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結局その日、酔って寝てしまった私を、ギルさんが背負ってお城まで来、客間に寝かせ、着替えはメイドさんに任せて、自分も着替えて戻ってきたギルさんは、私の寝顔を見ながら寝落ちしてしまったらしい。
「そのまま、既成事実をつくってしまえば、よろしかったのに」
朝食の席で不穏なことをのたまうのは、ギルママ。公爵夫人。
「お義母さま、おくてなギルバードには、無理ですわ」
しらっと答えて、ナイフとフォークを動かしているのは、ギル義姉。
先代さまと公爵さまと後継さまは苦笑いし、ギルさんはスンとした顔のままだ。
正装での食事。これは、拷問ですか。コルセットがきついよう。
朝食をごちそうになって、私とギルさんは普段着に着替えてから、お城をあとにした。
公爵家の豪華な馬車に二人して隣り合って座って、乗っている。
親方とヨハンナさんに、ギルさんはお城の客間へ泊るよう勧めたんだけど、二人は辞退して、城下のちょっと上等な宿に二泊して来るそうだ。親方の馬車は、その宿に預けてあるので、帰りのアシがない私たちに、父親の公爵さまが馬車を貸してくれた。
「朝食のときは窮屈だったでしょう? つまらなさそうな顔してた」
笑いを含んで、ギルさんが言う。
「そんなにバレバレでしたか」
ゴハンをおごってもらったのに、先代さまたちに失礼だったかな。
「実は、僕もです。貴族の子どもはマナーを覚える十歳くらいまで子供部屋で食べ、大きくなったら家族と共に摂るのですけど、あの家に生まれていても、窮屈でしたよ。母は帝国の侯爵家の出で、長兄は公爵家の跡継ぎとして貴族の教育を受け、妻は帝国の侯爵令嬢、生粋の貴族だ。でも、跡継ぎ以外は平民になる。とはいえ、帝国の銀行に勤めている次兄は有力な商会の娘を妻にして平民身分だったのだけど、帝国の経済に利益をもたらした功績で、近々、男爵に叙爵される。兄弟の中で、僕だけが平民なんだ。『結婚を前提に』と言ったけれど、嫌なら君は……。それに、おじいさまがだましてこの国に連れてきたようなものだし……」
この、ヘタレ。プロポーズまがいのことして、乙女心をくすぐっておきながら、今になって、怖気づいた?
私は返事の代わりに、ギルさんをデコピンした。
「そんなこと気にすると思う? 私は聖女じゃない、ただのオマケ」
ギルさんは、目を見開いて、私を見つめた。
「私も、庶民だよ。農園の暮らしのほうが合ってる。一緒に召喚された女の子は王子様と結婚したけれど、私は贅沢な生活なんていらないよ。確かに、周囲に誘導されて、この国にやってきたけど、今はもう、大切なひとたちがいるからね。だまされたことを恨んでなんか、いないよ」
本当は先代さまや公爵さまのいるあの場で、『結婚してください』と言われて、『イエス』か『ノー』かの二択を迫られなくって良かったと、思っている。『結婚前提のお付き合い』という、考える時間をくれて、逃げ道を残してくれたのは、ギルさんの優しさと自信のなさなんだろう。
ギルさんのことは好きだけど、このまま結婚していいのか、公爵家出身のギルさんには、もっと釣り合う人がいいんじゃないか、とか私には迷いもある。
強制結婚させられて縛り付けられる生活から逃げるにしても、他の国へ行っても良かった。おいしいワインが飲めるって聞いただけで、ライアル公国へ来、先代さまの策略で、ギルさんと知り合ってここで働いているのは、日本人的に言えば、『ご縁』ってやつでしょう。
想像するに、私のことをセバスさんからの報告で知った先代さまは、自分と同じ立場の私を保護するつもりだったように思う。だまされていたのは、ちょっとは腹立つけど、みんないい人たちばかりだし、働く場所もあって、結果オーライじゃない?
「うん、そうだな。他の地域で作られているお酒、飲んでみたかった気もするけど、ライアルのワインはおいしいものね。今年、私が摘んだブドウで造ったワインがどんな出来になるか、知りたいし」
「きっと、おいしいです」
ギルさんが、にこりとした。
それからはワインに合う料理のあれこれを二人で話しているうちにワイナリーに到着した。
「ありがとう。父へ持って行ってほしいワインがあるんだ。一服しながら、待っていてくれ」
と、公爵家の御者に告げ、出迎えた男性の使用人に何か言づけたギルさんは、私の手を取って馬車を下りたまま、中へ入っていく。
「あの、ヨハンナさんの宿屋は近いし、一人でも行けます」
「え? マリーさん、新婚家庭にお邪魔するの? 帰ってきたら、あっちにジャン親方、住むんでしょう? だったら、マリーさんはシャトーに住んで、宿屋に通えばいい」
「はい?」
そうだった。熟年だけど、親方とヨハンナさんはうれしはずかしの新婚さん。私は、お邪魔虫!
