と言うんだ。当然、手に入れる手段もない。
現実的でないと言ったのは、この辺りが理由だ」
「そっか……」
再び沈み込む私に、ただ……と言葉を続ける綾。
「ただ、ひょっとするとだ。こちらにはなくとも、向こうでならお前の希望する薬が見つかるかもしれん。
魔法や魔物なんてものが存在する随分とファンタジーな世界のようだからな。そんな薬が存在しても別段不思議じゃない。だから春菜、そういったモノを探すつもりなら、向こうの世界で探したほうがいいかもしれんぞ」
「確かに……。
そうだね、うん、そうしてみるよ。
ありがと、綾。助かったよ。明日にでも早速向こうに戻って聞いてみるよ」
そうだそうだ。あっちに行けばそんなおとぎ話のような薬があるかもしれない。
とりあえず知り合いから当たってみるかな。マレイトさんなら色々知ってそうだし、もしウィリィが戻ってるのなら、珍しい話が聞けそうだし……。
「あー、ちょっと待ってくれ、春菜」
「ん、なに?」
「2つほど言いたい事があってな。
1つ目はさっきの私の話だ。さっき私はああ言ったが、もしかすると他に取れる手段があるかもしれん。他の方法もまた考えてみてくれ、私もまた気に留めておく」
「あ、そっか。そうだよね」
「そして2つ目なんだが、これはお願いになるな。
春菜、もう数日、こちらに留まるつもりはないか?」
「え、なんで?
そりゃこっちの方が居心地いいからここに居たいけどさ。いい加減迷惑でしょ?
それにあっちで色々探す間も、スフィルはここで預かってもらわなきゃなんないし」
探し物にどのぐらい時間が掛かるか分からない現状、少しでも早く動いた方がいいと思うのだが……。
「迷惑うんぬんは気にしなくていい、私が誘ってるんだからな。
それからこちらに居て欲しい理由だが、これは単に私の都合だ。都合の内容についてはまだ秘密だが、向こうに戻られてしまうと連絡が取り辛くなるんでな。携帯電話が通じればいいのだが……」
「絶対無理だって。そもそも私、携帯なんて持ってないし」
「だろうな。理由はまあ、そんなところだ」
「秘密ってのがちょっと気になるけど……まあいいわ。でもスフィルがちょっと心配だよ。気軽に外に出れるわけでもないしさ。
彼女、ジッとしてるってタイプでもないから、色々溜め込みそうなんだけど」
「その辺は我慢してもらうしかない、と言いたいところなんだがな……。
そうだな、なら彼女にはちょっとした仕事を用意させてもらおうか」
「仕事って……、いやそれ無理でしょ。
戸籍がない上に言葉だって通じないんだよ?」
「ああ、そんな本格的なもんじゃない。
実は私の通っている大学だが、そろそろ学園祭が近くてな。その助っ人をお願いしようかと思ってるんだ。
私が紹介すれば身元は特に問われないだろうし、彼女は腕っ節が強いのだろう?
