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 今日は残業が無かったので、夕飯のときには日曜に買った大吟醸の封を切ろう、と浮かれながら、私・河原真理子は家路を急いでいた。

 次の誕生日には三十路に突入。

 それがどうした、ってのさ。

 カレシ無し、一人暮らし、経理部に勤める会社員。多分、おひとりさまで今後も過ごすだろうと自分でも思っている。中肉中背、顔は平凡、学校での成績も中ほど、勤める会社も中堅。何でも中くらい。モブ中のモブ。絶対、ヒロインにはならないのが、私。

 でも、いいの。おいしい酒と肴があれば。

 五つ年下でネット小説好きの妹には、『お姉ちゃん、ぜーったい、日本酒はおちょこ一杯、ビールと水割りもコップ一杯、ワイン・シャンパンはグラス一杯までにしてね。それ以上飲むと、周りが大変なの!』と、注意されている。

 私、それ以上飲むと寝ちゃうからなー。二日酔いもなく、目覚めは爽快だけど。

 と、夕日が落ちて薄暗くなった舗道を、るんるん気分で駅へ向かって歩いていたら、こちらへやってきたブレザー姿の女子高生とすれちがうとき、足元が光り、その女の子が光の輪の中へ落ちて行く。

「たすけてっ」

 溺れる人が何かにしがみつこうとあがくように、その子は私のショルダーバッグの紐に手をかけた。

「ちょっと!」

 引きずられた私も女の子と一緒に、光の輪へ。一瞬のことだった。

 何が起こったか分からないうちに、気がつくと、石造りの部屋の床に座り込んでいた。さっきの女の子もうつむいて、私の隣で座り込んでいる。

 わあっ、と周囲から歓声が上がる。

「成功しましたぞ!」

 白い長衣のおじいさんが叫んだ。

「彼女らが聖女か」

 長い金髪で、青い瞳をしたきらきらイケメンが訊いた。この中で一番立派な服を着ていたから、多分、偉い人なんだろう。西洋風で、十八世紀かって思う、きらっきらの高そうな、ぴらぴらの服と宝石がいっぱいついた装身具。これって身分が高いお金持ちよね、多分。

「二人……ということは、ありえませんが」

 喜んでいたおじいさんが首をかしげた。そして、他の人に命じて、水晶玉を持って来させた。占い師の人が使う、あれね。

 女の子にかざすと、きらりと金色に光った。

「こちらが聖女様です」

 おじいさんは宣言した。

「そうか、ではこっちの女性は、何かの手違いということか」

 ここまで聞いて、私は妹が話していたネット小説の設定を思い出した。

 これって、聖女召喚じゃーん。で、私は、オマケってか?

「あのう、用のない私は帰れますか?」

 尋ねた。

「すまんが……無理。呼ぶことは出来ても、返す術はない」

 はっきり言うなあ、おじいさん。

「そんなっ、ひどい!」

 女子高生が泣き出した。

「君、名は?」

 ひざまずいた、きらきらのお偉いさんが訊く。

「みゆ……海江田美優」

「ミユ、私はこのラーデン国の王太子・ベルファンだ。君は我が国の聖女、ミユがいてくれさえすれば、我が国は魔物も近寄らず、作物はよく実り、栄えるのだ。どうか、私の妻になってくれないか」

「王子さま……」

 ミユさんは頬を染め、王子様のプロポーズに、ぽーっとなっている。

「で、帰れないんなら、私はどうすればいいのですか?」

 見つめ合っていた二人が、はっとした。

「そなたには、済まないと思う。だから……」

 と、王子様はミユさんの肩を抱いて立ち上がり、周囲を見回した。

 そして壁際に立っていた一人の騎士に目を止めた。

「近衛騎士・ベルナール、おまえはバルバロッサ伯爵の三男で独身だったな。子爵位と報酬を与えるので、彼女を妻に迎えたまえ。これは、王命だ」

「わ、わたくしには、婚約者がおりますが!」

「どうせ、政略だろ? こちらで解消しておくから、彼女を娶るように」

 そう告げた王子様は、ミユさんを連れて、その場にいた人たちと一緒に部屋を出て行った。

 残されたのは、蒼白な顔をしたイケメン騎士とビジネススーツ姿の私だけ。

 騎士さんは、ぼう然としていたけど、すぐ我に返ったようだ。

「あなたの……お名前は?」

 誰も訊いてくれなかったことを、彼は初めて口にした。

「河原真理子と言います。マリコが名で、カワハラが姓ね」

 自己紹介したところに、文官が来て、書類を彼に渡した。命令書のようだ。

 あの王子様、仕事が早いな。

 それによって私は神殿の一室らしきそこを出て、別の部屋で華やかなロココ調のドレスに着替えさせられ、髪も結い上げられて、この世界の女性の格好となり、礼拝堂のような場所に連れられてきた。連行と言っていい。

