3杯目 “元”公爵家の“元”令嬢、傍若無人な来店
午前十一時、『らーめん工房 じんく』開店の時間。アルバイト店員が店先に暖簾を掛け、
「お待たせいたしました、本日もご来店ありがとうございます! それでは前の九名様からどうぞ!」
店内は狭く、厨房を囲むようにコの字型のカウンターがあり、九名座ればすし詰め状態である。ラーメンの茹で汁、スープの入った寸胴から立ち上る芳しき香り、そして厨房スタッフ三名と客の熱気で、店内はじっとりと湿っぽくなる。
「一つ——よろしいかしら」
先頭で入店した女——黒いレンズの眼鏡で視線を隠している——が、水とおしぼりを持ってきたアルバイト店員に話しかけた。なんでしょう、とその言葉に応じようとした店員だったが、女は実際のところその店員に用事があるわけではなく、これから起こす行動のきっかけとしてその言葉を発したのだった。
「……消えなさい、愚民共‼︎ この私、グランシャール公爵家第一令嬢、エミネンザールの名の下に命じます。今すぐ、この店を私の貸し切りとするのです‼︎」
エミネンザールの言葉にざわつく店内。様子を見ていたジンクも訝しげに自称・公爵令嬢の動向を窺っている。
ざわつきの後、少しの沈黙があり、座っていた大柄なゴブリン男性が立ち上がって、エミネンザールを威圧した。
「……ナントカ令嬢だか知らねぇが、お姉さんよ。オレは『じんく』のラーメン食うために、隣町から三時間かけて歩いてきてるんだぜ。それを貸し切りにしろって言われて、ハイそうですか〜なんていくかよ! こちとら朝メシも抜いてきてんだぞ‼︎ 腹ァ減ってんだよ‼︎」
「『ア・スペル』」
エミネンザールの呟きは、魔法の詠唱だった。次の瞬間、ゴブリン男性の口から言葉が消えた。
「——何か仰いました? 貴方、何か言いたげのようですけれど」
言葉を失い、錯乱したゴブリン男性は、椅子から弾けるように立ち上がってエミネンザールに飛びかかっていく。
「『シューター』」
エミネンザールは、パチンと親指と人差し指を鳴らす。瞬間——ゴブリン男性は逆方向に吹き飛ばされ、『じんく』の決して頑丈な造りとはいえない木造の壁を破壊して、消えていった。
一部始終を満足気に見つめて、エミネンザールはどこか恍惚そうな表情で、店内に告げる。
「まだ、なにか?」
細く、鋭い視線がそれぞれ均等に刺さる。客はめいめいに立ち上がり、出口から、あるいは破壊された壁のところから散らばって退店した。店内は、エミネンザールと『じんく』のスタッフのみになった。
ジンクは大きくため息をつき、頭を掻きながら言う。
「……アンタ、何が目的なんだ?」
「グランシャール公爵家……確か……」
キョウヤは、顎に手を当て、何か考えている風に呟いた。
「ねぇねぇ、ジンクさん。あの巻き髪カールのお姉さん、悪い人なんですか? ねぇ、ねぇ。それにしても、あれも魔法ですか〜。魔法って料理のために使うだけじゃないんですね〜!」
サオリは、戦乱の世を知らなかった。それ故、これまで見たことのある魔法は、キョウヤが仕込みの際たまに使っている低級の炎魔法のみであった。
ジンクは、サオリの一連の発言をスルーして、エミネンザールを真っ直ぐに見据えて言った。
「お取り潰しになった“元”公爵家の“元”御令嬢が、今更ウチの店に何の用なんだって訊いてんだよ!」
「——あっ、そうか、グランシャール公爵家! あの残虐非道の!」
キョウヤは全て合点がいったとばかりに手を叩いた。
「『恒久平和を誓う異種族間共同宣言』採択後も殺戮行為を続け、ついに中央王室から排斥された、あのグランシャール公爵家か!」
エミネンザールの目は黒いレンズに隠されていたが、口元は真一文字に結ばれており、何か堪えている風であった。ジンクは、黒いレンズから一筋の涙がこぼれ落ちてきたのを見逃さなかった。
「はぁ……なんなんだよ、暴れたと思ったら急に泣き出しやがって。意味が分からねぇ」
「……泣いてなどいるものですか。これは、心の汗ですわ!」
なんだそれ、とジンクは心の中でツッコミを入れた。そこまで自分の弱みを認めないのか、と。
「私の目的は唯一つ——ジンク、貴方の調理技術を、グランシャール公爵家に伝授するのです‼︎」
「……ハイ?」
公爵家に、ラーメンの作り方を? ますます意味が分からねぇ、と独りごちるジンクであった。