今まで関係が薄いと思っていた婚約者が実は粘着質の変態ヤローでした。
「婚約解消についてどう思う。」
氷の王子と令嬢たちから囃し立てられることに申し分ない、表情のない顏で開口一番これである。
遡ること少し前。一応自分の婚約者である彼から珍しくお呼び出しがかかり、所定された日時に王城へ向かった。
門番の方に呼び出された旨が書かれた書状を見せ、通された部屋には、この国で最も尊い身分の一族である、私を呼び出した方が居た。彼はアルフォンス・ケシュヴァル王太子殿下だ。通称氷の王子というらしい。
品のいい豪奢なテーブルは向かい合った革張りのソファで挟むようにしておいてあり、彼はそこに座って待っていた。そしてその奥には書類が山のように積み重なった机があり、彼の仕事量の多さを物語っていた。
下手側の壁は全て本棚で、さまざまな本が所狭しに並び、きれいに手入れされていることが分かる。彼は意外と勤勉な方なのだろう。上手にあるこれまた豪奢な扉の先にはよりプライベートな空間が続いていると思われるので、ここは彼の私室兼仕事部屋かと思われる。
一通り挨拶を済ませ、彼からソファに座るように促され、それに従う。すると、給仕の者が琥珀色をした紅茶とセンス良く盛り付けられた焼き菓子が音もなく差し出された。
彼が片手をあげると、給仕してくれたものは小気味よく頭を下げ下がっていった。この空間には二人きりとなり、彼は静かに紅茶を口に含ませた。ここまで一度も目は合わせていないが、彼の動きは流れるように綺麗で、流石王族だな、なんて先程から他人事のように思っていた。
ここで冒頭に戻る訳だが。
こうして顔を合わせて話すのも数年ぶりである相手の私室に通され驚きを隠せない自分に追い打ちをかけるように婚約解消の言葉が告げられる。
自分は何かしただろうか。王子妃教育を受けに王城に通っているがその時になにかしただろうか。
それとも、確か数日前、とある女生徒が婚約者との関係を解消するように言ってきたことに言い返したら泣かせてしまったことがあったが、それがどこかから耳に入ったのだろうか。
だがあれは咎められるようなことはしてない…筈だ。そもそも泣けば被害者にでもなれると思っているのだろうか。本当、はしたない。
…とここ最近の事を一通り思い出してみたが、王子妃教育を受けているだけあり、特に外では爪先まで気を配り仮面をかぶっている。そう簡単にボロが出てたまるか。それが出ないよう死ぬ思いで努力してきているのだ。
それに、高い水準での教育を受け、それが身についていることは自分の誇りであり、武器だと思っている。
そのために血反吐を吐くほど研鑽してきたし、今の自分はその努力した日々の結晶である。まだまだ発展途上ではあるが、それでも今までのそれらを振り返ると大きな自信に繋がっているのは確かだ。
当たり前にそういう目で見られる立場にいる以上、皆の手本となるよう完璧でいなければならないということもあるのだろう。
婚約者との関係が薄くとも王子妃ゆくゆくは王妃になるだろう自分が率先して少しでも国を強くするために人脈を作りたかった彼女は、学園へ入学を機に積極的に学生たちと交流を持とうと考え、貴族と平民の垣根を越えて様々な者と話をし、ある時には平民の者と共に放課後に町へ出歩いたりもした。
箱入りどころか真綿に包まれるように花よ蝶よと育てられた彼女には、知らない世界がまだまだたくさんあったこと、平民の文化等は本を読み理解していたつもりだった入学前の彼女からしたらとても考えられないようなことが沢山あり、理解をするという事への価値観が大きく歪められた。自分がどれだけ小さな世界で生きていたか痛感させられたのだ。
