引き裂かれた運命のはじまり(終章)
風太が生まれたとき、龍神の里は大騒ぎになった。
龍神が産んだ子が──まさかの“風神”として誕生したのだ。
「半分、汚れた血が入っているからな……仕方あるまい」
そう呟きながらも、大龍神は風太をそっと抱き上げた。
「名は何という?」
愛おしそうに見つめるその視線に、タツが微笑んで答えた。
「風太です」
「風太か……いい名だな」
そう言って、大龍神はちらりと俺を見た。
「恭介、お前も少しはタツの手伝いをしているのか?」
苦笑いしか返せなかった。
俺が何をやっても失敗ばかりで、それでもタツは笑って言った。
「いいのです。あなたは、あなたができることをしてくだされば」
タツは仕えの者に任せることもなく、
自ら風太を抱き、眠るまで歌を歌ってやっていた。
最初こそ大龍神も俺に辛く当たっていたが、
風太が生まれる頃には、穏やかに話すようになっていた。
今思えば、龍神の里の神々が人間を受け入れるというのは、
どれほどの覚悟だったのだろう。
それでも、誰ひとり俺を差別せずに接してくれた。
風太が生まれてからは、タツに助けられた座敷童子が、風太の面倒をよく見てくれていた。
「恭介、風太かわいい」
赤子を抱く小さな子供の姿が、たまらなく愛しかった。
あの頃の俺には、座敷童子の声が聞こえていた──。
俺とタツ、風太と座敷童子。
まるで本当の家族のように、穏やかな日々が続いていた。
この幸せが永遠に続くのだと、信じて疑わなかった。
──あの日までは。
龍神神社に奉納された供物を取りに、
俺が人間界へ降りた日のことだ。
「龍神様……どうか、雨を……雨を降らせてください……!」
そう言って必死に祈る老人の姿を見た。
龍神の里は一年を通して穏やかで、雨も食も満ちていた。
だから俺は知らなかった。
人間界が、長い日照りと水不足で苦しんでいたことを。
俺は急いで里へ戻り、大龍神に願い出た。
「どうか、雨を降らせてください」
しかし、大龍神は冷めた目で言った。
「恭介……お前は、どちらの人間だ?」
「え?」
「海を汚し、川を濁し、山を荒らしたのは人間だ。
どんなに渇こうと、それは自業自得。
彼らが清らかに生きていれば、
水などいくらでも湧くというのに」
吐き捨てるように言うと、大龍神は背を向けた。
「恭介、お前はしばらく神殿への出入りを禁ずる」
そう言われ、俺は龍神殿から追い出された。
それから毎日、龍神神社に集う人々の声が聞こえた。
『助けて、龍神様!』
『なぜ雨を降らせてくれないの!?』
その声が胸をえぐった。
俺は同じ人間なのに、何もできない。
彼らが苦しむ中で、ただ見ているしかない自分が、
たまらなく情けなかった。
そんな俺を見かねて──
タツは禁を破った。
大龍神の許しも得ずに、人間界へ雨を降らせたのだ。
「タツ! お前、そんなことをして大丈夫なのか!?」
俺が咎めると、タツは小さく微笑んだ。
それが、全ての答えだった。
天が裂けるような怒号が轟いた。
「人間どもよ! そんなに雨が恋しいか!
川を汚し、森を壊す穢れた生き物どもめ!
そんなに水が欲しいなら、くれてやる──!」
大龍神の怒りは、やがて嵐となった。
何日も続く大豪雨。
河は氾濫し、大地は泥に沈み、人々の悲鳴が天に届いた。
「やめて! お母様、やめてください!」
タツが叫びながらその身で嵐を押さえた。
「タツ! この裏切り者が!
だから人間などに恋するなと言ったのだ!」
稲光が大地を裂き、
一匹の龍が光とともに天から落ちた。
俺はそれが誰なのか、一瞬で悟った。
「タツ!」
駆け寄ると、そこに倒れていたのは──
かつて森で見かけた女性の姿をしたタツだった。
「来ないで……お願い……来ないで……」
弱々しい声が聞こえる。
だが、俺は構わず抱き上げた。
「きみが……?」
問いかける俺に、タツは悲しそうに微笑んだ。
「どうして……来たの?」
「どうしてって……お前が倒れているのに、
放っておけるわけないだろう!」
そう叫ぶ俺に、タツはかすかに笑った。
「恭介さん……あなたと過ごした日々は、幸せでした。私のことなど忘れて……どうか、人間界で幸せに……」
そう言って、震える指先で俺の頬を撫でた。
「タツ……罰なら一緒に受ける! 全部俺のせいだ!
だから、そんな終わりみたいなことを言うな!」
泣きながら叫ぶ俺に、
タツはゆっくりと空を見上げて言った。
「もし許されるなら……生まれ変わったら“空”になりたいな。
あなたを、ずっと見守れるから……」
「馬鹿言うなよ。お前が空になったら、
俺はお前に触れられなくなるじゃないか」
泣き笑いする俺に、タツは優しく微笑んだ。
「大丈夫。木漏れ日があなたを包む時、
それは私があなたを抱きしめている時。
日差しが強い日に雲が影を落としたら、
それは私があなたの額に手を当てているの。
忘れないで。
私はどんな姿になっても……どこにいても……
あなたを愛しています」
そう言うと、タツはそっと俺の額に触れた。
「さようなら……恭介さん」
涙を流しながら、彼女の姿は光の中に溶けていった。
「待ってくれ……!」
罪なら俺が背負う!
どんな罰でも受けるから……
だから──彼女を、
そして子供を奪わないでくれ……!
声を上げても、もう何も届かなかった。