この時期、外来が多くてな。荷物運びを含む細々とした雑用やトラブルが増えるんだ。常に人手不足といっていいぐらいにな。それに彼女は元々向こうでもそういったものに対処をする仕事をしていたのだろう? 問題なくやれるさ。
言葉の壁に関しては私がなんとかするしかないが……」
「なんとかって、なんとかなるの?」
「私の努力次第というところだな。そういうわけで春菜、私がある程度あっちの言葉を覚えるまで、通訳を頼むぞ」
「え、本気?」
「無論本気だ。興味もあるしな。
それに、彼女には聞いてみたいことが山ほどあるんだ。いちいち春菜に頼るより私が直接話せたほうが便利だろう」
「いやまぁ、綾がいいならいいけどさ」
どうやらいつの間にか、スフィルは質問の嵐に見舞われる事が決定したらしい。
そうなるまでにかなり時間は掛かるだろうけど……まあ頑張れ。なーむー。
日中は掃除や洗濯などの家事、夜は夕食を作って綾を出迎えるという、本気で主婦のような生活をしながら、特に大きなトラブルもなくさっくりと5日ばかりが経過した。
時刻は午後3時を回った頃。色々と片付けを終えてリビングの扉を開けると、ソファーに腰掛けたスフィルが、熱心にテレビを見ながらクッキーをかじっている様子が目に飛び込んできた。この5日間で色々と教えまくった結果である。
自分達で教えておいてなんだが、いくらなんでも馴染みすぎじゃなかろうか。
この様子だと、向こうに戻った際に色々と苦労しそうな気がする。
それから、テレビなんて見ても言葉が分からないんじゃ……、と思い一度聞いてみたことがあるのだが、スフィルが言うには絵を見ているだけでも大体分かるし色々想像出来て面白い、とのこと。
私の感覚からすれば、字幕吹き替えなしで外国のテレビ番組を見てるようなものなんだろう、きっと。
そんな彼女のお気に入りは、歌番組とアニメ、それから意外なことにCMだったりする。CMは色々と動きがあって面白いらしい。
なんの番組を見てるかは知らないが、食い入るようにしてテレビを見つめるスフィルに声を掛けようとしたところで電話が鳴った。発信源は綾だ。
またビール買ってこいって言うんじゃないだろうなと思いながらも受話器を上げる。
よし。出来るだけ平淡な声を意識して……。
「ただいま、留守にしております。ピーという音に続けてご用件とお名前を……」
「こら、まったく似てないぞ。なんのつもりだ、春菜」
ち、ダメだったか。
「え、またビールをケースで買ってこいって言うのかと思ったんだけど」
「違うわ馬鹿。今回はお前自身に頼みたい事があってな」
「頼み?」
「ああ。急で悪いが、今から研究室まで来て欲しいんだ。最後の調整と確認をしたいのでな」
「研究室? それって綾の大学の?」
「ああそうだ。来てもらえるか?」
「今のところ手は空いてるから行けるけど、調整と確認ってなにするつもりよ」
「ふふ、それは来てからのお楽しみだ。
あぁ、研究室に部外者は勝手に入れんからな。これから私は正門まで移動するから、そこで落ち合うとしよう。なるべく早く来てくれよ」
「え、ちょっ……」
切れちゃった……。これからってホントに今から正門で待つつもりだろうか。向こうに着くまでまだかなり時間掛かると思うんだけど。
……ないとは言い切れないのが、スイッチの入った綾の怖いとこだな。しょうがない、なるべく急ぐか。
とりあえず、急遽出掛ける事になった旨をスフィルに伝え、ぱぱっと身支度を整えると家を出る。
電車を乗り継ぎバスに乗り換え、約1時間を掛けて綾の通っている大学まで移動すると、入り口にたたずむ綾を発見。予定通りそこで合流することが出来た。
「来てくれたか、春菜」
「お待たせ、綾」
「とりあえず、早速移動しようか。是非試してもらいたいものがあってな」
「それって、電話で言ってたやつだよね」
「ああ。今日ようやく完成したんだ」
「完成ね、一体なにが出来たのやら……」
隣に並ぶ綾とお喋りしながら構内を10分程度歩き、第三科学研究室のプレートが掛けられた扉をくぐる。
そこでまず目に留まったのは、部屋の中央にあるパーティションで区切られた大きな机と、その上に乱雑に積み上げられた資料と思しき物の山だ。壁際には専門書と思われるものがぎっしりと詰まった本棚が置かれており、部屋の隅には謎の機械類が積み上げられている。
ここが研究室か。初めて入ったなー。
「散らかってるが、気にしないでくれるとありがたい。
私としても片付けたかったのだが、人の物に勝手に手を出すわけにもいかなくてな。