学園で学び、新たな世界が広がった彼女は国力を上げるためには国民の文化水準をより上げるべきだと考えるようになった。そして自分の野望を叶えるために王妃になりたい。そう固く決意したのは何年前だっただろう。まだその時にはわたしが将来の王妃になれることは確定していなかったが、その後彼が立太子されたのだ。これほど嬉しかったことはない。他人任せだが、夢に一歩近づくことが出来た。勿論王妃になれない場合の事も考えてはいたが。
だからこそ、たとえ婚約者との関係が薄くても高度な教育を受けられることだけで、彼との婚約の意味があった。まだまだ学びたいことが、吸収したいことが。王妃ではいられなくとも教育が終わりきる前に婚約解消はとても痛かった。
何か原因があったのか必死に考えていると上から声が降ってきた。
「君は、悪役令嬢というものを知っているか?」
「悪役令嬢…でございますか?」
「ああ。君はそれだそうだ。このままいくと最悪処刑されるか、よくてこの国から追放だそうだ。
仮に追放となったとしても、山中で事故に遭い行方知らずとなってしまうらしい。このままいくと君はどちらかの運命をたどる可能性が高いとのことだ。それを回避するためには事前に婚約を解消した方がいいとのことだった」
表情を全く動かさず冷たい声で彼はそう言った。
「話がつかめません。」
冷たくなった指先を温めるように自分の手を握り、神経の先まで張りつめて。
「先日、王宮に私宛でとある者が訪ねてきたのだが、私はその者のことを知らなかった。無論不審に思った門番に捕えられてしまった。取り調べには、私、もしくは私の関係者と話がしたい、今後についての重大なことを伝えなければならない、と。
報告には上がってきていたが、そのような変人に関わるほど私は暇ではないし、そもそも簡単に私も一個人の為に出られる立場ではない。だが、本当に重大なことがある可能性を捨てきることはできなかった故、使者を使わせることにした。報告された内容は先程伝えた通り、婚約解消についてのものであった。」
この婚約者の話を信じるとしたら、今までの話を聞く限りその訪ねてきたものは不審人物としか思えない。彼本人もそう言っている。未確定であるはずの未来をそんな断定的に話す所とか特に怪しく感じる。そんな者の言葉を額面通り信じるとは俄かには信じがたいが、現状は相手のいう言葉を信じているようだ。
仮にその者の言葉をただ信じているのであれば平民のほうが危機管理出来ているのではないか。
だが、それにしては、その者を不審人物と言ったり、万が一を考えて使者を使わせたりと冷静だと見受けられる所があるのも引っ掛かる。或いは使いに行かせた者から報告受け、その後直接会ったのだとしたら、その時に何かされたか、もしくは信じるだけの何かがあったか。洗脳等はされていなさそうには見えるが、その者に会った影響で判断力が鈍っているという線はゼロには出来なさそうだ。
なにより話の本質が見えない。婚約解消したいのであれば、根回しをして順に手続きを踏めばいいだけの話だ。わざわざ訳の分からない話をする必要が無い。互いに興味がないであろう相手だ。
家の繋がりというメリットは消え失せてしまうが、ここで我が公爵家と王家が結びついてしまっては、公爵家が権力を持ちすぎるという見解もあるくらいだし、それについては自分も概ね理解している。と言いつつ自分は王妃にはなりたいので大きい声では言えないが。
見えないという事は意図的に隠されていると考えた方が自然か。何か話せない事情があり、そこに触れず自分に伝えられたが、それによってあんなおかしな言い方になったのだろうか。
いや、だがそこまで考えられているとしたら彼は愚鈍ではない筈だ。そもそも違和感を隠してうまく話す筈である。結局婚約が解消できればいいのだから。口下手…?いや、公の場で流暢に挨拶していたのを見かけたことがある。
