過ち
* * * * *
……どうして、どうしてどうしてどうして!!
ルミネ・バルフェットは苛立ちながらも、小鳥が入った鳥籠を運んでいた。
エリシア・ヴァンデールに黒魔術をかけて幼くすれば、レオンハルトとの結婚を継続できない。
毒婦であるエリシア・ヴァンデールをレオンハルトは嫌っていたのだから、エリシア・ヴァンデール側に問題が起こればすぐに婚姻が解消される。
そこでルミネが名乗りを上げるつもりだった。
何度か婚約の打診を断られてはいるものの、それはきっと、彼が年齢差を気にしてのことだろう。
「ああ、レオンハルト様……愛に年齢など、関係ありませんわ……」
それに今回、毒婦と結婚したことで嫌な思いをしたはずだ。
ルミネが疲れたレオンハルトを癒し、支えれば、必ずや愛してもらえる。
ルミネだけがレオンハルトを心から愛し、想っているのだから。
しかし、先日のフェネオン侯爵家でのお茶会を思い出し、ルミネは唇を噛み締めた。
……エリシア・ヴァンデールは生粋の毒婦だったのね……!
男達を侍らせ、貢がせ、妹や気に入らない令嬢を虐げてきた毒婦。
記憶を失ったと聞いたけれど、それでも男に媚びを売るのは上手いままだったようだ。
女性だけのお茶会だというのに、まさか、レオンハルトが自ら送るだなんて。
レオンハルトが大事そうに幼いエリシア・ヴァンデールを抱えている姿を見た時、ルミネは何故と叫びそうになったし、そばに公爵令息もいて──……まるでレオンハルトとエリシア・ヴァンデールの子を、レオンハルトが抱いているように見えた。
……違う、違うわ! レオンハルト様の妻は私なのに……!
エリシア・ヴァンデールは本当に記憶を失い、ただの子供になっていた。
それなのにレオンハルトも令息も、エリシア・ヴァンデールに向ける目は優しくて、表情は穏やかで、大切な者を見つめるようなその視線を当たり前のように受け入れているエリシア・ヴァンデールが許せない。
「そこは私の居場所なのに……!」
苛立ちながらも、鳥籠を地下室の床に描かれた術式の上に置く。
小鳥が騒いでいるが、ルミネは無視して術式から出る。
たとえレオンハルトと令息がエリシア・ヴァンデールの魔の手に落ちたとしても、エリシア・ヴァンデールが子供の姿でいる限り、どうしようもない。
公爵夫人としての役割も果たせず、永遠に子供のままでいればいい。
今は幼いエリシア・ヴァンデールを可愛がっていたとしても、いつまで経っても子供の姿のまま変わらなければ、いずれは気味悪がり、心が離れていくだろう。
……何年でも、魔術をかけ続ければいいのよ。
最初は多くの小動物の命が必要だったが、今は術を持続するために数日に一度小鳥の命を捧げるだけでいい。これくらいならそれほど手間ではないし、あのエリシア・ヴァンデールを公爵家から追い出せるなら、この程度のことは喜んでやる。
詠唱を始めれば、術式が赤紫色に強く輝き始める。
小鳥が騒ぎ、暴れ、鳥籠が倒れたけれど、詠唱を進める。
パッと光が弾け、小鳥の鳴き声と共に鳥籠から血が飛び散った。
……これで、エリシア・ヴァンデールは子供のまま──……。
「そこまでだ、ルミネ・バルフェット」
聞こえてきた声にルミネはピタリと動きを止めた。
その声を聞き間違えるはずもない。
ルミネにとって何よりも大切で愛しい男の声に、慌てて振り返る。
そこにはレオンハルトと令息、父であるバルフェット侯爵がおり、レオンハルトの腕の中には幼いエリシア・ヴァンデールが抱かれていた。
「ど、どうして、レオンハルト様がここに……?」
思わず漏れたルミネの言葉にレオンハルトが眉根を寄せた。
……ああ、レオンハルト様……。
ふらりと近寄りかけたルミネに、令息が腰に下げていた剣を抜く。
その鋭さにビクリとルミネは立ち止まった。
「な、何を……」
「ルミネ・バルフェット、あなたがエリシアに黒魔術をかけたこと、調べはついている」
それにルミネは驚いたものの、困り顔を浮かべた。
「何のことでしょうか?」
「後ろにある術式は何だ?」
「……さあ、私も今見つけたばかりで……魔術に明るくないので、どうしようかと思っていたところでございます」
頬に手を当てて小さく息を吐いてみせる。
しかし、レオンハルトも父も、そして令息もルミネを見る目は鋭いままだった。
「よくもまあ、そこまで白々しく言えたものだね」
カツ、コツ、と足音がする。
そうして、上階に繋がる階段から一人の男性が下りてきた。
