72 思わぬ帰還 その2
お待たせしました、72話目です。
色々と詰め込んでいたらまた長くなってしまいました。
約14,500文字と、最長記録の更新です。
翌朝、ソファーに寄り掛かったまま寝ていた私がふと目を覚ますと、こちらを見つめて絶句している綾とばっちり目が合った。
「…………」
「…………」
「……まずいな、幻覚が見える。どうやら私の頭は相当ヤバいところまで来ているらしい。
今日は1日、休むとするか……」
「わー!? 待って待って待って。幻覚じゃないから、本物だからっ!?」
人の顔を見て即行で寝室に戻ろうとする綾の手を、なんとか掴まえて縋り付く。
だが、そうする前に、綾は頭を抱えてうずくまってしまった。
「え?」
「声が、頭に……」
あー、要するに2日酔いと。
「えっと……。お水、取ってこようか?」
「……ああ」
「待ってて、すぐ持ってくるから」
綾の元を離れると、勝手知ったる他人の家とばかりにグラスを取り出し、見覚えのある水差しから水を注ぐ。
……綾ってば、まだこの水差し使ってるのか。
「はい、お水」
「……済まない」
水を飲んでひと息つくと、綾は改めてこちらに向き直った。
「ふぅ……。
さて、色々聞きたい事があるのだが……。君は一体何者だ? それから、そこで寝ている彼女は誰なんだ?」
「何者って……。昨日の事覚えてないの?」
「なに……?」
昨日は私だって認識してくれてたのに。
……まぁ、昨夜は既にべろんべろんに酔ってたみたいだから、覚えてなくても不思議じゃないけど。
「まぁ、知ってると思うけど、一応自己紹介。私の名前は桜井春菜、かなり久しぶりになるけど、綾の知ってる私で間違いないよ。
それからこっちはスフィル。最近色々とお世話になってる、私の友達」
「待て、馬鹿を言うな。春菜はとっくに亡くなってるんだ、3年も前にな。
まさか化けて出たとでも言うつもりか?」
「いや、別に化けて出たつもりはないんだけど。
あーでも、そういうことになるのかな。こっちで死んだことは確かだし……」
「……意味が分からん。もう少し分かるように言ってくれ。
まったく、そんなところまで春菜にそっくりなのだな」
「いや、だから私だって。
……ちょっと待ってね、今色々と説明するから」
目の前で、綾が頭を抱えて机に突っ伏している。
その原因は言わずもがな、私の行った綾への説明にあるのだが……。
「死神に異世界に魔法に精霊だと……?
とても信じられんが、こうも目の前で実物を見せられてはな……。
だが同時に信じがたいのも事実だ。実は私はまだベッドで寝ていて、夢を見ていると言った方がまだ信じられる」
綾の目の前には、光を放つ球がぷかぷかと浮いており、その隣にはモコちゃんがふわふわと浮いている。そして、リビングの机の上には私の大鎌と杖、それからスフィルの持ち物である剣が数本並べられていた。
手っ取り早く証拠を見せようと、魔法だのモコちゃんだのと綾の目の前で実演してみせたのだが、学者肌な綾には刺激が強かったらしい。私の常識が崩壊したといわんばかりに、机に突っ伏してしまった。
「あれか? 昨日深酒をしたのがまずかったのか? あれで私の頭のネジがどこかに飛んで行ってしまったのか……?」
「えーっと、綾。現実を見ようよ?」
「現実的でない物を持ち込んだ張本人がなにを言うっ」
がばっと起き上がってがーっと吠える綾。だが再び頭を抱えてうずくまってしまった。
「ぐっ……、頭に響く」
「あーもう、そんなに叫ぶから」
「お前の所為だ、お前の。
まったく、春菜と話していると真面目に考えるのが馬鹿らしくなってくる……」
「およ、認めてくれるんだ?」
「そういう部分を含めて、色々とお前らしいからな。
なによりこうして話していて、私自身、懐かしいと思う事実もある」
「綾……」
「まあなんだ。難しい事は抜きにして、今は素直に再会を喜ぶとしよう。
久しぶりだな、春菜」
「うん、久しぶり、綾。
綾はちょっと老けた、かな?」
「ぐっ……。3年も経てば多少は仕方あるまい。だがそれはお前も一緒だろう」
「私は多分変わってないよ? ほら、お化けは歳取らない、ってねー」
「なんだと……!?」
あっはは。懐かしいなぁ、もう。涙が出そうになるじゃない。
「どうした、春菜?」
怪訝そうな声を上げる綾。目元を弄くっていた私を不審に思ったのだろう。
「なんでもない。ただ、懐かしいなーって」
「……そうだな」
