4杯目 生きていくエミネンザール
王都ヴィヴェッタの郊外、森の奥深くに、現在のグランシャール公爵家の屋敷はあった。しかしそれは——吹けば飛びそうなほど小さな小屋だった。
「えぇ……」
ジンクの戸惑いは声に出てしまう。全くの予想外であった。没落したとはいえ、数年前までは王国の尖兵として異種族の先鋭部隊と幾度となく死闘を演じ、未来永劫伝説として折りに触れて語られ続けるであろうほどの戦果を挙げたグランシャール公爵家が——今にも崩れ落ちそうな犬小屋のような屋敷で、ただ寂しく佇んでいる。
栄枯盛衰とは言うが、これはさすがに気の毒だ。ここへ来るのにあまり乗り気ではなかったジンクの表情も、思わず憐憫のこもったものとなっていた。
「……可笑しいでしょう? かつては王の居城に匹敵するほど豪華絢爛な宮殿に居を構えていた私達の今が——これ」
エミネンザールは自嘲気味にそうこぼした。様々な感情がないまぜになった、この境遇へ実際に叩き落とされた人間でなければ出来ない顔だ、とジンクには感じられた。
「これは……言葉を失いますね。いくら排斥されたとはいえ、この仕打ちは酷い……」
キョウヤは、口元を手で押さえながら言った。皆唖然としている。サオリ以外。
「へー! スゴ〜い! 昔私が住んでた新宿の築四十五年のクソボロアパートよりヒドイ家初めて見た〜‼︎」
「……今テンション上がってるのオメーだけだぞ」
ジンクは呆れてそう言った。
節目がちなエミネンザールは、口から出た言葉を地に落とすように沈んだ口調で続けた。
「……武力の要らぬ世となった途端に、それまで英雄として讃えられていた侵攻行為が、ただの悪虐行為へと変貌してしまいました。グランシャール公爵家は代々、闘いの中に身を投じて、武功を成し発展してきた家系。闘いの中でしか生きられない一族なのです。それが、突然……“お前たちに価値などない。むしろ存在そのものが害悪だ”と突きつけられたのですから。私達は、所詮時代の徒花だったということなのでしょう」
時代の変わり目、転換点には、必ず淘汰される者達がいる。ジンクにも心当たりがあった。いや、一歩間違えていれば、自分も同じようになっていたかもしれない、と思った。今の自分があるのは何のことはない、単に節目節目の幸運が積み重なった結果だと思うのだった。
「今のグランシャール公爵家は、この小屋と同じく、実に矮小な存在へと成り下りました。当主のアインゼルベン=グランシャールは、深い失意のあまり病魔に冒され余命幾ばくもなく、今まさにその命が尽き果てようとしています。当主の側近達は、王国の出した再雇用プランに取り込まれ、誰一人として側に残っていません。残ったのは、私のみ」
「無残なもんだな。あの時代、戦いに身を投じていた者ならその名を知らぬ者はなかったグランシャール公が……それを聞いて、俺なりに察するところもあったんだが」
「察したのですか? 当たるでしょうか」
「……ズバリだ、アンタは親父さんに最期の晩餐をプレゼントしようって腹積もりなんだろう?」
「……実に安っぽいヒューマニズムに堕したお答えですね。食べ物を売る以外の能力のないこと、よく分かりました」
エミネンザールはジンクの言葉に冷笑して応えて見せた。どうして女ってのァこうムカつくことばっかり言いやがる! 苛立ったジンクは、心の中で舌打ちを連発した。
「いいですか」
エミネンザールは、三人を包み込もうとするかの如く、両手を大きく広げた。その異様からは、没落しても心までは沈まない、元公爵令嬢としての誇りと尊厳を精一杯表そうともがいているようにジンクからは見えた。
「時代が変わったことは認めざるを得ない事実です。そして、私が今何者でもないことも。だからこそ、“止むなく”貴方がたに頼るのです。“止むなく”。この私、エミネンザール=フォン=グランシャールに、貴方達の持ちうる全てを叩き込むのです。そう、店舗経営の技術から、ラーメン作りの真髄まで、その——」
エミネンザールの演説が終わるのを待ち切れなかったサオリは、その広げた両腕の中に潜り込んでいった。熱いハグであった。
「いいよ、教えてあげる! エミちゃんだって、この世界で生きていかなきゃならないもんね‼︎」
「エ、エミちゃん⁉︎ 何と失礼な……わ、私はグランシャール——」
「エミちゃんでしょ? エミネンザールって、ちょっと長くて言いづらいし。友達ならアダ名は普通じゃん?」
二人のやり取りを見て、ジンクは思った。
コイツら、どっちもどっちすぎる——。
「……本当に、時代が変わりましたね」
キョウヤは、どこか嬉しそうに言った。何が面白いのか、ジンクにはさっぱり分からなかった。