(7)
やがて秋も深まり、ヨハンナさんと私はじきにやってくる冬のため、ピクルスや干し肉などの保存食作りに大忙しだ。
「収穫祭が終わったら、町の人たちは冬支度をして新年を迎えるだけだけど、この地域では雪が降る前に、森の動物が畑を荒らさないよう柵の点検と罠を仕掛ける作業があるんだよ。その日はワイナリーで働く人間と近在の農家、総出になる。で、男たちが作業をしている間、女たちは食事の支度をするんだ。あたしは毎年、食事の下準備をまかされるから、マリーも手伝っておくれよ」
ヨハンナさんの要請に、
「おまかせください!」
ラジャー、と私は返事した。
その日は暗いうちから起き出して、大量の野菜と肉を切ってシチューの準備をしたんだけど、顔色が悪かったヨハンナさんが「気分が悪くて行けそうもない」と言い出した。
「マリー、手順は教えたし、味付けも、もうあたし直伝のができるね。食器や鍋の用意なんかはピアが仕切ってくれる。あんたは、言うとおりにすればいいから」
「はい、わかりました!」
ヨハンナさん特製シチューに加え、私は前日に焼いておいた大量のアップルパイを持っていくつもりだ。
ヨハンナさんを気遣っていたジョン親方が、「あたしは大丈夫だから」と背中を押され、励まされながら、荷馬車に荷物を積み込んだ。
集合場所は、森の入り口。ワイナリーの北にあるこの森、中を通って帝国との境界へ通じる細い道がある。その始まりの場所だ。
私たちと荷馬車が着くと、わっと女たちが出迎えた。
男の人たちはいない。
「遅いじゃないか。男衆はもう出て行ったよ。って、あれ? ヨハンナは?」
「具合が悪くて来れないそうです」
荷物を下ろしながら、私が答えた。
「こいつを届けたら、町から医者を連れてくる」
ジョン親方も木箱を運びながら言った。
「風邪ひとつひいたことのない、あの子には珍しいことだね。あとでお見舞いに行くよ」
話しながらも、ピアさんは荷物を運び、他の人たちに指示を出していた。
ここにいる人たちも微妙な魔力しかないので、私の元いた世界のアウトドアと同様に、薪に火をつけ、煮炊きをする。
この世界にも魔法というのがある。たいていの人は微力な魔力持ちとはいえ、大きな魔力のある人はそんなにいなくて、六歳になったら、神殿で鑑定を受け、あると分かったら、神殿で特別な教育を受け、魔力量などによって神官か魔術師になる。
魔術師は魔獣討伐のとき、騎士たちと共に出動し、攻撃、あるいはそのサポートをする。神官は治癒を行う。
神官は主に神殿にいて、魔術師は召喚を行う三国に多く、国に囲いこまれている。ライアル公国は小さい国なので、お城に三人ほどがいるそうだ。
魔術師の中には魔導具を作る人もいて、お城の厨房のコンロやオーブンはその魔導具で便利らしいけど、庶民には関係ないなあ。ヨハンナさんの宿屋の厨房とお風呂は、木片くずと麦わらと薪を使っている。私も慣れるまで大変だった。でも、彼らの作った魔石のランプは一般にも広く使われていて、明るい。
で、何が言いたいかというと、キャンプんときのゴハン作りなんだよ。これが。
けれども慣れているピアさんたちは、すでに木の柱を立てて日よけの布をそこに広げて、荷馬車で自分たちが持ってきた椅子とテーブルを並べて即席の休憩所を作り、石でかまどを組んでその上へ大鍋を載せ、私が持ってきた材料と水を入れて、もう火にかけている。
「マリー、味つけはどうするのさ。ヨハンナがいなけりゃ、あんたがやるんだろ?」
ピアさんにせっつかれて、私は鍋のそばへ行き、ヨハンナさんに教えられたとおりのころ合いで調味料を入れた。あとは焦げつかないよう、火加減を見つつ、煮込むだけだ。
それも慣れたもので、女たちが交代で火加減を見、大きな木しゃもじで鍋をかき回している。
振り返れば、休憩所のテーブルの上には、ワインだけでなく、透明な液体が入った瓶も並べられていた。
「これって、水?」
「マリーは初めて見るの? ジンだよ。港の男連中はラム酒が好きだけど、陸の男どもはジンが好きだね」
近くの農家の、私とは顔見知りとなったおかみさんが答えた。
ほう。この世界のジン。蒸留酒。アルコール度はいかほどか。ギルさんは、持ってきてくれなかったので、飲んだことがない。
「味見してもいい?」
「いいよー」
と、私の問いに誰かが答えた。
「こっちも、味見していい?」
みんなはアップルパイに群がっている。
「多めにつくってきたから、どうぞー」
私も答えた。お互いに、味見だ。
おかみさんたちは一つのアップルパイを切り分けた。
私はジンの瓶の栓を開け、木のコップに半分くらい注いだ。