それとも、やはり裏も碌にとらず、都合のいい言葉のみを信じ周りを巻き込むような愚鈍な人間なのだろうか。だが、彼はそのような人間ではないような気がする。そんな噂も耳にしたことが無いし、何よりそんな人間であれば、彼がわざわざこの国の王太子には選ばれていないだろう。
そもそも王室には長男継承の文化はなく、王太子に選ばれるには実力で勝ち取るしかない。更に言えば現王に側室はいないため尚更フラットである。王家が不祥事を揉み消している可能性は…全くないにしても、王国の中枢に食い込んでいるお父様に隠すことはまず難しいことだろう。もみ消す前に我が家のひいてはお父様の耳には入るだろう。そして、そんな人間だったらお父様が婚約を継続しているとは考えにくい。
だとしたらなぜ、自分の婚約者はこんなことになっているのか。話を聞いてみないことには結論は出せない。
最悪、お父様に相談して陛下に上奏してもらわなければならない場合も出てくるだろう。何か起こってからでは遅い。私室に通されていることを見ると、恐らくだが、ここは非公式の場。まだ報告が上にあがってない可能性もある。しっかり見極めなくては。出された紅茶を一口含み自分を落ち着かせ彼女は問いかけた。
「王太子殿下。恐れながらよろしいでしょうか。」
「君もいきなりこんなことを言われて混乱してしまっているだろう。答えられることは何でも答えよう。何を発言してもこの空間には君と私しかいない。不敬にはとらないから好きに発言してくれ。」
うん。反応もおかしい所はない。なんなら不敬にとらないという気配りまで見せている。
「ありがとう存じます。では、お言葉に甘えて。その者によると、私がこの国に多大な危害を加えているという事ですね。
ところで、殿下は位が高い者ほど処刑するのが困難になっていくことはご存じで?我が国の刑罰についでですが、裁判所が一任されており、独立機関であるいう建前はございますが、少なからず権力に比例して忖度は働いています。裁く方も恐れ多いという事です。そもそも忖度されるほどの地位にいるものはその前に手頃な者に罪を擦り付け、闇に葬られる可能性が非常に高いのです。
そこから鑑みて、私が処刑されるには国家転覆、あるいは諸外国の者と内通している位ですかね。そして、追放の場合ですが、刑罰が低くなれば当てはまる罪は多数出て来ますが、一例を上げますと貴族のご当主を殺害した位でしょうか。
ですが、私とて未熟ではありますが、次代の王妃として教育を施されており、多少ではありますが国の内情を知ってしまっています。行き先にもよりますが、追放という処罰を受ける可能性は低いと推察いたします。そうなると追放ではなく幽閉となるのが現実的ですわ。外で何か話されたら困るのは国ですもの。
どちらにせよ、確実に私自身が犯したという絶対的な証拠が必要になってきます。不審人物の証言のみで今言ったこれらの罪を立証できると思いますか?
殿下が民の言葉にも耳を傾けることは素晴らしいことだと思います。ですが、それをなんの裏もとらずに鵜呑みにする、それはいかがなものかと思われます。ましてや、それが不審人物だと疑った上で、その者の告発のみでは、殊更、私を処刑、追放するのは不可能でしょう。なんせ先程も申した通り裁判所という建前ではありますが、独立した機関がこの国にはあります。確たる証拠が出なければ裁くことは不可能。証言だけで、告発だけでどうにかなるものではないのです。
殿下の一存で人の刑を決めることは不可能ではないでしょう。ですがそれでは、王家の信用が下がっていく一方です。殿下の一挙手一投足に何人もの命がかかっていることを努々お忘れなきよう。」
さぁ、どう出る。彼は未来の話をしていた。それを鵜呑みにしているなら今そんな証拠など出てこない可能性がとても高いだろう。そして自分は今現在その罪を犯していると話を進めた。ここの乖離が解消されれば少しは趣旨に近づけるか。直接的な聞き方をしなかったのはただの意趣返しだ。多少生意気言ったのも意趣返しだ、多分。
