表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

24/25

後日談:狼の変化

* * * * *






「レオンハルト、君も人間だったんだね」




 アレクセイがそう言えば、レオンハルトが訝しげな顔をした。




「私は人間だが?」


「そうだけど、そういう意味ではないよ」




 レオンハルトとアレクセイは幼馴染である。


 王家とアルヴィス公爵家は古き時代からの長い付き合いがあり、アレクセイとレオンハルトもまた、幼少期に顔合わせをした時からの付き合いだった。


 昔、アレクセイはレオンハルトが苦手であった。


 淡々としており、他人への関心が薄く、王家と公爵家のために生きているような男で。


 どうしてこれほど感情のない男に育つのかと疑問に感じるほどで。


 ……だが、それも当然だ。


 前公爵がレオンハルトに行った教育方法は一般的なものとは異なっていた。


 攻撃に特化した黒魔術の使い手である公爵家だからこそ、感情的になってはいけないと、感情を律するために様々な教育──……という名のある種の暴力を受け続けたのだ。


 そのせいかレオンハルトは他人にも己にも関心が薄い。


 我が子のユリウスにはそれなりに情を持っているようだが、普通の親子にしては淡々としている。


 そんなレオンハルトを見て育ったユリウスもまた、他人への関心が薄く、アレクセイは二人のことが心配だった。


 何年も友人関係を続けていたが、アレクセイではレオンハルトとユリウスの心は動かなかった。


 それを『毒婦』と呼ばれた女性が変えた。


 社交界で『毒婦エリシア・ヴァンデール』といえば、多くの男達を侍らせ、貢がせ、奔放な交友関係を持ち、気に入らない者には容赦しないのだとか。


 アレクセイは遠目に見かけることはあっても、直に言葉を交わす機会はなかった。


 誰もが口を揃えて『毒婦』と呼ぶ令嬢とレオンハルトは王家の意向で婚姻した。


 最初はレオンハルトに同情したが、少しの間、顔を合わせないうちに公爵家は変わった。


 エリシア・ヴァンデールは黒魔術にかかり、幼い少女になり、記憶を失った。


 それにより、レオンハルト達は突然幼い少女と過ごすことになった。


 けれども、幼いエリシア・ヴァンデールはレオンハルト達を恐れず、明るく、純粋な心で彼らに接したという。そんなエリシア・ヴァンデールが何故『毒婦』と呼ばれる性格になってしまったのか、レオンハルトは気になったそうだ。


 伯爵家を調査した結果、実はエリシア・ヴァンデールの『毒婦』が演技であることが発覚した。


 そこからはアレクセイも関わり、バルフェット侯爵家に踏み込んだ。


 本来の姿に戻ったエリシア・ヴァンデールとレオンハルト達は、関係が拗れることもなく、良い付き合いができたのだろう。


 自分達を恐れない彼女にレオンハルト達が惹かれるのは自然な流れだったのかもしれない。




「では、どういうことだ?」




 首を傾げるレオンハルトにアレクセイは微笑んだ。




「君に大切な人ができて良かったという話さ」


「王家としてはあまり良いことではないだろう? 国の剣たる公爵家に弱みができるようなものだ」


「何、人というのは『守るべきもの』があるほうが強くなれる。君達も、夫人がそばにいることで精神的な安定が得られているじゃないか」


「……なるほど」




 納得した様子でレオンハルトが小さく頷く。


 エリシア・ヴァンデール──……いや、夫人は公爵家に突然吹き込んだ風だったのだろう。


 貴族は魔力を持っている者が多く、魔力量の特に多いアルヴィス公爵家に威圧感や恐怖を感じやすく、それ故に敬遠されてしまう。


 そんな、周囲から恐れられ、避けられているレオンハルト達に夫人はまっすぐに接した。


 レオンハルト達はそのような経験が少ないので驚いたらしい。


 だが、それは悪い衝撃ではなかった。




「しかし、夫人を同席させなくて本当に良かったのかい?」




 伯爵家の裁判が済み、レオンハルト達の顔を見るついでに伝えに来たのだが、夫人はいない。


 ヴァンデール家は爵位と領地の返上、財産の没収、伯爵と夫人、令嬢は鞭打ちと十数年の服役が科せられ、やがて平民として王都から遠く離れた罪人用の施設にて過ごすこととなる。