しばらくそのまま無言の時を過ごしていたが、やがておもむろに綾が立ち上がった。
「どうしたの、綾?」
「しばらくこうしていたいのは山々なのだが、今日も大学まで行かねばならんのでな。
いい加減準備をせねば、そろそろまずい」
「大学って……、綾、まだ行ってたの?」
「ああ。研究室の方にも籍はあるが、今は一応教員という事になっている。
あれから院に進んで修士を得てな、運よく講師として雇ってもらえる事になったのだ」
「へぇ、さっすが綾……」
昔から頭よかったもんなー。
「そんなわけで、私は行かねばならんのだが。
春菜はどうするんだ?」
「……正直、どうしていいかさっぱり分かんないかな。
こうなったのも、色々と予想外すぎたし。
少なくとも、スフィルの体調が戻るまでここから動けないだろうから、しばらく置いてもらえると助かるんだけど……」
「ふむ。少しの間だけならば、まぁ問題はないが……。
ただ、その後どうするつもりだ?」
「んー、まだ考えてないってのが正直なところ。こっちで生活するのはかなり厳しいだろうから、向こうに戻るってのが一番いいんだろうけどなぁ」
なんせ私もスフィルも居ないはずの人間だ。そんな人間が住居を持ったり働いたり出来るはずもない。
「ふむ。その辺りの事については、また今夜にでも相談に乗ろう。春菜1人で悩むよりかは、いい考えが浮かぶかもしれないしな」
「ありがと。助かるよ」
とりあえず、どうするべきか考えだけでもまとめとかないとなぁ……。ああもう、今から頭痛い。
「さて、それはそれとして、ひとつ相談なのだが……」
「なに、綾?」
「その杖、ワンドといったか? 一度私に貸してくれないだろうか。
それは魔法を使う際の器具なのだろう? 魔法という技術に非常に興味が惹かれるのでな、是非とも一度調べてみたいのだが」
「えっ?」
「なに、壊しはしないさ、安心してくれ。
それに、魔法とやらは杖がなければ使えない技術というわけではないのだろう? ここにいる限りは、そうそう使用する機会などないと思うのだが」
「まぁ、そりゃそうかもしんないけどさ。
その調べた結果をどうするつもり? もし公表でもされて、魔法なんてモンの存在が周りに知れたら大事になるってことぐらい、綾なら分かるでしょ。今、私がそうなるのって非常にまずいと思うんだけど」
「む? ああ、そっちの心配をしていたのか。
その心配なら無用だ。なぜなら私は調べはするが、その過程や結果をどこかに公表するといったつもりは全くもってないからな。
これは単に、私の好奇心を満たすための行動だと思ってくれていい」
「うーん、本当? それなら別に構わないんだけど……。
絶対に公表したりなんてしないでよ?」
「もちろんだ。今以上の面倒事は私もゴメンだからな。
細心の注意を払うと約束しよう」
約束を取り付けた後、綾は上機嫌そうに私の杖を鞄に仕舞うと、朝食も取らずにさっさと家を出て行ってしまった。2日酔いで食欲がないのに加え、さっきの私との騒動により食べる時間がなくなってしまったらしい。
うぅ、ごめんよ、綾。任された夕食は張り切って作るから許しておくれ。
とりあえず、綾から色々と許可は貰ってあるので、バタートーストに目玉焼き、野菜サラダと紅茶を用意し、さくっと朝食を済ませる。ちなみに私はコーヒーではなく紅茶派だ。綾はコーヒー派だけど。
久々に食べる食パンの味に感動を覚えながらも食事と後片付けを済まし、モコちゃんにご飯(魔力)を分け与えていると、リビングからどすんという音が響いた。それと同時にスフィルのうめき声。
寝ぼけてソファーから落ちたか?
モコちゃんを抱えたまま様子を見に行ってみると、中途半端に毛布にくるまったスフィルが、床に落ちた体勢のままうめき声を上げていた。
「おはよ、スフィル。大丈夫?」
「お、おはよう、ハルナ。いたたたた……」
落ちた際に腰を打ち付けたのか、右手で腰をさすりながら上体を起こそうとするスフィル。だがその途中で再びべちょっと床に寝そべってしまった。
「ちょっと、ホントに大丈夫?」
「……ごめん、ちょっと無理。起こして……」
床に寝そべったまま、ぷらぷらと力なく手を振るスフィル。
モコちゃんを抱えた方とは違う手でスフィルの手を掴むと、一気に引っ張り起こして今まで寝ていたソファーに引き上げた。ついでに、スフィルの額に手を乗せる。
「うーん、熱はないっぽいけど」
「違うの、そうじゃなくて……。多分だけど魔力不足、だと思う」
「え、魔力?