金髪に金の瞳を持つ、その男性は──……。
「お、王太子殿下……っ!?」
ルミネは慌てて礼を執った。
レオンハルト達も浅く頭を下げ、王太子殿下を出迎える。
「楽にしていい。……さて、バルフェット侯爵令嬢、君はこの術式を知らないと?」
「はい……存じ上げません」
「そうか。それにしても、こんな埃っぽい地下倉庫に、わざわざご令嬢が何をしに下りてきたんだい? 何か探させるにしても、使用人を使えばいいだろうに」
王太子殿下の言葉にルミネは一瞬、言葉に詰まった。
「……その、わたしのわがままで忙しい使用人達の手を煩わせたくないと思って……」
「それはまた随分とお優しいね。それで、何をしにここへ?」
今度こそ、ルミネは次の言葉が出てこなかった。
ここが見つかるのも、レオンハルトや王太子達が来るのも想定外だった。
王太子殿下がニコリと微笑んだ。
「言えないなら、僕が話そうか。……君は魔術本の違法売買を行ない、非合法な黒魔術を行使した。バルフェット侯爵令嬢、君に本を売った者は既に捕縛してあり、それについても自供済みだ」
ジリ……とルミネは僅かに後退った。
「それは……そう、他の方に本を買ってきてほしいと頼まれたのです……!」
「頼まれた? 誰にだい?」
「ナタリア・ヴァンデール伯爵令嬢です……!」
それに全員が驚いた顔をした。
「ナタリア様がおっしゃったんです! 私は魔術本の違法売買なんて知らなくて、ただ、ナタリア様にお願いされて買って……そうしたら『自分では使えないから』と言われて、断れなくて……っ」
両手で顔を覆い、泣く。レオンハルトはきっと信じてくれる。
「ま、まさか、エリシア様がこんなことになるなんて思わなくて……っ」
ナタリア・ヴァンデール伯爵令嬢から教えてもらったのは事実だ。
違法な魔術本だと知ったのは買ってからだが、それでも、知らずに購入したのは本当である。
意識して涙をこぼすルミネに誰もが同情するだろう。
「それであなたの罪が消えるわけではない」
レオンハルトの冷たい声に、ルミネは思わず顔を上げた。
「え……?」
「たとえあなたが本の内容を知らなかったとしても、違法な売買を行なったのは事実であり、そして黒魔術を発動し、王家と公爵家の名に泥を塗ったということも変わらない」
冷たい声にルミネは体が震える。
レオンハルトはルミネにこのような冷たい声を発してはいけない。
レオンハルトとルミネは両想いになり、愛し合わなければいけない。
しかし、予想外のことを言われてルミネは首を傾げた。
「王家と公爵家の名に泥を……?」
「エリシアと私の婚姻は王家が取り決めたもの。だが、あなたは不満を持ち、婚姻を解消させるために結婚祝いに黒魔術のかかったものを仕込み、エリシアをこのような姿にした」
「これは、我が王家の意向に反するもの。つまり、王家に反意を示したということだ」
レオンハルトと王太子殿下の言葉をルミネは己の頭の中で繰り返し、そして、やっとその意味を理解して全身の血の気が引いた。
ルミネはただ、レオンハルトの再婚が失敗してほしかっただけだ。
エリシア・ヴァンデールが幼くなれば、レオンハルトはそれを理由に婚姻を解消する。
レオンハルトのために、レオンハルトを想って、ただ、言われた通りにしただけなのに。
だが、確かにそれは王家が取り決めた婚姻に対する反意であった。
「そ、そんな……そんなつもりはなくて……わ、私はただ……っ」
己のしたことを理解して、ルミネは体を震わせた。
ただ、自分の恋を成就させたかっただけ。
それなのに、まさか王家が出てくるなんて考えてもいなかった。
「ルミネ、お前には失望した」
父の言葉に、ふらりとよろけ、鳥籠に躓いて床に座り込んでしまう。
しかし、誰も手を差し伸べようとはしてくれない。
愛するレオンハルトは憎いエリシア・ヴァンデールを抱き締めており、令息は剣を収めたものの、こちらを見ようともせず、王太子殿下と父が話をする。
「殿下、ルミネをどうぞお連れください」
「いいのかい?」
「我が家は、王家が決めた公爵夫妻の婚姻に異論はございません」
父がこちらを見る。今まで見たことがないほど、冷たい目だった。
「ルミネ、お前を侯爵家の籍から外す」
ひぐっ、と喉が詰まった。
籍から外す、というのはつまり、家名を失い平民に落とされるということだ。
……そんな、レオンハルト様と結婚できなくなってしまう……!
