71 思わぬ帰還 その1
今回はいつもより早く出すことが出来ました。
そして、新エピソードの開始です。
9,800……約10,000字です。
「それじゃウィリィ、気を付けてね」
「もちろんですヨ。
ハルナさんもわざわざの見送り、ありがとうございマス」
「こっちこそ、こんな場所まで付いてきちゃって。
いい話をありがとね」
私とスフィルは今、里帰りをするというウィリィにくっついて、隣町バレデクレスまで来ていた。
私の場合、ウィリィにある魔法についての話を聞くために一緒にここまでくっついて来たのだが、スフィルの場合は見送りだけではなく、ついでにこの町の名産であるお酒を買う事も目的として来たようだ。
どうやら、こないだの打ち上げで飲んだお酒が、かなり気に入ったらしい。
ウィリィはこの町から徒歩(と言うか飛行? 翼が生えてるだけあって飛べるらしい)で里へと向かうらしく、私達が見送れるのはここまでだ。
「報告が済み次第、すぐ戻りますのデ」
「別にそこまで急がなくてもいいと思うんだけどなー……。まぁ、行ってらっしゃい」
「ハイ、それではマタ」
背を向けて歩き出すウィリィを見送った後、次に私達が向かったのはスフィルの目的地でもある酒蔵だ。お目当てのお酒はここで買えるらしい。
スフィルってばいつの間にか、ディグレスさんにここの事を聞いてたんだよねー。ちゃっかりしてるよ、ホント。
私は特に用事がないので、スフィルだけが中に入って待つ事しばし。やがて1つの大きな樽を抱えたスフィルが戻ってきた。
「お帰りー……、ってそんなに買ったの?」
「えっへへ。
いや、本当はもっと小さい物にする予定だったんだけどね。ちょっと奮発しちゃって」
「いやいやいや、奮発するのは勝手だけど、そんなにどうすんのよ。つか重いでしょ。
それにどーやって持って帰るつもり? そのまま馬車に乗ったら、余計にお金掛かるんじゃない?」
確か、馬車に大きな荷物を持ち込んだ場合、追加料金が請求されたはずだ。
「まぁ、そこはそれ。ハルナに頼ろうと思って」
「え?」
「正確には、モコちゃんにお願いしようかなー、なんて……」
「……あっきれた」
どうやらスフィルは、モコちゃんの持つ別空間をアテに大きな酒樽を買ってきたらしい。いや、確かに私も荷物とか全部モコちゃんに預かってもらってるけどさ。
「いいじゃない。時々ハルナにもこれ、分けてあげるからさ。
ね? お願い」
「……ったくもう。りょーかい、あとでちゃんと飲ませなさいよ?
モコちゃん、よろしくね」
(是)
了解のテレパシーと共に、スゥッと溶けるように酒樽が掻き消える。
大きさも重さも関係なく出し入れ自由って、ほんっと便利だわー、この子。
「さて、身軽になったところで帰るとしますか」
「はいはい」
今日帰ったら、モコちゃんに魔力いっぱいサービスしてあげようと思いつつ、スフィルの後に続いて歩き出す。
今の時刻は夕方。ちょうど今日最後の馬車が出発する頃だ。少し急いだ方がいいかもしれない。
と、思った傍から───。
「ハルナー、ちょっと急いで。馬車動き出しちゃってるわ」
「え、ホント?」
見えてきた馬車乗り場に目を向けてみれば、乗客を乗せた馬車が次々と発車して行くところだった。
うわ、まずい。ここで乗りそびれては、今日この町で1泊することになってしまう。
焦りながらも辺りを見渡すと、まだ止まっている小さな馬車があったので、慌てて駆け足でそこに乗り込んだ。すると間もなく、馬車は動き出した。
「ふぅ。なんとか間に合ったわねー」
「うん、ちょっとゆっくりしすぎたかなー。危なかったね」
適当な手近な椅子に腰かけると、大きくひとつ息を吐く。
最後の馬車の所為なのか、乗客は私達だけのようだ。他に乗客の姿は見当たらない。
ガタガタと揺れる馬車に乗りながら、席に座って外の景色に目を向ける。馬車は今ちょうど、町を出るところだった。
