白い結婚
「この日、ここにおりますレオンハルト・アルヴィスとエリシア・ヴァンデールは夫婦となります。互いに思いやり、支え、認め、受け入れながら良き伴侶として、家族として──……」
気付けば、そこに立っていた。
目の前には教会の司祭様がいて、チラリと隣を見れば見惚れるほどの美形がいる。
わたしは白いドレスを着て、隣の美形もタキシードのようなものを着ており、どこからどう見ても結婚式の最中といった様子であった。
……えっ、どういうこと!?
寝る前まで、わたしは普通に自分の部屋のベッドに寝転がって本を読んでいたはずだ。
それなのに気が付いたら結婚式の真っ最中とは一体なんなのか。
しかし、すぐにズキリと頭が痛み、覚えのない記憶が流れていった。
わたしの名前はエリシア・ヴァンデール。ヴァンデール伯爵家の長女である。
多くの男性に色香を振り撒き、常に男性達を侍らせ、気に食わないと妹を虐げる。
伯爵家にしては羽振りが良いことから『悪事に手を染めているのでは』と囁かれている──……社交界の毒婦エリシア・ヴァンデールとはわたしのことだった。
そうして、横にいる美形には見覚えがあった。
レオンハルト・アルヴィス公爵。このルーヴェニス王国の四大公爵の一人にして、王太子の友人。王家派貴族であり、政略で貴族派の中でも発言力の大きいヴァンデール伯爵家の娘──……つまりエリシアと再婚することになってしまった人。
アルヴィス公爵には前妻との間に男児がおり、出産時に前妻は死去していた。
……いや、いやいや。
……いやいやいや、ちょっと待って!?
アルヴィス公爵の息子、ユリウス・アルヴィス。
聞き覚えがありすぎる名前を思い出してわたしは愕然とした。
……もしかして、ここって『愛の行方』の世界ってこと!?
『愛の行方』とは女性向けの恋愛小説で、貴族令嬢・リリエットが主人公の物語である。
子爵令嬢のリリエットは珍しい白魔術の使い手で、十六歳の社交界デビューから始まる。
王太子や公爵令息などのかっこいい男の子達と出会い、仲良くなったり事件に巻き込まれたりしつつ、リリエットは王太子・カミルと惹かれ合い、仲を深めていく。
だが、王太子の友人である公爵令息・ユリウスもまたリリエットを愛してしまう。
リリエットは王太子と公爵令息の間で揺れ、どちらを選ぶか。
ありきたりな物語だけれど、だからこそ気負いなく読める小説だった。
寝る前の読書時間に読んで、そのまま寝落ちしてしまったのだろう。
……だとするとここは夢の中なの……?
それにしてはあまりにもリアルすぎる。
何より、わたし、エリシア・ヴァンデールはこの小説では脇役であり、公爵夫人という地位を使って社交界で人気が出たリリエットを追い落とすために生家のマクスウェル家を潰そうとした挙句、義理の息子であるユリウスに殺されてしまう。
たとえ夢の中だとしても、そんなのは絶対に嫌だ。
「──……今ここに、二人の婚姻は承認されました」
司祭の声にハッと我に返る。
隣の美形──……アルヴィス公爵がこちらに体を向けたので、わたしも向き合う。
公爵は無言でわたしの手を取り、左手の薬指に指輪をはめた。
そして、自身の左手薬指にも同じ意匠の指輪をはめる。
拍手が起こり、呆然とする中、わたしはアルヴィス公爵と結婚した。
* * * * *
「はぁ……」
式後は公爵邸に行き、お披露目パーティーをして、やっと一息吐けたのは夜だった。
公爵家の侍女達に全身を磨かれ、お世話されたけれど、誰もが事務的な対応で息苦しい。
生家のヴァンデール伯爵家から付き添ってくれている侍女も、わたしの味方ではなく、父の命令に従ってわたしを監視しているため気が抜けない。
ただ、寝室だけは別らしい。
一人でベッドの縁に腰掛け、もう一度溜め息を吐いた。
……エリシアって本当は悪役じゃなかったのね。
原作では『社交界の毒婦』と呼ばれ、公爵夫人となっても男を侍らせ、公爵家の金で豪遊し、自由奔放な女性だと描かれてきた。
でも、エリシアの記憶が流れ込んでくるとそれは間違いだと分かった。
エリシアは容姿こそ派手な美人だけれど、性格はむしろ物静かで、父の命令には絶対服従するしかなかった。男を誑かし、金を集め、伯爵家を潤すための道具として扱われていた。
エリシアの母は病死しており、その後、現在の伯爵夫人──元愛人──と父は再婚した。
伯爵夫人と父との間には実は女の子がおり、その子──……ナタリアは妹となった。
『お姉様は私のために悪女になってね?』