親方とヨハンナさんが予定外の一泊をしている間、私はなんとか一人で宿の食堂を回し、翌日、帰ってきた二人から、ジャン親方がヨハンナさんと一緒に住むことを告げられるまでに、私はギルさんのおうちであるシャトーの一室へ荷物の移動を完了させていた。
とはいえ、カバン一つだったんだけどね。
ギルさんとシャトーの家族用の食堂でそこの料理人が作った朝食を摂り、私は宿屋へ出勤。掃除、仕込みの手伝い、水汲みなんかをして、いつも通りに仕事する。お昼と夜は賄いで済まして、食堂にやってきたギルさんと一緒にシャトーへ帰る、という日常になった。
シャトーにも使用人が男女合わせて五人いるけれど、彼らに私は婚約者と紹介されているので、生暖かい目で見られている。
「ぼっちゃまが、とうとう」
と、私を見て、年配のメイドさんが感激していたけど、どんだけ女っけがなかったのよ。
イケメンだけど、シャイで畑仕事優先だからか?
この奥手イケメンは、馬車でこぼした私の言葉をおぼえていたのか、他の地方で作られているお酒を手に入れて、私が賄いメシを食べているときにそれを出して飲ませてくれる。
ウイスキー、ブランデー、ビール、発泡酒、などなど。
召喚された先人たちは、いい仕事してたわー。向こうの世界のお酒の味と遜色なかったもの。
その異国のお酒は、その場にいた常連さんたちにも振る舞われた。その一人が、ギデオンさんだ。
「嬢ちゃんの護衛に引っ張り出されていたんだ。秘密だったけど、公爵さまたちから聞いたんだろ? もう大っぴらにしてもいいよな。隠し事なしだ」
その横には、金髪碧眼の八頭身美人がいる。奥さんのアリサさん。三人の子持ちとは思えない美貌とスタイルだ。
「夜遅いし、お酒臭いし。それでも『仕事』っていうから、浮気してると思ったわよ。こーんな、いいところに来てたなんて」
と、ぐいぐいいく酒豪だ。
部下の騎士たち、シャトーに寝泊りしている職人さん、みんなでわいわいと楽しく毎日を過ごした。
そしてある日、ギルさんは紫色の布にくるんだお酒を持ってきた。はらりと布が取られると、ラベルには日本語っぽい文字が。
ワイングラスに少し注がれた透明な液体を口に含むと、憧れたあのお酒の味が! つまみは、塩だけでもいいな!
「これって、吟醸酒?」
「うん、商品名は『月のしずく』というらしい。祖母に、オコメから作ったお酒を探してほしい、と伝えておいたら、遠い東の国からの交易品として、送ってくれたんだ。他にも、ショーユとミソという調味料も」
「そっか……」
お付き合いは良くっても、結婚に踏み切れないで迷っていた私は、やんわり求愛行動するギルさんに全面降伏した。
孫からの頼みとはいえ、祖母さま、手に入れるの、大変だっただろうな。私のために、ここまでしてくれる人たちには、膝を折るしかない。
ギルさんがいるここが、私の居場所だ。そして、彼の家族が、私の新しい家族になる。
「まいりました。私をお嫁にもらってください」
と、グラスを置いた私はテーブルに両手をついて、頭を下げた。
「え……」
目だけ上げると、ギルさんが真っ赤になっている。
「僕のほうから、かっこよく正式にプロポーズしたかったのに」
わあっ、と周囲からギルさんの言葉をかき消して、歓声が上がった。
「若さま、良かったですね!」
「ライアル公国、万歳!」
「ボーナス、出るかな」
「俺も彼女にプロポーズしよ!」
「それ以前に、恋人ほしーい!」
騎士たちがそれぞれ勝手なことを言っている。
「そーんなに、おいしいの?」
アリサさんが横からお酒の瓶をひょいと取り上げ、自分のワイングラスに注いで、くいっと飲んだ。
「ほう、これはなかなか。飲んだことない味だわ」
「でしょ? ワインとは、また違った味わいよね」
二人で酒談義をしている間に、お城へ騎士の一人が走り、翌日には私とギルさんの婚約が発表され、年明けにも結婚式を挙げることが決まった。
本人たち、抜きでだよ? 事後承諾したけどさ。
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