第一章:悪魔探偵
「では、こちらにサインをお願いします」
ステファンが差し出した書類をテーブルに置いて依頼人に言った。
今、座っている依頼人は夫の浮気調査を依頼してきて依頼を終えたので、それのサインを頼んでいる。
「あの、本当に大丈夫ですか?」
依頼人の女が心配そうに聞いてきた。
浮気調査を頼んだと夫に知られるのを困っている様子だった。
「御安心を。我がMNT探偵事務所は依頼人との関係は死守します」
私は安心させるように笑った。
MNTとはミッドナイト・タイムの事だ。
アメリカに居た時に超高層ビルから見えた夜景に感動して事務所の名前とした。
もっとも別な意味も含まれているが、またの話にしよう。
私の笑みに依頼人は安心したのか書類にサインした。
「これで終わりです。では、また何かあったら連絡を下さい。いつでも力を貸しますので」
分かりましたと言って依頼人は事務所から出て行った。
「ふぅ。これで一件落着かな?」
「ダーリン。そろそろ休憩にしない?」
ステファンがテーブルにコーヒーを置いた。
料理などは出来ないがコーヒー位は淹れられると言って給水をしてくれる。
これまた美味いから今や休憩時間の給水は彼女の十八番みたいなものとなっている。
「そうだね。そろそろ休憩にしようか」
左腕に填めたロレックスの腕時計を見た。
時間は午前10時。
ティータイムには、ちょうど良い時間だ。
イギリス人は大の紅茶好きだ。
だから、午前と午後の休憩時間にも必ず紅茶を飲む。
その時間が私の休憩時間でもある。
ステファンは一人用のソファーに座り紅茶の香りを楽しんだ。
使用しているは高級茶葉であるディンブラの葉を使用している。
私も最高級のブルーマウンテンの濃くのある香りを楽しみつつコーヒーを飲んだ。
その時、不意に電話が鳴った。
白いコーヒー・カップをソーサーに置いてからデェスク・テーブルに置いてあるリダイヤル式の凝った電話機の受話器を取って耳に当てた。
「はい。こちらMYT探偵事務所です。どういった御用でしょうか?」
私は軽快な口調で喋った。
「・・・久し振りだな」
「これは“伯爵様”。お久し振りです」
相手がいないのに私は頭を下げた。
ステファンも私の様子を見て背筋を改めた。
「少し仕事が入った。大丈夫か?」
「勿論です。で、仕事の内容は?」
私は少し緊張した声で尋ねた。
“伯爵様”の仕事は一歩でも間違えれば即死に繋がる。
しかし、同時にアメリカの探偵時代を思い出すスリリングな体験が出来ると不肖ながら楽しく思う。
平和ボケした日本と違いアメリカの探偵は拳銃を所持する事が出来るし時たま撃ち合いになる事もあるからだ。
事実、私もアメリカとヨーロッパで何度かマフィアや警察と撃ち合いをした時がある。
「魔界で殺しを犯して人間界に逃げた悪魔を探して欲しい」
「分かりました。直ぐに居場所を突き止めます」
頼むぞ、と言って通話を終えた。
「ダーリン。“伯爵様”から?」
ステファンの問いに私は頷いた。
「魔界で殺しを犯した悪魔を一人、探して欲しいってさ」
私の答えにステファンは頷いた。
「真昼間だけど、ミッドナイト・タイム(真夜中の時間)、ね」
ステファンは紅茶を飲み終えると立ち上がった。
「そうだね。休憩は終わりかな?」
コーヒーを飲んで私も立ち上がった。
ここでミッドナイト・タイムのもう一つの意味を説明しよう。
ミッドナイト・タイム、真夜中の時間とは悪魔探偵を意味している。
まったく関係ない言語だが、悪魔たちは真夜中に行動を頻繁に起こす事からミッドナイト・タイムと名付けた。
恩人である“伯爵様”は人ならざる悪魔だ。
科学が進歩した今の時代には非現実的とも言える存在だが、それは人間が勝手に決め付けただけだ。
現に私は何度も悪魔を見て逮捕、射殺してきた。
人間界に逃げた悪魔を捜索し魔界に送り返すか射殺するのが悪魔探偵、ミッドナイト・ディクティブ(真夜中の探偵)が私のもう一つの顔であり事務所の顔だ。
自室に戻り引き出しを開けて物を取り出した。
拳銃の入ったホルスターだ。
Yシャツとウェストコートの上から牛の革で作られたショルダー・ホルスターを左脇に吊るした。
ホルスターの中にはワルサーP38が入っている。
私の相棒で“伯爵様”から直々に頂いた代物だ。
弾は水銀を使った特注の銀弾で銃自体にも魔除けのエングレーブが彫り込まれているから魔物などが掴めば火傷を負う。