あぁ、こっちに来てくれ」
ざっと部屋中を見回してみるが、私達以外の人影は見当たらない。今ここには誰も居ないようだ。
誘われるがまま1箇所だけきれいに片付けられた机の区画まで来ると、そこに綾が腰を下ろす。置かれたネームプレートには綾の名前。どうやらここが綾の定位置らしい。
「他の人、誰も居ないんだ?」
「ああ、本来なら今日は休日でね。来ているメンバーも居るには居るんだが、今は学園祭の準備で走り回ってるよ。
それで、呼び出した用件というのがこれだ」
綾がポケットから取り出したのは、簡素な造りをした銀色の指輪だった。指輪の頭には平べったくカットされ透明な石がはめられている。
「これ、指輪?」
「ああ。だが、ただの指輪ではないぞ。魔法の指輪だ」
「魔法の指輪?」
「それを指にはめて、魔力を込めてみてくれ。実際に見た方が分かりやすいだろう。
おそらく大丈夫なはずなんだが……」
「え、それって……」
まさかと思いながらも指輪をはめて魔力を込めてみると、はめ込まれた石の部分から見覚えのある魔法陣が描き出された。
「ふむ、上手くいったようだな。あとは上手く魔法が発動するかどうかだが……」
「……いやちょっと待ってよ。綾、一体なにをどうやったのよ、これ」
さすがにこれには驚いた。魔法なんてないこの世界で、こんな物が出てくるとは思いもしなかった。
「数日前、春菜から魔石をいくつか融通してもらったろう? それを加工したのがそこにはめ込まれている石だ。お前さんが持っていた杖と原理はなんら変わらんよ」
「いや、そういう問題じゃないんだけど。
それに、よくこんなモン思い付いたね……」
「魔法の杖があるのなら、指輪もあるのが定番だと思ったんだがね。聞いた限りではそういった物が無さそうだったんで、作ってみることにしたんだ。既製品の改造と改良は、我が民族の得意とするところだと思うのだがね?」
「作ってみることにしたって……。もう改造ってレベルじゃない気がするんだけど。
それにこの魔法陣はどーしたのよ。渡した魔石って未加工ってか原石ってか……、とにかくまっさらな状態だったでしょ? どっから魔法陣持って来たのよ」
もうよく覚えてはないが、杖に魔法陣を登録するには確かちょっとした手順が必要だったはずだ。
「魔法陣自体は、以前春菜に教えてもらった物があったからな。それを物理的に刻んだだけだ」
「物理的?」
「前に杖を調べさせてもらった時に言ったと思うが、この魔石には取り込んだエネルギーを整形して放出する性質があると言ったろう?
融通してもらった魔石には整形する機能がないだけで、エネルギーを取り込み放出するといった性質はそのままだったのでな、途中でその流れを弄くってやればいいと気付いたんだ。
ここまでくればあとは簡単だ。魔石内部に傷を入れて、物理的にエネルギーの流れを変えてやればいい。ここにある設備を使えば、その手の加工はお手の物だしな。
もっとも、物理的に刻みつけた分、魔法陣の書き換え等は一切出来ないがね」
「…………。
もう言葉もないわ。ホントに」
ちょっとした思い付きからこんな物を作ってしまうとは、感心するやら呆れるやら。
綾の賢さと行動力がここまでとは思わなかった。
「まあこれが急に呼び出した理由なんだが、どうだ春菜? 使えそうか?」
「使えるもなにも……、便利すぎでしょ、これ。この大きさなら嵩張らないし、こんなのがたくさんあれば杖持つ必要がなくなるわけだしさ。
向こうに持ってったら一財産築けるんじゃないかな」
例え指輪1つにつき魔法陣1つだとしても、指は両手合わせて10本もあるのだ。それぞれの指にこれをはめれば、杖で扱える魔法陣の数を大きく上回ってしまう。おまけに魔法陣入れ替えが指輪を付け替えるだけとか、自由度的にも反則レベルだ。
もし向こうで売り出したら、杖売ってる店が軒並み潰れそうな気がするけど……。
「ふむ、好評なようでなによりだ。
あとはそれがきちんと使えるかどうかを確認しておきたいのだが……、さすがにここでやるわけにもいかんか。それは家に帰ってからだな」
「あー、そうだね。うん、それがいいと思う」
「ふむ。では春菜、これを預けておこう。先に帰ってテストしておいてくれ。私はまだ学園祭の打ち合わせが残っているのでな」
そう言いながら、机の引き出しから平べったい木箱を取り出す綾。箱に手を掛け引っ張るようにして持ち上げると、まるで宝石箱のようにパカリと蓋が開いた。
覗き込むと、中には紫色の台座の上にはめ込まれた指輪が約10個。
え、これって全部もしかして……?
