第25話 温もりのソナタ
アイラは久しぶりの娘との再会に、少し無理をしてしまったようだった。顔色は優れず、足取りもおぼつかない。
支えられるようにして再びベッドへと戻され、マリーはその傍に残った。
その間、セインはルア達を別室へと案内する。
扉が閉まると、屋敷の離れに満ちていた静けさが、いっそう濃く感じられた。
「マリーのお母さん、大丈夫なのか?」
ルアの問いに、セインは静かに頷く。
「ええ、命に関わる病気ではないものの、
元々身体の弱いお方でして」
わずかな間が落ちる。言葉を選んでいるようだった。
「聞かせくれないか?マリーの話。
多分あいつからは話たがらないだろうし」
その言葉に、セインは一瞬だけ目を伏せ、やがて穏やかに微笑んだ。
「そうでしょうね、よく分かっていらっしゃる」
「マリー様には怒られるかもしれませんが、
私もあなた方には話しておきたいと思います」
セインは椅子に腰を下ろし、静かに息をつく。
その横顔は、忠実な執事というよりも、遠い昔を思い返す祖父のように柔らかかった。
やがて、その口がゆっくりと開く。
――それは、マリーがまだ幼かった頃の話だ。
アルザンが、一人の女性を連れてマリーの前に立つ。
「マリー、こちらはアイラ。
お前の新しいお母さんだ」
「よろしくね、マリー」
アイラは膝を折り、視線を合わせるようにして微笑んだ。
だがマリーは、セインの後ろへと隠れる。
「お母様じゃない」
幼い声は、短く、しかし確かに拒絶を含んでいた。
その言葉はアイラの胸に刺さる。
それでも彼女は、表情を崩さなかった。
「マリー、そんなことを言うんじゃ…」
アルザンの言葉を、アイラはそっと制する。
「これから、仲良くしましょうね」
マリーは泣き出しそうな顔のまま、視線を逸らした。
それからしばらくの間、マリーは口も利かなかった。
アイラは無理に距離を詰めることはせず、ただ静かに見守り続ける。
何が好きなのか、何に心を動かされるのか――その一つ一つを、丁寧に拾い集めるように。
貴族としての生活は、自由とは程遠い。
学問、礼儀作法、音楽――幼い身であっても、数多くの“義務”が課せられる。
アルザンにとっては大切な一人娘。だからこそ、厳しく育てねばならないという思いがあった。
だがマリーは、それらをことごとく拒んだ。
サボる。逃げる。反発する。
それが、彼女の本来の気質だった。
そんなある日、アイラは違和感に気づく。
家庭教師の授業中、珍しく真面目に本を読んでいる――
そう思ったが、よく見れば教科書を壁にして、その裏で読んでいたのは魔導書だった。
さらに、書庫にこもる時間が多いことにも気づいていた。
ある日、アイラはセインを呼び出す。
「セイン、お願いがあるの。
実は買ってきて欲しい本があって…」
そう告げたアイラは、悪戯っぽく口元を緩めた。
「アイラ様…よろしいのですか?」
セインもまた、同じように口角を上げる。
後日。
マリーがこっそり書庫へ入っていくのを見届け、アイラも静かに後を追う。
そこには、魔物図鑑に夢中になっているマリーの姿があった。
「あれ、今日は魔導書じゃないの?」
突然の声に、マリーは肩を跳ねさせる。
慌てて本を閉じ、後ろ手に隠した。
「ごめん、驚かせちゃったね」
マリーは何も言わず本を棚に戻し、
すり抜けるようにその場を去ろうとする。
「こんな本もあるんだけどー?」
わざとらしい声。
振り返ると、アイラの手には新しい魔導書があった。
警戒したままの身体とは裏腹に、視線だけがその本に吸い寄せられていた。
その日から、書庫には“誰にも知られていない本”が増えていく。
本を読むマリー。
その隣で静かに見守るアイラ。
そして扉の外で見張るセイン。
三人だけの、小さな共犯関係。
それが、やがて日常となっていった。
「今日は何読んでるの?」
「魔導書…攻撃魔法について」
「ちょっと使ってみてよ、魔法!」
「無理だよ、やったことないし…
お父様にも怒られるし…」
「じゃあ、明日練習しよっか?」
マリーは驚いたように目を見開く。
だがすぐに、その視線は落ちた。
「大丈夫、あの人は明日お仕事で夜までいないから。
バレなきゃいいの!」
こうして始まった、三人だけの秘密の練習。
「えい!」
マリーは両手を突き出す。
だが、何も起こらない。風がわずかに揺れるだけ。
「お嬢様、この魔導書にはイメージが大事と書かれております」
「お腹に力を込めるとも書いてあるわね」
「指先に集中するとのことです」
「目で見るな、感じろ!だって」
次々と飛んでくる助言に、マリーは顔をしかめる。
「ちょっと、一気に色々言わないでよ!
集中できないでしょ!」
三人とも、魔法の素人だった。
知識も乏しい。時間もアルザンのいない日に限られている。
当然、上手くいくはずもない。
それでも――
その時間は、マリーにとってかけがえのないものだった。
そして、月日が流れたある日。
「えい!」
その瞬間、小さな火花が弾けた。
ほんの一瞬、かすかな光。
「出た…」
誰もが動きを止める。
マリー自身が、いちばん信じられないという顔をしていた。
次の瞬間、アイラが駆け寄り、その身体を抱きしめる。
「すごいじゃないマリー!
よく頑張ったわね!」
「ありがとう、アイラさん!」
その言葉は、自然に、迷いなく出たものだった。
セインは目元を押さえながら、静かに頷く。
「お嬢様…私…感動いたしました…!」
「セイルは大袈裟だよ」
それは魔法と呼ぶにはあまりにも小さな光。
けれど、その光には、確かに三人の時間が宿っていた。
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