夜会②
ナターリアは抱きついてきた妹を複雑そうな表情で、ただ抱きしめていました。
「メアリー、変わらないわね。幼いときから何かあったら泣きじゃくって、私のところにやって来たわね。」
メアリーはそれを聞くとすっと、ナターリアから体を離して、慌てて涙をぬぐいました。
「お姉さま、私のことではございませんわ!お姉さまを案じてのことでございます。」
「そう、だったわね…。でも気にしないでいいのよ。私はロプーヒナ公爵家の長女ですもの、これは義務だわ。」
ナターリアは悲しげな微笑みをたたえながら、きっぱりと言います。
部屋の隅に控えていたアンナはそれを聞いて何とも言えない気持ちになりました。
幼いときからアレクセイに仕えていたアンナでしたから、そんなナターリアの言葉を聞くと、
やはり、ナターリアさまは実家のために後宮に入られただけなの…?
愛してはいないのだろうか…。
陛下は本当に愛しておいでだけれど。
「お姉さま!何をおっしゃっいます。もう十分に義務は果たされましたわ。後は私が引き受けます。」
メアリーは勢いづいてそう姉に訴えます。
ナターリアは驚いて、
「何を言うの、メアリー!レオンどののご縁は私が第一王子の母なればこそ。側妃でなくなれば、そのご縁も消えます。分かっているでしょう?」
「分かっ、ておりますわ…。でも、このままではお姉さまはどうなります?」
メアリーは、力なく答えます。
「メアリー、私のことは気にしないでいいのですよ。それよりもお父さまはお元気なの?」
ナターリアは一番気になっていたことを尋ねます。
「ええ、お姉さま。だいぶお元気になられて、だんなさまに公爵位を譲られたあと、お母さまと一緒に別荘に静養に行かれましたわ。」
メアリーはナターリアを安心させるように微笑んで答えました。
「そう…。レオンどのに気を遣ったのね。別荘って、もしかして、あの菜の花の綺麗な…?」
「ええ、あの綺麗な菜の花畑が近くにある別荘ですわ。よくお姉さまたちと花畑に遊びに行きましたわね。」
「そうだったわね。懐かしいわ。綺麗な菜の花が一面に広がっていて…。あの頃に戻れたらいいのに…。」
ナターリアは思わず懐かしそうに遠くを見るような表情で呟きました。
「お姉さま、やはり私が…。」
メアリーが思わず身を乗り出してナターリアに問いかけます。
それに気づいたナターリアは寂しそうに笑って、
「メアリー、ちょっと言っただけよ。さあ、もう行きましょう。レオンどのがお待ちですよ。」
そう言うとナターリアは立ち上がり、アンナに目配せをしました。
アンナは言いにくそうに遠慮がちに、
「あの、ナターリアさま…。恐れながらこのまま後宮に戻られてはいかがでございますか?お疲れでしょう?」
「いえ、疲れてなどおりませんわ。夜会にもどります。さあ、メアリーまいりましょう。」
ナターリアは微笑んで答えます。
「でも、お姉さま!あのようなところに戻られる必要などありませんわ。」
メアリーは不満そうに言います。
「何を言うのです、メアリー?今夜は公爵を継いだレオンどののお披露目ではありませんか?それに私も王子の将来のために頑張らなくてはいけませんし。」
ナターリアはしっかりとした口ぶりで言います。
それは国王の側妃とは思えない立派な態度でした。
その迫力に気圧されたのかメアリーもアンナもナターリアに従って、夜会の会場に戻りました。
夜会に戻ったナターリアたちはレオンのもとに向かいました。
「レオンどの、お待たせいたしました。公爵夫人をお返しいたしますわね。よろしければ、ご一緒に挨拶回りをさせて下さいませ。」
ナターリアは微笑んでレオンに話しかけます。
それを聞いたレオンは、えっという表情をして、
「あ、あの…、それは恐れ多いことでございますので。」
そんなレオンの戸惑いの様子を気遣ったメアリーが、
「だんなさま、お姉さまはだんなさまのお披露目をなさりたいおつもりなのです。ご意向に従って下さいまし。」
それを聞いたレオンは、ホッとしたのか、嬉しいのか分かりませんが安心した表情で有り難くその申し出を受けて、優雅に挨拶回りを始めました。
ナターリアは一歩踏み出します前にため息をひとつして、呼吸を整えました。
そして、顔を上げて微笑んで歩き始めました。
「ごきげんよう、オルティス公爵夫人。」
「これは、もしや、側妃のナターリアさまでいらっしゃいますか?お逢い出来て光栄でございます。」
突然声をかけられた中立派の公爵夫人は戸惑いながら挨拶を交わしました。
「こちらこそお逢い出来て嬉しゅうございます。父から公爵どののお話しは聞いておりましたので。」
含みをもたすようにナターリアはにこやかに話しかけました。
「まあ、ロプーヒナ公爵どのがだんなさまのことを…?」
公爵夫人は少し驚いて聞き返します。
中立派でしたから妃とはあまり関わりたくないと思っていたのですが、若いときに憧れたロプーヒナ公爵の話しが出たのでつい答えてしまいました。
それにナターリアは女ながらも若い頃のロプーヒナ公爵によく似ていました。
微笑まれると息をのむような美しさでした。
「はい。以前父のお見舞いに戻りました折に伺いまして。ですが公爵夫人、父はもう公爵ではございませんのよ。」
「え、戻られたときですか…?」
公爵夫人は怪訝そうに尋ねました。
それもそのはずです。後宮に入った妃たちは規則により、よほどのことがない限り後宮から出ることが出来ません。
外出する時は国王の許可が必要となります。
「あの…、恐れながらナターリアさまが父君のお見舞いに伺いたいと陛下にお頼みなされたのでございますか?ご寵愛深い側妃であられますゆえ、許可なされたのございましょうねぇ。」
遠慮がちに公爵夫人が尋ねます。
その規則のことを知らないナターリアが不思議そうに、
「いえ、王太后さまのご配慮で馬車まで用意していただいて父のお見舞いに戻りましたの。それが何か?」
それを聞いた公爵夫人は信じられない気持ちでした。
王太后がもう一人の側妃を贔屓にしているのは、周知の事実でしたが父の見舞いの口実があるとはいえ帰らせるとは…。
帰るときは実家から迎えが来るのが慣例だから、これは国王陛下の許可があってのことではなさそうね…。
「そ、そのようなことがおありになられたのですね…。それは公爵さまもお喜びでしたでしょう?」
公爵夫人はややひきつりつつ答えました。
「ええ、私も帰れると思っておりませんでしたので父に逢えて良かったですわ。」
それを聞いていた周りの人々が思わずざわめきました。
知らないということは恐いかもしれないです。
ちょっと王太后に不利な展開になっていきます。
ふっ…、楽しみです。作者ですが、一番の読者です。