そのまましばらく馬車に揺られていると、スフィルが不審げな声を上げた。
「んー、おかしいわね」
「ん? どうかしたの?」
「アタシ達、飛び込みで馬車に乗ったでしょ? そういったのは、まぁそこそこある事なんだけど、あとで必ず割符の確認をするはずなのよ。町を出る前にね。
でも、それがまだ来ないなーって」
「単に忘れてるとか?」
「まさか。
……でも一応念のため、聞いてみようか?」
「そうだね、それがいいかも」
スフィルが御者席に向けて声を上げる。
「御者さんー? すみませーん、割符の確認、忘れてませんかー?」
「…………」
しかし御者席からの返事はない。
「聞こえてないのかな。すみませーん?」
「……必要ありませんよ」
「えっ?」
「割符なんてものは必要ありません」
えらく陰気掛かった声で返事があった。
「なにそれ、どういう事?」
「…………」
「ちょっと、返事ぐらいしなさいよ!」
「…………」
再び御者席からの返事がなくなった。
馬車はガタガタと変わらず動き続けているようだが、いつの間にか周りは真っ白い霧で覆われていた。辺りの様子が全くもって窺えない。
ここまで来るとさすがの私もこう思う。様子がおかしい、と。
ここでふと頭に浮かんだのは、昨日ウィリィから聞いた話がひとつ。
「ねぇ、スフィル。この状況ってさ、昨日ウィリィから聞いた話になんか似てない?」
「え? どんな話?」
「馬車に乗ってって、帰ってこれた人が居ないってやつ」
「……あの嘘っぽい話? まさか」
「でも、状況が揃いすぎてる気がしない? 辺りもいつの間にかこんなだしさ」
馬車の外を目で示す。辺りは相変わらず真っ白い霧で覆われたままだ。
「そんな、まさか……」
スフィルの顔色が段々悪くなっていく。夕暮れ、馬車、陰気な御者。聞いた話と状況に一致する点が多い事に気付いたのだろう。
そして唐突にスフィルは席を立った。
「冗談でしょ、降りるわよ」
止める間もなく私の手を引いて立ち上がったスフィルは、馬車の出入り口へと向かうと、入り口の扉をガタガタと揺らし始めた。
「ちょ……なんで開かないのよ」
かなり必死に入り口の扉を引っ張るスフィルだったが、扉はガタガタと音を立てるばかりで一向に開く様子を見せない。
そこに再び御者席から声が響いた。
「お客さん、危ないですよ」
「ちょっと、止めてよ、開けなさいよ!」
「…………」
「まただんまりかーっ!
……なら、見てなさいよ」
私の手を引いたまま客席に戻ると、今度はそのまま台車の淵に足を掛けるスフィル。
「え? ちょっとスフィル?」
「飛び降りるわよ、しっかり掴まってて」
「ちょ、本気!? ここがどこか分かってんのっ?」
「だからって、このまま乗ってても事態は好転しないでしょ。
さぁ、行くわよ!」
「え、ちょっと待ってスフィル! 落ち着いて、落ち着いてってば。
馬車止まってる、止まってるからっ!」
「……えっ?」
私が言った通り、馬車はいつの間にか走るのを止めており、真っ白い霧の中でポツンと静止していた。そしてギィ……、と音を立てて出入り口の扉が勝手に開く。
「……着いたって事?」
「さぁ……。
でも、扉が開いたって事は、とりあえず降りてもいいって事だよね、多分」
スフィルがあまりにも暴れるから止まったとかじゃないと思いたい。
辺り一面にはまだ霧が立ち込めたままであり、全くと言っていいほど視界が通らない。霧の合間に木々がまばらに見えることから、どこかの森の中のように思えるのだが……。本当に到着したのだろうか。
ちょっと御者に文句言ってくると言い残し、出て行くスフィルを見送った直後、彼女の叫び声が響き渡った。
「どうなってんのよ、これ!」
「どうしたの、スフィル。なにかあった?」
その声に釣られて馬車を降りると、文句を言いに行ったはずのスフィルが目の前に立っていた。
「ちょっと見てよこれ」
