56.もう帰れないって、心が理解した
小さい頃に自分で選んで、お母さんと買いに行った思い出のお弁当箱。出張に行ったお父さんがお土産でくれた水筒。どちらも綺麗に磨かれて返ってきた。
お弁当箱は中身がダメになってたから、もう諦めてたんだけど。ピカピカに磨かれて、魔法で綺麗に浄化してくれたみたい。カビや菌も消えるらしいけど、この世界にない概念だから伝えるのが大変だった。
使えないスマホや充電用バッテリー、時計などはリュックにしまい直した。中にコンパスがあったんだけど、異世界だと方位を示す磁石が違うみたいで、くるくる回り続けたのは驚いたな。丁寧にひとつずつ、お礼を言ってリュックにしまう。
前の世界に戻れないから、もう使うことはない。そう考えたらゴミと同じだけど、私にとって宝物だから。手元に残したのは、お弁当箱と水筒だけ。日焼け止めもリップも、このリュックに残す。使ったらなくなるでしょ? それを惜しみながら使うのは切なくなっちゃう。
「安心してください。時間の止まる魔法で保護しますから」
アランがそう約束してくれた。腐ったり錆びたりしない魔法があるなら、リップも綺麗に残せるかな。色つきのお気に入りだから、使いたいけどもう買えないなら保存しておきたかったの。
プレゼントしてもらった時の箱にリュックを入れて、蓋をする。上からリボンを巻いて、アランが魔法をかけた。きらきらした光の粉が触れた箱を、私のお部屋のクローゼットに入れる。一番奥だけど、そこに今度はリディが魔法をかけた。
「最後の魔法は何?」
「誰かに触られたり、盗まれないようにしたの。聖獣しか入れない空間へしまうのが安全だけど、見える場所に置いておきたいでしょう?」
「サラはいつ触れても平気だぞ」
リディの説明に、アゼスが付け加えた。そっか、そうだよね。知らない人だと「異世界人で聖女」の持ち物は気になると思う。開けてみようとか、持ち帰ったらお金になると考える人もいそう。
「ありがとう。これで安心だね」
にっこり笑ったけど、次の瞬間、涙がこぼれちゃった。私、まだ心で理解できてなかった。頭の中で「もう帰れない」と分かってるのに、心のどこかで期待してたんだと思う。
前の世界に繋がるものが手元に戻ってきて、ほとんどが使えなくて。ガラクタの山になってしまった愛用品を前に、ようやく実感できた。もう、二度と家族や友人に会えない。
「っ、うわぁああん」
子どもみたいに声を上げて泣いた。交代で抱き上げて、でも慰めの言葉は言わずに撫でてくれる4人と家族になる。顔を舐めて心配で鼻を鳴らす狼のコウも、皆で新しい家族になるから。あと少しだけ泣いてもいい? 二度と帰れないあの世界と、お別れの決意が出来そうだから。