 彼らが王都に戻ることは二度とないだろう。


 令嬢は最後まで、己の罪を悪と認めはしなかった。


 ……本当にどのような教育と環境を与えたら、あのような常軌を逸した思考が身につくのやら。


 夫人にとっては生家に関することなので、てっきり同席すると思っていたが、予想に反して現れなかった。


 レオンハルトが小さく笑った。




「エリシアはもう伯爵家と関わりたくないそうだ。今日はユリウスと観劇に行っている」


「ふむ、ユリウスは夫人に懐いているようだね」


「ああ、言っていなかったな。ユリウスはエリシアのことを『母』と呼んでいるぞ」


「そうなのかいっ?」




 それにはアレクセイも思わず、前のめりになって訊き返してしまった。


 実の母親のことですら関心がなさそうだったユリウスが、夫人を『母』と呼び、慕っている。


 レオンハルトも変わったが、ユリウスも本当に変わったのだろう。




「……夫人はすごいな」




 はあ……と息を吐けば、レオンハルトが何故か自慢げに言う。




「そうだな、エリシアはすごい。……私も、自分の変化に驚いている」




 けれど、そのレオンハルトの横顔は穏やかで柔らかく、アレクセイが初めて見るものだった。


 ……少し悔しいな。


 長年付き合っていたアレクセイでも変化を与えることはできなかったのに、たった数ヶ月で夫人はレオンハルトとユリウスを良い方向へと変えた。


 そのことを喜ばしいと思う反面、悔しくもあった。


 しかし、この横顔を見るとアレクセイは嫉妬心とも言える己の思いが小さなもののように思えた。


 アレクセイにとっては親友といっても差し支えないほど付き合いが長く、親しい間柄のレオンハルトに大切な人ができて、精神的な癒しや安寧が得られるのは良いことだ。


 親友の幸せのほうが、アレクセイの小さな嫉妬心より大事である。




「夫人を逃すなよ」




 アレクセイが言えば、レオンハルトが頷いた。




「そのつもりだ」




 そう言ってレオンハルトが自身の左手を見下ろした。


 その手の薬指には指輪が光っていた。


 結婚式の時に着けていたのは見たが、それ以降、レオンハルトは身に着けていなかった。


 ……きっと、夫婦の仲が深まったんだな。


 愛おしそうに赤い瞳が指輪を見つめている。


 今頃、夫人の左手の薬指にも指輪が輝いていることだろう。




「さて、伯爵家の話も済んだし、僕もそろそろ戻るとしよう」




 立ち上がったアレクセイに、レオンハルトも席を立つ。




「今度、君達を個人的なお茶会に招待したいんだが、どうだろうか?」


「ああ、受けよう。エリシアが王族に受け入れられているという、良い宣伝になる」




 差し出されたレオンハルトの手に、アレクセイも手を重ねて握手を交わす。


 昔は孤高の狼だったが、今のレオンハルトは愛する者を得て、心に余裕ができたのが窺える。


 昔のレオンハルトより、今のレオンハルトのほうがずっと良い。


 ……公爵夫人には感謝すべきだな。




「それでは、改めて招待状を送らせてもらうよ」




 アレクセイは微笑みを浮かべ、レオンハルトの手をしっかりと握り返した。






* * * * *






 夜、目を覚ましたレオンハルトは隣に視線を向けた。


 横にはエリシアが眠っており、暗闇でも見えるほど鮮やかな赤い髪が広がっている。


 手を伸ばし、エリシアの頬にかかっている髪を耳に除けてやる。


 気持ち良さそうに眠るその姿は完全に無防備だった。


 ……ユリウスは『弟か妹が欲しい』と言っていたが……。


 まだレオンハルトはエリシアと共に眠っているだけで、それ以上のことはしていない。


 結婚してからようやく半年経つかどうかだが、逆を言えば結婚しているのに半年も清い関係のままなのである。


 政略結婚だからと割り切っていた時はむしろそのほうが良いと考えていたが、想いが通じ合ってからは『触れたいのに安易に触れられない』という関係に少しばかり不満が溜まっていた。


 だが、レオンハルトはエリシアに合わせることにした。


 毒婦と呼ばれていたエリシアが実はとても初心で、異性との恋愛経験がないと分かったからだ。


 エリシアの照れている様子や、恥じらう姿を見ると、無理に関係を進めるのははばかられた。




「……エリシア……」




 こうして共に眠るようになったのもつい最近のことだ。


 シーツに広がる赤い髪の一房を取り、口付ける。


 最初は緊張して眠れないほど照れていたくせに、レオンハルトと共にベッドで眠ることに慣れるとぐっすり熟睡しているのだから、不思議なものだ。




「私が手を出せないと分かっていて、やっているのか……?」




 レオンハルトに対して安心しているのは嬉しいが、男としては少し情けなくもある。


 ここまで無防備で、レオンハルトに信頼を寄せている姿を見ると何もできない。


 そっと頬に触れれば「ん……」とエリシアが声を漏らす。


 長い睫毛が震え、眠そうな緑の瞳が開かれる。




「すまない、起こしてしまったな──……っ!?」




 エリシアがするりと腕を伸ばしてレオンハルトに抱き着いてくる。


 寝間着は普段の装いよりも薄いため、密着すると互いの体の感触や体温が分かってしまう。


 柔らかくてしなやかなエリシアの体の感触に、レオンハルトは息を詰めた。


 細いエリシアの体が、豊かな胸が、押しつけられる。




「レオンハルト、さま……」




 眠いのか囁くようなエリシアの声にドキリと心臓が跳ねた。


 寝ぼけているのかレオンハルトの胸元にすり寄ってくる。




「……あったかい……」




 気持ち良さそうに、ふわふわとした声が呟く。


 レオンハルトは突然のことに混乱したが、エリシアはレオンハルトの背中に腕を回すと抱き着いたまま、また寝息を立て始めてしまう。


 ……この状態で私に寝ろと……?


