胸に秘めた強い決意
どうして、こんなにも空が気になるのか。
自分が愛したのは、絶世の美女──タツだったはず。
しかし、本当にそうだったのか?
ではなぜ、目の前で自分を拒むこの女に、
こんなにも心を揺さぶられるのか。
恭介にはわからなかった。
まだ何か、大切なことを忘れている気がする。
だが同時に、それは──思い出してはいけない記憶のようにも思えた。
「このまま黙って、俺が去るのをきみは望むのか?」
恭介は、視線を逸らしたままの空に問いかけた。
拒絶する彼女の手を、そっと握る。
「……なぁ。もし、きみが消えてしまうなら──」
恭介は息を詰めた。
「……もう一度、俺の記憶を消せばいい」
その言葉に、空が驚いたように顔を上げる。
「その代わり、風太と座敷童子──そしてきみも。
一緒に人間界へ来ないか?」
「な、何を……言っているんですか?」
「思い出したんだ。
龍神神社なら、ここに近い神域だ。
きみも、風太も、座敷童子も……きっと暮らせる」
戸惑う空の瞳に、恭介が静かに続けた。
「そんなこと、出来るわけないじゃないですか……。
あなたは、タツ様の伴侶なのですよ」
「うん、そうだな。でも……不思議なんだ」
恭介は微かに笑った。
「記憶が戻って、彼女が妻だったと知っても……
今、俺が一緒にいたいと思うのは──
目の前の、きみなんだ」
真っ直ぐな視線に、空の心が震える。
彼女は俯き、かすれた声で呟いた。
「わかりません……。
タツ様は、あんなにもお美しい方だったのに。
私なんて……比べものにならないのに、どうして……」
「風太に母親が必要だから」
恭介が静かに重ねる。
「え……?」
「……って言えば、きみは納得するのか?」
そう言って、恭介は空を抱きしめた。
「きみが納得するなら、理由なんてどうだっていい。
だから──一緒に生きよう。
君たちを守るくらいの甲斐性は、俺にだってある」
その言葉に、空の瞳から大粒の涙が零れた。
叶うなら……一緒に行きたい。
手を取って、このまま彼の隣にいたい。
でも、それは──叶わぬ夢。
空は震える手を恭介の胸に押し当て、
ゆっくりとその腕を解いた。
「……それは、出来ません」
「空!」
「あなたは……私の中にタツ様の面影を見ているだけです。
人間界に戻れば、すべてを忘れてしまいます。
だから……もう私のことは捨て置いてください。
お願いします」
空は深々と頭を下げた。
「それが……きみの答えなんだな」
恭介が低く呟く。
空は畳に額をつけるほどに、もう一度深く頭を下げた。
「もう……分かったから。頭を上げてくれ」
恭介が視線を逸らして言っても、
空は首を横に振ったまま動かない。
それほどまでに拒絶され、
恭介はこれ以上踏み込むことができなかった。
「……そんなに迷惑か?
俺に思われるのが……そんなに……」
かすれた声を残し恭介は静かに立ち上がると、空の部屋をゆっくりと後にした。
足音が遠ざかる。
残された空は、その場に崩れ落ちた。
(もう……遅いんです。
あなたの記憶は、もうすぐ完全に甦る。
もう、私の力では止められない……)
零れる涙を拭うこともせず、
空はそのまま泣き崩れた。
もし叶うなら──あの手を取って共に歩きたかった。
風太と座敷童子を連れて、四人で暮らしてみたかった。
そんな夢を、いったい何度見ただろう。
(でも……まだ消えるわけにはいかない)
空は必死に力を振り絞って立ち上がる。
あと二日。
三人を無事に人間界へ返すまで、
なんとしても力を保たねばならない。
そう心に刻み、空は静かに歩き出した。




