61 白い毛玉
お待たせしました、61話目となります。
鏡の中にハマり込んだとこから始まります。
いやいやいや、落ち着け、落ち着け。
まずはこうなった理由を……、って多分あの鏡に触ったのが原因か? あの時なんかくらっと来たし。
それならもう1度触れば───。
思い付くまま目の前の鏡に手を伸ばしてみるが、指先には冷たい感触が返ってくるのみで、特にこれといった変化は起こらない。
ああもう、なんでよっ……。
やっきになって鏡を両手でぺたぺたと触っていると、鏡の向こうのマレイトさんがこちらに気付いたのか、驚いた表情を浮かべ目の前まで走り寄ってきた。
マレイトさんはそのままこちらに向けて手を伸ばしてきたが、私がやった時と同じく鏡の表面でその手が止まる。
驚きの表情のまま口が動くが、言っている事は分からない。
「なに言ってるか分かりませんよっ」
叫ぶように返事をするが、こちらの声も向こうに伝わらないようだ。
マレイトさんはしばらく口をパクパクさせ続けたが、声が届いてない事に気付いたのか、今度は肩の辺りで両手を開いて押さえ付けるような仕草をしてみせた。
落ち着けってことだろーか。
続けて今度は両手を軽く広げ、大きく息を吸う動作をしてくる。
深呼吸……かな?
マレイトさんに言われるがまま(?)、大きく息を吸って吐く。
それを2~3回繰り返すと少しだけ気持ちに余裕が出てきた。
それにしてもこの状況はどうしたもんか。
この鏡がなんなのかはともかく、とりあえずここから出たいんだけど。
私が落ち着いたのを見て取ったのか、今度はマレイトさんが自分を指差し、資料を手に取りめくるような仕草をする。
続けて私を指差すと、椅子を示して座るような動作をした。
えーと、自分が資料を調べるから座って待ってろ、でいいのかな。
とりあえず頷いておいた。
そんなやり取りの後、私は椅子に座ると、めちゃくちゃになった部屋でさらに資料をひっくり返し、調べ物をしているマレイトさんの姿を鏡を通じて眺めていた。
勝手に通訳したがアレで正しかったらしい。
いや、意外と通じるもんだね。
資料がひとりでに舞い、空中でピタリと止まる。
どうやら鏡の向こうで起こった事がこちらに反映されているようなのだが、こっちにはマレイトさんの姿がないため、ポルターガイスト現象のような事になっているらしい。
なんとも不思議な光景だ。
時間はあれから10分ぐらい経っただろうか。今は落ち着いているものの、この音のない世界はとにかく不安を煽られる。
不安を紛らわそうと、椅子に腰掛けたまま足をぶらぶらとさせていたが、しばらくすると別の困った事態が迫ってきた。
やば、トイレ行きたくなってきた……。
勝手にここを動き回るのも怖いが、このままここに居続けるのも色んな意味でマズイ。
一度気になりだしたソレを、再び気にしないようにするなんて事は不可能だ。
マレイトさんにここを離れる合図を送ろうとして、はたと動きを止める。
……トイレの合図なんてどーすりゃいいのよ。
しかもマレイトさん、なんか資料に夢中っぽいし。
とにかくなにか合図を、と、軽く手を振ってみるが、特にこちらに気付いた様子はない。
続けて鏡面をバンバンと叩いてみるが、これまた反応なし。
今度は両手を大きく上げて振ってみるも、やはりこちらに気付いた様子はなく、マレイトさんは熱心に資料を読み続けている。
……トイレ行くためになにやってんだ私は。
なんか悲しくなってきたので、そっと椅子から立ち上がると、部屋の扉に手を掛けた。
「あれ……?」
扉が開かない。いくら力を込めようとも一向に扉が動く気配はない。
「え、ちょっと待って……」
焦って扉を揺らしてみるが、ガタガタと音がするどころかびくともしない。
まさかと思い、中を舞う資料や適当にその辺に落ちているものを手に取ってみるが、どちらも紙切れ1枚動かす事が出来なかった。
どうやらここでは、鏡の外にあった物を動かす事は出来ないらしい。
えぇぇ、嘘でしょ……。
絶望感が頭をよぎる。このままだとそう遠くないうちに最悪の事態を迎えてしまう。
この歳になってソレは嫌すぎる。
「ああもう、どうしろっていうのよー!」
───と、やっきになって叫んだ瞬間、唐突に天井から白い塊が降ってきた。
それはそのまま机の上にぽてんと転がり静止する。
「……え?」
よく見るとそれは、真っ白な毛玉だった。直径10センチぐらいだろうか、まん丸でふわふわしている。見た感じ触り心地はよさそうだ。
