8 ドラゴンの王様はわんこ系
早速山を下山し始めた私たちだけど、その道のりは二重の意味で平坦なものでは無かった。
運動能力に深刻な問題を抱える私は、ものの数分で体力ゲージが空になり、リーシャさんにおぶられて山道を下ることになった。
「ごめんね、リーシャさん」
「謝らないでください、ナギ様。お力になれて我は幸せです」
やさしいなぁ、リーシャさん。
ストレス社会で傷ついた心が癒やされるぜ。
暖かい背中と翼の感触にほっこりしつつ、山を降る。山道は険しく、切り立った崖を飛び降りるたび、私の心臓は止まりそうになった。
「すごい険しいね、この山」
「竜の山は侵入者を寄せ付けぬ自然の要塞だからな。登るにせよ降るにせよ、相応の覚悟と力がいる。もっとも、支配者である我輩たちには庭のようなものだがな」
どやっと目を細め、崖の下へ飛び降りるジルベリアさん。
すごい身体能力してんなぁ。
そう他人事みたいに思っていたらリーシャさんが続いて飛び降りて私は声にならない悲鳴を上げることになった。
怖い! 死ぬ! 死んじゃう!
しかし、悪いことがあれば良いこともある。
私を救ってくれたのは気遣ってくれるメイドさんだった。
「ご用がございましたらどんなことでもなんなりとお申し付けください、とシトラスは一礼します」
吸い込まれそうな黒目がちの瞳が印象的なメイド長さんと、
「お任せください、とライムは元気よくご挨拶します」
明るい声の副メイド長さん。
二人ともすごく仕事できそうで、着こなし一つとってもまったく隙が無い。
その立ち振る舞いを見ているだけでも、心の体力ゲージがぐんぐん回復していくのを感じる。
だってメイドだよ! 主人に仕えるプロフェッショナル。『日の名残り』のミス・ケントンみたいな。そんなの憧れずにはいられないじゃないか!
私がやらなくても家事とか全部完璧にやってくれそうだし。
ああ、なんと素晴らしき仕えてくれるメイドさんがいる生活。
拝啓、天国のお母さん。
ナギは今、かなり幸せです。
「むむ……相変わらず見事な所作ですね。しかしシトラス、ナギ様ジルベリア様の一番の部下の座は渡しません」
眉をひそめて言ったのはリーシャロットさんだった。
「渡さないも何も既にその座にいるのは私です、とシトラスは訂正します」
「生意気な! 我の方がジルベリア様を尊敬していますし、ナギ様に感謝しています」
「誤りです。私の方が尊敬していますし、感謝しています」
「良いでしょう、では夕食後勝負して決着を付けましょう」
「望むところです、とシトラスは宿敵をにらみ返します」
「「むむむ……」」
火花を散らす二人。
龍虎相打つみたいな感じだった。いや、この場合は竜竜相打つか。
「ジルベリアさん、二人は仲悪いの?」
「いや、お互いライバル視してるみたいでな。同じ日に生まれた幼なじみで絶対に負けたくないと思っているようなのだ」
「ああ、なるほど」
「我輩は二人とも一番で良いではないかと言っておるのだが、それでは納得できぬらしくてな。ずっとこの調子だ」
どうやらライバル関係らしい。
「相変わらず仲良いっすよねー」
「はい、なかよしさんです、とライムはお二人を微笑ましく見つめます」
副長らしい騎士さんと、副メイド長さんは並んで言う。
「仲良くありません!」
「まったく事実無根です」
息ぴったりで否定する二人。
なるほど、なかよしさんだ。
そんな感じで進むことしばらく。私たちは山の中腹にさしかかっていた。肌寒かった山上と違い、中腹の気候はいくらか過ごしやすい。太陽の日差しは少しずつ赤い色に変わりつつある。
「魔獣の気配があるな」
ジルベリアさんが不意に言った。
