全体主義が戦争へと向かう理由。彼らは勢力均衡の状態に、長時間耐える事など出来ないからだ
何故、全体主義、ひいてはファシズムが戦争に向かうのか。
何となく朧気に見えて来たので、説明でもしてみましょうか、という記事です。
知性によらない、大衆の自由意志からの逃走。
その正体とは、いったい何なのか。
我々の想像の絶する価値観が実はあります。
常日頃から我々は直感や感情を選択するのではなく、知性に委ねるという行為を、何の疑問も持たずに熟しています。
現実は、しばしば直感を裏切る。
蓄積した知識や経験によって、一見こう見えるのだけれども、考えた末に、行動を知性に委ねる方が正しい。
我々はそのような行為を、理性と呼びます。
感情や直感に振り回されず、自身の知性に従う心理が理性です。
理性においては、必ずしも自信があるから、知性を選ぶのではありません。
むしろ、自信がないからこそ直感ではなく、知性を選択するケースもあるハズです。
知性を自己確立の一環として扱う層は、最初から知性に自信を持っていた訳ではなく、根拠ある自信がないからこそ、知性を通して自己確立を模索していくといった、自己確立のルートを通った層もいるのです。
一方で、敢えて知性を選ばなかった層も世界には居ます。
自信に漲り、野性的でタフな精神の持ち主は、知性に頼る必要など無いと感じる人もいるでしょう。
しかし、敢えて知性を拒否するほど、自信に漲り、野性的でタフな精神の持ち主は、果たして全体主義と呼ばれるような人格なのでしょうか?
自身の直感や感情、そして判断までもを、権力者に依存する権威主義。
自身の怒りの根源を、権力者に委ねる、破壊性。
自信の無さから、周りの言動との同一化を目指す、自己人形的同一化。
全体主義化する大衆の人格は、明確に、自信に溢れたタイプではありません。
自信はない。
それなのに、知性を選択出来なかった層もいる。
学習的無力感。
どんなに努力し、頑張っても無駄だと感じる環境に居続ける事によって、自身を無力だと思い込み続けるようになる。
自己効力感の低さ。
ある課題に直面した際、「自分ならできる」「きっとうまくいく」と自分の能力を信じられる認知状態。それが極端に低い。
知性に自己確立の魅力を感じられない層が行き着く価値観に、知性を上手く操る事が可能になる理性はなり得ないのです。
彼らにとって知性は、根源的に不可解な異物です。
理性に拠って諭す事はむしろ、典型的な敵対行動となってしまいます。
これは、彼らの根源的に持つ反知性主義の一要素でもあるのです。
一見、知性の希求にも見える彼らの「どうして?」「なぜ?」は、知性的な説明を求める声になど、なり得ません。
価値観から知性を捨てる以上は、その人が使う論理は、人と人の繋がり、関係値をベースに価値観を構築する社会論理。
もしくは、大した価値観はなく、大小の比較や、敵味方を感情で判断する原始論理。
この二択しかないのです。
そして、原始論理は二つに枝分かれします。
自信のあるα雄型の原始論理。
自信のない従属型の原始論理です。
自信がなく、知性に身を委ねられない層で、人との関係値が希薄過ぎて社会論理を使えない人は、必然的に従属型の原始論理へとたどり着きます。
そこに自由意志は介在しません。
彼らの「どうして?」は、説明を求めるような物なのではなく、何故、あなたは権力者に反発するの?であり、敵を見つけたみんな集まれであり、「なぜ?」もそれと完全に同様です。
権力者への依存。
そして自己確立が一生出来ない、その手段が存在しないという、根源的な不安や恐怖。
彼らを破壊的な衝動性へと掻き立てるのは、根源的な不安や恐怖なのです。
ですから、権力者の立場が揺れる事に対しては、彼らは一つになり、必死で抵抗します。
強者がわからなければ、自分達の依存先がなくなってしまう。
彼らの行動に理性などありはしません。
では、戦争を防ぐハズの勢力均衡は、彼らの目にとってどう映るのでしょうか。
勢力均衡は、絶対的な強者の決まらない、彼らにとっては理不尽な状態の継続です。
嘘でも良いから、勝てると言ってくれ。
負けても良いから、勝敗を決めてくれ。
でなければ、私たちは依存先を決められなくなる。
私たちは、知性によって立っているのではないからだ。
はやく戦争を始めてください。
軍備増強による勢力均衡の結果は、平和ではなく、突如、戦争への心からの希求と変わります。
何故なら、一番上位の依存先が定まらないのは、彼らにとって不安で不安で怖くて仕方ない事だからです。
そうして、従属型の原始論理に支配された、大衆の心からの希求は、紆余曲折があろうとも、結局は開戦へと向かうのです。
私はここで考えました。
大衆の心が戦争へと向かう心理は、自由意志の介在する状態などではない。
それは、人が動物として遺伝子に組み込まれた本能による運命なのだと。
従属型の原始論理に支配される人間が多数派を占める時、それは本来は種の危機的な状態であり、死ぬべき人間が、自由意志ではなく本能によって選択される。
即ちは遺伝子によってレミングスのように、自然淘汰される瞬間なのだと。
即ち、人類にとって、戦争は運命である。
こう考えた時に、私は全体主義が戦争へと向かう理由が説明出来るなと思ったのです。
ああ、そうだ。
君たちは戦争を望んでなど居ない。
自己確立の失敗から、精神的依存先となる国内の上位者を定めたいだけなのだ。
しかし、国内の上位者が定まったなら、どうする?
今度は目は国外の上位者に向くだろう。
そうだ、君たちは戦争を心から希求するようになる。
それは、自己確立の失敗から、精神的依存先となる世界の上位者を定めたいから、ただそれだけなのだ。
そして君たちに自由意志など、無い。




