幽霊になった幼馴染が全裸で調子に乗ってるけど、見えていると伝えるべきだろうか?
俺、沖野拓也は平凡な高校生だったが、可愛い幼馴染がいることで周りの男子からはよく羨ましがられていた。
スポーツができるわけでもなければ、ユーモアがあるわけでもない、ルックスがずば抜けているわけでもない。そんな平凡な男子高校生にとっては、身近に可愛い女子がいるのは、ありがたく思うべきことなのだとか。
俺の幼馴染である北川奈央は、俺にとっては側にいるのが当たり前の存在だったが、学年一……いや学校一と言ってもいいほどの美少女だった。
髪は年中無休でショートで、明るくて活発。バスケ部で楽しそうにチームメイトと競っている姿は、まるで青春ドラマのヒロインのように絵になっていた。
おまけに人懐っこい性格で、誰からも好かれていて、一見完璧に見えつつ天然な一面もあった。
中学生の頃、奈央は母親からラップを買ってきてとお使いを頼まれた。
ここでいうラップはもちろんサランラップのことだ。主婦が子供のお使いに頼むものなんてそれ以外にない。
ところが、奈央が買って帰ったのは某人気ラッパーのCDだった。
まさかの音楽のラップである。
渡された千円札では新品が買えなかったので、中古のCDショップを回って見つけてきたらしい。
普通の主婦が娘にラップのお使いを頼むわけがない。
そっちの意味で「今ラップが切れてるの、買ってきて」と言ったとしたら、奈央の母親はどれだけラップが好きなんだ。アメリカのストリート育ちなのか。若い頃はパーカーを深く被っていたのか。
そんなわけないだろう。人生で一度も人をディスったことなど無さそうな可愛らしい感じのお母さんだ。
奈央の母親からこのエピソードを聞いた俺は、もちろん学校内で友人に話した。
友人の笑いを取れるのはもちろんだが、奈央が照れながら「いやあー! バラさないでー! バカだと思われるー!」と無邪気に反応するのが楽しくて、俺は高校に入ってからもそのエピソードを五回は披露した。
他に笑いの持ちネタなどない俺にとっては入学初日に友人を作るきっかけになったし、奈央もこのエピソードのおかげで、秒でクラスに溶け込んだ。
まあ、奈央はこのエピソードなど無くてもすぐに人気者になっただろうけど。
そんな幼馴染の姿を思い出して、俺は涙が込み上げてくるのを感じたので、慌てて上を向いた。
あいつはいつも明るく、楽しいことが大好きだった。俺が悲しんでいたら、天国の奈央も悲しむだろう。
ニッと無理やり口角をあげて、泣いているのか笑っているのかわからないような表情で強気に振舞う。一人きりの部屋は静かだけど、どこかから奈央が見ているかもしれないからな。
昨日、奈央の葬式を挙げてきたばかりだ。まだ奈央がいなくなった実感が湧かない。
いくら天然だからといって、交通事故に遭わなくてもいいじゃないか。運動神経は良かったんだから、トラックくらい避けてくれよ。「あっぶなかったー!」とか言って、笑い話で済ませてくれよ。
そんな無茶なことを思いつつ、俺は今もまだどこかに奈央がいるような気がしていた。
それくらい、俺にとっては当たり前の存在だったんだ。思い出があまりにも色濃く残っているから、俺の頭の中から奈央が離れそうにない。
そんなことを考えていると。
「きゃー、緊張するー!」
どこからともなく奈央の声が聞こえた気がした。
そんなわけないのにな。
奈央のことばかり考えていたから、俺の記憶の中から脈絡も無く思い出のワンシーンが引っ張り出されたんだろう。それが現実で聞こえたかのように感じただけ。短い夢みたいなものだ。
「大丈夫だよね? 幽霊になってるから見えないよね。ってわかってても緊張するー! きゃー! どうしよう! やっちゃう? 私やっちゃう?」
うーん、めっちゃ聞こえるな……。
幻聴にしてはやけに長文で話すじゃないか。普通、幻聴はワンフレーズだろう。一瞬だけ聞こえて、「聞こえたような気がする」と思い返すまでがワンセットじゃないのか?
