引き裂かれた運命のはじまり(後編)
すると、タツは小さく微笑んで言った。
「恭介さん、私が何者か分かっていますか?」
そう言って、そっと俺の頬に触れた。
「はぁ? 龍神だろう?」
呆れたように答えると、タツは静かに笑った。
「あなたの考えていること、思っていること……全部、筒抜けなのですよ」
その言葉に、俺は顔から火が出るほど恥ずかしくなった。
「それじゃあ……お前はずっと……」
そう言いかけた瞬間、彼女の唇が俺の言葉を塞いだ。
「恭介さん。私はずっと、あなたが好きでした。
私を……あなたの妻にしてはいただけませんか?」
その言葉に、思わず彼女の身体を強く抱きしめていた。
「ならぬ! ならぬ、ならぬ!」
俺たちの結婚は、龍神の里では前代未聞の騒ぎになった。
怒り狂った大龍神が現れ、空が裂けるような声で叫んだ。
「人間ごときに心を奪われおって!
この愚か者が!」
その声は地を揺らし、木々の葉がざわめいた。
「人間は私利私欲でしか動かぬ!
他の命を踏みにじり、森を荒らす!
百害あって一理無しだ!」
大龍神の怒号に、タツが一歩前に出て頭を下げた。
「私は……どんな罰でも受けます。
私が、この方を唆したのです!」
「タツ!」
思わず叫ぶ俺の声を遮るように、大龍神が吐き捨てた。
「そんな姿になりおって……情けない。
未来の大龍神たる者が、人間などに恋するとは!」
そして俺を睨みつけ、低く問うた。
「人間の男よ。この美しい姿は、タツの本来の姿ではない。
お前は“本当の姿”を見ても、彼女を愛せると言えるのか?」
挑発するようなその声に、俺は真っ直ぐに答えた。
「タツを愛したのは、容姿じゃない。
むしろ、こんな整った顔立ちでは生きている感じがしないくらいだ。
けれど彼女は本当の姿を見せてくれない……それでも、俺の気持ちは変わらない」
そう言うと、大龍神は薄く笑い、顔を近づけた。
「では──隠れんぼに勝ったら、お前の願いを叶えてやろう」
「……隠れんぼ?」
俺が繰り返すと、大龍神は背を向け、
静かに言葉を落とした。
「タツの腹の中にいる子に免じて、今回は許してやる」
「……え?」
思わず息を呑む俺に、大龍神は冷たく言い放った。
「人間というものは、そんなことも気づかぬのか」
呆れたような声に、タツが顔を赤らめて俯いた。
「まだ安定期ではないので……。
ぬか喜びさせても申し訳ないと思って……」
「タツ! そういうことは早く言ってくれ!」
俺が彼女を抱き上げると、
「此処ではしゃぐな!」
と大龍神の怒声が飛んだ。
だがその口調には、どこか優しさが滲んでいた。
そして大龍神は、再び俺を見据える。
「人間の男よ。お前は二度と元の世界には戻れぬ。
それでも良いのか?」
俺は、迷わず頷いた。
「もしその誓いを破り、人間界へ戻れば……
二度とタツにも、子にも会えぬと思え」
その言葉にも、俺は静かに頷いた。
それから、俺とタツは春の山の近く、
人間界との結界のそばに住まいを与えられた。
何だかんだ言いながらも、大龍神は娘を案じていたのだろう。
立派な家と、穏やかな季節を与えてくれた。
十月十日。
彼女のお腹に芽生えた小さな命の誕生を、俺たちは心待ちにしていた。
タツと過ごす日々は穏やかで、
俺はいつしか、人間だった記憶さえ薄れていった。




