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6杯目 サオリはそれを我慢できない

 四つの丼の表面から湯気が立っている。


「さあ、お食べ下さい!」


 お、とジンクは声を漏らした。制作途中の拙さから予想していたのとは違う表情が丼の中にはあった。小綺麗にまとまっている。美しい琥珀色のスープに、縮れた黄色い細麺。茹でられて淡い緑色になった葉物野菜が添えられていて、全体の印象を柔らかくしている。

 これまで、さぞや良いものばかり食べてきたのだろう。盛り付けや食材選びには、それまでの人生経験がそのまま出ることがある。エミネンザールのピュアな一杯は、彼女がこれまで辿ってきた道のりの一つの形なんじゃないか、とジンクには思えてならなかった。


「エミちゃんすご〜い! 初めてでこんな表情を作れるなんて‼︎」


 サオリがそう激賞した。


「確かに鮮やかな見た目ですね。ラーメンは具がみっちり載っていれば良いってものでもないですし、このくらいシンプルな構成の方がかえって味が引き立つことは往々にしてありますよね、ジンクさん」


「……肝心なのは味だろ?」


 ジンクはキョウヤを目と言葉で制した。


「見た目が綺麗でも、味がダメならそんな店誰も行かねェ」


 エミネンザールの表情がキッと引き締まる。


「サオリ」


 ジンクはサオリに向かって右掌を差し出した。サオリは携帯していたポシェットから箸を八本取り出した。

 サオリが箸を使ってラーメンを食べている姿を初めて見たとき、ジンクはまるで意味が分からずにいた。『ラーメン食べるのにフォークはないでしょ〜』と、かつてサオリは笑って言った。

 そのとおりだ。初めは使い方に迷ったが、今となっては、ラーメンを食べるのに箸以外は考えられなかった。店では基本フォークでラーメンを提供しているが、客にも箸の良さを分かってもらいたいため、カウンターの上に箸を常設してある。たまに箸を使って食べようとする客を見ると、ジンクは喜びを覚えるようになった。


「いただきます」


 これも、サオリから学んだ言葉だ。かつて傭兵として『一寸先は闇』を体現する戦場で多くの時を過ごしたジンクは、食事の際に命への感謝を示すなどという発想を持ったことはなかった。そもそも、彼にとって命は奪うものであった。

 違う。命は奪うものでなく、頂くもの。自分を生かすために必要な犠牲なのだということを、ジンクは両の掌を合わせる行為を積み重ねる中で会得していった。

 だからこそ、不味い食事を作ることは許されないと思っていた。それは、命への冒涜である。

 戦いの中に生き続けたグランシャール公爵家。命を極めて軽いものとして扱ってきた一族に、美味いものが作れるのか——ジンクは、“それ”に疑念を持ちながら、麺を啜った。

 ——悪くない?

 もちろん、プロが作ったものではない。それほどのクオリティはない。だが、おそらくほとんど初めての料理だったのだろうエミネンザールが、少なくとも『不味くはない』ものを出してきた。

 これは血統の違いなのか?

 貧しい家に生まれ、物心がついた頃にはその身を戦場に置き、温かい飯を口にするのも珍しいような日々を潜り抜けてきた自分と、生まれた時から戦が終わるまでの間までは極めて恵まれた食生活を送ってきたであろう公爵令嬢との、出自の差なのか?

 ジンクは無意識のうちに歯軋りした。そして、


「…………悪くない」


 絞り出すように。ジンクの、料理人としての、経営者としてのプライドが、その言葉を吐き出させた。

 それを聞いたエミネンザールの表情に自信が漲る。キョウヤは、あの時と同じ表情だと感じた。若いゴブリンのお客さんを魔法で吹き飛ばしたあの時と同じ、全てを見下す歪んだ態度が表に出始めた、と。


「……え? どこが?」


 エミネンザールは、声のした方を睨みつけた。


「ジンクさん、ベロ腐ってるんですか?? これのどこが“悪くない”なの?」


 サオリは、心底不思議そう——というより、バカにしたような顔でジンクを見て言ったのだった。


「いや、初めてにしては上出来だと……認めざるを得ないと」


「? 初めてにしては。見た目はそうですね。初めてにしては」


「何が言いたいの、貴女?」


「“初めてにしては”美味しそうに見えたの。実際。でも食べたら——ていうか、私は味の良し悪しを職人の経験の有無で軽んじたり重く見たりできないから」


 あ、スイッチ入ってる。キョウヤは、マズいことになったと気付く。サオリの言葉が走り出している。ああいう時の彼女は、場を壊すことも厭わない、というかそんなことに思いが至らなくなっている。

 ただ一点、味の評価において、サオリには揺らがぬ軸があるのだった。


「色んな要素は無視して——これ、めちゃくちゃマズいですよ?」


 エミネンザールの表情が、怒りと屈辱で歪んだ。

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