空白の記憶と、騒がしい恋
すると、美咲がスマホで何やら写真を撮っているのに気が付く。
(まったく……自分なんか撮って、楽しいものなのかね?)
首を傾げて視線を植物に戻そうとした時、カメラのレンズが自分の方を向いている事に気付いた。
夢中でシャッターを切っている美咲に近づくと、恭介はスマホをひょいと奪い取る。
「何をしている?」
画面には、こちらを見上げる自分の顔。眉間に皺が寄る。
「え? 折角だから教授と記念撮影?」
悪びれもせず笑う美咲に、恭介は深くため息をつき、自分の写った画像データをすべて削除した。
「ええっ! なんで消すんですか!?」
悲鳴のような声を上げる美咲。
「あのな──」
怒鳴ろうとして顔を見ると、美咲は感無量のような表情で恭介を見上げていた。
「……なんだ?」
「教授が……私のスマホを触ってる」
その一言に、恭介は慌ててスマホを突き返す。
しかし、美咲はその手をスマホごと握りしめてきた。
「教授の手だ! 大きい! カッコいい!」
満面の笑顔。
恭介は思わず手を振り払い、頭を抱える。
「藤野君……俺をからかうのもいい加減にしてくれないか?」
「からかう?」
「そうだ。君、いくつだ?」
「え? 今年22ですけど」
「だよな。俺は35だ」
「見えないですよ〜。しかも在来植物の権威で、32歳の若さで教授に抜擢! 超カッコいい!」
テンションがどんどん上がっていく美咲を前に、恭介は顔をしかめた。
彼には“秘密”があった。
──教授になる前の二年間、記憶がまるごと抜け落ちている。
その空白が心に穴をあけ、誰にも興味を持てない。
在来植物を探すのも、その“空白の糸口”を掴める気がするからだ。
そんな自分を「カッコいい」と言う美咲が、どうにも苦手だった。
「誤解しないでくださいね!」
不意に、美咲が声を上げる。
「私が好きなのは教授の肩書じゃないです! 教授が学生でも……ううん、たとえヒモでも浮浪者でも……」
息を吸い込み──
「好きで〜すっ!」
森の中に美咲の大声が響き、鳥たちが一斉に飛び立つ。
「ばっ、馬鹿! 森の中で騒ぐな!」
慌てて口を押さえる恭介。
すると美咲は、輝くような目で恭介を見上げた。
(まさか……)
手を離した瞬間、美咲が呟く。
「今、教授の手にキスしちゃった……教授、私、教授のキスならいつでもウェルカムです!」
胸元を掴まれ、瞳を閉じる美咲。
恭介は頭を抱えた。
(勘弁してくれ……)
そう心の中で呟きながら、美咲の体をそっと引き剥がす。
今まで、キスを拒まれたことのない美咲は、ただ呆然としていた。
──なぜ、こんなにも拒絶されるの?
──なぜ、こんなにも好きなのに、伝わらないの……?
唇を噛みしめ、俯いた美咲の頬を、木漏れ日が静かに照らしていた。
新しい作品を描き始めました。
更新は明日の8時になります。
良かったら、読んで下さいませ。