「指輪は全てフリーサイズにしてある。どの指にはめても使えるはずだ。使い勝手を含めて色々確認してくれ。
これだけの数になると区別がつけ辛いんでな。付けてある石の色を変えられれば一番よかったんだが、さすがにそれは無理だった。代わりといってはなんだが、リング自体の色とカットは全て変えてある。
だがまあ、最初はそれでも分かり難かろう。ラベルをつけておいたから、まずはそれで判別してくれ」
言われるがままにラベルを見ると、そこには『光源』『湧水』『発火』『負傷治癒』と、見知った名前ばかりが並んでいる。
見せた魔法陣全部作ったのか。
確かにモコちゃんが持ってた小石ぐらいの魔石20個ばかり渡した気はするけど、まさかこうなるとは……。
「……あんた、ほんっとに凄いわ」
ため息を吐き出すついでにこう返すのが精一杯だった。
夜、夕食後。相変わらずテレビに夢中なスフィルの横で、綾が指輪のテスト結果をまとめている。報告者は当然私だ。
「試したのは大体そんなとこかなー。『発火』や『負傷治癒』は危なかったり怪我人が居なかったりでまだ試してないかな。それから、『湧水』で出た水はお風呂に突っ込んどいたから、今日はちょっとお湯たっぷりのお風呂になるかも」
「ふむ、そうか。とりあえず助かった、礼を言う。
しかしなんだな、試した範囲で失敗作はなしとはな。手書きのメモが元の割にこの結果とは、意外と冗長性があるのか……?」
ぶつぶつと1人でなにやら考察を始める綾。
そこにスフィルが話し掛けてきた。
「ねぇ、ハルナ。今テレビに映ってる場所って分かる?」
「テレビ?」
目をやると、山中にある牧草地といった、のどかな風景が映し出されていた。
パッと見、外国のように思えるが……。
「んー、ごめん。どこか外国ってことぐらいしか……。綾は分かる?」
「私か? そうだな……。
すまん、最初から見ていたわけではないのでな、私にもここがどこかは分からんな。
あー……、スフィル、すまない、分からない」
唐突に片言で話す綾。おそらく向こうの言葉で話したものと思われる。
驚いたことに、この数日で綾は向こうの言葉をある程度理解し、また片言レベルで話せるようになっていた。
私からすると、急に片言で話してるように聞こえるので違和感ありまくるのだが、ご都合翻訳のある私にこう聞こえるということは、ちゃんと意味ある言葉として話せてるのだろう。
頭良すぎだよ、綾。スフィルは辛うじて数字が読めるようになった程度だってのに……。
まあ、それはさておき。
「そっか、残念」
「この場所がどうかしたの?」
「えっと……、さっきの場所って、アタシの故郷に似てるなーってちょっと思ってさ。なんか懐かしくなっちゃって」
「へぇ、スフィルの故郷ってあんなとこなんだ」
「もう随分と戻ってないけどね。今度そっち方面に行く依頼でも探してみようかな……」
懐かしんでいるのか、遠くを見るような目をするスフィル。
その瞳から唐突にぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「え? ちょっ……どうしたの?」
「え? あ、あれ?」
驚いたように目元に手をやるスフィル。だが、その涙は止まらず流れ続ける。
「おかしいな、なんで……?」
困惑した様子で目に手をやり続けるスフィルに、慌ててティッシュの箱を差し出す私。
「ふむ……、ひょっとしてホームシックか?」
「ホームシック? ってあの?」
「ああ。懐郷病と呼ばれるあれだ。
彼女にしてみれば、唐突にこんな状況に置かれたわけだしな。ここでの生活にも慣れてきて気が緩んだんだろう。
そんな落ち着かない環境に加えて、ろくに外にも出れないんだ。その辺の物がまとめて噴き出したのかもしれん」
「スフィル……」
スフィルの背中に手を添えて、ゆっくりと上下に優しくなでる。
今のスフィルの認識では、ここはジェイルの町から一生歩いても帰れない程とてつもなく離れた場所に来てしまったということになっている。