……なんでここでそれが出てくんの?」
(主、此処、魔力、希薄)
スフィルの代わりに、左手にくっついたモコちゃんから返事があった。
「モコちゃん? 希薄って……薄いって事?」
(是。希薄、故、我、空腹、早)
そ、そーなんだ。ただ食いしん坊なだけじゃなかった……って、今はそれはどうでもよくて。
「どうしたの、ハルナ? モコちゃんがなんか言った?」
「うん。なんかここは魔力が薄いとか、って」
「あぁ……、そういう事」
「? なんか心当たりでもあるの?」
疑問符を頭に浮かべながら、スフィルに目を向けてみる。
「辺りの魔力が極端に濃かったり薄かったりすると、自分の魔力まで影響されて体がおかしくなるって話を昔、聞いたことがあってね。
……滅多にある事じゃないから、今の今まですっかり忘れてたけど」
「え、それって大丈夫なの?」
「うーん、話を聞いただけだからなんとも……」
「それもそっか。
あ、でも私は全く平気なんだけど?」
「……アンタは特別なんじゃない? 色々と」
まあ、そうかもしんない。元々ここで暮らしてたワケだしね。
「で、ハルナ。ちょっとお願いがあるんだけど」
「お願い? なに?」
「魔力、分けてくんない? このままじゃ起きることも無理みたい」
「まあそのぐらいならいいんだけど……、どうやるの? いつもモコちゃんにやってるみたいな感じ?」
「うん、そんな感じでお願い出来るかな……」
う、スフィル相手にやるのか。あれ、ちょっと恥ずかしいんだけど……。
でも、スフィルをこのまま放っておくわけにもいかない。
顔が赤くなるのを我慢しながらひとさし指に魔力を集めると、それをスフィルの目前に突き出した。
「はい」
「え?」
「え、……って魔力分けるんでしょ?
ほら、早く吸ってよ。私だって恥ずかしいんだからさ」
「ばっ……、違うわよ!」
「あいたっ!?」
スコンと軽い音が響く。スフィルが跳ね起きて私の頭を叩いた音だ。
痛たたた……。じゅーぶん元気じゃないの。
と思った瞬間、再びソファーに崩れ落ちるスフィル。
「もう、なにさせてくれんのよ……」
「それはこっちのセリフだよ。
いくら恥ずかしいからって、叩くことないじゃない」
「いやアンタ絶対勘違いしてるっ。
普通に手をかざして魔力注いでくれるだけでいいの、指から吸うなんてことはしないしやらないからっ!?」
「えっ、吸わなくていいの?
モコちゃんにやってるみたいにって言うから、てっきり……」
「……ごめん、アタシの頼み方が悪かったわ」
「う……。なんかゴメン」
お互い顔を赤くして謝り合った後、20分ばかり掛けてスフィルに魔力を注ぐと、彼女はなんとか普通に起きれるようになった。スフィル曰く、これなら今日1日ぐらいは持つだろうとのこと。
同時にお腹が空いたらしいので、スフィルにも朝食を出すことに。ちなみにメニューは私と同じだ。もっとも、まだ疲れが残っているだろうから、シュガートースト(バタートーストに砂糖振ったやつ)にしたが。
だが、出された食事にスフィルは一向に手を付けようとしなかった。それどころか、なんだかそわそわと落ち着かない様子である。
「……どしたの、スフィル?」
「いやその、それってパンよね? なんかありえないほど白いんだけど。それに食器とかめちゃくちゃ高級そうだし……。
ホントにアタシ、これ食べていいの?」
え? あ、なるほど。
向こうとのギャップに気後れしてるのか。
「大丈夫大丈夫、ここの辺りじゃ一般的な食事だから。気にせず食べちゃって」
「これが一般的って……どんな場所よ、ここは」
しばらくぶつぶつとなにかを呟いていたスフィルだったが、再度の勧めに従ってパンに口を付ける。そして表情が一変した。
「うわ、なにこれ、すっごい柔らかいんだけど。それにものすごく甘い……」
「疲れてる時には、甘い物の方がいいと思ってね。ほら、こっちのサラダもドレッシングが美味しいよ。あとそれから……」
「ちょっと待って、そんな一度には無理……」
食事に感動しながらもきゅもきゅと口を動かすスフィルの隣で、ちょっぴり呆れつつも面白がってアレコレ勧めまくる私。
