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次の日からというもの、リベルは事あるごとに自分の左小指を見るのが癖になっていた。
手を洗えば見て、退屈な店番の最中に見て、寝る直前でさえ左手を掲げてぼうっと見つめる。
日中にはリーシェと会う事が多くなった。
お互いの家が近いというのは、更に彼らを引き寄せるのに役立っていた。
買い物帰りに出会う事もあれば、リーシェが店にやって来る事もある。
特に何も買っていく訳ではない。ただリベルと談笑をしに来ているのだ。
それをリベルは特に苦痛には感じなかったし、むしろほとんど誰も来ない店で彼女と過ごす時間は少ない娯楽の一つとなっていた。
リベルと会ってから、彼女は外を見るのが楽しくなった、と言っていた。
リーシェの家の窓は、アリアンテール一階の窓が覗き込める位置に在るそうだ。
たまに覗くと面倒そうに商品棚を掃除するリベルや、町の人と店内で談笑しているローレンツを見る事が出来る。
そしてたまにリベルが買い出しに出掛けるのを見つければ、必ず彼女はそれを目で追った。
タイミングを合わせてリーシェも玄関前まで出るようになった。
今日だってそうだ。
「それでね、たまに家の前に咲いてる花で押し花作ってるの。ほら、これ」
年の近い友人どころか知り合いが少なく、他人と喋る機会が出来た事。
それがとんでもなく楽しいのだ、と。
普段は家に置いている、幻想的な内容の本を読んで時間を潰しているらしい。
所々に押し花の跡が残されていた本は、何度も読まれて折り目が付いてしまっていた。
細い手足と色素の薄そうな銀髪から身体が弱く見られる事もあるが、本人はむしろ至って活発な方だ。
右利きで、最近は料理にも挑戦した。良く見ると薄く緑がかった丸い瞳は、母親譲りだと言っていた。
例の話はまだ父親には訊ねていないようだ。
「いやー……何ていうかさ、聞くタイミング無いんだよね」
彼女はそう言って、あの日のリベルのように苦笑した。
それを聞いて、リベルはほっと胸を撫で下ろした。
その質問をすれば自ずと情報の仕入れ先の話になるだろう。
彼女の為ならバレても良い。
そう自分に言い聞かせて過ごしていたリベルだったが、ローレンツとガレットに詰め寄られる可能性と状況を想像すると、怖くなるのも事実だった。
そうして過ごした他愛も無い日々。
リベルが一人でカウンター席に腰を落としていた時の事。
今日も天気は晴れで、きっとこんな日は川辺に散歩でも行くと気持ちの良い一日になる。そんな日だ。
外からバタバタと地面を蹴る音が聞こえて、次いですぐに焦ったような声がした。
「リベル! リベル!」
何事か。とリベルは自分から開けなくても良い店の扉を開き、リーシェを中へ招く。
「い、糸がなくなっちゃった……!」
リーシェの顔は落ち着きを失ったそれそのもので、見ていると今にも涙目になりそうだ。
聞くところによると、今朝ふと気づくと昨夜まで左手の小指に巻き付けていたあの白い糸が無くなっていたそうだ。
糸は一度繋げば、例え家から家までの距離でも魔術の力で常に繋がっているように本人達には見える。
糸を繋いでいない人間にも見える事があるが、糸を知る人間で無ければ目の錯覚程度に感じるだろう。
そう、教えた事がある。
リベルは最初こそ彼女の様子に驚いてみせたが、理由を聞いて宥めるためにまずは微笑んだ。
「あぁ、心配しないで。それも糸の効果だ」
キョトンとして言葉が出ないリーシェに、リベルは言う。
「この糸って、日が経つにつれて次第に目に見えなくなってくるんだよ。でも消えた訳じゃないんだ。たまにちゃんと繋がってるって確かめられるように、見える時がある。忘れてしまった時とかにね」
「……なぁーんだ」
リーシェの表情が次第に安堵に変わっていくのが目に見えてハッキリとした。
「じゃ、どれだけ離れてても繋がってるのね」
「うん、繋がってる方向にちゃんと居るよ」
安心してカウンターに立ったまま突っ伏したリーシェは、伸ばした両腕の先で左手を広げてニンマリと笑っていた。
そのまま夕方まで一緒に店番をする事になるのは、最早リベルが一人で居る時の日常だった。