払暁の余韻2
次の日となった。
俺とエリックは男子トイレでそれぞれの結果を持ち寄っていた。
「……と、言う感じだったな」
「なるほど、やはりさすがはランさん。洞察が深いですね」
「それで、お前の方はどうだったんだ」
「エマさんが言うには……」
その後エリックが言ったことをまとめると大体こうだ。
もしかしたらサンドラは俺のことが好きなのかもしれない。
だからそんな些細な言葉でも傷ついてしまったのだろう。
しかし、それでも絡んでくるということはまだ気持ちを捨てきれていないということだから誠心誠意謝れば許してもらえるだろうと。
しかしこの論には現在の状況に当てはめるには避けて通れない矛盾があった。
それはサンドラが俺を好きだということだ。
もしあいつが本当に俺のことを好きなのだとしたら、ここまで俺の心象が悪くなりそうな行動をするわけがないし、第一それを看過したとしても、サンドラが俺を好きになる理由に俺は全く心当たりがない。
これはあくまで俺の持論なのだが、“好き”という感情は相互扶助の関係にある。
好きになる側はそいつの好きなところに着目し、時に盲目的となり、好きになられる側は好きになる側の求めている行動に合わせて初めて“好き”という感情の持続がなされるのだ。
と考えると、俺にはその自覚がない。
つまり仮にサンドラが一瞬俺のことを好きになったとしてもそれは持続的なものではなく、あくまで偶発的で瞬間的なものなのだ。
だからサンドラが俺のことを好きという幻想は滅される。
そうなると、エマさんの論はそれを前提としているためそれが看破された今、立ち行かなくなるのは必然だ。
だから聞いてくれたエリックには申し訳ないがこう言った。
「ということは蘭の論を中心で行くしかないか」
「やっぱりそうなりますよね」
その後も俺たちの議論は続いた。
各々が考えつくせる限りの意見を出した。
その結果、俺たちはある結論に行きついた。
ある結論、それはやはりというか、それでもというか、誠心誠意謝るというものだ。
誠心誠意謝っている姿をサンドラに見せることによって、それでも自分のイライラが解決しないという不可思議を自覚させる。
それでなぜ自分のイライラは解決しないのかという内省を促すのだ。
これは一見打算的に見えるかもしれない。
しかし、この案はもともと俺がイレイナとあんなことをしてしまった申し訳なさから生まれたのだ。
俺はやはりそれを謝りたかった。
サンドラに内省を促すというのは、その案を別の側面から見た過程に過ぎない。
言うなれば、この結論は違う論理展開から形成され、演繹することによって別のアスペクトが現前したに過ぎない。
確かに結果的には打算的になってしまった。
しかし、それはこの結論に至った論理体系を鑑みるに邪推ということなのだ。
もちろんそれを蓋然性があると肯定的に見ることもできよう。
しかし、多角的に見た時の可能性はあくまで可能性なのであって、決してその人の本心ということではないと、つまり我々は可能性に感情移入すべきではないということなのだ。
大体、可能性というのは人間が物事を客観的に見ようとしているから発生するのであって、その客観性が失われるような行動、ここで言う感情移入はすべきではない。
なぜなら主観の介入があったとき、可能性はもはや可能性という性質を失い、客観的な物事なのに主観性をはらむという矛盾が発生するからだ。
俺がこの案を考え付いた理由はただ単純に謝りたいからであった。
そこに打算的な考えの入り込む余地などない。
そしてそんな純朴な理由のもとに現れた結果を多面的に見た。
するとサンドラに内省を促すこともできるという考えもある。
事実はただそれだけである。
正直に謝る。
それには誠意はもちろんのこと、状況も必要だ。
そこで俺たちはサンドラに手紙を出すことにした。
手紙でサンドラを屋上に呼び出して、そこで謝る。
もちろん、その前に俺達だと分かられては、すっぽかされる可能性もあるので直前までは分からないようにする。
では、その方向性でいったんやってみよう。
俺は左手、つまり俺の利き手ではないほうで手紙を書いた。
だいぶ芸術的な字が出来上がった。
「の」なんてもはや「あ」と見分けがつかない。
しかし、いかんせんそう何度もかけるほどの紙を持ってはいなかったし、書いている時間が長ければ長いほどサンドラに発見される可能性も高くなるのでそれで止した。
そしてそれをサンドラの靴箱に入れる。
あとは放課後が来るのみだ。
本当はその後のことも如実に表してサンドラの俺への強い当たりを共有し、俺の心の痛みをわかってほしいのだが、ここでは割愛させていただく。
で、今はどんな状況かと言うと、サンドラがいる屋上へと向かっている真っ最中だ。
屋上にはなぜか人が寄り付かず、そのため物寂しい空虚な空間にただ俺の階段を上る音が反響しているのだった。
俺はついに屋上の扉の前に着くと、若干建付けの悪い寂れたドアに手をかける。
ドアノブは捻るとキュルキュルと甲高く耳障りな金属音を響かせドアは途中ガッガッと地面に突っかかりながら開く。
そして青い空という下地に点々と白や灰色の雲をちりばめたどこまでも続く天井に、到底人の体重を支えられるとは思えないヒョロヒョロとした薄っぺらな金網があたりを覆う屋上へと出た。