「レ、レオンハルト、さま……っ」
地面を這いずり、ルミネはレオンハルトに向かう。
「どうか、どうか、話を聞いてください……っ、私は、私だけがあなたを愛してあげられるのです……! レオンハルト様を心から愛し、愛され、あなたの妻になるのは私でなければならない……っ!」
しかし、伸ばした手の先には何もない。
ルミネに伸ばされるはずのレオンハルトの手は、幼いエリシア・ヴァンデールを抱いている。
「私は君を愛することはない。今までも、そしてこれからも、永遠にありえない」
ハッキリとした言葉が胸に突き刺さる。
「そんな、レオンハルト様……っ!」
そのズボンを掴んだものの、足で払われる。
更に伸ばした腕は父に掴まれた。
「これ以上、侯爵家の名を汚すのは看過できない」
王太子殿下が上階に声をかければ、王家の騎士達が下りてきてルミネを捕縛する。
レオンハルト以外の男に触れられる嫌悪感にルミネは叫んだ。
「嫌っ、離しなさい! レオンハルト様、私こそがあなたの妻なのですっ! レオンハルト様!」
暴れても騎士達は構わずルミネを縄で縛っていく。
どれほど叫んでもレオンハルトはもう、ルミネを見ることはなかった。
それにルミネの中で怒りと憎しみが湧き上がり、レオンハルトの腕の中にいるエリシア・ヴァンデールを睨みつけた。
「この毒婦が……! 子供になっても男に媚びを売るのが上手いなんて、相当ね……! その体で何人の男を籠絡してきたのか、社交界では有名よ……!」
ビクリと幼いエリシア・ヴァンデールが震えたので、ルミネは嘲笑った。
「どうせ、初夜でもレオンハルト様に卑しく触れようとしたのでしょうっ? 幼くても女だなんて、どこまでも醜くて薄汚れた女だこと……! どうやってレオンハルト様達を誑し込んだのか、是非教えて欲しいくらいだわ……!」
「この……っ!」
公爵令息が剣の柄に手をかけたが、それに「ユリウス」とレオンハルトが制止の声をかける。
「バルフェット侯爵令嬢」
レオンハルトに名前を呼ばれ、ルミネはパッと顔を上げる。
「レオンハルト様はそこの女に騙されているのです……! 私だけがあなたを孤独から救い出せるのですから……!」
「もういい」
レオンハルトがルミネを睨む。
その威圧感にルミネは思わず「ひっ……」と声が漏れてしまった。
初めて感じる威圧と恐怖に、ルミネの体が震え、涙がこぼれ落ちる。
「気安く私の名を呼ばないでもらおう。……そして、二度と私達の前に現れるな」
王太子が手を上げると、ルミネは今度こそ地下室から引きずり出される。
「なんでっ、レオンハルト様っ、レオンハルト様ぁああっ!!」
ただ、愛する人の妻になりたかった。
慕い続けた人を愛し、愛され、幸せになりたかった。
それだけなのに、どうしてこんなことになってしまったのか。
……幸せになりたかっただけなのに……!
ナタリア・ヴァンデールを信じたのがいけなかったのか。
それとも、そもそもレオンハルトを愛したのがいけなかったのか。
屋敷から引きずり出されると、罪人用の質素な馬車に押し込められる。
見下ろしたドレスは埃にまみれ、髪も乱れ、泣いたせいで顔もぼろぼろだろう。
「……ふふ、ふふふふふっ……」
いつかレオンハルトのそばに立てると信じていた。
共に並び、公爵家の一員となって生きていくと思っていた。
……全ては幻想だったの……?
「あはは、あはははははは……!!」
それなら、こんな世界はもう要らない。
愛する人に愛してもらえない。
まるで塵を見るような目を向けられて、切り捨てられる。
こんな世界など消えてしまえ。
ルミネは頭を振り乱し、狂ったように笑い続けた。
だが、その瞳からあふれる涙は止まらなかった。
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