すると彼は、くつくつと声をこらえて笑っていた。これでは氷の王子が台無しだ。
「そうか。君はそう来るのか。それにしても考える時にちょっとだけ口を尖がらせる癖はまだ健在だね。かわいい。では私が乱心した、もしくは愚鈍な人間とでも思っているのかな。不敬は問わないとは言ったが、ここまで言われるとは思わなかった。やはり直接話さないと分からないことが沢山あるな。君はいつも笑わせてくれる。
いいだろう。そこまで言うのだ。本当は禁忌なのだが、君も近い将来王族に名を連ねるだろうし、何より当事者だ。どうせ知ることになるのだから今、話しても差し支えないだろう。少し長くなるが聞いて欲しい。そしてこれから話す事柄については厳しい緘口令が敷かれている。故に、一切の他言無用だ。無論、家族にも話す頃は許されない。要するに二人だけの秘密だ。」
そう言った彼は口元に人差し指をもっていき、ニコリと微笑んで見せた。妙に芝居がかっていて気持ち悪い。その視線やめてもらえませんかね。
…婚約解消を告げた口で何を言っているのだと思ったが、黙っておくことにしようと思う。逆上も動揺もしていないようだし、いたって彼は落ち着いている。顔は緩んでいるようには見えるが。
それに自分が言いたいことは伝わったようで、思いのほか早く彼の状態がわかるかもしれない。彼女は彼の言葉を肯定するためにニコリと笑みを浮かべた。
「殿下の御心のままに。」
「うむ。実は王族のみしか見られない建国からの歴史を綴った書物があるのだが、その中に数代に一度転生者というものが出てくる。その者の働きは人による新しい発見をくれたり未来を予知したりなど様々であるがその転生者は毎回ニホンという国の出身で皆共通して同じ文字を扱い、独特の言葉を話せる。
王家の歴史書とはこの転生者の達の為にあると言っても過言ではない。その転生者が今回訪ねてきたのだ。最もいつもと違う所は門番に捉えられてしまったことだが。」
「テンセイシャ…?ですか?」
先程までの緩んだ顔をきゅっと引き締め、通常運転となった彼は淡々とそう言った。テンセイシャ。聞いたこともない言葉だ。テンセイとは何なのだろう。
「そうだ。転生者が扱える文字は非常に難解でな。なんでも最低でも3種類、場合によっては4種類から5種類の文字を使って書くことがあるようだ。それもそれぞれに種類があるらしい。一例を上げればヒラガナとかいうものがあるらしい。そんな数種類もある文字を使い分けることは非常に難解である。
一番初めに発見された、つまりその本が作られるきっかけとなった転生者は王妃だったらしく、当時の王、つまり彼女の夫に文字を教えたこともあったらしいのだが、難解過ぎて諦めたらしいなんて逸話も残っているくらいだ。ところで君は町などに不思議が記号のような看板を目にしたことはないか?」
「そんなに難しい言語なのですね。そして、記号のような看板…?ああ、確かに不思議な記号を書いた看板なら何か見たことが御座います。聞くところによると祖父母が幼少期からすでにあるらしいですわね。」
「あれがニホンゴという転生者が扱う独特の文字で、転生者が読めばあれはちゃんと意味がある文章になっているらしいのだ。内容は王家の歴史書に書かれている。詳しくは言えないが、『重大な用があれば王城へ来たれり』という内容が書かれている。
初代の転生者が王に頼まれ、ニホンゴで書いたらしいのだが、それを印刷してく各所貼っている。万が一、転生者が現れても王城へ来るように。それでもちろん全ての転生者が集まるとは思わないが、だがあの看板を見て転生者は幾人もこの王城にたどり着いているのは事実である。」
「あれが…?文字…?」
あのふにゃふにゃとした曲線と直線を合わせたようなあれが?文字なの?