言われるがままに馬車に目をやると、そこには馬車の客席の部分である台車がぽつんと残されているのみだった。
御者も、御者席も、馬も、今はどこにも見当たらない。
「なんなのよ、もう……」
辺り一面に白い霧が立ち込める中、スフィルの音を上げるような声が辺りに響き渡った。
暗い空、冷たい土の地面、立ち込める霧、その合間から見える木々、ぽつんと残された客席だった台車。
どこか放心したような表情のスフィルを除けば、これが現状、目に見える物の全てだ。
さて、どうしたもんか……と思うのだが、まずはスフィルの意見を聞くのがいいだろう。彼女なら、こういった状況での対処も心得ているはずである。
「スフィル、スフィル。ちょっといい?」
「……あ、うん。
ごめん、ちょっとぼーっとしてた。なに?」
「今この状況でやるべき事ってある? 私より詳しいでしょ、こういう時の対処法って」
「あー、えっと、そうね……。
今この場で通用するかは分からないけど、こういった場合は、まずは下手に動かず、夜を明かすのが鉄則かな」
「なるほど。明かりは必要?」
「追われてるって状況でもないから、明かりはあった方がいいと思う。その方が落ち着けるしね。
あと出来れば、獣避けに火をおこしたいとこなんだけど……」
「それはちょっと難しそうかなぁ……」
「うん、アタシもそう思う」
こんな状況になるとはさすがに予想してなかったので、薪もなにも準備をしていない。落ちている小枝などを拾おうにも辺りは既に真っ暗な上、霧で湿りまくってるだろう。とても火を付けられる状態であるとは思えない。
明かりだけならば、客席に備え付けられていたランタンがあるので、それを外して持ってくればいいだろう。
早速ランタンを外しに行こうとしたところで、スフィルが待ったの声を上げた。
「ねぇ、ハルナ。明かりはあそこのを取るんじゃなくて、魔法の明かりにしない?」
「え、なんで?」
「なんか気持ち悪くない? あそこにあるのを使うのって」
「……なるほど」
確かに、言われてみればその通り。なんとなく気持ち悪い気がしてきたので、『光源』の魔法を使う事に。いつものごとく銅貨を光らせたところで、手近な木を背にもたれ掛かって息をつく。
「あとは暖かくして、夜が明けるのを待つのみ、かな」
「ちゃんと明ければいいんだけどねー」
「ちょっ……、怖い事言わないでよ」
「冗談だって。私だってそんなのはゴメンだしね」
「ああもう、鳥肌立っちゃったじゃない。
ハルナ、さっき買った樽出してくれない? ちょっとだけ、気付けに」
「え、もう開けちゃうの?」
「こんな状況じゃ、1杯ぐらい飲まないとやってらんないわよ。
ハルナにも分けたげるからさ、お願い」
「はいはい、了解。
モコちゃん、少し前に預けた樽、出してもらえる?」
(是)
地面の上にごろんと樽が転がった。それをスフィルが起こそうとして、力を入れ損なったのか、逆に尻餅をついてしまった。
「ちょっと、大丈夫?」
「ごめん、なんか力が入んなくって。
……よいせ、っと」
掛け声と共に樽を起こし、丁寧に蓋を外した。気化したアルコールと果物っぽい甘い香りが辺り一面に広がっていく。
「はい、ハルナ」
「ありがと」
スフィルからコップを受け取り、早速口を付けると、カァーっと熱い感触が喉を伝っていくのが分かった。確かにこれはいい気付けになりそうだ。
「あ、ハルナ。樽、また戻しといて。調子に乗って全部飲んじゃったらあとで後悔しそうだし」
「はいはい」
樽を再びモコちゃんに預け、コップを片手にスフィルと向かい合って座る。こんな状況ではあるが、たまに吹く冷たい夜風が気持ちいい。
「ねぇ、スフィル。夜が明けたらどうすんの?」
「そうねー……、まずは今いる場所の確認かな。それから、近くの道を探して、その近くの町まで歩くって事になると思う」
「そっか……」
「…………」
「…………」