しばらくそうやってまったりと朝食の時を過ごしていたが、途中、スフィルの手が止まったタイミングで話を切り出した。
「ねぇ、スフィル。食べながらでいいからちょっと聞いてくれる?」
「ん? なに、ハルナ」
「いや、これからの事なんだけどさ」
自分のお茶を一口飲んで話を続ける。
「スフィルには、いくつか簡単に注意してもらいたい点があってね。それを話しとこうかと思って」
「注意?」
「そ。私らが今居る場所ってのは、今まで居た場所とは全然違う、別の国のようなもんだってのは分かるでしょ?」
「まあ、大体はね」
「だから、不用意に1人で出歩かないでほしいの。ここ出身の私はともかく、スフィルの容姿はかなり目立つから」
パッと見、スフィルの顔立ちはどう見ても外国人のそれである。そして当然、身分を証明するパスポートなんて持ってるはずもない。オマケにその髪の毛は赤色だ。遠目に見ても非常に目立つ。
「ここって、国への出入り確認が非常に厳重だからね。もし警察……自警団のような物だけど、そこにバレたらとんでもなく厄介なことになると思う」
「厄介って?」
「んー、少なくとも捕まるのは確実だと思う。それから強制送還になるか施設送りになるかはよく分かんないけど……」
スフィルはここに存在しないはずの人間だ。強制送還しようにも送り返す先がない。
そして万一、うっかり口を滑らせて、別世界から来たことがバレようものなら、面倒じゃ済まない事が待っているのは確実である。
もっとも、そういう意味じゃ私の方が危ないわけだけど。
だが、よっぽど目立つ事をしない限りは恐らく大丈夫だろう。スフィルと違って、見た目で他の人と大差あるわけじゃないし。
「……よく分かんないんだけど?」
「えーっと。分かりやすく言うなら、最悪、周りの人全員に正体のバレているウィリィみたいな扱いになるかもってこと」
「うげ。……絶対1人で出歩かないようにするわ」
私の言葉でなにを想像したのか知らないが、そう返事をしたスフィルの顔色は少々悪かった。でも多分間違ってないよね?
朝食を済ませた後は、スフィルに部屋の中を案内して回った。主に電化製品の挙動と使い方を教えるのが目的だ。
実はさっきの朝食中に電話が鳴ったのだが、音に驚いてかスフィルが椅子から転がり落ちるという一幕があった。早々に色々教えておかないと、驚くだけならまだしも、反射的に壊されでもしたら目も当てられない。
そう思い、室内の案内に踏み切ったのだが、これがまあ驚くこと驚くこと。
水道を見ては驚き、アナログ時計を見て感心し、照明を付ければ耳を押さえてその場で屈み込んだ。雷と勘違いしたらしい。
途中、スフィルが手洗いに行きたいと言うのでトイレに案内したのだが、ここでもまたひと騒動があった。
さすがに中まで付き添って入る気はなかったので、水の流し方だけを教えて外で待っていたのだが、しばらくすると珍妙な叫び声と共に、両手でお尻を押さえたスフィルがトイレから転がるようにして飛び出してきた。
一体なにごと、と中を覗いてみると、そこにはうぃーんと音を響かせつつ水を吹き上げ続ける便器の姿が……。どうやら誤ってウォシュレットを作動させてしまったらしい。
とりあえず停止ボタンを押し、水を止めてからスフィルの様子を見に行くと、彼女はあられもない姿で両手でお尻を押さえたまま
「なんなのよ、ここは……」
と、呟いてがっくりとうなだれた。
この後、水浸しになったトイレとスフィルの後始末で頭を抱えたのは内緒である。
色々と騒がしかった午前中が終わり、お昼を過ぎたころ。備え付けの電話がけたたましく呼び声を上げた。覗き込んでみると、ナンバーディスプレイには綾子携帯の文字。
「……もしもし、綾?」
「あぁ、出てくれたか。
私だ。そっちの様子が気になってな、なにか変ったことはあったか?」
「んー、特にないよ。ちょっとトイレが水浸しになったぐらいで。
スフィルも無事目を覚ましたし、こっちは特に問題ないかな」
「待て、水浸しとはなにがあった。大丈夫なのか?」
「ちょっとウォシュレットが誤作動してね。もう大丈夫だから……。まぁその辺は、綾が帰ってから話すよ」