「そうだ。そして転生者は皆共通して黒髪黒目なのだ。この国は髪や瞳のどちらかが黒い者は珍しくない。決して多くはないがな。君の学園のご友人にも数名いるだろう?だが、今までの転生者たちは髪と瞳どちらも黒い色をしていた。今回の転生者も髪の瞳も黒かった。転生者として信じるには十分である。」
「なるほど。お言葉ですが、テンセイシャにはそのような見た目で分かる特徴があり、その者達が本当にテンセイシャだとあの看板を読み、証明されたとしても情報に嘘、もしくは誤りがある可能性は考慮しないとならないといけないと思われます。
テンセイシャが全員善人であり、良い情報をもたらしてくれるという考えはいささか甘いように感じます。」
そう返すと彼は頷き、話をつづけた。
「もちろん、その可能性も考慮しなければならないのは分かっているし、君が言うことは最もだと思う。だからこそ、あの独特の文字で転生者たちにしかわからない形で王城へ来るようさせ、この事を知っている者には厳しい緘口令を敷きこの国に住んでいる者たちに決して転生者についての情報を知られることの無いよう徹底している。
先程話した書物以外、転生者の事を紙に記すことも禁止、他の者に話すのも禁止している。その情報を知り転生者を騙るものが出てきても混乱を生んでしまう。
言うなればあの看板は転生者へのメッセージだ。更に言うのであれば今回が特殊で、本来転生者の対応にあたるのは陛下である。陛下の前で嘘をつくことはないだろうという仕組みだ。陛下に嘘をつくのは大罪だからな。」
「そういう事でしたら、頷けます。ですが今回は特殊というのはどういう事で?」
「そうだな、今回の転生者はその看板を見て訪ねて来ていないのだ。だから不審人物として捉えられた。どうやら今回の転生者はつい最近その事実を思い出したらしくてな。
そんな看板があったのもすっかり抜けていたようで急いで王城に来たようだ。使いの者を送ったと言っただろう。その者が報告にあがった時に話の内容とその者の特徴を聞いた、黒い髪と瞳を持った君くらいの齢の女性だと。
そこで私に用があるという事だったので、そのことを陛下に報告し、許可を得て直接話をすることになったのだ。」
「それで私との婚約解消をと言われたのですね。」
「その通りだ。転生者がみな一貫していうのは我々が住んでいる世界は物語の中であるという事だ。今回の転生者もこの世界はニホンという世界のうぇぶ小説だったと言っていた。うぇぶとは何のことかわからなかったが、その小説が好きな少女だったようだ。
その小説の世界とこの世界は酷似しているらしく、そしてその中で君は今から約4年後の君が22歳の時に処刑、もしくは追放されるという先程話したことを言われた。」
「なるほど。」
「何故そのようなことになるのか尋ねたら、私はもう少し先の未来で運命の出会いをするらしく、その者と結ばれたいが為に婚約者である君が邪魔だったようで裏で君が罪を犯すよう手を回していたらしい。
王妃の座を危ぶまれた君は異国の暗殺者を使いその女を亡き者にしようとしたらしい。だがその暗殺者こそが私が裏で仕向けた者だったらしく、君は異国と秘密裏に繋がっていたと即刻捉えられ処刑、もしくは追放へと繋がる。君はまんまと私に操られてしまったようだ。
最終的に、私は最愛の者と結ばれ、悪役令嬢の君は処刑され勧善懲悪。めでたしめでたしという話らしい。
その世界では私と君の関係は冷え込んでいたらしく、この世界の私と君も同じように映り、あなたはもう少し先で最愛の運命と出会う。
その前にあのお方を開放してあげて欲しい、尊敬しているあの方をそのような形で失うことになり、あの方は何も悪くないのに利用された挙句処刑なんてあまりにも酷すぎると。」
「それでその者は殿下に婚約解消をするように告げたのですね。ですが、先程殿下は小説だと申しました。何故小説なのに私の未来は二つに分かれているのでしょうか?それに今の言い方ですと私の犯した罪は同じ。罰の重さが変わる理由が分かりません。そして、その者は私の事を慕ってくれているようにお見受けします。私はその者と面識がある記憶はないのですが…」
「それについては小説の結末が二つに分かれているらしい。小説本編では処刑されるみたいなのだが、いふるーと?という、"もしもこうなったら"という結末もあったらしい。
どちらの結末になるかは私に処刑を言い渡された後に周りの者たちからの嘆願書が集まり、減刑されるらしい故、どちらに続くかは分からないようだ。どちらにしても取り返しがつかなくなる前に私との婚約を解消してあなたには幸せになってもらいたいと言っていた。
何故、彼女があなたにそんなに入れ込んでいるのかについては詳細は本人の意向に沿い言わないでおくが、何故君を知っているか位は話しても差し支えなかろう。彼女と君が同じ学園に通っているからだ。」
自分と同じ学園に通っている者?そして婚約解消に携わっている。一人心当たりがある。だがあの者は…
「失礼ですが殿下。その者はエマ…エマ・タンドルという者ではなくて?