そのまま特に会話もなく、しばらく黙って時を過ごしていると、不意にスフィルが後ろを振り向き、耳を澄ませ始めた。
「どうしたの、スフィル?」
「なんか変な音が……。
聞こえなかった? シャ───ッて感じの音なんだけど」
「え? なにそれ」
スフィルと同じく耳を澄ませてみるが、なんの音も聞こえない。それを見たスフィルが、今はもう聞こえないけど、と付け加える。
「…………」
「…………」
「……あ、ほらまた」
「……ダメ、さっぱり分かんないわ」
黙って耳を澄ませていると、再びスフィルが反応した。
どうやら彼女の方が耳はいいらしい。私には全然分からなかった。
「獣、って感じでもないし。気になるわね」
「どうするの? 見に行く?」
「……そうね。危険かどうかだけでも確かめときたいし。
ハルナ、動ける?」
「大丈夫、すぐにでも」
立ち上がって、ついた土をパンパンと掃った。スフィルも同じようにして立ち上がる。
「逸れないように付いてきてよ。この状況で逸れたら、もう1度合流するのは無理と思ってくれて構わないわ」
「うげ、了解」
濃い霧の中、ゆっくりと歩くスフィルの後姿を見失わないように続いて歩く。ゆっくりと、慎重に。逸れないように。
だが、どういった理由なのか、少し歩くと今までの霧が嘘のように晴れてしまった。
今となっては、周りの木々の様子や晴れた星空がはっきりと確認出来るぐらいである。
「どうなってんのよ、これ……」
「私に聞かれても」
ワケが分からないといった感じでぼやくスフィルの隣に立つと、彼女と並んで歩き出す。霧が晴れた今となっては、彼女を見失って逸れる、なんて事にはもうならないだろう。
魔法の明かりを頼りにしばらく歩いていると、スフィルの言ったような音と共に、木々を切り裂いて眩しい光が走った。
そして、音が小さくなると共に、光も段々と遠ざかっていく。
「今の音なんだけど、なんか光ってたわね。
……ってハルナ?」
スフィルが不審げに声を掛けてくるが、それに返事をすることは出来なかった。
私の記憶が確かなら、あの音と光って……。
まさかと思いながらも、音と光が射した方に向かって駆け出した。
「あ、ちょ、ハルナ!?」
後ろからスフィルが急いで追ってくる足音が聞こえる。恐らく逸れないためなのだろう。
だがその心配は無用なはずだ。
「やっぱり……」
予想通り、森はすぐそこで途切れていた。その向こうに見えるのは、真っ黒なアスファルトが敷かれた道路と、その手前に立つ腰の高さぐらいまでのガードレール。
「ちょっとハルナ、一体どうしたのよ! 逸れたらまずいって分かってるでしょ!」
後ろから追い掛けてきたスフィルが、追い付くと同時に文句を言ってきた。
それと同時に目の前を、1台の車が走り去っていく。
「なに、今の……」
その光景に絶句するスフィル。
「……今のは、自動車って言う乗り物。そして───」
上空を見上げながら、静かに私はこう告げた。
「ここは多分、以前私が住んでたとこだわ」
道路の上に掛けられた、青い標識には矢印と共に見慣れた文字でこう書かれていた。
真白市、1kmと───。
真白市。人口約27万人、主要都市から少々離れた場所にあるベッドタウンで、高速電車やバスもそこそこ止まるといった大きさの市だ。
そしてその中心となる中央区は、私が生まれてからずっと生活していた場所であり、死んでからも活動を続けていた場所でもある。いわゆる地元というやつだ。
なんで? と思うと同時に、懐かしい、という想いが胸中に渦巻く。
懐かしい書店、よく小物を買いに入った小さな店、夕食の献立に悩んだスーパー。私が死んでからは、触れることすら出来なかったそれらが今、目の前にある。
今は夜のため、それらの店は全て閉まっていたが、熱に浮かされたようにふらふらとあちこち練り歩いた。時間は分からないが、書店やスーパーが閉まっているぐらいだ、きっと真夜中に近い時間帯なのだろう。
