龍神の里に雪が降る ― 終章:星の流れる夜に ―
その後の恭介のことは、空も知っていた。
喜怒哀楽がはっきりしていた彼が、
もう笑うことをやめてしまったことも。
いつも冷めた目をして、何かに乾いていた。
誰も求めず、誰にも求められず──
孤独の中に生きていた。
空はさまざまな動物の姿となり、
遠くから恭介を見守り続けた。
このまま孤独のまま、静かに命を終えてしまうのではないか──
そんな不安に胸を痛めていた。
そんなある日。
龍神神社の裏山で植物を見ていた恭介に、
元気な声が響いた。
「ふ〜た〜ば教授♡」
駆け寄ってきた少女が、勢いよく彼に抱きつく。
「藤野君!」
呆れ顔で見つめながらも、恭介の表情はどこか柔らかかった。
その少女──美咲の存在が、
わずかに彼の世界に光を灯したのだ。
人間同士が幸せになるのなら、それでいい。
そう思ってから、空はもう人間界に降り立つことをやめていた。
……まさか、こんな形で再び交わるとは知らずに。
空は遠い記憶を思い出し、静かにため息をついた。
「いいんですか?」
不意に声がして、空は振り返った。
そこに、美咲が立っていた。
「空さん、教授のこと……好きなんですよね?
このままでいいんですか?」
そう問われ、空は小さく笑った。
どこか皮肉めいた笑みだった。
「美咲さんは……その方がいいんじゃないですか?」
自分でも思わず出た言葉に、空ははっとして口を押さえる。
「ごめんなさい、私……」
慌てる空に、美咲が笑った。
「何だ、やっぱりそうなんじゃない。
しかも、一応、私をライバルとして認めてくれてたんだ」
そう言って、空の隣に腰を下ろす。
「美咲さん……」
「いつも余裕そうな顔して、正直、ちょっとムカついてた」
「そ、そんな……余裕なんて……」
「嘘だよ、嘘ウソ。分かってたよ。
何か事情があって、離れなくちゃいけないんでしょう?」
美咲の優しい声に、空は言葉を失った。
「私さ、クールな教授が好きだったんだ。
でも今の教授、なんか違うんだよね。
だって、カッコ悪いじゃない?」
少し笑ってから、美咲は空の方を見た。
「男はさ、クールでいてくれないと」
その言葉に、空はふっと微笑んだ。
そしてそっと、美咲の手に触れる。
「美咲さん。私は龍神です。
あなたが嘘を言ってるのは、分かりますよ」
その瞬間、美咲の瞳から涙が零れ落ちた。
「ずるいよ……。
こっちは、空さんの気持ちなんて全然分からないのに」
美咲は震える声で続けた。
「だったら、単刀直入に言わせて。
もう会えないんでしょう? 最後なんでしょう?
だったらちゃんと、自分の気持ちを教授に伝えて!」
空は小さく首を振る。
「……消えるから」
「え?」
「私はもうすぐ、この世界から消えてしまうんです。
そんな私が、どうして言えますか?」
美咲は息を呑んだ。
やがて、空の手を両手で強く握り締めた。
「だったら……尚更だよ」
その声は震えていたが、まっすぐだった。
「消えちゃうなら、なおさら伝えなきゃ。
残された教授は、私たちが支えるから。
だから大丈夫。
消えるなら、最後くらい──我が儘、言いなよ。
お願いだから……“いい人”のままで消えないで。
少しくらい、私に空さんを憎ませてよ……」
涙をこぼしながら、美咲は握った手に額を当てた。
「美咲さん……」
空は小さくその名を呼んだ。
幼い頃から教えられてきた。
人間は醜く、欲深く、他の命を踏みつける害獣だと。
けれど──
恭介も、美咲も、修治も。
こんなにも、誰かを思いやることができる。
(……まだ、人間は捨てたものではありませんね。
お母様)
空はそう心の中で呟き、夜空を見上げた。
満天の星の下──一筋の流れ星が、静かに夜空を横切り、消えていった。