くい、と飲むと、喉が焼ける。これまでカクテルに混ざったジンしか飲んだことがないので、新しい体験だ。きっつうー。
「ちょっと、誰よ。マリーにジンを飲ませたの!」
アップルパイを手にし、私のほうを見たピアさんが叫んだ。
そのとき、森のほうから男性陣が戻ってきた。手には斧やナイフ、縄なんかを持っている。
「おや、早いじゃないか」
アップルパイを口に押し込んでから休憩所を出て、ピアさんが言った。
「どうやら、ハグレ魔獣がいそうなんだ。ライアルに大型のはいないはずだが、西の畑に大きな足跡があって、荒らされていた」
「森の木もなぎ倒された箇所があった」
男たちが口々に話す。
「城の魔術師に調査を依頼しようと思います。何かあってはいけないので、今日のところは中止にしようかと」
ギルさんが答え、私のほうを見ると、にこりとした。
かわいいやつめ。
私も手を振った。
そのとき突然、「コケコッコー」とニワトリの大きな鳴き声が森のほうからした。
みんなが振り返ると、森の木の上に、赤いトサカのある雄鶏の巨大な頭があって、ぎろりとこちらを見た。
「みんな、マリーさん! 何かの陰に隠れて!」
ギルさんが叫んでこちらへ走ってこようとした。でも、その体勢で石になった。男衆も慌てだした格好のまま、女衆もそれぞれ口を開けたり、もぐもぐしたりしたまま、石像になった。
悲鳴もなかった。静かだ。お鍋だけが、ぐつぐつ言っている。
「うそ……うそよ!」
私はコップになみなみとジンを注いで、飲んだ。左手には、ジンの瓶を持ったままだ。
「ギルさん、ピアさん……」
私は、ふらりと休憩所から出て、ギルさんのそばへ行った。
酔っぱらって、悪夢を見ているんだわ。
そう思ったけど、頬を触ると、冷たい。石の感触。
ざっと全身から、血の気が引いた。
神さま、仏さま、この世界の女神さま。私から、ギルさんを奪わないで! 大好きなの。愛しているのよ!
私は、ぎっとでかい鳥を睨みつけた。
「もとに戻しなさいよ! でないと、焼き鳥にしちゃる!」
ぶん、と酒瓶を鳥に投げつけた。続いて、鍋の下にあった火のついた薪も何本か。
「あ~た~れ~~っ!」
めいっぱいの念を込めて、祈った。
パリンと酒の瓶が鳥に当たって割れた。お酒に火がつき、ぼっと羽が焼ける。
「キエエエーッ!」
鳥は叫んで、姿を消した。
私は誰かが取り落とした斧を拾い上げて、鳥が消えた方向へ走り出した。
森に入ってすぐの、木が倒された場所にいくと、そこに鳥はいた。
小さくなって、どう見ても、ニワトリだ。尾っぽが蛇だったけど。
「へーんな尾羽」
と、私は火傷してじたばたしていたニワトリをひっくり返すと、斧で蛇をちょんと切り落とし、その蛇の頭を叩き潰した。そして鳥の両足を左手で持って、ぶらんと下げ、尾っぽのほうから羽をむしりはじめた。
「焼き鳥と唐揚げと手羽先と……、あと、何ができるかな。レバニラは……ニラがないか。代わりになるような野菜って、あったかな」
ぶつぶつ言っていたら、三メートル前に、小さいブラックホールができ、そこから子どもが飛び出してきた。
「ぼくのぴーちゃんに、ひどいことしないで!」
背までの長い黒髪、黒服黒いマント姿、小学校高学年くらいの小綺麗な男の子だった。
「これ、あんたのペット?」
私は、ぷらんとニワトリを掲げた。
「そうだ。かえして!」
「へえ、ノラじゃないんだ。飼い主なら、ちゃんと責任持って飼いなさいよ。こいつはねえ、森や畑を荒らして、人を石にしたの! 飼い主として、どうオトシマエつけるわけ!」
「べんしょうします。ヒトも、もとに、もどすから、ぴーちゃんをかえして。ぼくのかぞくなの」
と、男の子はしょぼんとしている。
「あんた、親は」
「とうさまは、ゆうしゃにころされた。かあさまは、ぼくをおいて、でていった……」
「保護者、いないのかー。世話してくれる人はいないの? その前に、あんた、名前は?」
「だいごじゅうろくだいまおう。せわは、べるぜがしてくれるの」
「じゃ、その人を呼びなさいよ。そのまえに、ペットの正しい飼い方ってのはね――」
その後、異変を感じたお城の魔術師が空を飛んでやってきて、石化が解けたギルさんと一緒に私を探し当てたとき、お尻の禿げたニワトリを抱えた子どもの魔王と、目の周りに青あざこさえた側近の魔族を正座させて、お説教しているマリーさんがいたわけさ。
酒瓶、ぶん投げたあたりから、記憶がないんだけどね。
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