左を見ると金髪でツインテールな彼女がいた。
彼女、つまりサンドラは建付けの悪いドアの音で気づいたのか少し伏し目がちに、申し訳なさそうに振り向くとこう言った。
「ごめんなさい、私、好きな人がいるの」
「ごめんなさい、私、好きな人がいるの」
俺はあっけにとられた。
いったいどんな文面でその発言をしたのだろうか。
しかし好きな人がいるのか。
俺はその事実に驚愕するとともに納得もする。
なるほど、だから俺にあんなに強く当たって来たのか。
サンドラは多分俺にサンドラが俺のことを好きだと勘違いしてほしくなかったのだろう。
その気持ちがあったからこそ俺と距離を置こうとした。
その気持ちが少しはあそこに込められていたのだろう。
俺は思い違いをしていたらしい。
サンドラは蘭が言ったように俺がイレイナにキスされたから怒っていたのではなく、俺がサンドラと帰るのを罰だと言ったから怒ったのではなく、ただ単に今回のこの事件が距離を置くいいきっかけだったから怒ってみせたに過ぎないということだ。
しかしサンドラ、たとえお前が距離を置こうとしたって俺は離さねえぞ。
お前とは、まあ確かにいい出会いとは言えなかったが一旦は出会っちまったんだ。
そしてかけがえのない友達にもなった。
だからお前の将来を応援し見届けてやるのは俺の義務でもあるし、権利でもあるんだ。
だからお前がいくら俺のことを突き放そうとしたってすぐに舞い戻ってやる。
そしてお前の未来を矢面に立って応援してやるさ。
これはなにも俺だけの話じゃない。
蘭やエマさん、まあ後は女子との密会を台無しにした挙句密告までしたくそ野郎、通称エリックだってそうだろう。
俺らはいっくら傷つけられたって、いっくら離されたって絶対にめげない。
厚かましいと言われようがうっとうしいと言われようが絶対にやめない。
一回乗り掛かった舟なんだ。
最後まで乗り切ってやるさ。
しかし……好きな人がいるのか。
それはそれで気になるな。
こいつが好きになるってことは相当いい男のはずだ。
聞いてみよう。
「ほう……ところでその好きな男っていうのは?」
するとサンドラは下を向いていた顔をがばっと上げた。
「っ!?なんであんたが!?」
「いや、本当はお前と帰ることを罰だと言ってしまったことを謝りに来たんだがな……しかし……そっちはそっちで面白そうな話だから聞かせてくれ。あ、ちなみに俺はお前から幾ら遠ざけられようともお前の応援をあきらめることはないぞ。だからお前の恋を応援してやろうと——」
「ちょっと待って!?……じゃああの芸術的な文字もあんたが書いたの?こんな文字を送ってくるなんて結構いい感性してんじゃないって思ったんだけど」
「ああ、あれか?筆跡でばれないように左手で書いた。しかし……やはり芸術的だったか。一回画家でも目指してみようかな。モチーフは田舎で概念的に描くとして……」
「はあ、なんか怒っていた私がくだらなくなってくるじゃないの。何よその無鉄砲な計画は」
「ところでサンドラ、好きな人って誰なんだ?」
「っ!そ、それは関係ないでしょうよ!それよりそっちはどうなのよ!なんか謝ることはないわけ!?」
「ん?謝る?そもそもあの事件は……」
そして俺は一連の事件についての推測を語った。
それを聞いていたサンドラの眼はどんどん暗くなっていったが、多分合っているという意思の裏返しだろう。
そしてすべて言い切った俺は「じゃあ、蘭を待たせてるから」と言って屋上から出ていこうとした。
すると、サンドラは俺が去る直前にこう言った。
「あんた、私の恋を応援してくれるって言ったわよね?」
「ん?ああ、言ったぞ。なんだ、好きな人を言う気になったのか?」
「いや、そういうわけじゃないわ。ただ……」
「ただ?」
「だったら一緒に帰りなさいよね!」
「ああ、まあいいが、しかしそれで好きな人にはなんか起こるのか?」
「そ、そうね、起こると言ったら起こるかも」
どうやら俺には到底理解できないところでサンドラの恋の策略は動き出したらしかった。
しかし、その物事は理解できないがこうではないかと推測できる。
それは実はサンドラの好きな人が俺を好きだった時だ。
つまりサンドラの好きな人の性がジェンダーとセックスで違うときだ。
これだったら俺に近づくのも納得できる。
ではそのサンドラの好きな人とはだれであろうか。
俺が親しく話す人と言ったら……
俺と近づくことで話す確率が上がる人と言ったら……
……エリック?
あの女子との密会をぶち壊した上に密告したくず野郎、そんな趣向が。
確かにそう考えればイレイナとの密会をぶち壊したのもうなずける。
また、密告するのも首肯できる。
そういえば一緒に男子トイレに行ったとき、あいつのほほえみには妖艶さがあったような……
しかし、俺が考える好きという構造の持論は先ほど述べたとおりだ。
すぐにエリックの奴も俺に幻滅するだろう。
本当はエリックの恋も応援してやりたいところだが、残念ながらそれはかなわぬ恋なんだ。
だから、俺だって悔しくはあるが幻滅してくれ。
そして問題はサンドラとエリックのペアーだ。
これはいったんエリックの耳に入れておかなくては。
そう思った俺であった。
なんで書いているときはすごく面白いのに、いったん対象化すると詰まんなくなってしまうのだろう。




