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2杯目 ホドホドの値段、ソコソコの味

『らーめん工房 じんく』の朝は早い。

 ジンクはスープ作りだけは自分一人で行うことをポリシーにしている。たとえそのレシピを作ったのがサオリだとしても、である。

 ジンクはとにかく“ブレ”のないスープ作りに腐心していた。幸いにして、現在はたくさんの客が日々店を訪れてくれるため、材料費で足が出る(赤字になる)ことはない。しかし、逆に言えば多くの材料を使うからこそブレが生じやすくなっているということになる。材料がシンプルであれば、味の奥行きがなくなる代わりにブレは少なくなる。ジンクは日々少しずつでもより美味いラーメンを目指している。そのために、素材を少しずつ足したり、引いたりしながら、ベストの味とスープの安定を両立させようと、静かにもがいているのである。

 そんな姿は逆に見せるもんじゃない——白鳥は優雅に見えるものだ。しかし実のところは水面下で足をばたつかせている。スイスイ泳いでいるようでも必死なのだ。ラーメン店経営も同じだ、とオーク骨を砕きながらジンクは思う。

 たまに、開店当初のラーメンのことを思い出す。今にして振り返れば、なんてものを金を取って出していたんだ、と顔から火を吹きそうになるのだった。味付けは出汁もほとんど取らず、塩やソイソースのみ。麺にはかん水(アルカリ塩水溶液)も混ぜず、小麦粉をこねて細長く切ったのみ。具も香味野菜くらいしか載せていなかった。


『……これ、ホントに“ラーメン”ですかぁ? こんな紛いモノでお金とってお客さんに出すなんて、犯罪と変わらないんじゃないかな——』


 サオリの言葉が響く。もう半年以上前の言葉なのに、いつでもついさっき言われたかのように錯覚する。それほどまでに、痛いところを突かれたという思いが強かった。だからこの頃のことは思い出したくないんだ——。スライムを捌くジンクの包丁の切っ先には、つい必要以上の力がこもってしまっていた。


「おっはよーございまーすッ‼︎」


 素っ頓狂な声が厨房に響いた。考えるまでもなくサオリだ。朝からうるせぇ、と言う代わりにジンクは一つ舌打ちをした。


「おっ、ジンクさん、良い匂いじゃないですか〜。今日は青スライムを半身増やしましたね」


 匂いだけでそれが解んのかよ、ジンクは舌を巻いた。ムカつく女だが、ことラーメンに関しては、コイツは天才だ。味覚も嗅覚も、調理技術も、全てにおいて敵わない。ジンクは一緒に働き始めて数日の段階で、その点においては白旗を上げていた。

 ただし——自分がサオリに絶対に負けないものがある、ということも早期に自覚を持てていたのだった。それは財力と、経営力である。

 サオリはとにかく金がなかった。偉そうにジンクのラーメンを全否定しておきながら、それに払う金は持っていなかったほどである。それが後々まで彼女の首を絞めることになったのだから、文無しというのはロクなものではない。さらに、サオリは美味いラーメンを作る能力は抜群であるものの、一つの店を経営していくセンスは皆無であるとジンクはすぐに見抜いた。なんせ、客から払われる代金以上に材料にコストをかけようとしてしまう。それではどんなにラーメンが売れても逆鞘であり、店舗経営はすぐに立ち行かなくなってしまう。


「おかしいなー。前に店やってたときには大繁盛で儲かってたのになー」


 サオリの口癖だった。だが、話を聞いていくと、以前の店では経営面を別の人間に委ねて、サオリ自身は調理に集中していたのだという。それなら上手くいくわけだ、とジンクは納得した。

 今の構図もそれと変わらない。俺という優秀なマネージャーがコイツの手綱をしっかり握っているのだ——。スープの味見をするサオリの姿を見ながら、ジンクはほくそ笑んでいた。


「どうだ? 青スライムを増やして、オークボーンを減らしてみた」


「うーん……良いんじゃないですかね? これからもっと暑くなってくるし、お客さんはサッパリした味を求めると思うから。この辺で獲れる青スライムは清涼感が出るんで、増やせば増やすだけラーメンが軽やかになりますよね。とはいえ重さが減りすぎても満足度が落ちるんですけど、このバランスなら“及第点”かなと」


 さすがに的確だ。俺の意図を全て読み切っている。

 ジンクは、己が身の幸運を感じずにはいられなかった。自分だけでは、この店は成功しなかった。それは認めなければならないと感じていた。たまたま、サオリが客として落ち目の店に来店して、たまたま、サオリが金を持っていなかったからこそ、こうして今もこの場所に“繋ぎ止められて”いるのだ。

 俺は、お前を絶対に離さないぞ。俺自身の野望のために——。


「……及第点なら、今日はとりあえず良しとしておくか」


「あら、意外ですねー。ジンクさんなら満点目指すと思ってました」


「点数は最終的には客が下すもんだ。サオリ、お前も分かってるだろうが、ラーメン店にとっての正義は“客が来ること”だ。自己採点がどんなに良かろうと、客が来なきゃただのゴミだ」


「ハイハイ、分かってますよー。“経営のプロ”ですもんね、ジンクさんは! ホドホドの値段でソコソコ満足させるラーメンを作るのがお上手です‼︎」


 トゲのある言い方に、ジンクの血管は破れそうになった。そうだよ、俺は経営のプロだ。お前から見りゃ、料理人としてプロになり切れてないのかもしれないが——。


「……あと二時間で開店だ! 仕込み入るぞ!」


「アイアイサー‼︎」


 そうして、二人はラーメンの具の用意やスープの“カエシ”の準備を黙々と進める。

 そんなジンクとサオリの様子を、店の外から隠れて眺めている一人の女の姿があった——。

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