あなたとの関係が薄いことを理由に私に婚約を解消するように言ってきた者の名前ですわ。事実とは言え、無礼だと思い…。
ですがあの者は黒髪ではありませんでした。いったいどういう事ですか?彼女は…彼女の髪の色は綺麗な亜麻色ですわ。」
「そうだ。彼女からは名前も伏せて欲しいと言われていたが、君ならここまで話せばわかってしまうだろうなとは思っていた。
彼女の家系は染色を生業にしているようだ。新規事業の立ち上げで染毛の被験をしていたようだ。ただし一日で効果が切れるものらしい。王城に行ったことが周りにバレ、噂になる可能性があったため、染毛はしないで来たらしい。捉えられた不審人物つまり、エマ・タンドルは確かに黒い髪と瞳を持っていた。
君の学園の生徒は全員把握しているつもりだったが、黒い髪と瞳を持つものは一人もいなかった。私も最初は疑ったが、例の看板を見せたらちゃんと解読していた。転生者求むという事と、そうなった場合の対処法がニホンゴで書いてあったらしく、冷静になってこの看板を思い出せばよかったなんて言っていたな。」
「では、婚約解消を促すために…。今考えれば、おかしいかもしれません。彼女とはあまり面識はありませんが、そんな不相応なことを言う者には見えなかったのです。
そしてやっかみを言うにしては妙に必死な顔をしていました。殿下の婚約者である私にそんなことを言ったことがばれてしまったら彼女は最悪の場合、衛兵に連れて行かれる可能性もありました。
その場には私とエマしかいなかったのが幸いでしたが。無礼と思い、言い返したら涙目で去っていき…はしたないと思い気にしていませんでしたがまさかそんな意味があったとは…。私は彼女に謝らなくてはなりませんね。」
ようやく謎が解けた。何故急に婚約解消しろとエマに言われたのか。そしていきなり婚約者に呼び出され、訳のわからない話をされたのか。エマは必死に考え自分を守ろうとしてくれていたのだ。自分の危険を顧みずに。そして婚約者はそのこれから出会うらしい相手と問題なく恋愛を始められるように。
繋がっていたのだ。婚約解消という珍しい単語が短期間に二度も出てきているのに瞬時に繋げられなかったのは自分の分析力まだまだ未熟である証拠だ。
「そんなに自分を責めるのは、やめてくれ。君はとても優秀だ。王子妃教育にしても学園での態度にしても、ね。私も無理を言って君と同じ学園に通えばよかったと思っているくらいだ。
だが、物語の中の君は随分短慮だね。私も大概だが君も中々だと思わないか?そんなことしなくても一言愛を乞えばいくらでも与えただろうに。私の可愛い人。」
そう言いながら彼は私の髪を一房手に取り、くるくると指に絡めながら試してくるかのようにこちらを覗いてくる。
先程から思ってたが、距離が近い。婚約者だからと言って無礼だ。彼の手を押しのけ、睨みながら言ってやった。
「いくら婚約者だからと言って、無許可で人に触るのはおやめくださいまし。
…そもそも関係が冷え込んでいたなら、愛を乞う以前の問題ですわ。おかげで好きにやらせて頂いていますけど。
それにしても中々とは随分な物言いで。興味ない相手とはいえ婚約者がいる身で他の女に現を抜かすですって?しかも私が邪魔になったから処刑なんて、そこら辺に落ちている塵芥の方がよっぽどきれいですわね。そんなことがまかり通るなんて世も末ですこと。それに私、愛妾の一人や二人で文句言う、狭量な心はしておりませんわ。
ですが、たしかにそうですわ。自分を責める暇があったら、対策を練ることに頭を使わなくては。エマさんにはお詫びに菓子折りをもって伺うとして…」
「…え?そう来るの?照れるとかない訳?…まぁ今はまはまだそれでいいだろう。
婚約解消について君に伝えたいは以上である。物語の私は王家と公爵家の結びつきを自分の感情に任せて君を葬り去ってしまう身勝手な人間だ。君を絶対悪に仕立て、自分の行いに正当性を付けるという方法を使い裏で糸を引いている。