 女神像が祀られた祭壇の前には、神官と正装らしき白い軍服を着た騎士さん。

 私は着替えさせてくれたメイドさんに手を引かれ、祭壇の前へ立った。

「なんじ、ベルナール・バルバロッサは、この女を娶ることを神に誓いますか?」

「はい……誓います」

 神官の問いかけに対し、処刑場へ赴く罪人みたいに顔色が悪い騎士さんが答えた。

「なんじ、マリコ・カワハラは、この男の妻となることを神に誓いますか?」

 今度は私に神官が問いかける。

「すんません。あたしんち、仏教なんで!」

 強制結婚なんて、やってられるか。と、ひねくれた私は大声で答えた。

「はああ?」

 と、びっくりしている神官。こんな反応、予期してなかったわけね。

「聞こえた? 私、異教徒なの。宗派は……えーと、おばあちゃんに聞いたけど、忘れた。で、初詣は、近所の八幡さまへ行くわけよ」

「あっ、あの」

 と、騎士さんが、あわあわしている。

「王命は、絶対です」

 すぐに平静を取り戻した神官が告げる。

「えー、あの人、王様じゃないでしょう? こういう場合は、王子命っていうのかな?」

「屁理屈は、よろしい! ともあれ結婚の儀は成立した。両名、結婚誓約書にサインを」

 神官の脇に控えていた少年が白いボードの上に紙を載せたものを持って来て、羽ペンを差し出す。

 騎士さんが、それにサインした。

 次にそれが私の前に差し出される。

 神官と少年と騎士さんと付き添いのメイドさん、計四人にじっと見つめられて、私はしぶしぶ騎士さんの名前の下に、自分の名前を日本語で書いた。

「いいでしょう。では、新しく夫婦となった二人に、神の祝福を」

 神官は誓約書をくるくると巻いて少年に渡し、礼拝所を出て行く。少年もそのあとをついて行った。

「バルバロッサ子爵、令夫人。こちらへ、殿下が寄越してくださった馬車がございます。今頃、屋敷と使用人の準備も整っていることでしょう」

 メイドさんが告げて、先に立って歩き出した。

 私と騎士さんは、並んでその後ろをついていった。

 神殿の車寄せで馬車に乗せられ、おそらく王子様の手先のメイドさんに見送られて、私と騎士さんは大きなお屋敷に送られた。

 馬車の中では、互いに無言。

 お屋敷に着くと、玄関前に十人、使用人が並んでいた。執事、メイド、コック、馬丁。執事さんの説明によると、みんな、王子様からの贈り物だって。

 あの王子様、仕事はやっ。というか、どうせ命令しかしてないんだろうから、実行した部下の人たちが、有能なんだろうな。

 私と騎士さんは部屋へ通され、私はメイドさん二人の手でドレスを部屋着に着替えさせられた。

 おっきなお屋敷。部屋が幾つ、あるんだろう。庭には大きな木と温室と花壇。厩もある。

 着替えを手伝ってくれたメイドさんの話によると、引退して田舎へ引っ込んだ貴族の別邸で、使用人も屋敷ともども引き継がれたとのこと。

 以前の持ち主は、王子様の母方の曾祖父さま。

 身内から譲ってもらった物だから、準備が早かったわけね。

 夕食は、フレンチっぽいフルコース。味は少々、濃かったけど、ワインはおいしかった。

 コックさんへお礼を言っておいたけど、夫である騎士さんは無言のまま。

 不本意な結婚だからなあ、と同情したけど、それは私も同じじゃない?

 食後、お風呂に入ってからメイドさんたちに磨き上げられ、薄いピンクのネグリジェ姿になって、夫婦の寝室のベッドに腰掛けていた。

 初夜。緊張していたので、夕食のときに出たワインを寝酒にと、メイドさんにお願いしたら、ボトルとワイングラスを二つ、持って来てくれた。

 夫となる騎士さんと二人で飲むようにという、気づかいなんだろうな。

 デキるメイドさんだ。

 さて、私は一人でおいしいワインをお代わりして二杯目を飲んでいた。そこへ、ガウン姿の騎士さんが入ってきて、私の前に立った。

「君を妻として、愛することはない」

 と宣言し、くるりときびすを返して出て行こうとする。

「ちょっと、待ちィや」

 私は、ゆらりと立ち上がった。

「『君を愛することはない』? あたしらの間に、愛なんて、あったか?」

 両手でガウンの襟元をつかみ、私はドア近くで相手を壁ドンした。

 向こうは私より背が高いので、見上げる体勢だ。

 青い目が大きく見開かれている。

「なあ、あたしも被害者なんぞ? わかっとるか?」

 少々、酔っているので、言葉遣いが怪しいなー、と自分でも思った。

「知らん世界に無理やり呼ばれて、『オマケ』じゃ言われて、知らん男と強制結婚じゃ。あたしの国では、法律違反じゃぞ。あんたら、誘拐、監禁、その他もろもろの犯罪を犯しとるんじゃ。それで、『愛することはない』ィ? なめくさっとるんじゃねえぞ、オンナの敵がっ!」

