遠ざかる背中
そして美咲もまた、この里での暮らしが始まって数日が経ち、恭介の瞳がいつも空を追いかけていることに気付き始めていた。
今も、走り去った空の背中を見つめる恭介の横顔を見て、胸の奥がきゅっと痛む。
「教授!」
声を掛けると、恭介がハッとしたように顔を上げ、美咲へ視線を向けた。
「魚釣りに行ってたんですか?」
美咲が微笑むと、風太が嬉しそうに口を挟む。
「恭介、すごいんだぜ!
釣れるポイントが分かってるんだよ!」
「そんなに釣ったの?」
美咲が笑顔で尋ねると、風太は得意げに笑って指を差した。
「今度は美咲も一緒に行こうぜ!」
小さな手が差し出される。
美咲は思わず笑みを浮かべ、風太と指切りを交わした。
そんな二人の様子を、恭介が穏やかな表情で見つめている。
「恭介、今度は三人で行こうぜ!」
「そうだな」
風太と話しながら優しい笑顔を浮かべる恭介の顔に、美咲の胸は少しずつ締め付けられていった。
大学にいた頃の恭介は、いつも冷静で、どこか心を閉ざしていた。
そんな彼が、ここでは穏やかに笑っている。
それは本来なら嬉しいことのはずなのに──
なぜだろう、自分の知らない恭介を見ているようで、心がざわつく。
「藤野君? どうした?」
ふと、恭介が覗き込んできた。
「あっ、いえ。何でもないです。
……はい。今度ぜひ、私にも魚釣りを教えてください」
美咲は必死に笑顔を作り、恭介と風太に向かって頷いた。
恭介は気付かないまま、風太と手を繋いで家の中へ入って行く。
その後ろ姿は、まるで親子のようだった。
そのとき、美咲の背中を小さな手が引っ張った。
振り向くと、そこには座敷童子が立っていた。心配そうに、美咲を見上げている。
「あっ、座敷童子ちゃん、いたの?
風太君、教授と一緒にお家に入ったよ」
笑顔で言うと、座敷童子は美咲の頭をそっと撫で、優しく微笑んだ。
「もしかして……慰めてくれてるの? ありがとう」
思わず涙がこぼれそうになり、慌てて笑ってごまかす。
(どうして、こんなに不安なんだろう……)
この里で過ごすうちに、恭介の背中がどんどん遠ざかっていく気がしていた。
けれど、そのたびに自分に言い聞かせる。
(大丈夫。まだ、何も決定的じゃない。気のせい……そう、気のせいなんだ)
美咲は座敷童子の手を取って、柔らかく微笑んだ。
「さあ、私たちも戻ろうか」
そう言って、二人は並んで家の中へと歩き出した。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
あれ? 今日は土日でもないのに三回更新?
……と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
実は、次のお話はどうしても“夜に”読んでいただきたくて。
そのため、今日は特別に三回更新にいたしました。
次の更新は 20時頃 になります。
夜の帳の中で、静かに読んでいただけたら嬉しいです。