「ふむ、そうか。……なら少々頼みたい事があるのだが」
「なに? 忘れ物でもした?」
「いや、そうではないのだが───」
綾からそんな電話をもらった1時間後、私はマンションの近くにある、某生活協同組合が運営するスーパーに来ていた。もちろん買い物をするためである。
夕食は任せた、と言い残していった綾のリクエストに応えるための買い物なのだが、それに電話で追加注文が入った。───曰く、再会を祝って打ち上げをするので、ビールをケースで買って来いと。
昨日2日酔いになるほど飲んでおいて、見上げたものである。
大丈夫? と聞く私の声もなんのその。頭と舌のまわる綾に言いくるめられ、結局押し切られる形でビールとおつまみを追加で買う事が決定した。
ちなみにスフィルはお留守番、というか絶賛ダウン中である。
マンション8階からの眺めは新鮮だろうと、カーテンを開けて窓の外の景色見せたところ、その場で尻餅をついて、そのまま起き上がれなくなってしまったのだ。
どうやら腰が抜けたようで、彼女は今、ソファーの上で再び寝込んでいる。
恐らくだが、見たこともない環境に置かれた上に今朝の騒動も加え、まだ抜けきってない疲れも重なったのだろう。
うーん、悪いことしたかな。なるべくなら、荷物持ちとして付いて来てほしかったんだけど……。
まぁ、来れなくなったものは仕方がない。買い物は私1人で済ませる事にする。
さて、まず買うべき物は夕食の材料なのだが、スフィルがいるのが問題だ。ここは久々に和食といきたいのだが、それがスフィルの口に合うか、かなり疑問である。
なら、ここは定番のカレーでも、と思ったのだが、スフィルの体調を考えるとあまり刺激が強い物もどうかと思われる。
甘口カレー? あれは私が食べたくない。あと綾も苦手だし。
精肉コーナーでひき肉を見ながら、ハンバーグは向こうでもあったしありきたりだなぁ、と考えていると、ワゴンの上で山積みになっている商品が目に入った。その傍には、お買い得と書かれたのぼりと、1袋600円1kg入りの文字。
ふむ、これにするか。
久々にお米を食べたかった気もするが、これはこれで悪くない。
手に取ったひき肉を買い物かごに入れながら、そんなことを考えた。
買い物を済ませて綾の家に戻ると、しばらく休憩の後、夕食の準備に取り掛かる。
今の時間は午後6時。一般的には少し遅い時間だが、綾は7時ごろに帰ってくるそうなので、今から作ればちょうどいい時間になるはずだ。
復活したスフィルは今、ルービックキューブをガチャガチャと弄ってたりする。
起きるのはまだ辛そうだが暇そうだったので、綾が持っていたやつを貸してみたのだが……。様子を見るに結構楽しそうだ。意外とこういったものもイケるらしい。
本当ならテレビを付けたかったんだけどなー。でもまた腰抜かされても困るし。
そうそう。スフィルには電化製品の類を魔道具───魔法の道具のようなものと説明してある。テレビはまだつけた事がないので、スフィルの目にテレビは用途不明の魔道具として映っている事だろう。
まぁ、電化製品を魔道具と言うのはいささか無理があるかもしれないが、ある特定の動作を元に(スイッチを押すとか魔力を流すとか)別の不思議な動作をするといった点で、両者に大差はないハズだ。多分。
まあ、それはさておき、料理料理っと。
まずは、にんじんとタマネギをザクザクみじん切りに……。うー、目に染みる。
続いて、香り付けのニンニクを1カケ刻んで、深めの鍋に投入っと。
鍋にはたっぷり油を敷いてある。まずはニンニクだけを炒めて香りを出すのだ。
鍋を火に掛け、ニンニクのいい香りがして来たら、続けてにんじんとタマネギ、それからひき肉も一緒に鍋に入れて、塩コショウで味を調えながら、全体的に火を通す。
これ、最初はフライパンで炒めてから鍋に移すやり方もあるのだが、私は最初から鍋の中で炒めてしまう。別に手抜きしてるわけじゃないよ? うま味が逃げないというか、こっちのが美味しい気がするんだから。
……誰に言い訳してるんだ、私は。
えーと。全体的に火が通ってきたので、鍋に水を注いで、っと。特に量は決まってないが、具材がひたひたになる程度が適量だ。……よし、大体こんなもんか。
