35.無事だった記憶と聖女宣言
「落ち着け、記憶は残っている。問題ない」
囁くアゼスの言葉に頷く。大丈夫、問題ない、落ち着こう。言われた言葉を何度も繰り返して、深呼吸する。混乱してもどうにもならないんだから。そんな私を痛ましそうに見つめたリディが口を開こうとしたところで、大きな咳払いが聞こえた。
あ、放置しっぱなしだった。
忘れ去られた貴族達が、そわそわしている。私よりアゼスの表情を窺ってるのは当然だけど、きちっと立って右手で左胸を押さえるような所作は、敬礼の一種みたい。よく見たら、胸じゃなくて肩に近いか。肩に房のあるマントの金具があるから、そこを避けた形かも。観察する私をアゼスが正面に向けて抱き直した。
「無事のご帰還、誠におめでとうございます。皇帝陛下、皇后陛下。皇女殿下のご挨拶を賜りたく、臣下一同集まっております」
私の挨拶? 振り返ると、リディがへにょりと眉尻を下げた。美女のきりりとした眉が下がると、なんだか可愛いのね。知らなかったわ。新たな発見で現実逃避する私へ、アゼスが耳打ちする。
「挨拶はどうする? やめておくか」
「どっちがいい?」
皇后陛下だと知らずにリディの養女になった私だけど、皇女殿下と呼ばれてもピンとこない。だけど、これからお世話になる人達なら、挨拶すべきだと思う。
アゼスの膝の上でもそもそと姿勢を直し、ぺこりと頭を下げた。
「サラです。よろしくお願いします」
「「「皇女殿下に幸いあれ」」」
ざざっと音がして、貴族が一斉に頭を下げた。少し待っても上がらないので後ろを振り向くと、アゼスが声を上げた。
「よい、楽にせよ」
あ、これ知ってる。テレビで観た時代劇で、殿様が言ってた……ん? 記憶、残ってる?? 芋づる式に引っ張り出される記憶が、大岡裁きまで一気に展開した。よかった、私の記憶は残ってる。
「この子は我が妻リュディアーヌ、水のエルネスト、風のアランと契約を結んだ聖女である。もちろん、我も契約済みだ」
得意げに紹介されて、聖女の肩書きが確定した瞬間だった。
「聖女?」
「そう、聖女だ。聖獣と契約した女性を聖女という。男性なら聖人だな」
なるほど、それなら聖女だね。じゃなくて! 貴族の人の尊敬の眼差しが、きらきらと注がれて痛いくらい。皇帝陛下の娘になる話もあっという間に承認された。謁見の広間は、大きな決め事の採決を取ったりするんだね。偉い人が上からしゃべるだけの場所かと思ってた。
「そんなことないわ。ここで夜会をして、ダンスを踊ることもあるのよ」
確かに広いし、左側の壁は可動式みたい。あれを広げると、隣の部屋に繋がる仕組みがあるのかも。日本の古民家にありそう。記憶が一度途切れたけど、繋がればまた普通に呼び出せる。さっきのは何だったのかな。すごく怖かった。
自分の肩を抱いて身を震わせる。するとアゼスの腕から私を奪ったリディが、優しく包んでくれた。柔らかくて温かくていい匂いがする。
「今夜は祝いの席を設ける! 参加せよ」
いきなりの命令に、貴族達はさっと頭を下げて一礼し、順番に退出していく。青ざめた宰相が段取りに走り出し、侍従達もあたふたと動き出した。今夜で、準備間に合うの?
「間に合わせるのが帝国の力よ。サラちゃんのドレスも用意しなくちゃ!」
あ、夜会ならアラン達にも伝えなくちゃね。普段着で来たらドレスコードに引っかかりそうだもん。ふふっと笑った私に、頬擦りするリディが「そんな姿、見てみたいわ」と呟いた。