龍神の里に雪が降る ― 夢の章:はじまりの夏 ―
それは、遠い記憶。
蝉の声が響く、夏の午後だった。
俺は、夏休みになるといつも祖母の家に預けられていた。
共働きの両親に代わって、祖母は俺をとても可愛がってくれた。
その日は、龍神神社のお祭りの前日。
大人たちに混じって祠の掃除を手伝っていた俺に、
「暑かったろう? ありがとうね」
と祖母が冷えたお茶と、袋に甘い色のついた液体を凍らせただけのアイスをくれた。
二つに割って食べる、あの安っぽいポリエステルの袋アイス。
今思えば、どうしてあんなものがあんなに美味しかったのか不思議だ。
扇風機の風を浴びながら、ぼんやりと外を眺めていると、
どこからか“泣き声”が聞こえてきた。
声のする方へ歩いていくと、
神社の石段の上で、浴衣を着た女の子が泣いていた。
「お母様! お母様はどこ?」
しゃくり上げる声が、やけに澄んでいた。
「お前、迷子か?」
そう声をかけると、少女は驚いた顔で俺を見て、ギャン泣きを始めた。
「誰? 怖い! お母様ぁ!」
泣き止まないその子に、俺はそっと頭を撫でた。
「一緒に探してやるから、泣くな」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、少女が俺を見上げた。
「……ほんとう?」
「ほら」
俺はアイスを二つに割り、片方を差し出した。
「取りあえず、これ食ってから探そう」
少女は不思議そうにそれを見つめた。
「お母様がね、“お家のもの以外は食べちゃダメ”って……」
強引にアイスを手渡すと、少女は驚いた顔で俺を見上げた。
「なんで冷たいの?」
「氷だから」
「氷が甘いの?」
質問攻めに、俺は思わず笑ってしまった。
「いいから、黙って食え」
自分の分を一口かじってみせると、少女も恐る恐る口にした。
「……あまい! あまいよ! 氷なのに!」
驚いたように笑うその顔が、太陽の光に透けて見えた。
「俺の名前は双葉恭介。お前は?」
「タツ」
「え? 上の名前は?」
「上の名前? タツはタツだよ」
ぽかんとする俺を見て、少女は首を傾げた。
(なんか……ちょっと変な子だな)
と思っていると、神社の方から祖母がやってきた。
「あらあら、これはこれは……可愛い“ひいさん”だねぇ」
そう言って、優しく微笑む。
「ばあちゃん、迷子みたいなんだ」
「そうかい。じゃあ、優しくしてあげなさい」
祖母は少女に手を合わせるように小さく頭を下げた。
「ひいさん。お母さんが来るまで、この子と遊んでいてくれますか?」
少女は俺を見て笑顔を浮かべ、「うん」と頷いた。
祖母は神社の人に何かを頼むと、
「もうすぐお祭りが始まりますから、楽しんでおいで」
と言い残して去っていった。
「きょーすけ」
「ん?」
「お祭りってなぁに?」
また始まった“なんで攻撃”に、俺は頭をかく。
すると祖母が、女の子用の浴衣一式と白い狐のお面を持ってきた。
「ひいさん。ひいさんの世界のものは、信仰の厚い者にしか見えません。
お祭りの間だけ、こちらをお召しくださいね」
祖母はそう言って、丁寧に浴衣を着せた。
そして俺にだけ、静かに釘を刺した。
「恭介。絶対に、そのお面を人前で外させちゃいけないよ」
何のことか分からなかったが、俺は真面目に頷いた。
手をつないで出店を回る。
少女は見るものすべてに目を輝かせ、
焼きそば、りんご飴、水風船……一つひとつに声を上げては笑った。
「りんご飴、わたあめ、たこ焼き……いっぱいだね!」
満面の笑顔でそう言った顔を、俺はいまでも覚えている。
やがて森の方から声が響いた。
「タツ! タツ!」
母親らしき女性の声だ。
「あ! お母様だ!」
少女は俺の手をするりと離れ、母のもとへ駆けていく。
「タツ……お前、人間のものなんか身につけて」
怪訝そうな顔の母親に、少女は笑って言った。
「きょーすけがね、お祭りに連れてってくれたの!」
母親は俺を見て、ふっと目を細めた。
「……お前、私たちが見えるのか?」
「え? はい」
「双葉のばあさんの孫か。どうりで……」
そう呟くと、少女と手を繋いで森の奥へと消えていった。
振り返った少女が、俺に向かって小さく手を振る。
「きょーすけ! また、明日!」
あのときの笑顔だけが、今も心に残っている。




