7杯目 美味しくないとは言ってない
女は怖い。
今のサオリの表情は「エミちゃん」とか珍妙な渾名でエミネンザールのことを読んだり、ラーメンの表情が素敵だとかではしゃいでいたほんの少し前の出来事が、まるで夢であったかのように周囲に錯覚させるようなものへと豹変していた。
人には譲れないものがある。普段は脳を使っておらず、バカげた調子で場の空気など読んだことのないサオリが、こと“ラーメンの味”についてだけは、一切の忖度も思い遣りもなく、断罪する。そうだ、コイツは人のラーメン食って『犯罪的』とまで評するヤツなんだ、とジンクは思い返して背中にひと筋の冷たい汗が流れていくのを感じていた。
ラーメンを作ったものが、名うての名職人であろうが、その辺の子供であろうが、公爵家の元令嬢であろうが——サオリには何の関係もないのだった。
ただ、味のみ。
「……このラーメンのどこが美味しくないというの? 先ほど、ジンクさんは評価してくれましたわよ?」
「あ、ジンクさんのは色々バイアスかかっててアテにならないから。それと、美味しくないとは言ってない。『マズい』と言った。あのね、美味しくないとマズいの間にはおーきな、おっきな差があるんだよ。美味しくないってのは、無価値? っていうか。居てもいいけど居なくてもいいみたいな。マズいは違うの。存在が害悪。この世に存在してはいけないものを生み出してしまったってことなんだよ?」
そこまで言うか——ジンクは戦慄していた。ラーメンの味について語る時のサオリは、完全に人格が変わってしまっているようだった。
美味くないは無価値、マズいは害悪。
『……これ、ホントに“ラーメン”ですかぁ? こんな紛いモノでお金とってお客さんに出すなんて、犯罪と変わらないんじゃないかな——』
半年ほど前に同じくサオリにそう言われたジンクにとっては、今のエミネンザールが味わっている屈辱は見知ったもの、というよりもかつての自分をロールプレイしている感覚に近かった。
「ッ……たかがラーメンが、害悪ですって⁉︎ 貴女、何様のつもりですの!」
「……“たかが”?」
エミネンザールは地雷を踏んだ。あーあ、とキョウヤは目を覆った。この先の惨状は、目を閉じていても困らないほどに明瞭なイメージと化している。見たくない、と彼は思ったのだった。
「……何よ? もう一度言いましょうか、たかがラーメんッ‼︎」
「取り消しなよ、その“たかが”っての——さ」
エミネンザールがラーメンへの冒涜を反芻しようとした瞬間、鋭く立ち上がったサオリの右手がその口を荒々しく塞いだ。
「ンンンンンン、ンンンン〜〜ッ‼︎」
取り消せない、これじゃ〜〜‼︎
「取り消しなよ。エミちゃんはさ、“たかがラーメン”で生きていこうとしてるの? 自分の命を賭けて一世一代の大勝負をするんでしょ? それとも、私がオーバーすぎる? そこまでの気持ちは、なかった?」
女は怖い。変わりすぎだよお前……ジンクは、エミネンザールをまた哀れに思った。