「はい、ありますね。あと、小さいですが下級魔族の気配もあります」
リーシャさんがうなずく。
「こんなところまで登ってくるにはいささか弱すぎる個体に見えるのだが」
「魔術で力を偽装しているという線はどうでしょうか」
「その可能性もあるな。ナギ、どうする?」
うーん、どうするべきか。
魔族をたくさん仲間にして世界征服というのが私たちの目的なのだけど、初動から目立ちすぎるのはリスクが大きすぎる気がする。
成り行きとは言え、私はドラゴンさんたちを仲間にしちゃってるわけで。その力は周囲の魔族からすると、怖かったり警戒せざるを得ないものであるはずだ。
無用なトラブルや、争いは避けてのんびりやっていきたいところだし。
だからこそ、初動は慎重に。できればこちらの戦力は伏せた状態で周辺の情報探索に励みたいところ。
「とりあえず様子を見てみることにしよう」
茂みに伏せて私たちは崖の上から様子をうかがう。十メートルほどの崖の下、息を切らせて駆けてきたのは犬耳の女の子だった。人間で言えば小学校の高学年くらいだろうか。ふわりとカールした胡桃色の毛を揺らしながら、そばにあった太い木に背中を預ける。
簡素な麻でできた服は、ミキサーにかけたみたいにボロボロだった。褐色の肌にも無数の切り傷がはしっている。
小さな胸を大きく上下させて空気を吸い込む彼女は、ひどくおびえた顔で背後をうかがっていた。
何かから逃げているんだろうか。
地響きが大地を揺らしたのはそのときだった。水たまりが波紋を作り、斜面に生えていた木が一斉に押し倒され砕ける。
最初私は目の前の光景が信じられなかった。あんなに巨大な生き物が普通に山にいるなんて信じられなかったから。
しかし、それはたしかにそこにいた。天へと伸びる二本の角と、戦車のように重厚な体躯。血走った赤い目に、漆黒の肌。ダンプカーのように巨大な牛がそこにいる。
名称:グレイトタウロス
希少度:C
安全度:F
食材等級:B
寸評:牛系統の魔獣では大型で上位の種。突撃の威力は凄まじく、山に大穴を開けたという報告もある。肉質は非常にやわらかく評価が高い。特にフィレはBランクの中では最高峰の逸品。
なるほど、かなりおいしそう。
っていや、食材として鑑定してる場合じゃないから!
自分の能力にツッコミを入れつつ、私は言う。
「あれが魔獣?」
「はい。この辺りではかなり上位の個体ですね」
「いわゆる主というやつかもしれぬな」
牛の魔獣は何かを探すように注意深く鼻を揺らす。
やがて、その赤い目が幹に姿を隠す犬耳の女の子に向けられた。
大地を揺らしながら一歩ずつ近づく。女の子はまだ自分が見つかっていることに気づいていない。両手を組み、目を固く閉じて何かに祈っている。
どうか通り過ぎてくれますように、と。
その願いは叶わない。
既に赤い目は彼女の隠れるその場所を捉えている。
少女の姿は私に昔のことを思いださせた。
母がもう長くないことをどこかで悟りながら、それでも治りますようにと布団の中で毎日祈っていたあの日の自分を。
『やさしい人になりなさい』
そうだよね、お母さん。
「助けたいんだけど、できるかな」
「愚問だ」
ジルベリアさんは不敵に笑う。
だけど、そのときにはもう巨大牛は少女に跳びかかろうと、屈めた両足で大地を蹴っていた。
「逃げてっ!」
間に合わない。
少女がもたれていた木があっけなく砕け散り、小さな身体は水風船のようにあっけなくぺしゃんと弾ける。
しかし、それはあくまで私が作り出した一瞬先の想像に過ぎなかった。
大木はあっけなく砕け散ったが、グレイトタウロスの動きはそこで止まっている。
時間が静止したみたいに動かない。