 戦地で敵兵と対峙した時でさえ、これほど心臓が脈打つことはなかった。


 息苦しいほど鼓動が速く、体温も上がり、体が硬直する。


 けれど、エリシアはもう気持ち良さそうに眠ってしまっている。


 その寝顔を見ると揺り起こすのも可哀想に思え、小さく息を吐いて、レオンハルトはそっとエリシアの肩に触れた。薄い肩はレオンハルトが力を込めれば簡単に折れてしまいそうだ。




「……まったく、ここまで振り回されたのは初めてだ」




 だから、レオンハルトは少しばかり意趣返しをすることにした。


 エリシアを抱き締め、深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着ける。


 そうして、レオンハルトは目を閉じると何とか眠りについた。


 …………………………………………。


 ………………………………………………………………。


 ……………………………………………………………………………………。


 翌朝「きゃあっ!?」という悲鳴でレオンハルトは目を覚ました。


 目を開ければ、腕の中にいるエリシアが真っ赤な顔でこちらを見つめていた。


 気恥ずかしいのか緑の瞳が潤んでおり、レオンハルトは意趣返しが成功したことを理解する。




「レ、レオンハルト様っ、ど、どうしてこんな状況に……っ!?」




 訳が分からないという様子のエリシアには、昨夜の記憶はないらしい。




「酷いな。君のほうから、あんなに積極的だったのに」


「えっ!?」




 動揺して赤い顔で体を震わせているエリシアが可愛らしい。


 だが、あまり意地の悪いことをしすぎると嫌われてしまうかもしれない。


 レオンハルトはエリシアの額に口付けた。




「冗談だ。昨夜、君が寝ぼけて私に抱き着いてきただけだ」




 そう言えばエリシアが赤い顔で「もうっ!」と怒り、抗議の意思を示すためかレオンハルトの胸を叩く。エリシアに何度叩かれても、力がないので全く痛みはなく、微笑ましい。


 エリシアを抱き締め、その耳元で囁いた。




「しかし、君が悪い」




 びくりとエリシアの体が小さく跳ねる。




「こんなにも君を愛している男に、無防備に抱き着くなんて……私は『待て』ができるほうだとは思っているが、あまり男を試すようなことはしないでもらいたい」


「っ、ご、ごめんなさい……」




 エリシアが気落ちした様子で小さくなる。


 ……まあ、寝ぼけている時のことだからな。


 レオンハルトはもう一度エリシアの額に口付けてから、解放した。


 赤い顔のエリシアが体を離し、ベッドから出ようとした。


 その逃げるような背中に、さすがに少しやり過ぎたかとレオンハルトは思ったが、動きを止めたエリシアが何故かベッドに戻ってくる。


 それから、レオンハルトは口付けられた。


 エリシアから口付けられるのは初めてだった。


 唇が離れるとエリシアが赤い顔のまま、言う。




「その、レオンハルト様は『待て』をしなくてもいいと思います……!」




 と、言い、今度こそ逃げるようにエリシアは寝室を出ていった。


 レオンハルトは数秒硬直し、その言葉を頭の中で繰り返し、遅れて理解する。


 ……それは、つまり……。


 意味が分かった瞬間、レオンハルトの体温が一気に急上昇した。


 ドキドキと心臓が高鳴り、息が詰まり、何とか呼吸をするために息を吐き出した。




「……私の妻は、愛らしすぎる……」




 そうして、レオンハルトは小さく笑った。


 ここまで感情を乱されたのは初めてだが、嫌ではなく──……むしろ心地良い。




「……エリシア、覚悟しろ」




 ……許可を出したのは君だ。


 レオンハルトは口元に笑みを浮かべ、愛する妻の後を追って寝室を出たのだった。







* * * * *

本日は二度更新いたします!

夕方頃に最終話を上げますのでお楽しみに(●︎´ω`●︎)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
甘酸っぱーーーーい ニヤニヤしちゃいました。 鞭打ちの上、十数年の労役の後、平民として監視施設に。結構な懲罰でした。ナタリアが逆恨みの下剋上が出来ない罰で良かった。(結局反省がないのでずっと姉の悪口…
レオンハルトの修行。…過酷だったんだろうな。 頑張った分、今は笑顔で過ごして欲しいです。 今、良い感じ! このラブラブをもっと、見ていたい! 最終回まで、しっかり見守ります!
いよいよ次回が最終回…お気に入りのお話が終わっちゃうのは寂しいですね そしてユリウスに渡した『なんでもお願いを聞く券』の出番が来るのかな?ワクワク
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