姉が毒婦らしく振る舞うほど、妹はわざと正反対に振る舞い、社交界では『似てない姉妹』『自由奔放な姉とは違う清楚で可愛らしい妹』と評価される。
けれども、ナタリアに反抗すると伯爵夫人とナタリアに暴力を振るわれる。
父の命令に背けば、父からも杖で殴られ、罵声を浴びせられる。
物静かなエリシアはヴァンデール伯爵家の奴隷だった。
……父はこの結婚に不満を感じていたようだけれど……。
王家から提案された結婚を拒否することはできなかったようだ。
ベッドに寝転がり、豪奢な天蓋を見つめる。
……まあ、どうでもいっか。
これはただの夢なのだから。
* * * * *
しかし翌朝、目を覚まして呆然とした。
夢だと思っていたのに、どうやらここは夢ではないらしい。
わたしはエリシア・ヴァンデールのままで、公爵夫人になってしまった。
使用人は相変わらず冷たくて、侍女には監視されていて息苦しい。
朝食の席で一緒になったアルヴィス公爵は、一度もこちらに目を向けなかった。
「この結婚は政略に過ぎない。君を愛することもなければ、親しくするつもりもない。公爵家への口出しも一切許可しないし、公爵家に関わることもしなくていい。……他の男と子を生さない限り、好きにすればいい」
一方的にそれだけを言って、公爵は朝食を摂るとさっさと席を立った。
……まあ、社交界の毒婦だと思っているわけだしね。
残されたわたしは一人でゆっくり朝食を摂り、公爵夫人としてあてがわれた部屋に戻る。
そうすると荷物が山ほど積まれていた。
公爵家の家令が「結婚祝いでございます」と淡々と言った。
これら全てを確認しなければいけないのかと思うと、うんざりするが、品物を確認してお礼の手紙を書かなければいけないらしい。
仕方なく、わたしは一つずつ結婚祝いの品を確認することとなった。
侍女はまったく動かないし、使用人も呼ばない限りは来ないし、わたしが歓迎されていないというのがよく分かる。
……エリシアが絶望するのも頷けるわ。
結婚式の最中、わたしの意識が芽生え、本物のエリシアの意識は消えてしまった。
流行りの女性向け小説や漫画だと、現代のわたしとこちらの世界のエリシアの魂が入れ替わった的な展開が考えられそうだけど、本当にそうなのか確かめる術はない。
……とにかく、静かに暮らそう。
少なくともリリエットを虐げてユリウスに殺される未来だけは避けたい。
社交界にもできるだけ出ないようにして、公爵邸で息を殺して過ごしていれば、公爵やその息子の怒りに触れることもないだろう。
むしろ、この広く華やかな公爵邸の中でのんびり暮らすというのはありがたいのでは?
現代社会で毎日必死に働かなくても、ここでは衣食住全てが揃っている。
……そうよ、公爵が『何もするな』って言ったんだから。
わたしはここで悠々自適に暮らせばいい。
それなら、お礼の手紙も公爵が書けばいいのではないか。
そんなことを思いつつ、箱のリボンを解き、蓋を開けた。
瞬間、ゴウッと黒い闇に包まれた。
──……え?
* * * * *
レオンハルト・アルヴィスはアルヴィス公爵家の当主である。
黒髪に赤目という、この国では珍しい色彩は代々受け継がれているもので、息子ユリウスもレオンハルトと全く同じ色彩だった。
ここ数年は特に王家派と貴族派の対立が深まり、王家は国の舵取りに難航していた。
このまま国内が不安定では困る。王家派と貴族派が歩み寄るという形となり、王家派筆頭のアルヴィス公爵家と貴族派の中でも発言力の高いヴァンデール伯爵家の政略結婚が決まった。
貴族派筆頭の侯爵家には娘がいなかったため、こうなったのだ。
しかし、ヴァンデール伯爵家の長女といえば『社交界の毒婦』として有名であった。
金遣いが荒く、常に複数名と交際して男を侍らせ、妹を虐げている。遊んでばかりで自由奔放なせいか、二十歳を過ぎても結婚せず、伯爵家は手を焼いているという噂だった。
……厄介者を押しつけられたか。
レオンハルトは書類に目を通しながら、小さく溜め息を吐く。
十歳の息子は昨日の結婚式に出席したものの、継母とは正式に顔合わせをしていない。どこかで引き合わせなくてはならないが、息子の教育に悪い女性だ。恐らく、息子は継母に興味がないだろう。
息子のユリウスはレオンハルトと性格が似ているので、容易に想像がつく。
廊下から足音が聞こえ、扉の前で止まったため、レオンハルトはペンを置いた。
直後に扉が叩かれて家令の声がした。
「入れ」
声をかければ、昔から公爵家に仕えている家令が入ってきたが、何やら様子がおかしい。
「旦那様、お、奥様が……」
……もしや、もうあの女が何か問題を起こしたのか?