だが浅慮だ。いくら公爵家とは言え、娘が犯罪者となり処刑という事は、少なからず打撃を受けるだろう。しかも娘が外国と繋がっていたとなれば信用もなくなってしまう。
そんなことになれば、現公爵の君のお父上はこの国を見放すだろう。娘を溺愛している彼のことだ。まぁ今の私には負けると思うがな。確実に私が黒である証拠を突き付けて、隣国に迎えられるか、もしくは反旗を翻して独立の可能性もある。どちらにせよ我が国に公爵家が無くなることの損失はあまりにも大きい。
君も先程言っていたが、こんなことがまかり通っているのであればこの国の未来は明るくないということだ。その小説は私が出会った運命の相手と結ばれ、幸せな結末を迎えたらしいが、現実はそう甘くないし、その結末は私には必要ない。
そこで、ようやくだが今後のことについて本題に入ろうと思う。」
もはやここまでか。自分の野望を実現させる方法はまた策を練り直さねばならないが仕方ない。
互い(…というには相手の態度はいささかアレだがそれに関しては触れると面倒くさくなりそうなので触れないでおく)に利用していた関係だ。
引き際は潔く。美しさを忘れずに。
「それはつまり、その運命の相手とやらに出会うために今のうちに穏便に婚約を解消しましょう、とそういう事ですわね?一言言わせて頂きますと、今のあなたも中々の屑ですわよ。物語の中の殿下よりはよっぽどマシですけれど。
ですが、婚約解消については謹んでお受けいたします。とは言っても、この婚約は私達の意向のみでどうにかなるのでは有りません。今後に関わることですので我が家の当主に報告を上げさせていただきます。何とか穏便に済むよう尽力はしますが、そこからどのような展開になるかは、陛下と我が家の当主との話し合いがどうなるかは私如きでは予想もつきません。解消をする確約は申し上げられませんことはご了承ください。そこで承認されてから書類は作成となるでしょうから、解消を確定するのは後日となりましょう。なので、本日はこれにて退席させて頂きます。
…二人でお話しできるのはこれが最後となるかもしれませんので。今まで長い間、誠にありがとうございました。今後もこの国がより繁栄するよう我がヴァローナ公爵家も微力ながら尽力していく所存でございます。どうか、これから出会う最愛の方とお幸せなられますよう心よりお祈り申し上げます。」
そう言い終えると席を立とうとした。だが、それが叶う事はなかった。何故なら彼がそれを許さなかったから。
「誰がいつ婚約解消をするなんて言った?それについて私は解消をするなんて一言も言ってない。まったく、君の早とちりは昔からだな。
そもそも、この私が君を逃がすとでも思っているのか?君だって私達の婚姻で権力の集中が起きることくらいわかっているだろう?それなのに私達の婚約が調う事に不思議に思わない程馬鹿ではない筈だ。」
目が据わっている。気付いてないわけではない。会話の節々に違和感があったこと。机を挟んで向かい合っているソファがありながら隣に座らせられたこと。だが見ない振りしてスルーしていた。だが、相手が見つかるというのに自分に執着するとか意味が分からない。
順序を間違えないのであれば愛妾をもつのは文句ない。自分たちは政略結婚だ。政略結婚において愛は必要ものだと思わない。
だが、その小説の中だと王妃の座迄奪われることになるようだ。そこまで行くと流石に屈辱だ。普通に殺意が湧く。その女にも婚約者にもだ。はじめから分かっているのであれば早めに手を打つべきだろう。
王妃にならなければ難易度が上がるだけで野望が叶わないという訳では無い、違う道を探した方がずっと建設的だ。
「どういうことですか?私に婚約解消について聞いたのは同意を得るためではなくて?それに私と殿下が婚約した理由はより王家と公爵家の強固な結びつきを図るためでしょう?」
「レミリア。君は一体何を言っているのだ。再三言うが私は婚約破棄も解消もしない。
あぁそうだな。強いて言えば婚約関係はなくなる予定だ。そして、私と君の婚約の理由は家同士の強固な結び付きではない。わかっているだろう?