え、えーと。巨大なタンポポの綿毛……、なワケないよね。
耳掻きの後ろについてる綿毛のでっかいやつ……? などと考えながら恐る恐る近付いてみると、目が合った。───というか、毛玉が目を開けた。
「うわっ!?」
どこに付いてるのかイマイチよく分からないが、白い毛に埋もれるようにして丸っこい目玉が2つ並んでくっついている。
「なにコレ、生き物……?」
(否)
「っ!?」
独り言のつもりで呟いたのだが、思わぬ返事に体がびくっと震えた。
ちょうど、ヘッドホンかイヤホンを使って音を聞いた感じが近いだろうか。
「え、今の返事って、ひょっとしてこれ……?」
(是)
再び頭の中で声が響く。この謎の毛玉はどうやら話(?)が出来るらしい。
「え、えーと。なんだかよく分かんないけど、あんたもここから出られないクチ?」
(否)
「え、出れるの? どうやって!?」
意外な返答に驚いたが、ここから出る方法があるのなら早めに知っておきたい。
まだ少し余裕はあるものの、じわじわと生理現象的な意味でのピンチが迫って来ている。
(我、空腹)
「いや、お腹空いたじゃなくて、ここから出る方法を教えてほしいんだけど……」
(我、空腹)
「いや、だからね……?」
(空腹)
「…………」
つまりこれはアレか、ご飯をくれなきゃ教えてあげないってゆーオチなのか?
「えーと、ご飯あげたらここから出る方法教えてくれるってこと?」
(是)
うわ、マジで? 当たったけど全然嬉しくないや……。
「いや、そう言われても私、食べ物なんて持ってないんだけど……」
(我、源、魔力)
「魔力を食べるってこと?」
(是)
どうやらこの子にとってのご飯とは、魔力の事らしい。
まあ、魔力ならいくらでも都合がつくし、その程度でいいならと、右手指先に魔力を込めて毛玉の前に差し出してみる。
加減が分からないので、込める魔力は普通に魔法陣を作る程度だ。
───すると、そこに毛玉がぽふっと吸い付いた。
……そーゆー食べ方をするんだ。
毛玉のくっついた指先からは、ふわっとしたやわらかい羽毛に触れているような感触が伝わってくる。特に痛みなどは感じない。
ただジッと指先に吸い付いてるだけではなく、微妙に体を動かしたり、もさもさと体毛(?)を揺らしたりしながら食事に勤しんでいるようだ。
途中、一瞬たりとも指先から毛玉が離れないので、美味しいの? と聞いてみると、是、という答えが返ってきた。
どうやら私の魔力は美味しいらしい。……いやよく分かんないけどさ。
しかし、こうしているとなんだか餌付けしている気分になってくる。
なんか癒されるなー、と思いながら、空いた左手を使って毛玉をもふもふしつつ魔力を放出し続ける事約10分。
満腹になったのか、毛玉は指先から離れ、再び机の上に転がった。
「もういいの?」
(是、感謝する)
おおぅ、話し方が変わった。お腹いっぱいになった影響だろうか。
あとついでに───。
「……なんか大きくなってない?」
よくよく見れば、10センチぐらいだった白いふわふわが、1.5倍ぐらいのサイズになっている。
(是、我が変化、主の魔力、影響)
「そ、そーなんだ。……ところで主ってなに?」
(汝。我が主)
「え? いやなんで?」
(主は、主)
「いや、意味分かんないって……」
会話は出来るのに微妙に話が通じないなー、この子は。
色々と問い質したいところではあるが、その件はひとまず後回しとする。
そろそろ我慢の限界が近いのだ。
「とりあえず主でもなんでもいいから、ここから出る方法を教えてくれる?」
(是。鏡、触れる)
言われた通り、鏡の表面に手を置いてみるが、やはり前回と同じく固い感触が返ってくるのみで、特にこれといった変化は起こらない。
「……なにも起こらないけど?」
(我、送る)
その言葉と同時に再び、ぐらり、と世界が回ったような感覚に襲われた。
立ちくらみにも似たその感覚に思わず目を閉じるが、ふらつきが収まったところで目を開けると、目の前には呆然とこちらを見つめるマレイトさんの姿があった。
マレイトさんがいる……って事は戻った? よしっ、出られたっ!
我に返ったマレイトさんがなにか言おうとしているが、それを遮るようにして───。
「すみません、お手洗い借りますっ!」
───と、そのひと言だけを残すと、私は大急ぎで部屋の扉を開け、トイレに向かって駆け出した。
シリアスなようで実はそうじゃない話。
毛玉ちゃんの正体は次話にて。
竹製耳掻きの後ろについてるふわふわって、梵天っていうらしいですね。