王太后の提案
この国の主であるはずのアレクセイは母の迫力にすっかりまいってしまいながらも、
「し、しかし、お考えは分かりますが。母君はシャルロッテどのを推しておられたのではありませんか?大臣が承知するわけが…。」
それを聞いた王太后は宰相に目配せをしながら、
「おほほ…。アレクセイ、母に感謝なさいな。この母が大臣の了解を取り付けたましたの。宰相の長男の夫人はシャルロッテどのの姉君ですよ。縁続きになるのですからね。ロプーヒナ公爵どのもよい選択をなされました。ねぇ、お兄さま?」
「はい。レオンも幸せ者にございます。ロプーヒナ公爵家の跡継ぎになれるだけでなく、お美しいナターリアさまの妹君と結婚出来るとは…。」
宰相もニコニコと笑って答えます。
その様子を見たアレクセイは、
母君も宰相も、恩を売ると見せかけてナターリアを権力争いに利用するつもりだな…。
と思いましたが、いかんせん17歳の若き国王には抵抗したところでいい方法があるわけではありません。
女官長が心配そうにアレクセイの様子を窺いますが、口を挟めるものではありません。
しばらく考えたアレクセイでしたが、いまはこの案を飲むしかあるまいと思って、ため息をつきながら、
「分かりました。ではそのように進めて下さい、叔父君。ナターリアの良き後ろ盾になることを信じていますよ。」
「お任せ下さい、陛下。この叔父が必ずナターリアさまをお守り申し上げます。」
宰相がうれしさを隠し切れない様子で笑顔で答えます。
「感謝します。では、調査も引き続きよろしく頼みます。」
苦々しくアレクセイが言います。
宰相は、アレクセイの表情の堅さが気になりましたが、第一王子の母であるナターリアの後ろ盾になれたことに浮かれて、まあ、気にするほどのことではないかと思い、
「かしこまりました。最善を尽くします。では、これで失礼いたします。」
そう言うと、執務室を後にしました。
宰相が出て行くとアレクセイは王太后にも、
「母君も、後宮におもどりにならなければ、王子のことが案じられますゆえ。」
「そうでしたね。これで一安心ですよ、アレクセイ。では失礼します。」
王太后もそう言うと、後宮に戻って行きました。
二人が出て行き、執務室にはアレクセイと女官長の二人だけになりました。
「陛下、よろしいのですか?」
女官長が心配そうに陛下に話しかけます。
ダンッ!
アレクセイは、悔しさのあまり、握り拳を机にたたきつけました。
「クソッ。いいもなにもないだろ?何も出来ないんだから…。妻一人守れないなんて、なんて無力なんだ…。」
「陛下、お気持ちはお察ししますが、いまは仕方ありませんわ。ですが、これでナターリアさまも後ろ盾を得たのですから。」
女官長は仕方なさそうに答えます。
「ま、確かにな…。女官長、今夜はナターリアの部屋に参るぞ。手配してくれ。」
アレクセイが女官長が指示を出します。
「かしこまりました。あの、陛下、差し出がましいようですが、たまには他の側妃さまのもとにも参られませ。ナターリアさまへの恨みを買うもとになります。」
遠慮がちに女官長がアレクセイに進言します。
それを聞いたアレクセイは苦虫をつぶしたような顔をして、
「分かってはいるが、ナターリアが心配だし、逢いたいんだ。少し体調が良くなったら他の妃のところにも顔を出すようにする。しばらく大目に見てくれ、マーヤ。」
そう言ってアレクセイはため息をつきました。
そんなアレクセイを見ていると女官長は何も言えなくなり、
「分かりました。そのお言葉、お忘れなきように。では失礼いたします。」
そう言うと女官長も執務室を出て行きました。
一人になったアレクセイは、
「国王とは何と不自由な身の上なのだ…。父君のようには出来ぬな。」
そして夜になり、他の側妃をよそにナターリアの部屋にアレクセイがやってきました。
「ナターリアさま、陛下のお越しでございます。」
「陛下が?気分がすぐれぬと申し上げているはずなのに…。」
寝室で起き上がって食事をしていたナターリアが言います。
「はい、お伝え申し上げております。ですが、ナターリアさまのことを案じておいでなのではないでしょうか…。」
女官アンナが遠慮がちに答えます。
「そう言わないでくれ、ナターリア。気分がすぐれぬなら、見舞いぐらいさせてくれ。」
そう言いながら、侍女の案内も待たずにアレクセイが寝室に入ってきました。
ナターリアはアレクセイの姿を見ると、戸惑いがちに、
「陛下、ようこそおいで下さいました。ですが、今夜は…。」
「ナターリア、追い返さないでくれ。見舞いに来ただけだ。具合はどうだ?」
そう言ってアレクセイはナターリアの寝ているベッドのそばに用意されている椅子に座ります。
「はい。皆がよくしてくれますゆえ、良くなってきているようでございます。」
ナターリアが弱々しく微笑んで、答えます。
「そうか、それは良かった。王子も元気に育っているようだぞ。」
アレクセイはナターリアの髪を撫でながら言います。
「王子に逢いたい。どんなに大きくなったことか…。」
ナターリアがポツリと呟きました。
「そのためにはしっかり食べて、元気になってくれ。王子のお披露目もせねばならぬし、な」
アレクセイはそう言うとナターリアを抱き寄せました。
すると元気だったころに比べると体がやつれて細く感じ、アレクセイはたまらなくなりました。
「アレクセイさま、いかがなされました?」
ナターリアがアレクセイの様子がおかしいので尋ねてきました。
「いや、なんでもない。あまり、長居しては体にさわるゆえ、もう行くぞ。しっかり治すがよい。」
アレクセイはそう言うと、ナターリアのおでこにキスをしました。
ナターリアは恥ずかしくなり、頬を赤らめながらアレクセイのシャツをつかんで、
「アレクセイさま、まだ侍女がおりますのに…」
その姿を見たアレクセイは年上のナターリアがとてもかわいらしく思えて、
「すまぬ。つい、な…。名残惜しいが、また、来る。お休み。」
そう言うとナターリアの頬にキスをしてから、立ち上がりました。
「もうっ!アレクセイさま…。」
ナターリアは恥ずかしいやら、急に体を離されて寂しいやらでプイッと顔を横に向けてしまいました。
「悪かった、ナターリア。機嫌をなおしてくれ。もう侍女の前ではしないから。」
アレクセイが頭をかきながら、謝ります。
「本当ですよ、アレクセイさま。」
ナターリアは、上目遣いにアレクセイに訴えます。
「分かった。それから、いや、また来たときに話そう。」
アレクセイが言葉を濁して立ち去ろうとします。
ナターリアはいままでそんなことがなかったので、気になり、
「アレクセイさま、何ございます?」
「いや、たいした話しではないからまた話そう。しっかり頼むぞ、アンナ。」
アレクセイはそう言うと寝室をさっていきました。
残されたナターリアはそれが何なのか、気になりましたがまた話して下さると言われたからいいかと、思いなおして食事を始めました。
それがたいした話しだと分かるのは数日後のことです。
ナターリアの部屋を出た陛下は、外で待っていた女官長に、
「女官長、オリガどのの部屋に行くぞ。」
女官長は、アレクセイは私室にもどるものと思っていたので、意外そうに、
「おもどりではなく、オリガさまのところにでございますか?」
「そうだ。確かめたいことがあるのだ。」
アレクセイは暗い顔をしながら歩き始めました。