まるで飛んできた羽虫を受け止めるみたいに、ジルベリアさんは片手でそれを止めていた。
「退け。来るなら容赦はせぬぞ」
猛牛は信じられない様子で目を見開き、再び両足に力を込める。
目の前に現れた少女をなんとか押しつぶそうと。
大木のような両脚が大地を蹴る。掘り返される異常な量の土塊が、その力のすさまじさを伝えていた。
「仕方ないか」
ジルベリアさんはため息を吐く。
「相手が悪かったな」
角を掴んだ左手をはらう。
羽虫を払うような、ただそれだけの動き。
瞬間、響いたのは爆弾が爆発したみたいな轟音。巨体の魔獣はドライバーに弾き飛ばされたゴルフボールみたいに吹き飛んで、すぐ傍の岩肌に巨大な穴を開けてめり込んだ
「ええ……」
めちゃくちゃだった。
あまりにもめちゃくちゃだった。
そりゃドラゴンの王様なわけだし、その辺の魔物に負けないのは当然なのかも知れないけどさ。
でも、ここまで圧倒的だなんて。
リーシャさんにおぶられて、崖下に降りる。
ジルベリアさんがとことこ近づいてきて、自慢げな顔で言った。
「どうだ、ナギ。我輩強いであろう? すごいであろう?」
「うん、すごいね。びっくりしたよ」
「むふふふふ」
うれしそうに口元をゆるめた。尻尾がぶんぶんと激しく揺れる。
「そうであろう、そうであろう。我輩強いからな。すごいからな。ほれほれ、もっと褒めて良いぞ? 遠慮することはまったくないのだからな!」
褒められたがりのわんこっぽいジルベリアさんだった。
ドラゴンの王様なのにそれでいいんだろうか。
とはいえ、助けてもらったのだから私もいっぱい褒めてあげなきゃ。
「よしよしー。えらいね、すごいね」
「むふふふふふふふふふふふ」
艶やかな髪をわしゃわしゃすると頬をゆるめて目をとろんとさせる。
つい犬に対する接し方みたいになっちゃったけど、うれしそうなので良しとすることにしよう。
「あ、あの、ありがとうございました」
言ったのは、巨大牛に襲われていた女の子だ。髪は胡桃色のふわふわしたショートボブ。その中から、同じく胡桃色の獣耳が生えている。ぺたんと小さくなってるのは、びっくりしたからだろうか。
「み、みなさんすごく強い高位魔族さんなんですね。なんとお礼を言えばいいか」
戸惑った様子で声をふるわせて言う。
身長なんて小学生くらいで小さいのに言葉使いが丁寧でえらいなぁ。
「なかなかわかっておるではないか。そうだぞ、我輩たちは強いぞ」
自慢げなジルベリアさん。
その隣の私は尻餅ついただけで腰の骨折れるくらい弱いけどね……。
「礼なら我輩でなく、ナギに言え。この者が我輩たちの主だ」
「え、私?」
「主が助けろと言ったから我輩は助けただけのことだしな」
「お優しい高位魔族さん。本当にありがとうございます」
犬耳の女の子は深く頭を下げる。
「いやいや、気にしないで。困ったときはお互い様だから」
私全然何もしてないしね。
頭を下げてもらうのはむしろ申し訳ない。
手を振る私の隣でリーシャさんが言った。
「しかし、どうして貴方のような下級魔族が竜の山に?」
「それは、その、事情がありまして……」
女の子は、先ほどよりさらに深く頭を下げて言った。
「あ、あの! みなさんにひとつお願いがあるんです! 助けて頂いた上、こんなことを言うのは不躾だとわかってはいるのですが、しかしわたしには他に方法が無くて。お願いします。わたしにできることは何だってします。だから――」
「大丈夫、大丈夫だから。落ち着いて」
私は安心してもらえるようできるだけやさしく言う。
「それで、お願いって?」
犬耳の女の子は頭を下げたまま、真剣な声で続けた。
「わたしを、竜の山の上層へ連れて行ってくださいませんか」