あとは灰汁を取りつつ煮込むだけ───なのだがその前に。固形スープの素を1つ取り出し、包装剥がして鍋へと投入。これが美味しく仕上げるコツである。
うーん。しっかしこうしていると、ちょっと奥様な気分だなー。綾と結婚したつもりはないけどさ。
生前、そういった相手は居なかったしなぁ。色々仲良くしてた子は居るけど、全員女の子だったし。その所為か男嫌いなんて噂がグループ内で流れてたっぽいし……。
いかんいかん、なんか脱線した。
鍋を見ると、かなりいい感じに具材が煮えていたので、そこにトマトピューレを投入。そしてよーく混ぜたら、味を見ながらトマトケチャップをだばだばと振り掛ける。
私は少々甘目が好きなので、多い目にケチャップを入れるのだ。
お玉を使って鍋の中身をちょっとすくって味を見る。
よしよし、いい感じ。
あとは軽く煮込んで馴染ませるだけ。これで私流、ミートソースの完成だ。
「よっし、完成。出来上がりー」
「なに作ったの、ハルナ?」
「ミートソーススパゲッティって料理だよ。多分知らないと思うけど。
それより、起きてて大丈夫なわけ?」
「まだちょっとしんどいけど、いい匂いにつられて、つい。
ハルナは珍しい料理を知ってるみたいだし、楽しみだわ」
私の料理の腕前については、この前のカツ以来色々と見直してくれたようである。
「珍しいってか、この辺りじゃ一般的なんだけどねー」
「うわ、真っ赤」
鍋を覗き込んだスフィルがちょっと仰け反った。
「大丈夫大丈夫、こーゆーもんだから。
ほら、あともう少しだから座ってて。もうすぐ綾も帰ってくるはずだし」
「ん、了解」
今朝のサラダで残った野菜を細かく刻み、茹でたジャガイモをマヨネーズで和えて手抜きポテトサラダを作っていると、玄関からガチャガチャと物音が。どうやら綾が帰ってきたらしい。
「ただいま」
「お帰り、綾。言われた通り夕食作っといたよ。あとビールもね」
「ああ、助かる。
暖かい物は久々だな。1人暮らしをしていると、こういった事がどうにも面倒でな。つい買ってきた物で済ませてしまう」
「まぁ、分かんなくはないけどさ」
「えっと……、ハルナ?」
私の後ろから遠慮がちに声を掛けてきたのはスフィルだ。
あー、初顔合わせだっけ。
「そういえば、お互い顔を合わすのは初めてだよね。紹介しときましょうか」
お互いがうなづいたのを確認すると、まずは綾に手を向ける。
「スフィル、こっちが綾。私の友達、というか親友? 結構長い付き合いだよ」
「もう少しちゃんと紹介しろ。
夏日綾子だ。今は大学で講師をしている。春菜とは高校以来の付き合いでな、気のおけない友人といった間柄だ。よろしく頼む」
続けてスフィルに手を向ける。
「んで、こっちがスフィル。あっちでの私の友達第1号。ちなみにすんごいバカ力」
「ちょっと!?
……んもう。えっと、アタシはスフィル。家名はなし。冒険者ギルド所属で、ついこの前Dランクに上がったばかり。なんだけど……」
「けど?」
「ねぇ、ハルナ。アタシの言葉って通じてるの?」
「なあ、春菜。この人は一体なんと言ってるんだ?」
……えっ?
「つまり、まとめるとだ。私と彼女……スフィルと言ったか。スフィルとは互いになにを言っているか分からず、私と春菜、スフィルと春菜はお互い言っている事が分かる。
これで間違いないな?」
「うん、それで間違いないと思う、けど……」
色々と試した結果、私とスフィル、私と綾の間では普通に言葉が通じるものの、綾とスフィルに関してはまったく言葉が通じなかった。一体なんでだ?
「元々住んでる世界が違うんだ。言葉が通じなくても、不思議でもなんでもなかろう。
春菜とはなぜ言葉が通じるかは、理由は分からんが……」
「そっか。綾でも分かんないか」
「当たり前だ。私をなんだと思っている。こんな事態に遭遇すること自体が初めてだ」
まあ、そりゃそーだよね。
「ただまあ、推測なら出来るぞ。
恐らくだが、お前は言葉そのものをやり取りしてるのではなく、それに込められた意志を直接読み取り伝えることが出来るのではないか?