まるで部屋のドアの外にいるかのように距離感がはっきりわかるし、奈央の話し方そのままハキハキと聞こえるんだよなぁ。
「せっかく幽霊になったんだから、この体を活かさないとね! うん、ポジティブに考えたら、絶対やるべきだよ! 私の夢を叶えられるんだから!」
文脈もしっかりしてるな……。
何について話しているのかまではわからないけど、幽霊になったことを自覚している奈央が何かをしようとしているということまでハッキリわかる。
これまでの三つの台詞がちゃんと繋がって意味を成している。
これは本当に幻聴なのか……?
いや、ここまで明確に聞こえるなら、奈央の声に似た別人がドアの外にいる可能性もあるかもしれないな。
「うん、やっちゃおう。たっくんに私のありのままの姿を見せちゃおう。絶対にバレないんだし。大丈夫! 私いける!」
今、俺の名前を呼んだよな?
俺のことを「たっくん」と呼ぶのは世界中で奈央しかいない。声の主が別人という可能性は消えた。
となると、やはり幻聴なのか。それともまさか、奈央本人?
「三二一ゼロでいくよ。さーん……にー……いーち……」
何のカウントダウンだこれは?
と思ったのも束の間。
俺の脳がそれらしき答えを出す前に、「ゼロッ!」という奈央の声が聞こえて、部屋のドアをすり抜けて半透明な全裸の美少女が部屋に飛び込んできた。
色は半透明の白で、淡く光っているように見える。
輪郭は割とくっきりとしていて、どこからどう見ても全裸の美少女……というか、奈央だった。
片手で胸、片手で下を隠している奈央(全裸)を見つめたまま、俺の思考は完全にフリーズした。
「きゃー! 恥ずかしいよー! たっくんに見られてるー!」
奈央(全裸)は、なぜかちょっと嬉しそうに恥ずかしがり、しばらくその場で同じポーズのままモジモジしていた。
すると。
「好きな人に見られるのって……すごい……。でも……あー、やっぱダメ! もう無理っ!」
と言い残して、再びドアをすり抜けて、廊下の方へ消えていった。
俺は今起きた出来事を思い返しながら、眉間に指を当てて目を閉じた。
何が起きたんだ……?
本当に意味が分からない。
死んだはずの奈央が、半透明な色白な姿で現れて、全裸であることを恥ずかしがった後に逃げていった。
声は目の前にいるのと変わらないくらいハッキリ聞こえた。少しエコーがかかったような不思議な響きだったものの、幻聴と呼ぶにはあまりにもクリアな音質だった。
俺はしばらく考えて、シンプルな答えに辿り着いた。
あれは奈央の幽霊なんじゃないか?
突然のことだったので混乱してしまっていたが、幽霊だと考えればつじつまが合う。
きっと幽霊は服を着ないんだ。だから、奈央は全裸だったんだ。
奈央は俺に会うためにこの部屋を訪れたんだろう。
そうだ。そう考えれば、一連のできごとの辻褄が合う!
俺は頭の片隅に何かが引っかかっているのを感じながら、無理やり納得した。
すると。
「たっくんの視線、すっごい興奮する……! 見られないとわかってても、見られてるみたいで恥ずかしいよぉー!」
廊下から心なしか嬉しそうな声が聞こえる。
いや、奈央は恥ずかしがっているんだ。きっとそうだ。幽霊は服を着れない、けど俺に会いたい、そういう葛藤と戦っているに違いない。声が弾んでいるような気がするのは気のせいだ。興奮するという言葉もきっと何かの聞き間違えだ。
天井を見上げながら心を落ち着けていると、ドアから白い影が顔を出しているのを視界の隅に感じた。
ふーっと大きく息を吐いて、視線を戻す。
やはり奈央がドアから顔を出していた。
俺の様子を伺うかのように、じっと見ている。
「うん、やっぱり気付いてないよね。大丈夫、大丈夫」
なんだか非常にマズいことになっている気がする。「奈央、姿見えてるよ」と素直に言うべきか?