ここはジェイルとは違い、真夜中近くになろうが街灯が煌々と灯り、一晩中人が行き来する世界だ。その光景に圧倒されているのか、スフィルは時折きょろきょろとしながらも、黙って私の後を付いてくるのみである。
ただ、少しだけ問題があった。彼女の容姿はここでは非常に目立つのだ。赤い髪の毛はまだしも、皮鎧姿はいただけない。
なので、彼女には私のローブを渡してある。それでも非常に目立つ事に変わりはないが、鎧姿であるよりかは幾分かマシだろう。
そうやってふらふらと歩きながら、繁華街に差し掛かったころ。道を歩いてきた通行人の1人が、すれ違いざまに振り返った。
「春菜……?」
「えっ?」
懐かしい感じで名前を呼ばれ、振り向いてみれば、そこには数年ぶりに見る友人の顔があった。
「綾……」
思わず彼女の名前が口から漏れる。だが、彼女には私のつぶやきが聞こえなかったようだ。
「……いや、すまない。人違いだ。死んだ友人とあまりにも似ていたものでな。失礼した」
「え、ちょっ……。綾!?」
「まったく、少々飲みすぎたな。春菜、いくら疲れてるとはいえ、迎えに来るにはまだ早いと思うぞ……」
こらまて、人を勝手にお迎えにするな。いや間違ってないけどっ。
「どうすればこの行き詰まりから解放されるのだ……、あのネチネチとした嫌味を聞くのはもうウンザリだ……」
「うわ、お酒くさっ!?
あああもう、酔ってるでしょう綾、それも思いっきりっ!?」
「ふふ……、友人に看取られての最後と言うのも悪くはないな」
「こら、話を聞け! 勝手に死ぬなっ!」
「…………」
「ちょっ……綾!?」
ぶつぶつと勝手に喋り倒した彼女は、唐突に私に寄り掛かるようにして倒れ込んできた。
慌ててそれを支えるも、ぐんにゃりと完全に体から力が抜けている。
一瞬本気で死んだかと焦ったが、彼女から漏れるすぅすぅとした寝息に、ふぅ、と安堵の息を吐く。
あの酒には滅法強い綾がこうなるとは……、一体どれだけ飲んだんだ?
「ああ、もう……。ちょっとスフィル、悪いけど手伝って……、ってスフィル?」
「……あ、ごめん、聞いてなかった。
なに、ハルナ?」
あれだけ騒いだのに全く聞こえていなかった?
よくよく見ればスフィルの様子がなんだかおかしい。顔は赤いし息も少々荒い。明らかに体調を崩しているといった感じだ。
「ちょっとスフィル、大丈夫なの?」
「大丈夫……、ちょっと体がダルいだけ……」
「それ、全然大丈夫じゃないっ。
ちょっと待ってて、今すぐ休めるとこまで連れてくから」
とは言ったものの、すぐ近くで休める場所の心当たりなんてひとつもない。どこかのお店に入ろうにも、現在私は一文無しである。向こうの通貨は持ってるが、そんなものは使えるはずがない。
綾は財布を持ってるであろうが、勝手に手を付けるのは、さすがにマズすぎる。
仕方がない、送るついでに綾の家にお邪魔するか……。
ぐてっと私に寄り掛かったまま眠る綾を見てそう決めた。私の記憶が正しければ、綾は1人暮らしをしていたはずだ。
「スフィル、ちょっと歩ける?」
「……大丈夫」
あんまり大丈夫ではなさそうだが、綾に加えて彼女まで支えて歩くのは私には不可能だ。ここは無理を言って歩いてもらう事にする。
綾を支えながら繁華街を抜けると、バス道に沿って歩き出す。彼女の家は確かここからバスで何駅か行った先だったはずだ。
繁華街から離れると、途端に喧騒は鳴りを潜める。まばらに街灯はあるものの、そこはもう暗い夜道だ。特に人影も見当たらない。
念のために明かりを……、と思い、仕舞っていた銅貨を取り出したところで、私は固まった。
銅貨がまだ光っているのだ。
『光源』の魔法がまだ生きている?
嘘? と思いながら指先に魔力を集め、いつもの要領で動かしてみると、問題なく魔方陣を描くことが出来た。
「……モコちゃん、いる?」
(主。如何様?)