思わず眉根を寄せたレオンハルトだったが、次に続いた言葉に言葉を失った。
「奥様が、小さくなってしまわれました……!!」
「……は?」
小さくなったとはどういう意味かと考えたが、ここにいても結論は出ない。
内心で溜め息を吐きつつ椅子から立ち上がる。
「夫人はどこにいる?」
「奥様の私室でございます」
レオンハルトが部屋を出れば、家令もついてくる。
好きにしろとは言ったが、問題を起こしても良いとは言っていない。
結婚早々に何をやっているのかと苛立ちが募った。
夫人の私室近くに行くと、使用人達が廊下から夫人の私室を覗き見ていたが、レオンハルトに気付くと慌てて離れていった。
そうして、レオンハルトは扉が開かれたままの出入り口に立ち、唖然とした。
三人がけのソファーの上に小さな毛布の塊があった。
その横には今朝、夫人が着ていたドレスが放置されており、毛布の中から幼い少女が顔だけを出している。少女は燃えるように鮮やかな赤い髪に、ぱっちりとした緑色の目をしていた。
思わず立ち止まったレオンハルトの後ろで家令が言う。
「……あの少女が奥様でございます」
小さくなったという意味をようやく理解した。
エリシア・ヴァンデールだろう幼い少女がぱちりと瞬きをする。
「だぁれ?」
高く澄んだ、幼い声が響く。
室内には少女以外、誰もいない。
……誰もいない?
公爵夫人の部屋に侍女どころか、護衛すらいない状況に違和感を覚えた。
「……何故、こんなことになっている?」
レオンハルトの問いに家令が一瞬、言葉に詰まった。
しかし、恐る恐るといった様子で口を開いた。
「その、奥様にはご結婚祝いの品を確認していただいていたところ……悲鳴を聞きつけて来た時にはもう、奥様はあのようなお姿になっておられました……」
「夫人に直接、荷物を開けさせたのか」
「……申し訳ございません……」
本来、贈り物は侍女や侍従などの使用人が先に中身を確認し、問題がなければ主人の手に渡る。
そのはずなのだが、家令も他の使用人達も夫人に開封させた。
……何てことだ……。
使用人達が職務を怠った。
……いや、原因は私か。
レオンハルトが冷たく切り捨て、それを見ていた使用人達も主人と同じ対応をした。
どういうわけか夫人が伯爵家から連れてきた侍女の姿も見えない。
「夫人の侍女はどこだ?」
「それが、驚いて部屋から逃げ出し、階段から落ちて怪我を……」
「……」
主人を庇うどころか、己の身可愛さに逃げ出したか。
「その役立たずな侍女はヴァンデール伯爵家に送り返せ」
「かしこまりました」
レオンハルトが家令と話している間も、少女はジッとこちらを見つめている。
十歳のユリウスよりもずっと小さく感じた。
溜め息を堪え、レオンハルトは室内に足を踏み入れると、少女のそばに立つ。
キョトンとした顔で見上げてくる少女からは警戒も不安も感じられない。
だが、手を伸ばすとビクリと体を震わせて小さな手が頭を庇う。
震える少女にどうすればいいのか戸惑った。
だが、このまま部屋にいさせるわけにはいかない。
少女を抱き上げるととても軽く、小さく、柔らかい。
机の上に倒れている箱からは微かに黒魔術の気配が感じられた。
「専属魔術師達に室内を調べさせろ。それと、一名魔術師を居間に呼べ」
「はい」
まだ混乱しているが、とりあえず、放っておくわけにはいかなくなった。
少女を抱え、レオンハルトは居間に移動する。
レオンハルトの腕の中で少女は不思議そうな顔をしていた。
よく見ればエリシア・ヴァンデールの面影はあるが、毒々しさはなく、顔立ちは可愛らしい。
毛布ごとソファーに下ろせば、キョロキョロと辺りを見回している。
「ここどこ? おじちゃん、だぁれ?」
「……記憶がないのか?」
「きおく?」
こてん、と少女が首を傾げる。
毒婦エリシア・ヴァンデールとは思えない純粋な瞳に見つめられ、レオンハルトは気圧された。
本当にこの子供はエリシア・ヴァンデールで間違いないのだろうか。
* * * * *
本日は二度更新です( ˊᵕˋ* )
夕方も是非お読みください!