 と、私は右膝で金的撃ちをした。おもいっきり。

 そして、それをぽいっと投げ捨て、ベッドへ向かった。

「ぐう~~っ」

 何かがへしゃげたような声がして、騎士さんが股間に両手を当て、床にくずおれて悶絶している。

 それを無視し、私はベッドへ入って一人で寝た。ぐっすりと眠れて、気持ちが良かった。




 カーテンの隙間から差し込む光で、目が醒めた。お酒を飲んだ翌日は、たいへん良い目覚めなのだ。爽快。

 うーん、と伸びをしてベッドを出たら、ソファに人が寝ている。

 誰だよ、と思ったけど、すぐに結婚したんだっけ、と思い出した。名前は――なんっつたっけか?

「ちょっと、そこのお兄さん」

 私が声をかけたら、目を開けてから、ぎょっとした表情をした。

「これから、どーすんの?」

 騎士さん、改め私の夫(仮)が、のろのろと身体を起こして、ソファに座った。

「どうしたらいいでしょう」

 うなだれている。

 私に言われてもね。

「とりあえず、飲まない?」

 私は使ってないほうのグラスにワインを注いで、相手の目の前に差し出した。

 夫(仮)は、ぐーっと一気に飲み干した。

「僕にはね、メリーアンという婚約者がいるんだ。隣の領地の男爵家の次女で、気立てのいいなんですよ。幼なじみで、大きくなったら結婚しようって、約束して。僕は三男だから、爵位を継ぐことも領地経営を手伝うこともしなくて、自分の力で生きていかなきゃならないんで、騎士爵をもらうとこまで励んで、王太子付きの近衛騎士にまでなって、やっとメリーアンと所帯を持とうって、親たちからの許可も、もぎとったのに、なんっで、こんなことに……」

 さめざめと泣いている。

「幼なじみと結婚かあ。甘酸っぱいねえ」

 アラサーで喪女の私には、縁のないことだけど。

 そのとき、寝室の外が騒がしくなった。何者かが突進してきたようだ。

 バン、とドアが開いて、金髪巻き毛で青い瞳をしたお人形さんのようにかわいらしい少女がそこに立っていた。

「お客様! どうか、お帰りください!」

 二人のメイドさんが女の子の腕を掴んで追い出そうとするのだけど、その子は動こうともせず、目を大きく見開いて、こちらを見つめている。

 と、その両目から、どっと涙があふれ出て来た。

「うわーん!」

 座り込んだ少女は、大泣きしている。

「あとは私にまかせて」

 メイドさんたちに私は告げて、引き取ってもらった。

 ぐずぐずに泣いて、へたり込んでいる少女を引きずって部屋の中へ入れ、ドアを閉めた。

「メリーアン、僕の貞操は無事だからね!」

「ああ、ベルナール!」

 二人はドア近くの絨毯の上に座り込み、ひしっと抱き合った。

「愛してる、メリーアン。僕には君だけだ」

「私もよ、ベルナール」

 互いの愛情を確かめ合い、いちゃいちゃしている。

 お邪魔虫の悪役か、私は。

 立ち上がり、テーブルの上にあった水差しを手にすると、私は二人の頭の上から、ざーっと水をかけた。

「きゃあ」

「なんだ?」

 びっくりしたおふたりさんは、現実に戻って身体を離した。

「頭は冷えた? 私も、被害者なんだけどね。あのアホ王子の。自分たちだけが、被害者ヅラすんの、やめてくれない? 私は、あんたたちの邪魔をする気は、これっぽっちもないんだから」

「で、でも、どうすれば? 王命は絶対です」

 夫(仮)が私を見上げた。

「そこを、ここで何とかするの」

 と、私は右手の人差し指で自分の頭を指し示した。

「あんたたちは愛し合ってる。私はこのポンコツのことを、なんとも思っていない」

「ポンコツ?」

 夫(仮)が何がぶつぶつ言っていたが、無視して続ける。

「できれば、この状況から逃れたい。聖女と一緒に召喚されたけど、聖女じゃない、でも元の世界に帰れないということだから、この世界で生きていく手段と居場所を確保したい。これ、理解した?」

「はい。異世界の御方」

 女の子が真剣な表情でうなずいた。こっちの方が、話が通りやすそう。

「私のことは、マリコって呼んで。それでね、みんなが幸せになるアイデアが浮かんだんだけど、乗る?」

 私たち三人は額を寄せて、ひそひそと話し合った。ドアの向こうで、誰が聞き耳を立てているか、分からないからね。




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