試しにモコちゃんに呼びかけてみると、これまたいつも通りに頭の中に返事が響く。
「えっと……。モコちゃんの方は、なんか変わった事とかない?
異常ないかって事だけど」
(異常……。我、空腹)
おぉぅ。なんかガクッと来た。
「え、えーっと。それはこっちが落ち着くまで、ちょっと待っててくれるかな……」
(是)
そんなやり取りはさておき。どうやら向こうで覚えた事は全て、ここでもそのまま使えるようである。
「はぁ、もうどうなってんのよ……」
思わずため息と共に愚痴が漏れた。
「……ハルナ、なんか言った?」
「ごめん、なんでもない。もう少しだから頑張って」
スフィルにそう返事をして、再び先を急いで歩き出す。
なにがどうなってるのかさっぱり分からないが、今は綾とスフィルを送るのが先だ。その事を考えるのは今じゃなくてもいい。
そのままヨロヨロと30分近く歩き続け、ようやく綾の住むマンションへと辿り着いた。私はなんともないが、スフィルはかなり辛そうだ。
人1人抱えてここまで歩こうものなら、以前の私ならとっくにへばっていたはずなのだが……。どうやら私の理不尽な部分も、変わらずそのままのようである。
いぶかしむスフィルをエレベータに押し込み、綾を抱えたまま8階のボタンを押す。
「ちょっとふわっと来るから、気を付けて」
「……え? っっ!?」
あの胃が持ち上げられるような感覚は、スフィルには未知の物だったのだろう。恨めしげな眼をしてスフィルが見つめてくる。
「……なんなのよ、今のは……」
「説明は元気になってから。ほら、もう着くよ」
エレベータを降りて通路を歩き、ある部屋の前で表札を確認する。そこにはちゃんと綾の名前が書かれていた。
よかった、どうやら引っ越しはしてないらしい。
「ごめん綾。勝手に借りるよ」
寝ている綾に断りを入れ、彼女の鞄から見覚えのある鍵を取り出してドアを開ける。
「お邪魔します……。
あ、スフィル、靴はそこで脱いでって」
「……了解」
暗い廊下を通り抜け、正面にあるドアを開けるとそこはリビングだ。久々に見る友人の家にちょっぴり涙が出そうになるが、今はそれどころではない。
「スフィル、着いたよ。
私は綾を寝室に寝かせてくるから、スフィルはそこのソファー……、その柔らかそうな長い椅子で横になってて」
本当ならスフィルもベッドに寝かせてあげたいのだが、ここは綾が1人暮らしをしている場所だ。余分なベッドなんてあるはずもない。
あとで毛布でも持ってきてあげようと思いながら、綾を連れて寝室へと入る。
勝手に着替えさせるわけにもいかないので、スーツ姿の彼女をそのままベッドに放り込んだ。シワになるかもしれないが、そこはそれ、自業自得と諦めてもらおう。
その場から毛布を1枚失敬し、スフィルの元に戻ると、彼女はソファーの上で寝息を立てていた。かなり辛かったのだろう、赤い顔にはうっすら汗が浮いていた。
洗面所でタオルを絞り、汗を拭きとりスフィルの額にぽんと乗せる。
さて、どうしたもんか。
スフィルがこうなってしまうと、こちらも迂闊に動けないのは確かだろう。今からここを出たとしても、行くアテなんてありはしないのだ。
生前、私が契約していた部屋もあるにはあるが、それは3年前の話だ。今となっては、とっくに誰か別の人が入っているだろう。
そしてこのまま夜が明ければ、綾が起きだしてくるのは確実。
……完全に手詰まりじゃん。どうしろっての、この状況。
…………。
よし、とりあえずは……。綾への言い訳でも考えるか。
と、言うことで、69話目でやったネタフリとは、妖精郷の馬車の方でした。
ゾンビの続きかと思われた方、残念でした。
え、そっち? と思って頂けると作者はニヤリとします。
前からやってみたかったんですよねー、能力持ったままの逆トリップ。
そしてハルナの漢字を初公開。"桜井春菜"が公式名(?)となります。