早めに伝えないと、俺は奈央が全裸であることに気付かないフリをして楽しんでいる変態扱いされるんじゃないか?
そんな葛藤に決着がつく間もなく、奈央が再び部屋の中に入ってきた。
胸を隠しながら、上半身、右足、左足……とゆっくり入ってきて、そのまま部屋の中央まで歩いてきた。
言い出すタイミングを逃してしまった。今、奈央は俺の手の届く距離で、下唇を甘く噛みながらもじもじしている。
バスケ部で鍛えた引き締まった肉体は、幽霊の白い体ながら健康的に見える。上も下も両手で隠しているものの、完全に隠しきれているわけではなく、ところどころ滑らかな曲線美がはみ出ている。
「うぁわぁ…………これ……すっごいよぅ…………」
白く発光している奈央(全裸)は、まるで天使のような神々しい見た目なのだが、その表情は羞恥に染まっている。
無理して近づいてくる必要なんてないのに、なぜわざわざ俺の目の前まで来たんだ。心なしか楽しんでいるように見えるのはなぜだ。
そんな疑問を抱きつつも、俺は目線を逸らすことができない。下手に動いたら見えていることがバレてしまうからだ。それは非常に気まずい。
本やスマホでも手に取るべきか。そうしてベッドに寝転がれば、奈央を直視せずに済むはずだ。
しかし、異様な体験の真っただ中にいる俺は、普段通り自然に振舞える自信がない。今スマホを取ろうとしたら、動きがギクシャクしてしまいそうだ。
「手、どけちゃおうかな……」
奈央がとんでもないことを言いだした。
いや、待て待て待て。
百歩譲って、全裸で俺の目の前に来たのはわかる。幼馴染の俺に再び会うためにはそうするしかなかったんだろう。恥ずかしさに耐えてでも、近くで俺の顔を見たいと思ったんだろう。そう納得できる。
しかし、手をどける必要は無い。
それは普通のコミュニケーションを取る上で不要だし、幼馴染との再会においても不適切な行動であると言わざるを得ない。
俺の常識と発想力をフル稼働して考えても、奈央が手をどけるべき正当な理由は見当たらない。
「ふー……ふー……んっ……ふー……」
何か息が荒くなってるし、気合を入れようとしている感じがする。
いやいやいや。
勇気を振り絞ってすることじゃないだろう。まるで俺が命令しているみたいじゃないか。俺は幼馴染を全裸にさせてその全身を余すことなく鑑賞するような趣味は無いぞ?
もしも手をどけたとしても、俺に責任は無いよな? 奈央が自分でやってることだから、俺は社会的に死んだりしないよな? 俺の高校生活が終わったりしないよな?
そんな焦りをポーカーフェイスの下に隠しつつ、緊急事態を回避する術を脳内で模索する。
しかし妙案が浮かぶことも無く。
「んっ…………あっ! きゃあーっ!」
奈央は一瞬両手をふわっと解いて、隠していた箇所を露にした後、すぐに小さな悲鳴をあげながら両手で体を抱いて部屋の外へ逃げて行った。
とてつもなく長い一瞬だった。
奈央が両手を広げた瞬間、俺は反射的に目を逸らしたのだが、奈央が完全に手をどけたのが先なのか、目を逸らしたのが先なのかはわからない。
たぶん大丈夫。セーフだ。見ていない……はずだ……。
俺は心の中で自分に言い聞かせながら、長く息を吐いて鼓動を落ち着ける。
実際問題、重要な部分が見えていたとしても、奈央の体は全身が白っぽい色なので、小さな体の部位の違いは判別しづらい。
見えていたとしても、鮮明に思い出せないのなら、それは見えていないのと同じことじゃないか。
などと、誰に向けたのかわからない言い訳を頭の中で展開しつつ、何気なくドアの方へ視線を向けると、再び奈央の声が聞こえた。
「ちょっとやりすぎたぁ……。さすがに今のは興奮より恥ずかしさが勝っちゃってたよぉ……」
ドアのすぐ外の廊下にいるようだ。独り言の声が大きいのは相変わらずだな。よく聞こえる。
まさか三度目は無いだろう。奈央は恥ずかしがっているし、やりすぎたと反省している。なぜ両手を広げたのかはわからないが、とにかく奈央は最後までやり遂げた。もうこれ以上、俺の心臓を試すようなことをする必要はないはずだ。
そう考え、油断しつつ、ぼんやりドアを見ていたところ。
「反省反省……。やっぱり、やりすぎはよくないよね! うん。さっきの私は、久しぶりにたっくんに会ったから、調子に乗っちゃってたんだよ!」
そんな元気のいい声が聞こえた後、一分ほどの沈黙が続いた。
満足して帰ったのか?