ただ私が君を愛しているから、つまりは私の我儘だ。ここまで言わせたからにはもう絶対に逃がさない。
むしろ君は分かっていて言わせているのかとさえ思うよ。でも君がその気なら自由に出来るのはここまでだよ、愛しいレミリア。自由に飛び回る君はまるで小鳥のように美しい。だから今まで、美しい君を見ていたかったから鳥籠を開けていたんだよ。でもこのままではどこかへ行ってしまいそうだ。
大事にしまっておかなければもう私の元には帰ってこないかもしれないだろう?最愛と出会うだって?私はもうこれ以上にない最愛を見つけているのに、君しか目には入らないのにどうやって見つけるというのか。君もそう思うだろう?愛しているよレミリア。今すぐ寝室に連れ込んでも私のものにしてしまいたい。」
まくしたてる様に言って体重を掛けてきた彼の眼にはギラギラと怪しく目が揺れている。え、何この人こんな人なの。その目氷のようだと言われている時より怖くない?そして近い。いきなり爆発したようにこんなことしてくるなんて距離のつめ方下手すぎないか?
「殿下!?何をおっしゃっていますの!?早とちりもなにも婚約解消についてどう思うか尋ねたのは殿下でしょう?それが婚約解消する気もないってどういうことです?大変だわ、殿下が!殿下がご乱心よ、誰かっ!」
覆いかぶさって来る彼を必死で手を伸ばして距離を離そうとした。
「人払いをしている。話の内容が内容だからな。誰も来ない。婚約解消についてだけど、君が王妃になりたいってこと知っていたからね。確かそう決意したのは4年と7カ月前だったかな。
私としては君が居れば他はどうでもいい故、王太子になる気が無かったのだがそれが分かったから王太子ひいては将来王になろうと決めた。そしたら王妃になりたい君は絶対私から離れられなくなるだろう?私しか王太子はいないのだから。君が王妃の座を欲している限りはこの座を明け渡す気はないし。
だけど君は王妃の座にばかり目が行って、私に目を向けてくれなかったからね。そう言ったらどういう反応するのかなと思って。」
そう言って薄く笑っている彼の顔は悪人のようだった。誰も来ないという言葉も相まって尚更そう思わせる。
しかし先程から思っていたが関わり薄かったくせになんか私に詳しくないか。鳥籠とか恐ろしいこと言っているし。
「つまり、私をからかうために仰っていたの!?ひどいわ!」
距離を詰めようとすることをやめない彼に思わず叫んでしまった。貞操の危機である。この時代の貞操は何より重いのだ。
「淑女の面が取れた君はもっと可愛いな。レミリア。その姿を生で見られるとは中々グッとくるものがある。
それにからかっていない。先程話したことも全て本当だよ。解消を勧められたのも本当だ。
ただ、私が君を離す気はないということだ。婚約という関係が良くないならもう婚姻の儀を結ぼうと思ってね。
私からしたら願ったり叶ったりだよ。その為に今日は呼んだのだ。もちろん陛下にも君のお父上にも話は行っている。後は君が頷くだけで全て解決だ。もうすぐ一緒になれるよ、私のレミィ。ああ、そうだ私の事は今後名前で呼ぶように。」
彼は飄々とそう答えた。まるで当たり前のように。
何故こうなった?自分は彼との接点は何もなかったはずだ。接点もないのにこんなに好かれることはあるのか?
知らぬ間に外堀をすべて埋められ、彼の言う立派な鳥籠が出来上がっていた。恐ろしすぎる婚約者に声も出なくなったが、これから待っている溺愛の日々が来ることはまだ彼女は知らないのである。
そして案外その日々が悪くないと思う事も彼女はまだ知らない。
お読みいただきありがとうございました。