そして今現状、私しか向こうに戻る手段がないことと、スフィルを連れて戻れる方法を模索することは伝えてあるのだが、やはり不安があるのだろう。
「絶対、一緒に戻る方法を見つけるからさ……。だから元気出して」
「うん……」
しばらくそうやってスフィルの背中をなでていると、だんだんと落ち着いてきたようだ。
「ごめん、もう大丈夫だから……」
「ん、もういいの?」
「うん、ごめん。変なとこ見せちゃったね」
「気にしない気にしない。誰だってそんな時ぐらいあるでしょ。ね、綾?」
「そうだな……。
スフィル、気にする、よくない、安心する、……と、こんな感じか?」
「あー……、まぁ、大体合ってるんじゃない?」
「うん。ちゃんと伝わったから大丈夫。2人ともありがとね」
ようやく落ち着いたのか、お茶を手に取り口に運ぶスフィル。
それに習って私もお茶を一口……。う、すっかり冷めちゃったな。
「しっかしこうなると、なんか気分転換でも考えたほうがいいのかねー。
綾、なんかいい案ない?」
「いきなり案といわれてもな……。
そうだな。ありきたりではあるが、ショッピング……は人目に付きすぎるか。
なら、ドライブにでも行ってみるか?」
「ドライブ? どこまで?」
「この付近でどこかということになるが……。いや、流沢岳があったな。
隣の県になるが、山頂付近にあるお寺に立派なアジサイ園があると後輩から聞いたことがある。今はちょうどその季節だからな、かなりいい物が見れると思うぞ」
「へぇ、アジサイ園っか。いいねそれ。
スフィル、ドライブ行こう、ドライブ。アジサイ園だって」
「え? ドライブ? アジサイ園? なにそれ?」
「ドライブってのは自動車に乗って遠出することで、アジサイは花の名前だよ。
要するに、車に乗って花を見に行こうって事」
その説明にスフィルの目が輝いた。
「車? 車って外をびゅんびゅん走ってる馬のない馬車だよね? 乗りたい乗りたい、アタシ1度あれに乗ってみたかったのよねー」
え、あれ、そっち? 花じゃないの?
「ふふ、どうやら彼女はアジサイより車のほうに興味があるようだな。
まぁ、これで決まりだ。今日は木曜だったな……なら明後日の土曜日に行くとするか。
レンタカーの手配は私がしておこう」
「あー、うん。私じゃ無理だからよろしくね、綾。
スフィル、ドライブは明後日だってさ」
「明後日ね、明後日。了解、了解。
車、車。楽しみだなー」
スフィルの明るい声がリビングに響き渡った。
ちょっと空元気な気もするけど……、まぁ、空元気も元気の内、強がる余裕が出てきたということで良しとしきますか。
現代での生活により、スフィルが大分染まってきました。
それに伴い発音に慣れてきたということで、普通にカタカナを使わせてもらってます。
そして頭脳チートが入ってる綾。彼女はこの先も続けて登場します。
その理解力が羨ましい……。
長くなってきた現代での話ですが、区切りまであと2話程予定しています。
話を組み立ててる段階だと3~4話の予定だったんですが、どう考えてもあと1話じゃ収まらないので2つに分けることにしました。
さて、ここからは少しだけ連絡です。
感想で指摘して頂いた部分の修正ですが、その部分だけでなく全体的にテコ入れしようと思ってます。
今読み返すと、見てらんない部分がちらほらあるのが気になりまして、こうなったらもう全面的に手直ししようかと。
今までも何度か手直ししようとは思ったんですが、めちゃくちゃすぎて手がつけられない部分もあり(特に序盤の展開)、そこをどうしようかと悩んでたんですが、閃きました。
手がつけられないなら後回しにすればいいじゃない。
そんなわけで、一部を除いて色々と直していく予定です。
とりあえず、話を先に進めつつ詰まったら手直しをするといった方針で行く予定ですので、次話が今以上に遅くなる事はほぼないハズです。
多分……。