春菜、お前は死神なのだろう? 魂という、言わば相手の意思そのものとやり取りが出来てもなんらおかしくはないさ」
「はぁ、なるほどねー……。
でも意外。現実主義の綾がそんな事言うなんて」
「あくまでも聞いた範囲内での推論だ。根拠はないに等しい。
それに別段、私は信じられない物を認めないわけではないぞ? ただ理由もなしに、なんとなくといった事柄が嫌いなだけだ。
根拠に値する物さえ示してもらえれば、普通に信じるさ」
「なんつーか、綾らしいわ……」
「ねぇ、ハルナ。さっきからなに話してんの?」
「あ、ごめんスフィル。なんで言葉が通じるかって話なんだけど……」
「ふーん、なんで?」
「いや、理由は分かんないけど。要するに私だから通じるって事になる……って、あれ?」
「あ、なるほど」
「いや、それで納得しないでよ!?」
「さすがにその説明は無理があると思うぞ、春菜」
「違うからね、勝手に納得したのはスフィルだからね!?
ていうか、あんたら言葉通じないはずでしょ? なんで言ってることが分かんのよ。
ああもう、この話はあと! とりあえずご飯にしましょ、ご飯。お腹空いたでしょ」
「そう焦るな。私はただ雰囲気や春菜の言葉から推測したにすぎん。
まあそうだな、空腹なのは認める。まずは食事にするとしようか」
「それもそうだね、お腹空いたし」
この2人は……。本当に言葉通じてないんでしょうね? からかわれてるんじゃないかと心配になるわ。
スパゲッティを茹でて盛り付けたお皿に、熱々のミートソースをどぱっと掛けて、ポテトサラダを付ければスパゲッティセットの完成だ。
「ふむ、さすが春菜だ。このホッと落ち着くような味を出すには───」
「ほら、適当に混ぜて、こーやってくるくるっと巻きつけて……」
「こう? ……うわ、美味しい」
意味不明な感想を漏らす綾をさらっと無視して、スフィルに食べ方を教えていると、やがて綾からスフィルへの質問攻めが始まった。
通訳はもちろん私。どうやら綾は向こうの生活や文化といったものが気になるらしい。
生活様式から通貨、魔法の扱い等々、多岐にわたる質問は夕食を食べ終わるまで延々と続いた。お蔭でただ食事をしていただけのはずなのに、いつも以上に疲れた気がする。綾だけは元気が増してきてるような気はするが……。
食後のデザートと称して買ってきたプリンつつきながらも、綾の質問は止まらない。
「いやはや、興味が尽きないな。
もし出来るのであれば私自身、あちらに出向いて色々と調べ尽くしたいところだよ」
「元気だねー、綾……」
「研究熱心と言ってもらいたいな。
ところで、そういった生活をしていたのなら、電化製品にあふれたこちらと比べるとずいぶん勝手が違うのだろう? その辺りの事も是非聞きたいのだが」
「そうだね、かなり違うと思う。ってそうそう、ちょっと耳貸して」
スフィルがプリンに夢中になっている隙をついて、今朝のウォシュレット騒動について綾に話すことにした。
いやほら、水回りの話だし、ちゃんと家主に話しとかないと、ね?
(今日、スフィルをトイレに案内した時の話なんだけど……)
(うん? 電話で言っていた、ウォシュレットが誤作動したというやつか?)
(そうそう。それで───)
スフィルをトイレに案内した時から、お尻を抑えて飛び出してくるまでの一連の流れを語って聞かせると、綾が肩を震わせて笑い始めた。
「っくく……、いや、笑っちゃ悪いのは分かっているが……。
っく、駄目だ。収まらん。
そうか、それはさぞかしキツイ刺激だったのだろうな」
「面白い声を上げて飛び出してきたからね」
「ねぇ、なに2人して笑ってんの?」
あ、やば。スフィルに気付かれた。
「ごめん。なんでもない。
それより綾がもっと話を聞きたいって言ってるんだけど」
「ああ。こちらにはビールを提供する準備があるぞ」
「ビールも飲んでいいってさ」
「びーる……って、その泡の溜まった黄色い飲み物のこと?
ゴメン、それはアタシ、遠慮しとく。まだ本調子じゃないし……泡の出る水にはちょっと嫌な思い出が」
「春菜、彼女はなんと言ってるんだ?」
「えっと、まだ調子が戻らないから遠慮しとく、って」
「ふむ。それなら仕方がないか。まぁいい、春菜、代わりに付き合え。お前には言いたかった事がまだまだあるんだ」
うげ、矛先がこっち向いた。
「え、私? いや、それは明日にしない?