ショルダー・ホルスターを吊るし終えてから紺の線の入った背広を着てサングラスを掛けて黒のトレンチコートから別れて生まれたステンカラー・コートを着て黒のソフト帽を被った。
ハードボイルドの定番とも言える格好で探偵として目立つし古臭いと同業者から言われるが私には私の拘りがある。
それにこのコートと帽子は、ちょっとした優れ物で防弾繊維に刃物などの攻撃に対する防御力も誇るボディ・アーマーだ。
これには何度か命を助けられたことがある。
右足のホルスターにも隠し武器としてベレッタM1934を入れて準備は完成した。
「相変わらず決まってるわね。ダーリン」
Yシャツの上から灰色の背広を着て更に灰色のトレンチコートを着て眼鏡を掛けたステファンが話しかけてきた。
髪は後ろで結わえられて白いうなじが見えミニスカートから見えるフラメンコの足は健在だ。
姿からすれば外国社長の第一秘書と言った所だ。
彼女も私の相棒を務めているため拳銃は常に持ち歩いている。
私と同じく左脇のショルダー・ホルスターにワルサーPKKを忍ばせているしミニスカートの中には25口径のベレッタ・ボブキャットを隠している。
ワルサーPKKにも魔物除けのエングレーブが彫られているし弾も水銀の特注弾丸が込められている。
「そっちも決まってるよ。奥さん」
サングラス越しに笑ってみせる。
「嬉しいわ。それでは、行きましょうか?」
「OK。行こうか」
二人揃ってクルーザーを出て近くの車庫に止めてある黒のロンドン・タクシー、オースチンFX4に乗った。
ステファンと一緒に彼女の故郷、イギリスに行った時に手に入れた物だ。
元は廃車同然だったが、“伯爵様”の舎弟が使えるように改造してくれた。
エンジンはスポーツカー並みにされボディやガラスも防弾にして機関銃とミサイルまで搭載された小型装甲車だ。
かなり・・・・・・いや、とんでもない車だが外見は普通の車だ。
エンジンを掛けてギアをローに入れて発進させた。
他の日本車に混ざって運転した。
「何処に行くの?」
助手席に座ったステファンが聞いた。
「資料が送られてくるよ」
返事をした途端に取り付けられた小型ファックスから資料が出てきた。
一枚分で止まった。
「読んでくれないか」
ステファンは心得たように読み始めた。
「え、と名前はスコルスキー。性別は男。事件の経緯は酒場で酔った勢いで相手を刺し殺して人間界に逃亡して行方を眩ませているだって」
「他には?」
「詳しくは後ほど連絡する。気を付けてやれとの事よ」
「気を付けて、か。何時もながら身を案じてくれるとは有り難いね」
私は心から思った。
危ない仕事を回しながら気を付けろなどと言う“伯爵様”。
優しいとはこういう方を言うのであろうと思ってしまう。
「本当ね。で、何処に行くの?」
「その男が最初に降り立った場所に行ってみよう。基本は現場から」
何処かの刑事ドラマで言うセリフを私は言った。
「えーと、現場は・・・・・・・あら。ダーリンが行こうとしていた大学よ」
私は大学という言葉に耳が鋭くなった気がした。
「もしかして、正考大学だったりする?」
あそこだったら正直に言ってしまえば行きたくない。
「その、もしかしてよ」
無情なステファンの声に私は、はぁと溜め息を吐いた。
「あそこ、かぁー。あそこは嫌な思い出でしかないのに」
何せ私が二度も受けて落ちた大学だ。
他にも理由はあるが・・・・・・・・・・
嫌な思い出しかない。
まぁ、その正考大学に落ちたから“伯爵様”の力を借りてアメリカのボストン大学に現役で合格したんだけど・・・・・・・
「はぁ、何で大学に降り立つんだよ」
どうせなら廃工とか公園にしろと言いたくなる。
「そんなに落ち込まないで。私の“マーロウ”」
ステファンが私の口に煙草を入れてきた。
銘柄はキャメルだ。
「貴方は最高の男よ。私にとっては、貴方が“フィリップ・マーロウ”よ。しょげた顔を見せないで」
彼女は器用に運転をする口に銜えたキャメルに銀製のダンヒルのライターで火を点けてくれた。
「ありがとう。ステファン。君は最高の女性だよ」
私は安心させるように笑ってキャメルを吸い込んだ。
「・・・・ふぅー」
窓を少し開けて外に煙を出した。
「さぁて、気を取り直して行きますか」
アクセルを踏んでスピードを上げてからギアをハイ・トップに変えた。
一気にFX4はギュンと走った。
「あはっ。やっと何時ものダーリンに戻ったわ」
ステファンは子供のように笑った。
その笑顔が本当に眩しくて私はサングラスを掛けながら目を細めた。