松永敬志 編
郵便局がそのオフィスビル一階にあることは知っていた。
住宅地図を頭に叩き込んで、現地の現況を視界に入れる。それを記憶したのは先月のことだった。
屋根のついた、曲線を描く歩道を通りオフィスビルの入口に向かうと、入口内部に常駐の警備員の姿が見えた。俺の姿を見て目の色が変わる。
そのオフィスビルは広大な敷地に四棟の高層ビルが建ち、郵便局や銀行ATM、レストランやコンビニ、歯科医院、カフェ等がある。近隣住民も利用するようで、テナントに勤めるスーツを着たサラリーマン男性以外にも、買い物帰りと思われるマイバッグから長ネギが飛び出している高齢女性もいる。
そのオフィスビルに勤務している人と見慣れた地域住民とは一線を画す俺の姿を、その警備員は細かな目の動きで追っていた。
――警備員さんお疲れ様でーす。ぼく、こう見えても警察官なんですよ。
心で呟いた言葉で口元が緩む。そしてその警備員に目礼した。
右に行き、開放感のあるアトリウムを越えて郵便局へ行く。
オフィスビルに勤める人が詰めかける昼時のピークタイムを過ぎた局内は閑散としているが、局内でも俺の姿を見た局員が動揺を隠せない様子だった。
――目つきの悪い長めの茶髪パーマでチャラい俺は警察官に見えないですもんねー。
俺は郵便の窓口で葉書を一枚と局員に伝えた。受け取った葉書を手にして、記帳台に向かう。
視界の端に入る局員は俺を見ている。
葉書に郵便番号を書き出した時、音楽プレーヤーから伸びる有線イヤホンに擬態した無線から連絡が入った。
ボールペンを戻す。
葉書を腰ポケットに差し込む。
踵を返して走り出す。
来た道を戻る。
入口には立哨の交代で二人の警備員がいた。
入って来た時とまるで違う雰囲気の俺――見た目通りの俺――が走って自分たちに向かって来るのは怖かっただろう。二人とも身体が強張っている。
――ごめんね。でもぼく警察官だから大丈夫だよ。
◇
彼女は、葉書に郵便番号すら書く時間を与えられない俺を待っている。二ヶ月に一回しか会いに行けない俺を、もう十年も待っている。
いや、彼女は俺を待っているのではなく、『訪問予告の葉書』が届くから、家に来るのを待っているだけだ。
――だって、彼女から連絡が来たことは一度もないから。
彼女は幼馴染みだ。家が隣同士で、家族ぐるみの付き合いだった。
子供の頃からずっと一緒で、俺は十五歳の夏にラブレターを渡した。
彼女の名前の画数が多くて、何度も何度も練習してから封筒に名前を書いたが、やっぱりバランスが悪くなってしまった。
そのラブレターに綴った想いは彼女に好きな人がいて散ったが、それからも彼女は幼馴染みとして、友達としていてくれている。
俺は、ラブレターを渡した日から二十二年の時が流れてもずっと好きなままだけど。
彼女に恋人が出来ても、俺は会いに行く。友達だから。幼馴染みだから。
今度の相手は誰かな。いい人かな。大切にしてくれる人かな。結婚してくれる人かな。俺から彼女を奪ってくれる人かな。
いつもそう考えている。
彼女が結婚してしまえば、俺は完全に諦めることが出来るから。
失恋した彼女を慰める時もある。
俺の胸で泣き崩れた時もあった。
彼女の恋が終わりを告げるのは、俺も悲しい。彼女の悲しい顔は見たくないから。笑顔でいて欲しいから。
笑顔が大好きです。
そう書いたラブレターの気持ちは今でも変わらない。
だから、彼女の涙が出尽くして前を向けるようになったら、また俺は彼女に想いを伝える。
彼女を腕に抱き、耳元で囁く。
――俺の女になって欲しい。
彼女は『嫌ですよ』と答えて、俺の身体をすり抜けて、逃げて、笑い合う。
それはいつものお決まりのパターンで、彼女の笑顔が戻ったことに安堵すると同時に、大好きな笑顔が俺に向いてることを嬉しく思う。
◇
結局、ポケットに入れたままだった葉書に宛名を書けたのは、買った日から四日が経っていた。
以前は二ヶ月に一回は彼女に会いに行けたが、今は時間が取れず、前回の訪問から半年が経ってしまった。
ポストを机代わりにして彼女の郵便番号と住所と名前だけを書く。メッセージも俺の名前も書かずに。
笹倉優衣香 様
彼女は俺に笑顔を見せてくれるかな。
久しぶりに会える嬉しさを胸に、俺は葉書を投函した。