それとも、さっきまでのは夢だったのか?
あまりにも非現実的な出来事だった。夢であってもおかしくない。
と思っていたら。
「もう一回、たっくんの近くにいってみよーっと」
また明るくて大きな独り言が聞こえてきた。夢ではないようだ。
次の瞬間、奈央は三度目となる室内への侵入を敢行してきた。
まるで俺の意識の隙をついたかのようなタイミングで、ドアをすり抜けてきたため、目を逸らす暇も無い。
そして、俺は奈央の姿を見て驚愕した。
今回は一点だけ、これまでの侵入とは大きく異なる点があった。
俺は反射的に、目玉が飛び出るほど目を限界まで開き、奈央の姿を網膜に焼き付ける。
その姿は、俺のちっぽけな想像力を遥かに超えていた。
これまで人生最大のサプライズだったクリスマスの夜にサンタクロース(父)を見つけたときの思い出が吹っ飛ぶくらいの衝撃だった。
「奈央………………」
思わず声が漏れてしまったが、そんなことなど気にならない。俺が奈央の姿を見えていることなど、新たに発覚した事実に比べたら些細なことだ。
俺が長年一緒に過ごしてきた幼馴染に対するイメージが、宇宙の彼方に消え去り、リセットされたような感覚。
俺が常識と信じて疑わなかった固定概念が、音を立てて崩れていくような感覚。
そんなショックに脳を揺さぶられながら、俺はなんとか気絶するのを耐えて、目の前の現実を受け入れる。
息を吸い込み、弾けた思考の断片をかき集め、目の前の光景を心の中で言葉にする。
奈央は…………………………。
奈央は……………………………………。
奈央は、真っ白いワンピースを着ていた。
俺はてっきり、幽霊は服を着れないから奈央が全裸になっているのだと思っていたのに……。
奈央は服を着ることができたのだ。
にも関わらず、自らの意思で、服を脱いでいたのだ。
俺はこれまでずっと背けていた事実に目を向ける。奈央の発言にはおかしなところがたくさんあった。変わった趣味の人と受け取られかねない発言が多々あった。
それはつまり、奈央はそういう趣味の人だったということなのだろう。
「えっ!? たっくん、いま私の名前呼んだ!?」
「ああ。呼んだよ、奈央」
今度は奈央の目が見開かれる番だった。
整った顔立ちの奈央は、映画のワンシーンのように、大きな瞳で俺を見つめる。幼馴染との再会としては正しい反応だが、驚いている理由は普通ではなかった。
「うそ、声が聞こえてるの……?」
「聞こえてるし、見えてる。さっきまでしてきたこと全部、一部始終見えてたんだ」
世界一の気まずさをかみ殺して事実を告げると、奈央は唇をプルプルと震わせ、あわあわと小さな声を漏らした。
目が泳ぐというのはこういうことなんだな……というくらい目を泳がせ、ヒクヒクと頬をひきつらせた。
「えっと……これは……その、あのですね……」
裏返った声で、しどろもどろに言葉を紡ぐ奈央に、俺は短く告げる。
「とりあえず正座な」
「えっ、酷くない!? 裸を見られた上に、正座でお説教受けなきゃいけないの!?」
「いや、裸は奈央が自分でやったんだろ? 正座は冗談だけどさ」
「冗談なの!? よかったー! たっくんは相分からず冗談の顔がヘタだなーもう!」
そんなやり取りで場を和ませた俺達は、なんとか先ほどの奈央の行動を笑いに変え、幼馴染との再会を仕切り直した。
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