それにほら、アンタ今朝、2日酔いだったでしょう? 程々にしときなさいよ」
「なに、気にするな。この程度は飲んだうちに入らんよ」
「それ、既に缶ビール4つ空けてる人のセリフじゃないからっ」
だが、なんと言おうがこうなった綾はもう止まらない。
ああもう、しょうがない。こうなりゃとことん付き合ってやろうじゃないの。こっちにだって積もる話は山ほどあるんだから。
───1時間経過
「ふむ、人の死後はそうなるのか。
まさか、生きているうちにその疑問の答えに出会えるとはな。意外な事もあるものだ」
「"送って"からどうなるかまでは、私にも分かんないけどね」
「なるほどな。だがそれでも貴重な情報だ」
───3時間経過
「そうそう、今朝預かった杖だが、あれはなかなか興味深い代物だな。
特にあの取り付けられている透明な石、あれがなんなのか皆目見当がつかん。調べたところ、取り込んだエネルギーを整形して放出する性質があるようだが……」
「あー、えっと、それ確か魔石って聞いた気がする。多分だけど込められた魔力を魔法陣の形にする役目があるんじゃないかな?
魔石自体どうやって作られてるとかは、さっぱり分かんないけど」
「そうか、残念だ。是非とも研究用にいくつか欲しかったのだが」
「残念だけど1つもないわー。
あ、でも……」
「でも? なんだ?」
「モコちゃんなら持ってるかもしんない。あとで聞いてみようか」
「ほう。もしあるようであれば、是非とも譲ってもらいたいところだな。対価が必要なら相応に払わせてもらおう」
「まぁ、持ってたらね」
───5時間経過
「それで、ウィリィに色々疑われちゃってさ……」
「不用意なんだお前は。もう少し自分の行動が人の目にどう映るか考えろ。
しかし、翼を持った人間か。どのような骨格をしているか、是非ともこの目で見てみたいものだな」
「ウィリィ、逃げてー。実験材料にされるー」
「誰がするかっ!?」
……等々。久々の綾とのお喋りは留まるところを知らず、ふと気付けば時計の針は午前1時を指していた。
「ふぅ……、もうこんな時間か。少々飲みすぎたな」
「これを少々って言っちゃう綾がスゴいわ……」
机の上には数えるのがバカらしくなる位のビールの缶が転がっていた。もちろんすべて空き缶である。今日買って来た1ケースが丸々空っぽになってしまった。
言っとくけど、私が飲んだのってこの中の3~4本だからね。残りは全部綾だから。
「それにしても、春菜も今日は頑張ったな。昔はビール2本ぐらいでギブアップしていただろうに」
「あー、うん。ついね……」
「ふふ、私もだ。
さて、今日はこのぐらいにしておくか。ビールも無くなったしな。私はこのままシャワーを浴びて休むことにするよ。風呂にするとそのまま寝てしまいそうだ」
「あー、私はお風呂入りたいかも。あっちじゃ全然入れなかったし」
「ふむ。それなら私の後で好きに使ってくれ。掃除は済ませてある、そのままお湯を張れば入れるはずだ」
「ありがと、楽しみだわ」
「大分飲んでるんだ。風呂の中で寝るなよ? 溺れても責任は取れんからな」
「平気平気、大丈夫だって」
「まぁ、待ってるうちに少しだが酔いもさめるか。お先に入らせてもらうよ」
「ほいほい、ごゆっくり」
綾を見送ったあと、椅子にもたれかかって大きく息を吐く。
あーもう、どうなってんのかなー、私の体って。
さっき綾にはああ言ったものの、私は全然酔ってなどいない。酔った時に起こる頭がぼーっとするような感覚すらないのだ。
お酒を飲んだ時の喉を滑り落ちていく熱い感覚はあるのに、いくら飲もうがさっぱり酔わなかった。
死んでから今までろくに飲んだ事なかったからなー。これもまた、疲れないのと一緒で不思議能力の1つなんだろうけど……。
そりゃ、酔っぱらいの死神なんて聞いたことないけどさ。あの感覚をもう楽しめないのは残念だわ。
遠くから聞こえるシャワーの音を聞きながら、酔えないことについて考えるも、すぐに頭を振って諦めた。
まぁ、今更気にしてもしょうがないし、考えたって分かるはずないからねー。
それより綾が上がってきたら久々のお風呂だ、お風呂。暖かい湯船にじっくりつかりたかったんだよね。
まずはモコちゃんを呼んで、着替えを取り出して……。あー、楽しみだ。
ミートソースは実際このやり方で作ってたりします。これにジャガイモを入れても美味しいですよ。
P.S.
スフィルに指を出したところで、「あむ……、ちゅぱ」なんてやっちゃうと、警告タグが1個増えてた、かも。